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アルクネアは天神によって選定された王の子孫が統べる国である。
二大陸に渡る広大な大地は一人の王によって国家を成すが、国土の大半は政治の中枢に位置する貴族たちが各々の所領として治めていた。
しかし、その広さゆえに王都アディリルから離れれば離れるほど行き届かなくなる国政の目は、地域による統治の平等性を欠き、領主の横行を許す要因ともなりかねない。
そこで王都とは別に国の方々に八つの都市を直轄地として配した。
政務の代理人として市長を四年ごとに貴族より王自らが選定し、各都市へと派遣する。そうして各地の情報・政治機能を集結させることで、王は国政を掌握していた。
また国の中枢には三つの機関が存在した。
頂点に政治と国民の治安を司る王宮があり、その下に神々を祭る神殿と、魔法と称される事象を統括する魔法院が並び立つ。
この三機能は八都市にも配置され、市長とともに地方神殿の神官長、一騎兵隊を統率する騎兵長が選出、派遣されることになっていた。
魔法使いについての統括的な機関も各市長の居城に付属して設けられている。そうすることで、魔法を使用しての空間的な制約を越えた迅速な情報のやりとりが可能にもなった。
同時にそこでは、導師と呼ばれる人々による魔法に対する教育の場として、素質あるこどもたちがそれぞれの地域から集い、日々学んでいた。
「流れる風よ、ここに留まり、悪しきものよりこの身を守る盾とならん」
少年期特有の高い声が呪文を紡ぐ。
同時に胸の前で両手をむかいあわせに構えれば、その中で風が円を描いて小さく渦巻いた。力を手でうけるジェライドの暗褐色の前髪が煽られて、乱れる。
が、次の瞬間それは唐突に力を失った。手中の風は彼の頬をくすぐったのを名残に、脇をすり抜け大気へと還っていく。
しんと静まりかえっていたあたりに、複数の失笑が響いた。
「あいつ、あんな簡単なこともできねぇのかよ。しかも、正式呪文使ってだぜ?」
「いつまでたってもうまくならないんだから、辞めればいいんだ。いる意味ないだろ」
「お兄さんのシィシアンはあんなに優秀なのに、似てないにも程があるわよね」
面とむかっては発せられない言葉の数々は、しかし、確実にジェライドの耳に届いていた。力が消失したことで行き場のなくなった手をゆっくりおろすと、ぐっときつく握り締める。
彼が今行ったのは、風精の力を借り、簡易結界を構築する魔法であった。上級魔法使いであれば、自分の前に円を描き略式呪文を唱えるだけで作ることのできる、もっとも基本的な結界魔法だ。
しかし、十歳になったのを期に行われる選定で素質を認められ、先の春、導師についたジェライドには、いまだこの魔法が行使できないでいた。同じ頃入門したこどもたちはすでに習得しているというのに、だ。
魔法を体系的に学問にまとめた理論の分野では、人に勝る理解力を誇るジェライドだったが、実践となると成果は芳しくなかった。
(呪文は間違ってないのにな……)
ただ知識としてとらえ呪文を唱えればよい、というものではないことは彼自身よくわかっていた。
口にだした呪文が真摯な願いとして言霊となり、精霊に届いてはじめて彼らを使役することができる。それには精霊に愛される素質と経験が必要だった。高度な術になればなるほど、それらは重要度を増していくのだ。
「素質ないんだよ」
素質を認められたはずなのに、初歩の術さえ満足に扱えないジェライドに嘲りが注がれる。言い返すこともできずに、ジェライドは唇を噛んで視線をおとした。
その時、
「ジェライド」
嘲笑を縫って、深い声がジェライドの耳に届いた。
わずかに肩を揺らし、ゆるゆると深緑の瞳を巡らせれば、師であるオルテガ導師が穏やかに目元に皺を刻んでいた。
「だいぶよくなった。その分ならもう少し練習をすれば、近いうちにできるようになる」
「導師さま……」
蓄えられた口ひげも真っ白なかなりの高齢にもかかわらず、かくしゃくとした足取りで歩みよる師に、ジェライドは目を伏せた。
オルテガ導師は人から忌避されることの多いジェライドに、ほかのこどもたちに対するのとなんら変わりのない態度で接してくれる――むしろ己の才に目をかけてくれる――数少ない人物だった。
自分を励まし、見守ってくれる彼の期待に答えられないことこそが、今のジェライドには辛かった。
「僕は魔法使いにむいてないんです」
独り言のように呟く。悄然とするジェライドの肩に、導師が手を添えた。
「何を言ってるんだね。地系の結界ならば築ける君だ。原理は同じだから、根気よくやっていけばいい」
「でも、地の魔法しか満足に扱えないなんて……それも時々力の加減ができなくて失敗します」
周囲の反応が気になって、最後は空気に消えいるほど小声になる。
師弟のやりとりに、交わされる囁きは嘲りを増していた。
「地系魔法はこのあたりのやつは誰だって得意なんだ。それを時々とはいえ失敗するなんて、なぁ?」
「ほんと、ほんと。大地の恵み豊かなここで、地精も満足に使役できないなんて」
笑いの混じった科白は確とは聞きとれなくても、どんなことを言われているのかは想像がついた。もう何度も、繰り返し耳にしていることだ。
纏わりつく秘かな笑声にますます身を縮めるジェライドへ、導師は噛んで含めるように言葉を紡いだ。
「力を御しきれないのは、小さなその身体にあふれる精霊の恩恵を受けている証。経験を積んで精霊たちとの接し方を学び、身体が身の内の力に見合った器に成熟すれば、きっといい魔法使いになる」
それに、と導師が先を継ぐ。
「君は薬草を使った魔法薬を作るのがとても上手だ。教室の誰よりも、な。それを伸ばせば、多くの人の役にたつことができるだろう。人間には得意不得意があるものだ。できるところを伸ばしていけばいい」
覚えておきなさい、みんなも。
彼がぐるりとあたりを見回せば、くすくすとささめきながら師とジェライドの会話を聞いていたほかのこどもたちも、慌てて表情を改め、はい、と答えた。
「よろしい。さて、では今日はこれで終わりにしよう」
「ありがとうございました」
一日の授業を締めるあいさつの唱和にオルテガは鷹揚に頷くと、身近にいた二・三の生徒たちに片付けの指示をだす。
友人と笑いながら部屋を後にするこどもたちをよそに、晴れない表情で自分の荷物をとりに席に戻ろうとしたジェライドの背を、オルテガが呼び止めた。
「あそこの本を運んでもらえるかな?」
持ちきれないんだ、と指し示した先に積み上げられた書籍の山に、ジェライドは小さく顎をひいた。
「どこまでですか?」
「書庫へお願いしよう」
そう、積まれた山から書籍を数冊抜き取ってジェライドへ渡すと、自らも残りを持って先を歩き始めた。
ジェライドは自分の腕の中へ視線をおとした。持ちきれないと言ったわりには、彼が抱えているのは全体からみればわずかな量だ。
「どうかしたかい?」
後に続いてこないジェライドに気づいたオルテガが足を止め、振り返った。ジェライドは顔を上げると、
「なんでもないです」
駆けよるように、師のもとへ急いだ。オルテガも今度はジェライドが並ぶのを待って、書庫へと歩みを再開する。
交わす言葉もなく並んで歩きながら、ジェライドは師の横顔を目だけでそっと盗み見た。頭一つ以上高い位置にある顔からは、表情が窺えない。
自分だけでも運べる荷物にもかかわらず、わざわざ手伝いと称して呼びだしたのにはわけがあるはずだ。
そうは思ったが、なんの話かわからないまま自分から切りだすのもどうかと迷う彼に、かすかな笑い声が降ってきた。振り仰げば、いつの間にか導師の優しい瞳がジェライドを見つめていた。
「君は聡い子だな」
どうやら窺う仕草に気づかれていたらしいと悟る彼に、オルテガは歩く速度をことさらに緩めた。
「最近は……おかしなことはないかい?」
どこかためらいがちな師の口調にジェライドは、ああ、と呼びだされたわけを得心する。確かにこの内容は人目をはばかった。
「ここに来るようになってからはなにも」
「気配を感じることも?」
「特には。もしかしたら、気づいてないだけかもしれませんけど」
「そうか」
安堵の色の混じる声に、導師が自分の身を案じてくれていることがわかって、ジェライドも笑顔を返す。
だが、心の内では暗い思いが頭をもたげた。
導師ですらこうなのだ、と。
生まれた頃から数度、ジェライドは闇族に捕らわれかけたことがあった。
時に庭先の木蔭でゆりかごに揺られているところに忍びより、時に甘い声が物心つかない幼い彼を闇濃い夜の中へと誘った。
その度に、若い頃騎兵隊に所属した祖父の剣や、兄の力によって救われてきた。
闇族が影や夜陰に潜んで人――特にこどもを襲うことはまま起る。
喰らわれるか、太陽の下でも己を維持し、力を行使する体を持たないモノの器にされるかだが、大抵の場合は助かることはない。
その点、狙われて助かったジェライドは幸運といえるが、同時に奇異の目に晒されることにもなった。
『何度も狙われるのはそれだけ闇に近い証拠だ』
『一度ならまだしも何度も助かるなんて……もうとり憑かれてて、牙をたてる時を待っているのよ』
極力内密に事をおさめようとした家族をも嘲笑うかのように、人々は噂を口にした。
それにジェライドの容姿が関係していることは、疑いようがなかった。
ジェライドの髪と瞳の色は、この国においては珍しい暗く濃い色をしていた。
黒の色合いを持つ者がいないわけではなかったが、大半の国民はアルクトゥース神の恩寵とされる、明るい髪色と虹彩を有している。
また、暗色を持っているとしても、髪か瞳どちらかだけというのが普通だ。
そんなこの国の人々は闇に近しいものとして、暗い色を忌避する傾向にある。ゆえに、こどもたちはあからさまに近づくことを嫌い、大人たちは不躾な視線と囁きを彼に送るのだった。
「双月の新月が近づくに連れ、夜が濃くなる。身のまわりには気をつけなさい」
まあ、家にいる分にはシィシアンの守りがあるから心配はないだろう。
安心させるように笑みを刻んだ師に、しかし、ジェライドは俯き加減に目線をおとした。
「どうして、僕は狙われやすいんですか? 襲われたって話は聞きくけど、同じ人が何度もなんて話、聞いたことがありません。もしかして、僕には闇の素質が、」
「馬鹿なことを言うんじゃない!」
あるんでしょうか。
そう続けようとした言葉を、師の思わぬ強い口調で遮られる。はっと仰ぎ見れば、厳しいまなざしがジェライドを見下ろしていた。
「地上にある生命に闇の素質などない。まかり間違って自ら闇を呼び込んだとすれば、己に負ける弱い心がそうするのだ。人とは誰しもそういう瞬間もあるだろう。だが、君は物心着く前から度々闇に狙われた。君は生まれたばかりの赤ん坊が、すでに自らに絶望しているとでもいうのかね?」
気圧されたように首を横に振ったジェライドに、ゆっくりと息を吐いて、オルテガはまなじりをさげた。
「髪の色も瞳の色も気にすることはない。そんなものは闇の証明にはならないのだから」
「……はい」
「さっきも言っただろう。君には力がある。それが不安定なこどもの内に、あれらは力ごと器としてとりこみたいと思っている。力の強いこどもたちには、闇族につけ狙われることはまれにあることだ。現にシィシアンにもあったと聞いたよ」
続けられた過去に、ジェライドは目を瞬かせた。
「本当ですか!?」
「二・三度あったとね。しかし、彼のまわりにも優秀な魔法使いや騎士がいたから、難を逃れたとも。家族から聞いたことはないかね?」
「何も──そっか、兄さまにもあったことなんだ」
安堵と寂しさのいり混じった表情で呟いたジェライドに、オルテガがそっと言葉を足した。
「幼い君に話すのは、とはばかったんだろう。一度聞いてみるといい。シィシアンが捕らわれずにすんだのは、まわりだけではない、他ならぬ彼自身が注意していたこともあるはずだからね。さしあたって、」
口の中で呪文を唱えると、指を小さく動かしてジェライドの手中から本を消し去る。次の瞬間、それらはオルテガの抱える積まれた本の上へと更に層を重ねていた。
「あ──」
「もう帰りなさい。ここまで手伝ってくれてありがとう。後は私が運ぶよ」
「でも……」
「さあ、いいから。本格的な夏を前に日が長くなったといっても、夕刻もそう遠くはない。アルクトゥース神の加護があるうちに、寄り道をしないで帰りなさい」
迷うジェライドに、畳みかけるように帰宅を促す。
「じゃあ……失礼します」
そこにいても、師に運ばせる気がない以上仕方がないと悟ったのだろう。
ジェライドは一礼すると、師に背を向けた。軽快な足音で走り去っていくのを笑顔で見送って、踵を返しかけたオルテガに、
「導師さま!」
背後から呼ぶ声が響いて、彼は視線を戻した。すると、足を止め再びこちらにむき直った弟子の姿が目にはいる。
「ありがとうございました」
今度は深く腰を折ったジェライドは謝辞を口にすると、今度こそ振り返ることなく廊下を駆けていった。




