第二百四十六話 あい・らぶ・ゆー
『……はっ!?』
寝かされていたベッドから飛び起きるヌルス。
目玉をぼこぼこと体表に形成して、落ち着かない様子で周囲を見渡す。
……場所は、ヌルスの寝室だ。
こじんまりとした、白い壁の部屋。飾り気の欠片もなく、ベッドとテーブル、そしてテーブルの上に置かれた水晶玉だけの寒々しい空間。
ベッドの上できょろきょろしていたヌルスは、やがてくたり、と力を抜いて這いつくばった。
『なんだ夢か……』
ははは、と乾いた声が触手から零れる。
『アルテイシア恋しさにあんな夢を見てしまうとは。ははは、しかし今考えるといくらなんでも盛りすぎだな、魔物と半神の合成存在になってパワーアップした彼女がオメガ・マギアスと同等の魔術を使うばかりか歪みの魔術まで使って私を張り倒しにくるとか……ふふふ、ウケる。いくらなんでも強化しすぎでしょ、アホか』
一人、何が面白いのか一しきりケラケラ笑って、そんでもってヌルスはぺしょりとベッドの上で平たくなった。
虚しい。
『…………仕事に戻ろっと。えーと、まずは報告書に目を通してから、それからええと……ん?』
ぼへーっとした後に日常……すなわち業務に戻ろうとしたヌルスは、そこでふと動きを止めた。
部屋に併設されたシャワー室。そこから何か音が聞こえてくる。
『元栓閉め忘れたかな? ……うわあ』
シャワー室は元々はエンシェントの里での滝行にヒントを得た設備で、住民の衛生管理の為に作り出した装置である。ヌルス自身も気に入ったのでしばしば利用しているが……流石に、老廃物の出ない魔物の身では毎日入る事はない。水がもったいないので。
なので元栓を閉め忘れていたとしたら数日流れっぱなしだった事になる。その際の損失をぱぱっと計算してヌルスは頭を抱えた。
アトラスに怒られるよう、そう頭を抱えるヌルスだったが、流れる水の音がキュッと止まる。
あれ? と首を傾げるヌルス。気のせいだったか?
そんな風に寝起きでぽやぽやしている間に最後の猶予は過ぎ去り、刻限を告げるようにガチャリ、と扉が内側から開いた。
そこに居たのは……。
「ふぅ。さっぱりしました。流石ヌルスさん、最新鋭の設備が揃ってますね」
『???!?!?!??』
シャワー室から出てくる、タオル一枚を巻いた金髪の美少女。その艶姿を確認した瞬間、ヌルスは全ての目を閉ざして触手を内側に丸め込んだ。茹で上がったタコの如く裏返りボールとなって感覚を閉ざすヌルス。
夢じゃなかった。
爆速で意識が覚醒しここまでの経緯を思い返すヌルス。
『あああああアルテイシア!? 何やってんの!?』
「何って、ヌルスさんがなかなか起きないのでちょっとシャワーを浴びてました」
『人の部屋で勝手にシャワーを使うのは常識がないのではなくて!? はやく服を着て、服!』
必至の懇願に、はーい、と不満そうな返事をするアルテイシア。閉ざされた感覚ごしにも、するすると衣擦れの気配が伝わってきて、ヌルスはますます身を縮こまらせた。
『私は石、私は石、私は石……!』
必死に自分に言い聞かせて縮こまっていると、着替え終わったのか、ベッドに軽い体重が乗ってくる気配がある。そぉっと薄目を開けて確認すると、アルテイシアは可愛らしいパジャマ姿に着替えを終わっているようだった。
ほっと安心して結合を緩めるヌルス。ふわっと花開くように広がった触手に、少女が待ってましたといわんばかりに抱き着く。
「ヌルスさーん」
『うびぃ!? ちょ、ちょっと、アルテイシア? はしたないのではなくて?』
動揺のあまり口調がおかしくなっているヌルス。
そんな触手の動揺などどこ吹く風で、アルテイシアはすりすりと触手に頬を摺り寄せた。
「えー? そんなのもうどうでもいいじゃないですか? ふふふ、ヌルスさんだ、本物のヌルスさん……ふふふ。やっと、やっと手が届くところに……」
『ア、アルテイシア?』
なんか様子がおかしくない? 困惑するヌルス。
そんなヌルスに、アルテイシアはノリが悪い、と唇を尖らせて不満げだ。
「なんですヌルスさん、この期に及んでまだ及び腰ですか?」
『い、いや、だってね。相思相愛だったのは嬉しいけど……その。種族差とかあるし、何よりいきなり話が進みすぎて気持ちがおっつかないというか』
「惚れた腫れたに気持ちの整理なんていります?」
大暴言をぶん投げてくるアルテイシア。シオンあたりが聞いたら、「恋はいつでも暴走馬車、ってか……」と頭を抱えたかもしれない。
ふふ、と蠱惑的な笑みを浮かべて、アルテイシアがすり寄ってくる。困惑する触手を手に取って指を絡ませる……普通逆なのは言うまでもない。
「それとも、もしかしてヌルスさん、女の子は好きではない?」
『コメントに困る質問はやめてくれ!?』
「うふふふ、じょーだんでーす。触手魔物なんですから、女の子は大好物ですよねー?」
ね? と語り掛けてくるアルテイシアだが、正直ヌルスはあっぷあっぷだった。
そもそも生まれからして理性が強かったヌルスは、そういった本能的な衝動には無縁……とまではいかないまでも、律する事が出来ていた。それは難しい事ではなく、ヌルスは己の獣性に悩まされた事はない。
だが今、ヌルスは生まれて初めて理性を総動員して本能を抑制していた。
なんせアルテイシアである。
ようやく長年の恋を自覚した相手であり、人間としても優秀であり、美人であり、好みであり……とそこまで考えてヌルスは強制的に思考をシャットダウンした。
これ以上考えるとロクな事にならない。
しかしそんなヌルスの鉄の理性に、硫酸をバッシャバッシャかけるかの如く、アルテイシアは次々と爆弾発言を放り込む。
「あのですね、ヌルスさん。私、肉体的にもう人間成分三分の一ぐらいな訳ですよ。見た目が人間なだけで、中身はほぼ半神か魔物な訳です」
『そ、ソウダネ。でも精神はアルテイシアなんだし、何の問題も……』
「つまりですね。種族的には三分の一魔物で……ねえ? わかります? 人と魔物、じゃないんです。魔物と魔物、なんです……ねえ? つまり同じ種族で……本能が訴えてるの、感じるでしょう? 目の前の相手は、自分の番になれるって」
つつ、と白い指先がヌルスの触手の一本を這うように撫でまわす。ぶるる、とピンクの肉塊が戦慄に震え上がった。
『あ、いや、それは、その……だね? 魔物は生き物の真似事してるだけだから、繁殖とか生殖とかそういうのは……』
「ヌルスさんの嘘つきー。知ってるでしょ? そういう魔物だっているんですから……ねえ?」
『いや、その。それはそれというか。ええと』
何がどうしてこうなっているのだ。困惑するヌルスだが、一つはっきりしている事がある。
今。
自分は猛烈な勢いで外堀を埋められて内堀も埋め立てられている。
『だ、駄目だ、アルテイシア! 私は罪人なんだ、し、幸せになっちゃいけないんだ……っ』
「え? それって私とくっつくのを幸せだって認識してくれているって事ですよね……嬉しい……っ!」
『あばばば……』
あまりに無敵すぎるアルテイシアの勢いに泡を吹くヌルス。
敢えて言うなら、そう。
ヌルスはいい加減、自分がとっくの昔に捕食されて腹の中にいる事を自覚するべきだった。
アルテイシアとの魔術合戦に敗北した時点で、ヌルスの運命は決まっていたのである。
「それにぃ、ヌルスさんのその理論、落とし穴があるの、わかってます?」
『え?』
きょとん、とするヌルスに、アルテイシアはぺろり、と舌で唇をうるおして舌戦に備えた。まあそれは獲物の息の音を止めにかかる捕食者の仕草でしかなかったのだが。
「ヌルスさんは魔城の主であり、アトラスさんが倒れている間辺境伯領の皆さんを庇護下に置いていた、つまりは領主代行であり、みんなの代表……言ってみれば魔城の主……王様な訳ですよね?」
『ええと、まあ、そうなるのかな?』
「ですよね。その認識で言うと……王様は、幸せになっちゃいけないとでも? 物語に語られる、めでたしめでたしで終わる冒険譚、お姫様と結ばれて王様になった英雄の話は、全部間違っていると?」
『え、いや、それとこれとは話が別で……っ』
口答えしながらも、ヌルスはきょろきょろと目を彷徨わせる。
不味い。
この流れは、非常に不味い。
しかしアルテイシアは、ヌルスに打開する考えが浮かぶ暇を与えずたたみかけた。
「同じことですよ。今回の件もそうですけど、王様の意思一つで何千何万という兵士が動いて、そのうち何割かは命を落とす事だってあるんです。戦争だって侵略ばかりでなく守るために行われる事だってありますし、侵略だって場合によっては国民の命を繋ぐための切羽詰まった事情があったりする訳です。さて質問、そうして多くの兵士の犠牲によって国を守った王様は、その罪を償って死ぬべきですか? はい、ヌルスさん、ご回答ください。国の為に難しい決断を下し、その責任と結果と向き合った人は、果たしてその代償を一人で背負って死ぬべきですか?」
『あ、いや、その、えと。それは、その……』
「ブッブー、時間切れです。では解答、それはすなわちNOであります。少なくとも、王様が善政を敷き、きちんと国を栄えさせ、道理に逆らった真似をしなければ、例え犠牲を出したとしてもその行いは善として後世に語り継がれるべきです。だって王様は文字通り、人ではない、国を運営する為の権限代行者。人格を持たない“国”という共同体の代弁者だからです。はい、ヌルスさん、それを踏まえた上でもう一度言ってください。……誰が、幸せになっちゃいけない、ですって?」
ギラギラした輝きを宿す虹色の瞳。射抜くような眼光を真正面、至近距離から浴びてヌルスは震え上がった。
多分。アルテイシアはものすごく怒っている。
『ひ、ひぃん。ご、ごめんなさい……』
「謝れば終わる話ばっかりじゃないですよね? そう思いません、ヌルスさん?」
『ひぃん』
縮こまるあまりに薊の蕾みたいになるヌルス。しかしアルテイシアは容赦せずに、ここぞとばかりに畳みかける。
「それに、私はもうヌルスさんから一生離れませんよ。ヌルスさんの喜びが私の喜び、貴方の幸せが私の幸せ。もしヌルスさんが不幸であるべきなら、私もずっと不幸でいます。二人で、バッドエンドの物語の主役になります?」
『そ、それは駄目だ!! アルテイシアは、幸せにならないと……エルリックやエミーリアだって、きっとそれを望んで……っ!』
「……だったら、幸せになってください。幸せになりましょうよ。ふたりで、一緒に」
そっとヌルスを両手で抱きしめるアルテイシア。ヌルスは、戸惑ったようにしばらく動かないでいたが
……やがて、おずおずと触手を伸ばし、彼女を抱き返した。
『……やれやれ。私の、負けかな……。いや、君に論争で勝とうと思ったのが間違いだったか。君は天才だものな、私の罪悪感も、罪も、どうにかしてしまうだろうと、心の底で私はきっとわかっていたんだ。だから、遠ざけたかった……』
「残念でした。私は一度こうと決めたら梃子でも譲らないんです。知ってるでしょ?」
『ああ、そうだな』
ベッドの上で抱擁を交わす二人。
触手の内に感じる暖かな存在に、ヌルスはうっとりと目を細めた。
罪悪感はある。倫理的に納得した訳ではない。その身を血で染めた過去は消えはしない。
きっとその事は、生涯ヌルスを苦しめ続けるだろう。
だとしても、この触手の内に感じる暖かさがあれば、きっと存在していけると、ヌルスは無責任にそう思った。
『アルテイシア……愛している』
「ええ……ヌルスさん……ヌルス……。私も、愛しています……」
そうやってしばし身を寄せ合って。
やがて満足したヌルスはちょっとだけ恥ずかしさを覚えた。
いつまでもベッドの上で絡み合っていてもしょうがない。このままだと、なんかこう、“うっかり”がありそうだ。
『ええと……そうだ。アルテイシア、他にも色々見せたいものがあってだな……えっ?』
もぞもぞとベッドの上から這い出そうとするヌルス。が、ぱっと払われた腕が、器用にその重心を捕らえてベッドに触手の塊を転がした。そしてその上に覆いかぶさるように身を重ねてくるアルテイシア。
目を虹色にギラギラと輝かせながら、舌なめずりする彼女がパジャマの襟に手をかけて、ぷちぷちとボタンを外し始める。
「駄目ですよ、ヌルス。これからがいい所なのに、逃げ出そうだなんて……」
『えっえっえっ』
「私はヌルスのもの。ヌルスは私のもの。ねえ、ヌルス、私、もう我慢できないの。一緒になりましょう、ひとつに……」
『ちょま、アルテイシア、それ……わーーーーっ!?』
翌日。
培養シリンダーの中でぷかぷか浮かぶずいぶんとちっちゃくなってしまったヌルスと、それを涙目で覗き込んでいるアルテイシアの姿があった。
「ヌルスさん、死なないでぇー……」
『D M P』
「……何あれ?」
そしてそれを遠巻きに半眼で見つめているシオン。彼女は事情をしっていそうな幹部に尋ねてみた。
尋ねかけられた紳士は苦笑いしながら、知っている事実を端的に伝える。
「その、恐らくなのですが……昨晩、念願かなって夜を共にすごしたものの……朝になって正気にもどったヌルス様がショックだの後悔だの羞恥だのがぶりかえしてきて……精神ダメージでああなったようでして……」
「ああー……」
シオン、納得。
そういえばアルテイシアがやたらとつやつやしている気がする、とシオンはどうでもよさそうな顔になった。人の恋路にちょっかい出すほど彼女は暇ではない。
「大変ねえ……」
いつぞやのアトラスと同じく、精神活動と生命活動が直結しているというのは不便なんだなあ、と思うシオンなのであった。




