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3

 翌日、太陽が真上に昇るころ、ジェライドは一人で家をでて、丘をのぼっていた。


 シィシアンとグレイルは朝早く揃って仕事へとでかけていった。家にはほかにも母親と使用人が数人居たが、母親には会うことを止められているため、部屋へ顔をだすこともできない。家の中に一人きりでいれば、おちつかず、寂しさが募った。

 だからといって外へでてみても、ここはジェライドにとって見知らぬ土地同然だ。友人や知人がいるわけでもない。

 もとから風貌のために人から敬遠されるジェライドだ。ウォルデスの街よりも人々が彼のような色を見慣れているとはいっても、それは変わらない。奇異や興味の目で見られることはあっても、仲良くできる人がいるとは思えなかった。

 しばらくは魔法の練習をしてすごしたが、一向に成果はあがらなかった。どこをどう正せば結果がでるのかということもわからないから、それ以上はどうしようもない。

 滅入りそうになった時思いついたのが、昨日も言った母親に魔法薬を作ってあげようということだった。


 早速家中を探して歩いたが、道具はまだしも肝心の薬草の類が見当たらない。すでに薬としてできあがったものしか置いてないのだ。薬草は店にいけば手にはいることは知っていたが、場所もわからない。

 もっといえば、ジェライドは一人で人目につく所へでかけること自体に躊躇いがあった。

 作ろうとしている薬にはどの薬草が必要で、それがどのようなものかということも授業で習って知っている。


「確か、丘のむこうに森があったはず」


 思いだして、ジェライドは迷った。

 実は父と兄から『危ないから人気のないところへは出かけてはいけない』と言われていたのだ。


「明るいうちなら、大丈夫だよね?」


 だが二人の言いつけよりも、母親に自分できることがあるなら、なんでもしてあげたいという思いが勝った。

 そうして午前の遅い時刻、森へむかって家をでたのだった。


 しばらく続いた家並みを抜け、なだらかな上り坂になった草地を踏む。

 初夏の太陽はぎらぎらとした熱を地上へと注ぎ、ありあまる恩恵をうけた草は逞しく背を伸ばし、葉を茂らせていた。

 背丈が少年の膝にまで達した草原の中、丘まで続く細い道をたどりながら、ジェライドは時々額の汗を拭った。

 地面から立ち上がってくる草いきれは、息のあがりはじめた彼に纏わりつく。むせ返りそうになりながら歩き、半刻をすこし回ったころ、ようやっと丘の頂上へとたどりついた。


「うわーっ」


 歩いた道のりを振り返って、ジェライドは歓声をあげた。


 丘から見下ろす王都は、遠くの丘から見たのとも異なる威容を誇っていた。

 丸い広がりであるはずの街並みは、その一端を感じさせるだけに留まり、奥が見通せない。西と北の外門が白く輝くのが見え、手前ではまばらな家影が中心に近づくに従って密度を増していくのがわかる。漆喰を塗られた壁が眩しく、煉瓦を積んだ赤茶けた塀が迷路のように入り組んでいた。


 しばらく目の前の光景に見入っていたジェライドは、我に返った。


「いけない。早く薬草探さないと」


 踵を返し、街とは反対側へとくだっていく。

 丘から伸びる小道は畑へと続いており、人の行き来がないのだろう、森への道はなく草をかきわけて進むしかない。足元に気をつけながら、森へとむかう。

 近づくにつれ、ひんやりと冷えた空気が吹く風に混じり、肌を掠めていく。ほてった身体に心地よく感じながら、ジェライドは足を速めた。


 ようやくのことでたどりついた森は昼間だというのにほの暗く、所々地面に木漏れ日がさしこむのがせいぜいだ。ふかふかとした腐葉土を足裏に感じながら踏みいれば、冷気がジェライドの身体を包みこむ。

 鳥が遠く鳴くのが聴こえる以外は静寂に満ちていた。

 人を拒むような森の姿に、けれどジェライドは臆することなく懐へとはいっていった。むしろ、彼にはこの上なく優しい場所に感じられたのだ。

 時折、光差す木々を見上げながら、足元の茂みへと視線を走らせる。注意深く腰を落として、一歩一歩足を進めた。


「あった!」


 ジェライドが喜色を滲ませてそう声をあげたのは、しばらく時が経ってからだった。

 ぽかりと穴が開いたような陽だまりに、探していた薬草が群生しているのが目に映った。

 早速、地面に手を伸ばして摘みはじめる。

 時を置かず、ジェライドの持ってきた手提げ籠はいっぱいになった。


「これだけあれば、充分かな」


 満足げに見やって頷く。

 ジェライドは屈みこんでの作業に固くなった節々を伸ばすと、その場でごろりと横になった。枝から覗く空を眺めれば、真上にあったはずの太陽が西へと傾きはじめている。

 頬にあたる若葉の柔らかさ、注ぐ夏の陽は森の涼しさの中では心地よく、目を閉じた。どこか甘く匂いたつ森の香に包まれ、言いようのない安心感に包まれる。

 少し休憩するだけのつもりが、いつの間にかジェライドはうとうととまどろんでいた。



 ──…ダ。



 夢うつつにどこからかなにかが聞こえた気がして、ジェライドはうっすらと瞼を開く。ぼんやりとした視界は薄暗く、瞬いて目を擦ると身を起こした。

 途端、自覚した肌寒さに震えが走る。

 あたりを見回せば、陽があたっていたはずのそこは影になっていて、どれだけ時間がすぎたのだろうと、いまだ覚醒しない頭で考える。



 ──…ッチダ。



「……誰?」


 今度はより明確に、ジェライドの耳へ風が音を運んだ。

 だが、誰何の声に返るものもない。声がむこうには届いていないのかと首を傾げる。

 森の奥へと誘うような響きを持った声色だった。ただ、そうだとしても呼ばれる理由も目的もわからない。


「迷ってる人でもいるのかな?」


 ジェライドは立ちあがると、聞こえてきたと思しき方向へむかって耳を澄ませた。意識を集中してみるが、風が小枝を揺らす音以外は、鳥の鳴き声一つしない。


 ジェライドは逡巡した。

 影の差す角度から見て、もう帰るべきだろう。うっかり寝てしまった分、家に帰りつくころには日は暮れないまでも、太陽は沈んでいるはずだ。

 だが、もし事情があって助けを求めている人がいるなら、知らないふりはできなかった。

 新月が近いのだ。月神の守りの薄くなった夜を野外ですごすには危険な時期である。

 むろん、空耳や風のいたずらである可能性の方が高かったが、そうと断言もできない。


 ジェライドは籠を拾い上げ、すこしだけ様子を見てこようと、来た方向とは逆へと歩きはじめる。近づけばまた聞こえるかもしれない。なにもなければすぐにひき返せばいい。暗くなる前には帰ることができるだろう。


 静けさの増した森の中で、かさかさと落ち葉を踏む音がやけに耳についた。それがジェライドの不安をかきたてる。


(さっきまではそんなこと思いもしなかったのに、なんでだろう?)


 日が傾いて、夜の足音が聞こえてくる気がするからだろうかと考える。思考につられるように足が止まった。



 ──…ナイ。…ノダロウ?



 それを察したかのごとく、錯覚とは思えない明瞭さで響いた声に、ジェライドはびくりと身を竦めた。


「なん、で……?」


 知らず呟いて、頭を振る。

 声が、頭の中に届いた気がしたのだ。戸惑いを見計らったようなタイミングも不可解だった。


 記憶にない昔、同じような体験をしたことがなかっただろうか……?


 ぶるりと身体が震える。無意識に足がうしろにさがった。どこかで、このままではいけない、という警鐘が鳴るのをジェライドは感じていた。


「どうしよう……」


 だが、躊躇いが逃げだすことを許さない。

 己の未熟さゆえに、よくないものだと感じる自分を信じることができないのだ。

 本当にさきほどの声は、奥にいるかもしれない人、ではないのだろうか。

 刻々と迫る夕暮れに刺激された恐怖心が、目前にあるかもしれない事態に都合よく色をつけてはいないか。

 現実に即した正しい感覚がどれなのかが、ジェライドにはわからない。

 それでもどうしようもなく足がさがるのは、誤魔化しようのない心情の表れだった。


「わかんない、よ」



 ──コッチ……



「ジェライド!」


 誘う声音が一層強くなった時、覆い被さる叫びにそれはかき消された。

 同時に身体が軽くなり、安堵が胸に広がる。

 知らぬ間にかかっていた圧力から開放され、大きく息を吐く。ゆっくりと振り返った先にシィシアンの姿をみつけて、ジェライドは足から力が抜けていくのを感じた。


「──兄さま」


 へたりとその場に腰をおとす。

 そうしてはじめて、自分の周囲に薄い膜のようなものが覆っているのに気づいた。

 シィシアンの保護結界だ。

 水の精霊の力を借りたソレは、内を清らかな気で満たすことで魔の侵入を阻み、中に居る者を浄化する効果を持つ。

 圧迫感が消えた理由はこれだったのか、とジェイライドはぼんやりと目でその形状をなぞった。


「大丈夫かッ?」


 半ば意識を飛ばした彼の元へ、シィシアンが息せき切って駆けつける。

 勢いのままに掴まれた肩の痛みに、ジェライドははっと我に返って、目前の兄の顔を見上げた。見たこともないほど険しい表情に、ジェライドは小さく身を震わせた。


(僕、危なかったんだ。あれは聞いちゃいけない、闇の声なんだ……)


 傍らに片膝をつき、ジェライドの顔を覗きこんできたシィシアンの服を握り締めた。

 兄が駆けつけてくれなかったら自分はどうなっていたんだろう、と思うとぞっとする。

 そんな弟の様子に無事を確認したシィシアンはそっと嘆息した。


「人気のないところにはいくなって言っただろ! 俺がきたからよかったものの、なにかあったらどうするんだッ」

「ごめん、な……さい」


 叱りつけたものの、真っ青な顔でしがみつくジェライドの姿にシィシアンの怒りが持続しない。まにあってよかったという安堵が勝っていた。

 結局、シィシアンは大きく息を吐きだすと、震えるジェライドの背に腕を回して抱きよせた。ついで、ぽんぽんと緩く頭を叩いてやる。


「──もう、大丈夫だ」


 耳元で囁けば、ジェライドはくぐもった声で『うん』とだけ返事をして、しばらく兄の肩に顔を埋めていた。




「あれは、あの森に封じられた闇族?」

 手をひかれて丘をおりながら、ジェライドは先行く兄の背に問いかける。

 シィシアンが足を止め、肩越しに振り返った。拍子に揺れた髪が、地平線へと近づいた日の光に透けて輝く。その美しさとは裏腹に表情は晴れなかった。


「誰に聞いた?」


 兄らしくもなく硬い声に、ジェライドは慌てて首を横に振る。


「誰にも聞いてないよッ。知ってていったわけじゃない。ただ、なんとなく……」


 誤解を解こうと言い募るが、自分が悪いことを自覚しているから、自然語尾が細る。顔も俯き加減になったジェライドに、シィシアンは思わずといった様子で苦笑を零した。


「そんなこと疑ってるわけじゃない。母さまに薬草をとりにいったこともわかってる。ただ、なんで知ってるのか、不思議だっただけだ」

「じゃあ──」

「ああ。あの森自体が一種の結界なんだ。昔、強大な闇をあそこに封印したって話だな」

「どうしてやっつけてしまわなかったの?」


 怖々と顔を上げたジェライドに、『どうしてだろうな』と返して、シィシアンは再び歩き出す。ジェライドもそのあとをすこし早足でついていった。


御柱みはしらが立たれたばかりのころは、国が不安定だった。外からの侵入は防げても、中にいるのは退治をしないといなくならないだろ?」

「うん」


 御柱の結界は国に侵入して害をなそうとする闇族を防ぐもので、それ自体に闇を滅する力はない。また、新月や柱の世代交代といった際に、否応なく生じる綻びから今も彼らは忍びこんできていた。


「だから、たくさんの人が結界内に残った闇と戦ったらしい。王さまの力が強くても、一人では対処しきれないからな」

「御柱さまが結界を作られたばかりのころっていったら、天神と夜神の戦いが終わってからあんまりたってないってことだよね?」

「ああ。戦いが終わって日が浅いから、中には大がかりな捕縛部隊を結成するような、相当夜神の気配を強く持った闇族もいた。――そう、神殿の書物には書かれてる」

「それが、あの森にいるの?」


 兄を見上げる瞳が不安げに揺れる。


「わからない。俺の力で防げたってことは、そこまででかいヤツじゃないのかもしれないが……」

 多分、な。


 小さく呟かれた語尾は、風に攫われジェライドには届かない。

 首を傾げたジェライドに、シィシアンは足を止めると、むき直って膝を折った。


「ジェイ。新月前で、今は古にあの森に施された封印結界が弱まってるんだ。新月が近いことを悟って、闇族も活性化している。夏だからアルクトゥース神のご加護が長いのが幸いしてるけどな」

「はい……」

「もうわかってると思うから、何度も言わない。あの森には近づくんじゃないぞ?」

「ごめんなさい──明るいうちなら大丈夫だって、思ったから」


 うなだれるジェライドの頭をシィシアンがぐいっと撫でた。いささか乱暴だったが、普段どおりの兄の仕草に、ジェライドは許されているのを感じる。


「今日はもういい。普段は普通の森だしな、知らなかったんだ。仕方がない」


 けど、と言葉を継ぎながら立ちあがったシィシアンは、ジェライドの肩を抱くようにして、小道を今度は並んでおりはじめた。


「肝が冷えたぞ? 仕事を早めにきりあげて帰ったら、おまえはいない。聞いたら昼前から姿がないっていうじゃないか。行き先を誰も知らないしな。慣れない土地でどこへいったのかと思った」

「どうして森だって、わかったの?」

「地系魔法を使って探査をかけた。行き先がわかれば、安心できるしな。だけど、薬草をとるだけにしては時間がかかったな。なかなか見つからなかったのか?」


 弟の持つ籠をちらりと見やる。いっぱいにいれられた薬草は、しなびた葉を風に揺らしていた。


「ううん。薬草は森に入ってすぐ見つかったんだ。ただ、」

「ただ?」


 言いよどむのを促せば、ジェライドは風にさざめく草の音に紛れそうな声で、先を続けた。


「──あんまり気持ちよくって、寝ちゃったんだ」

「寝てた? あそこで?」

「うん。だって、すごく安心するんだよ。守られてるって感じがした……もちろん、あの声が聞こえるまでは、だけど」


 兄にじっと視線を注がれるのを感じて、ジェライドは慌てて言葉をつけ足した。

 闇族のいる森で安心する自分はおかしいのだろうか。きっと普通の人ならば、そんな場所は薄気味悪いと思うのだろう。

 そう思うと、むけられた瞳の奥に宿る感情を読みとることが怖くて、ジェライドは顔をあげることができない。

 やがて、そうか、と呟いたシィシアンに、心臓が高く鳴った。だが、振ってきた声音は予想に反して温かいものだった。


「あそこはウォルデスと同じで、強い地精の加護がある場所でもある。闇族の封印云々は別にして、ああいう空間に馴染みがあっておちつくんだろう」


 王都は人が多くて、空気が騒がしいから慣れないんだろう、と優しい瞳がジェライドを見下ろした。


「兄さま……」


 ジェライドは胸に生まれた安堵を吐息に変えた。しかし、続いて刺された釘に、悄然と肩をおとす。


「だからって、駄目だからな?」

「……うん。もう、行かないよ」


 弟の返答に『よし』とシィシアンは抱いていた肩を叩いて、笑顔を見せた。


「じゃあ、早く帰って、母さまに薬を作ってやらないとな」


 ジェライドを促し、二人は地平線へ沈み始めた太陽を背に、眼下の街へと歩く足を速めた。


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