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耳まで熱く汗の浮くような火照りが、ただの友人への反応にしては大きすぎることくらい、知っていた。
夏羚の首に絡めた糸はすでに解け、それを払う彼が、ゆっくりと振り向く。
感情の読めない、透きとおった顔。
けれどその静かで冷ややかな顔がどうしようもなく、兪倩狼の心拍を押しあげていく。
「……方士の食事を、知っているか、」
兪倩狼は問われてぎくりと身体を揺らした。
「……人から、接種するってやつだろ。……方力、まさか、使い果たしたのか?」
「手を、」
汗ばんだ手を慌てて隠す。
「……手が、何だよ」
「貸せ」
「嫌だ――」
そう、突っぱねれば良い。
それなのに、その一言さえ喉をつかえて出てこない。
たった数日だというのに、帛で縛られていたこの身体は、夏羚の言葉に逆らえないらしい。
そういうことに、してしまいたかった。
肌に触れるための口実を用意されて、兪倩狼には断る理由がうかばない。
「……、手、お前の手は、どこにあるんだよ……」
自分の感情も制御できないほど溺れていることを、知っている。自分が何を言っているのかさえ、弾む吐息の中ではわからないのだ。
それなのに、夏羚は尚更その感情を掻き立てるように近づいてくる。
微かな気配や声が、肌の内側をかき乱す。
それが心地良くてたまらない。
崩れそうになる瞬間を見られたくなかった。
距離を取ろうとするが、身体はすでに追い詰められていた。
「方士にとって、お前の天に肥やされた身体は、褒美のようなもの」
触れられた手が、下へおし下げられていく……
指先の、冷たい膚の重なり。
たった指先だけの触れあい。
ただそれだけで、兪倩狼は堪えきれないほどに乱れていく。
「手をかさね、唇にふれ、陽にまじわる。それが、方士の食事だ……」
「く、唇、だと……?」
ひそやかな囁きにどきりと大きく肩がはねた。
方士の食事が、まさか手以外に求められるとは、思ってもみなかったのだ。
「俺は、餌じゃ……、」
反論しようと睨み上げる。
その吐息に潤んだ唇が、夏羚の優しい唇に食べられていた。
束の間のその唇の重なりが、兪倩狼のとまったはずの鼓動を震わせる。
心臓が、骨折をしたらしいのだと嫌でも認めたくはない。打ち所が、悪かった。
だから息が詰まってこんなにも痛い。
「……夏、」
離れていく夏羚の口元に引き寄せられるようだった。
苦しい――、
まだ、呼吸も整っていない。
それなのに、胸を突く鋭い切なさと、溢れるばかりの愛おしさに言葉を忘れてしまっている。
咄嗟に押しのけようとした両手は柔く握りこまれていた。
滲むような指先の熱に眩むほど、その感覚が気持ちいい。
だからだめなのだと、咄嗟に顔を伏せる。
「夏……、む、むりだ……、」
「嫌がるな……、気持ちが、いいはず」
「そんなもの、欲しいなんて、一言も言ってない……、」
「……子どもだな」
唇が触れあうほど近く、夏羚の美しい笑みが口元を飾る。その微笑みだけで、兪倩狼の熱は上がっていく。
「子どもじゃ、……」
噛みつこうとした首筋に指が触れていた。
期待と、僅かな恐怖の狭間でゆらぐ。
「し、夏、」
喉を鳴らした、その途端、
「あ!」
と我に返った。
「夏! お前まさか、帛を……!」
首を包む帛の、懐かしい感触だった。
やられた!
「汚いぞ! 人が、油断しているときに……!」
にぎり込まれていた指はいつの間にか解かれて、夏羚は背を向けてしまう。
冷たい手の感触だけが、まだ、にぎり込まれているかのように残っている。
後ろを向く夏羚の、その白い頬や首筋が、ほんのりと甘く染まっていることにさえすぐには気づけなかった。
その余韻すら味わう間もなく、兪倩狼の叫び声に、まるで見計らったように戸が開く。
気取らず入ってくるのは、晏渢だ。
そして帛を巻かれた兪倩狼をみて、ふっと笑った。
「絶ちますか?」
「……参考人だ」
変わらず冷静な夏羚の言葉だった。
今度こそ従わせてやると息巻いていたはずだった。
それなのに、再び兪倩狼の身体は有無を言わさず引きずられていく。
「――それで、折角見逃されたのに、処罰されに来たのか?」
晏渢の大笑いしたいような、大人びた風体を装いたいような、複雑な声を呆然と聞き流す。
潜んでいた家を出た後、夏羚は方士を一人呼び止めて現状を尋ねていた。
兪倩狼の意識はその方士と言葉を交わす夏羚の淡々とした声に向けられている。
松花色のまつげの輝き。青白い涼しげな顔の、まっすぐ前を見据えるその真剣な眼差し。強かで真面目な瞳が気になって仕方がない。
職務に夢中の、僅かに顎を引く姿の、
……、
なぜ、目を追って――
頻りと帛を撫でている。その無意識につられて、尾は砂ぼこりを払って動き続けていた。
胸の詰まるようなにらぎが苦しく、どうにかなってしまいそうだった。
「兪倩狼、聞いているのか?」
問いただす晏渢は振り子時計のように動く尻尾に苦悶の表情をこぼしていた。
罹患者だとばれるわけにはいかない。それなのに、落ち着きのない尻尾だと、晏渢は気が休まらないのだ。
その晏渢だけが、深く被った外衣の下で兪倩狼の視線が吸い付いたように夏羚から離れないことを知っている。
その呆れた眼差しにチクチクと刺されているような気がして、兪倩狼は目を上げた。
「……晏渢も、方力は人から接種するんだろ?」
実は、初めから晏渢の話しを聞いていなかったのだ。何を見ていたのかと聞かれるのを避けるためだった。
尾をしまえと顔をしかめる晏渢には、それさえ全てわかりきったことである。
「お前は今、協力者ではなく、参考人だ。お前が罹患者だと知られたら、夏さんだって今回は庇いきれない。規則があるんだ」
「……わかっている。答えろよ、晏渢……方士は戒律もあるんだろう。規則と戒律の雁字搦めで、晏渢も夏羚もよく窮屈じゃないな」
すると、晏渢は少し躊躇ったようだった。
言葉を濁しつつ、どこまで話すべきかと悩んでいる。
「……夏さんのことか? ……あの人、規則には厳しいけど、戒律にはゆるい」




