02 / 竜蛇の鱗
「なんじゃい、こりゃあ」
ひとりの抗夫により手渡された、黒いぬめぬめした貝殻のような代物は、たちまち村の長者連中の関心を集めた。
「このぬめりはなんだろうな」
「川底の岩に張り付いている草も、こんなぬめりをしておるぞ」
「貝のように見えるが」
「いやいや、貝がこんなに黒いものか。それに、これは鉱山から掘り出されたものだ」
「なんぞ、縁起の悪いものではないだろうな」
男たちは顔を見合わせ、ごくりと生唾を呑み込んだ。
そこへ、ひとりの身なりのいい若者が現れた。
「やぁやぁ、皆、顔を突き合わせて何をしておるのだ?」
皆の視線が一気に声の主に集まる。
「新九郎様!」
新九郎と呼ばれた若者は、中央に置かれている話題の代物に目をやった。
「なんだい、そりゃあ」
新九郎は、座っている男たちをかきわけ中央に陣取る。
「それが、若。鉱山から掘り出されたんだが、正体がまったく分からんのだ」
と、村長が代表して答えた。
「どれ、俺があずかろう」
新九郎はそう言うと、黒光りするそれを懐におさめた。
「そんな、若の身に何かあったら……」
男たちの中の一人が言う。
「なぁに、心配無用。何か悪いことが起これば棄てるか売るかすればよい。縁起の良いものであれば、何か良いことが起こるであろう。」
こうと決めたら動かぬ新九郎の性格を、ここにいるみなはよく知っていた。
「必ず、そうしてくださいまし」
村長は顔の前で手を合わせ、そう小さく声にした。
「それよりな、もうすぐ、嫁ぎ先から姉上が戻ってこられる」
「えっ北川殿が?」
男たちの中から声があがる。
「ああそうだ。出産のためにな、伊勢の実家に戻ってくるのだ」
「おお、おめでたい話ではございませぬか」
さきほどとは打って変わって、男たちの顔がめいめいにほころぶ。
「みな、よろしく頼むぞ」
「御意」
男たちは一斉に頭を下げた。
中央に仁王立ちし、周囲の男たちを見渡す新九郎を、みなが頼もしいと感じていた。
おなかの大きな北川殿は、その翌々日に伊勢に戻ってきた。
「お久しぶりでございますな、姉上」
北川殿の見舞いに、新九郎をはじめ、城内の者たちから城下の者たちまでが、次々に面会にやってきた。
そのあまりの数に、北川殿は「もう無理。これ以上はやや子にも悪いに決まっているわ」と音を上げた。
そして、
「新九郎、外が見たい。市を案内してよ」
と昼餉の席でそう、新九郎に話を向けた。
「歩いてもいいのですか?やや子に悪いのでは?」
つけものを頬張りながら、新九郎が尋ねる。
「馬に揺られるくらいなんですか。私もやや子も、そんなにやわではありません」
そう口を尖らせると、北川殿は「一番大きな北の市がいいわ」と新九郎に笑顔を向けるのだった。
その日の午後、新九郎と馬に乗った北川殿は、民と同じような衣服を身にまとい、北の市に現れた。
その姿を、観浄と、その連れの桂、そして猫のテンが眺めていた。
北川殿が「新九郎、あれはなあに?」と潮かつおを指さし、馬の手綱をつかむ新九郎に尋ねている。
「観浄、あの新九郎とかいう男の懐から、よくない香りが漂ってくる」
そうぽつりとつぶやいたのは、桂に抱かれたテンである。
「あの男にとってよくないもの?それともあの妊婦にとってよくないの?」
観浄は北川殿の大きなおなかを見とめながらテンに問う。
「すべての人にとって、だ」
テンはぴしゃりと観浄をねめつける。
「へぇ。それじゃあ、人助けしますか」
観浄はそう言うと、「行ける?桂」と、そばに立つ若者を見上げた。
「承知」
桂はそう言うと、新九郎の方へ左右に揺れながら近づいて行った。
そして、「おっと、ごめんよ」と言って新九郎にぶつかったかと思うと、しばらくして観浄の前に再び姿を現した。
「どうだった?」
観浄が問う。
「首尾よくいけました」
桂は懐に手を入れると、黒光りする貝のような代物を取り出した。
見ると、握った桂の指がしっとりと湿っている。
「何これ」
観浄は目をまるくして言う。
「これは……竜蛇の鱗ではないか!」
テンは珍しく表情を険しくしてなかば叫ぶように吐いた。
「悪いものなの?」
「悪いも何も、大災害が起こる時分に現れると聞く幻の竜蛇の鱗だよ」
「大災害!?ここに?これから?」
観浄はそう言うと桂と顔を見合わせた。
「あの男、どこでこれを……」
テンがそう言った時だった。
「鉱山で俺がもらいうけたものだが?」
と背後で男の声がした。
振り向いてみると、そこにいたのは他でもない、新九郎その人であった。
「それは俺のものだ。返してもらうぞ」
かたまっている観浄と桂をよそに、新九郎は二人の間にある竜蛇の鱗をひょいとつまむと、「盗みはやめておけ」と言い捨てて北川殿が待つ方へと帰って行ってしまった。
しばし呆然と立ち尽くしていた観浄と桂であったが、テンがぽつりと「怪の私が気配を一切感じなかった。あの男、本当にひとか」と言ったのには、「まさに」「まさに」と大きくうなずいてみせるのだった。
そんな新九郎と観浄たちのやりとりを、少し離れた場所から眺めていた観念がいた。
「何をぼーっとしておる。行くぞ」
兄弟子にうながされ、観念はその場をあとにする。
しかしその頭の中では、ひとつの案がぐるぐると形を成そうとしていた。
その夜、新九郎の姿は安楽寺にあった。
「やはり、ここの湯は伊豆で一番だのう。どれ一曲」
ひとり酒をちびちびやりつつ、新九郎は寺に湧き出る温泉に半身を沈めながら歌いだした。
その様子を、観念が遠目から見定めているとも知らずに。
観念は、新九郎がふんどし一丁であることを確かめると、背後にまわり、掘っ建て小屋の中へと忍び込んだ。
目当ての物はどこだ――。
刀、履物、衣服、とまさぐっていくうちに、衣服の下の方から、手に当たるかたいものがあった。
あった――!
新九郎の衣類の下から観念が摘まみ上げたものとは、果たして、例の竜蛇の鱗だった。
暗闇の中にあって、竜蛇の鱗は、それでもいっそう闇を深くしている。
観念はそれを自分の懐にしまいこむと、一目散にその場をあとにした。
そうして、寺の縁側で涼んでいた初を見つけると、強引にその手を引き、建物の裏手へと引っ張っていった。
「なによ、観念たら、そんなに慌ててどうしたの」
「しっ声がでかい」
観念はその場にうずくまると、初にも、同じようにかがみ込むように手で合図をした。
「一体、どうしたっていうのよ」
「これを見ろ」
観念はそう言うと、懐から、さきほど手にいれたばかりの竜蛇の鱗を取り出した。
「これはな、怪の鱗だという。大きな市へ持っていけば、大金が手に入るはずだ。初、俺とその金で暮らそう。ここを抜け出て、遠くへ行こう」
観念は一気にまくしたてた。
初は目を真ん丸にしている。
「初」
観念はなおも続ける。
「これを盗んでしまった以上、俺はもうここにはおれん。お前も見てしまったからには同罪だ。さ、逃げよう。早く」
そう言うと、観念は初の右手をぐいとひっつかんだ。
「観念、なんで、こんなこと――」
初はまだ理解が追い付いてない。
「急ぐぞ、来るのか、来ないのか」
「行くわよ!一人でなんて行かせられないわよ!」
こうしてその夜、観念と初の二人は暗闇に消えた。
丸く太った月が薄い叢雲から顔を出し始める、そんな時分のことであった。




