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【常世の君の物語】No.18:観念 ~戦国時代の伊豆を舞台に、不思議の物語の幕があがる――~  作者: 百字八重のブログ


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01 / 観念と観浄


一筋の涙が、頬をついと流れた。


観念はそれを片手でぐいとぬぐうと、大きくあくびをした。


どれくらい眠っていたろうか、横たわっていた大きな岩は、そこだけ生あたたかさが残っている。

夏の、強烈な日差しが、頭上を覆うクスノキの葉の間をすり抜け、観念の上にまだら模様を作っている。

その一筋が、ちょうど目に入り、観念は思わずくしゃりと顔をゆがめた。


「観念たら」

声のする方を見下ろすと、そこには幼馴染の初が仁王立ちで立っていた。

「またこんなところで眠っていたのね。おじさんたちはみんな金の採掘で汗水たらしてるっていうのに」

初はそう言うと、「降りてきなさいよ」と言って、観念の座っている大岩をぺちぺちと叩いた。

「そう言われても、僕の仕事はお経をあげることだからね」

まだ眠気が残っているのか、観念は気だるそうに答える。

「じゃあ、私と夫婦にはなれないわね」

「なんで?」

初は顔を真っ赤にする。

「なんで、じゃないわよ!そんなんじゃあ、嫁の貰い手なんて、一生ないんだからね!」

初がいよいよ両手をあげて岩にのぼろうかという時だった。

「おーい、初、観念。仕事だぞ」

先輩が講堂の裏から顔をのぞかせた。

それを見とめて、観念と初はそろって「はあい」と返事をする。


ここ安楽寺は、伊豆で一番の寺である。

真夏の、しかも昼過ぎの一番暑い時間帯だというのに、参拝者は後をたたない。

若手坊主の内に入る観念と、手伝いの初の仕事は、とりあえず今の時間は参拝客の相手である。

「今日も平和だねぇ」

観念がクスノキを見上げてつぶやく。

いつか、ここではないどこかへ――。

「観念、行くわよ」

岩下から初が呼ぶ。

初と一緒に?

それもいいかもしれない。

「はぁい」

大岩に連なる中岩と小岩を器用にたんたんと踏みつけて、観念はひらりと初の前に降りていく。

大海原をのぞむこの地に、大いなる禍が近づいているとも知らずに。



その日の夕刻前、まだ日が高い頃合いを見計らって、観念と初はおつかいで北の市へと足を伸ばしていた。

夏真っ盛りということもあり、市場を行きかう人々の足元には、いつも以上に濃い影が落ちている。

皆が皆、この暑い最中に出張ってきているという意識を互いに確認しているようで、市はそれなりに賑わいをみせていた。

観念は初を連れて、いつもの通りを歩いていた。

すると、辻の真ん中で人々に声をかける、見慣れない女がいるのに気がついた。

がぜん声をかけてみたくなった観念は、しばらく女を観察していて、その女がすあいであると見当をつけた。

「すあい」とは、「牙儈」と書く。

仲買や斡旋などの手数料で生計をたてる連中を指す言葉である。

女の場合は、春を売る者が多かった。

果たして、観念の目の前にいる女は、大きな市女笠をかぶり、布を足まで垂らし、いかにもといった風体である。

見ると、女のすぐ後ろに、背の高い焼けた肌をした男がひとり、猫を抱えて立っている。

女の亭主かもしれない。


「おい、そこのすあい女」

観念は自らが瓜実顔の女顔であることを承知している。

それが故に、初手で舐められることが多い。

そのため、ここでは初めから調子を低くして、若干すごみをきかせて声をかけた。

「はい」

女は市女笠の下からまぶしい笑顔を返してきた。

なるほど、美しい。

後ろについている初が息を飲むのが背中で感じられた。

「ここいらでは見ない顔だな。新入りか」

問題を起こしたくなければ素直に答えろ、と、言外に示す。

「はい、加賀国より流れてまいりました。これでも目は確か。お求めのお品などがございましたら、どうぞ私、観浄までお申し付けくださいませ」

そう言って、観浄と名乗った女はすっと礼をした。

その身のこなしがあまりにこなれていたため、観念はほぅ、とため息をついた。

「私は観念という。観の字が同じであろうか」

これは、観念がたわむれに振った話題であった。

「はい、観世音菩薩の最初の一文字をいただいております」

そのたとえが、いかにも物知り風であったため、観念はほほう、と再びため息をつく。

「私の字も同じだ。何か縁があるといいな。商売に励まれよ。では」

と、観念が踵を返そうとしたときだった。

「あら!観念じゃない!」

辻の向こうの方から、観念を呼ぶ黄色い声が鳴った。

「あ!ほんとだ、観念だ!今夜どう?」

見ると若い女が二、三人、あだな恰好をして風に吹かれるしだれ柳のように揃いで歩いてくる。

一目で商売女と分かる彼女らに、すかさず後ろにいた初が「観念」と低い声ですごんだ。

「彼女たちは単なる参拝客だよ。初も知っているだろう」

初を振り返ってみると、目をつりあげて鬼の形相である。

「私はべつに」

口まで尖らせ、いよいよ見た目がはなはだしい。

そのやりとりを見ていた観浄は、市女笠の下でころころと笑う。

「どうぞ、お連れのお嬢様を大事になさってください」

観浄は、そう観念に告げると、猫を抱いて後ろに立っていた男と連れ立って去って行った。

その後ろ姿を見やって観念は、「加賀の女子はなんともつかみどころがない不思議な感じがするのぅ」と、火に油をそそぐことも知らずに初にこぼすのだった。



辻をあとにした観浄は、一路岩山の中にある市へと向かっていた。

ここ、伊豆では金がさかんに掘られている。

日中、男たちがせっせと岩山を相手にしている一方で、女たちは畑を耕し、家を守っていると聞いた。

地方を巡る観浄にとって、人の噂は金脈と同意であった。

彼女たちの口にのぼる噂はどのようなものであるのか、知る必要があったのである。

岩山の中を分け入り、谷川沿いの開けた町に出る。

今日の宿を取り、余った時間でこじんまりとした市をぶらぶらとしていると、狙い通り、村の女たちがたむろしているのに出くわした。

「あら、あなた、夜の商売をなさっている方?」

その言い方があっけらかんとしているのは、ここが鉱山であることと無関係ではない。

鉱山で働く男の寿命は短い。

山を掘る際に、山の神のたたりをいただくからだとも、悪い水を吸ってしまうからだとも言われていた。

抗夫を夫に持つ女は、一生のうちに夫の死を三度以上経験するという。

そういうわけで、ここの女たちは異常にたくましく、また、男に対してすこぶる寛容なのであった。

そうなると夜の女にも寛容になるらしく、一目でそれと分かるのにも関わらず、市女笠をかぶった観浄を、噂の輪の中にすんなりと入れてくれたのであった。

「新しい領主様になってからというもの、税も軽くなって、金もいっぱい採れるようになって、潤って潤って仕方ないのよね」

と、女たちは口々に言う。

観浄は、がぜん、その「領主様」というものが気になり始めた。

「へぇ。どこに行ったら、そのお殿様に出会えるの?」

「あら、領主様を相手にするつもり?見上げた根性だわ」

そんなことを言われながらも、観浄は彼女たちを持ち上げて引き下がらない。

すると、女の中の一人が、こんなことを言い出した。

「あら、こないだ見たわよ。暇があっちゃあ領内をうろうろしてるんだから。おかげで頼もしいったらないわ」

「あら、あたしもこないだ安楽寺で見たわよ。お経なんて興味あるのかしらって思っちゃった」

「あら、あたしも」

女たちの口から次々と領主の話を聞くことが出来て、観浄としては大満足である。

その夜、宿に帰った観浄は、そうして手に入った土産話を連れと猫に話して聞かせたのだった。



その頃、鉱山では、夜の当番である男たちが、いつものように金脈を掘っていた。

その中で、パキンと不思議な音がしたかと思うと、ひとりの男の手によって、黒い貝の殻のような破片が採取された。

男は、坑道の中で輝く松明にそれを近づけてみた。

貝の殻のようなそれは、光を浴びているというのに、その黒い輝きを減ずることもなく、ぬめぬめと光っている。

「なんじゃあ、こりゃあ」

男の声に、隣の年配の男が首をかしげる。

「いつもと違うもんが取れたら、すぐに上に報告しろ。面倒事に関わるとろくな目に合わんぞ」

「そうだな、村長にでも見せてくるよ」

男はそう言うと、くらいくらい坑道をたどり、星月夜の下、村長の家へとひた走った。








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