第二百四十五話 愛、それぞれ
『という訳で。今日から我々の同胞となる、アルテイシア君だ。皆、よろしく頼む』
「アルテイシアです! よろしくぅー!」
その日、魔城の奥では、細やかな晩餐会が行われていた。
供給の乏しい食料でなんとかやりくりして並べた細やかな晩餐の並ぶテーブルに集まるのは、魔城の運営を担う主要幹部たち。
彼らを前に、ヌルスは壇上で傍らに立つ、黄金の少女を紹介する。
『彼女は優秀な魔術師でな。我々の境遇を知って尚、協力を申し出てくれた。皆、思う所はあるかもしれないが、どうか彼女と仲良くしてほしい』
ぱちぱちぱち、と疎らな拍手が上がる中、人々は口々にひそひそと囁き合っている。
「あれが……噂の……」
「ヌルス様の……だよな……」
「負け……マギアス……恋人……?」
漏れ聞こえてくるのは、拒絶というより困惑に近い感情。まあ、それはそうだろう。
半日前には『私自ら彼女達を追い返す』と言ってはばからなかったヌルスが、出かける前の半分以下の質量になって、追い返すはずの少女をこうして皆に紹介しているのだから。
事情を知っている者ほど困惑するというか、良からぬ想像をするのは仕方ない。
そんな中、皆を代表して前に出てくる人影があった。
「やあ。ヴェーゼさん」
「アトラスさん! クリーグさんも!」
黒尽くめの、金髪碧眼の青年。多少頬がやせこけているが、その顔にアルテイシアは覚えがあった。冒険者チーム“ハーベスト”のリーダーにして、ヌルスの雇い主、アトラス・D・ヴァーシスその人である。
その隣には、彼の仲間であるクリーグや、母や弟の姿もある。
「お久しぶりです。お元気そう……には、ちょっと見えませんね。大丈夫ですか?」
「ははは、お気遣いありがとう。前の戦いでシャードビースト相手にちょっと不覚を取ってね、このザマさ。そのせいでヌルスには随分と苦労をかけてしまった」
「本当ですよ。ヌルスさん説得するの大変だったんですからね!」
ぷんすこ! するアルテイシアに、苦笑するアトラス。それを言われると彼には返す言葉がない。
「全く以て、その通りだ。でもまあ、ここにこうして君がいるという事は、納まる所に話が納まった、という事でいいのかな」
「はい! これからは、ヌルスさんの為に頑張りますよ、期待してください!」
「ああ、よろしく頼むよ。なんせヌルスのお墨付きだ、歴史に名を残す大魔術師の実力、是非とも見せてもらいたい」
ちなみにこの言葉はおべっかではなく、ヌルスが常日頃口にしていた評価である。
事あるごとにアルテイシアの事を大天才と持て囃すヌルスに、触手の出鱈目っぷりをよく知っている辺境伯のメンバーは美化されすぎではないか、と思っていたが、それはどうやら誇張でもなんでもなくただの事実であったと、今は思い知っている。
何せ、魔城の一角で繰り広げられた、オメガ・マギアスとアルファ・マギアスの大激闘は、魔城の運営に携わる者は皆が知る所だ。なんせあと少しで、魔城の一角が吹き飛ぶところだった。
ヌルスの力、その中でもオメガ・マギアスがどれほどのものなのか、魔城に住まう者達はよく知っている。それと真っ向から張り合ったアルテイシアの実力を、今更疑う者は一人もいない。
「それと……ストライフさんと、ニコリさんだったね」
「は、はいなぁ……」
「お久しぶりっす。エトヴァゼルでちょろっと話したぶりっすね」
アトラスと軽く握手を交わすストライフと、その背中に隠れるニコリ。なんとも頼りないが、これで結構な魔術師であるらしい。いや、正しくは精霊魔術師であるという話だが、アトラスには違いがイマイチ分からない。
「まさか、君とこんなところで再会するとはね。運命とはわからないものだ」
「全くですねえ……ま、それもこれも、ヌルスさんの繋いだ縁って事で。俺達、ヌルスさんにホントの事を聞きに来ただけっすから。事情が分かった以上、これからは全力でお手伝いさせてもらうっすよ」
「有難い。よろしく頼む」
そして、彼らとあいさつを交わせば、あとは最後の一人。
先ほどから何も言わず、一行の後ろに黙って控えている仮面の少女に、アトラスは視線を向けた。
「それで、君? その、できればこっちに来て自己紹介をしてほしいのだが……」
『む? アトラス、彼女は……』
「いいわ、ヌルス。私から紹介する」
言って、前に出てくるシーフの少女。どこかで聞いた声のような……と首を傾げるアトラスの前で、彼女は黒い仮面を外すと、床に放り投げた。
かんらころころ、と音を立てて転がる黒い仮面。
だが、その行方を気にしているのはアルテイシアぐらいのものである。他の魔城の人員は、露になった彼女の顔に目が釘付けになっていた。
緑色の、怜悧な視線の少女。ここ最近の苦労によってか、すっかり幼さが抜けて鋭い顔つきになった少女の名前は。
「し……シオン……?!」
「ええ……そうよ。貴方の婚約者よ、アトラス……!」
その姿が、しゅん、と霞む。気が付いた時には彼女はアトラスの目の前に踏み込んでいて、そして。
「会い、たかった、わ!」
「ぐほぉぅ!?」
叩き込まれる、渾身の右ストレート。大人の男性であるアトラスの体が、確かに浮かび上がった。横に。
「う、うぐぐ……」
ストレートをぶち込まれたお腹を押さえて、その場に崩れ落ちるアトラス。が、その襟首をシオンが掴み、床に這いつくばる事を許さない。
恐る恐る彼女を見上げたアトラスは、その瞳の中で憤怒の炎が燃え盛っているのを見て竦み上がった。
「ひ、ひぃ……」
「あらあ、久方ぶりに出会った婚約者相手に随分な態度じゃなあい? まるで森の中で熊にでも出会ったみたいな顔ねえ?」
「あ、いや、それは、その……」
ダラダラダラ、と額に汗を流して言いよどむアトラス。彼にしては珍しい、が、彼をしてそんな情けない対応を取らざるをえないというか。
なんせ、シオンを激怒させている理由にあまりにも心当たりが多いというか、多分、原因は全部である。
「私、今すごーく嬉しいと同時にすごーく怒ってるのよ。自分でも不思議よ、こんなに冷静なのに頭煮えたぎるって出来るのね人間。新境地だわ」
怒りのオーラが目に見えるようである。
周囲の人間も恐れおののいて何も言えない中、ヌルスだけが気力を振り絞ってアトラスの弁護に入った。
『し、シオン……? そ、その、どうかお手柔らかに……?』
「黙ってなさいヌルス夫婦の問題よ」
『は、はい、すいません……』
そして一瞬で撃沈する。
誰もがシオンの憤怒に屈服する中、そんな彼女に気軽に声をかける者の姿があった。
「もう、駄目ですよ、シオンさん。そんな乱暴にしたら」
アルテイシアである。
一同が期待を込めて彼女に視線を送るが……。
「床に放り投げて、仮面が壊れたらどうするんですか。これ貸してるだけであげた訳じゃないんですよ?」
「ああ、それはごめんね。次があったら気を付けるわ」
「全くですよ、ぷんぷん」
残念ながら、アルテイシアに仲裁するつもりはないようだった。
それでもアルテイシアとの会話でちょっと毒気が抜けたのだろう、シオンは少し落ち着いた態度でアトラスを吊り下げたまま、ひらひらと皆に手を振った。
「そーいう訳だから。私はこれから、夫と話があります。夫婦水入らずの時間を邪魔する奴はいないわよね?」
『は、はひ、ごゆっくり……』
「じゃ、そういう事だから。私とアトラスは一抜けね」
ずるずる、とパーティー会場から出ていくシオンと引きずられるアトラス。金髪碧眼の御曹司は視線で必死に助けを求めていたが、皆はそれをわかっていてそっと目を逸らした。
だって、我が身が可愛いし。
そしてバタン、と閉じた扉の向こうに二人の姿が完全に消えてしばらくして、ようやくパーティー会場に言葉が戻ってきた。
ひそひそと声を潜めるようにお喋りする皆の中で、ヌルスが心配そうにピンク色の触手をうねらせて壁の向こうを見透かそうとしている。
『だ、大丈夫かな、アトラス……』
「大丈夫でしょ、あれでも大分手加減した方だと思いますよ。別にシオンさんだってアトラスさんをぶちのめしたい訳でもないし、今頃人目の無い所で話し合ってるんじゃないですか?」
『それならいいんだけど……』
アトラスはなんだかんだいって魂を啜られた後遺症がまだ残っている。あまり無茶はしないでほしいんだが、とヌルスはただただ心配した。
「それよりヌルスさん? ヌルスさんには、他にも考えなきゃいけない事、あるんじゃないです?」
『っと、そうだったなあ。ううむ、アルテイシアはこれから、私の直属の部下として動いてもらおうかな。それにしても、一体どこから手伝ってもらおうか。魔城の修復もあるし……そうだ、資料に目を通してもらうのが先かな?』
アルテイシアの指摘に我に返り、魔城の責任者として色々頭(?)を捻るヌルス。うごうごするピンク色の触手に対し、アルテイシアは笑顔のままそっと近づくと、するりと指を触手の間にもぐりこませ、がっ、とその芯を捕らえた。
びくっ、とする触手。
硬直するその肌に口を近づけると、彼女は愛を囁くようにしとやかにヌルスに問いかける。
「……スカーシハ様の事。説明してくれますよね、勿論?」
一瞬置いて、ヌルスの体表にだらだらと粘っこい大量の粘液が汗のように吹きだした。
『あ、あああ、アルテイシア?? あれは、その、スカーシハ様の事はだなああ……?』
「友達とか抜かしたらこの場で触手を一本ずつ引っこ抜きますね?」
『はい互いにお慕いしたりされたりする関係でございますぅ!!』
かつてならばいざ知らず、今のヌルスにはその辺の自覚がある。僅かに言い淀んだ時点で白状していたようなもの。
先ほどのシオンにぶちのめされるアトラスの姿が思考に過ぎり、ヌルスは一瞬で全面降伏の構えを取った。
『で、でもっ! 私にとってはアルテイシアが一番だから! スカーシハ様の事は大事に思ってるけど、思う以上の事はしておりません! 信じて!!』
「そ、そうですか……照れますね……」
『私はアルテイシアが一番だから! その白い肌も、金色の髪も、虹色の瞳も丸い爪もふっくらしたボディラインも全部すてギュプ』
雑巾絞りにされた触手が、断末魔の声を上げてくたりとする。
思わず顔を押さえる周囲の人々。途中までいい感じだったのに、女性に対して体形の話は禁句だという理解がまだまだ触手には足りなかったようだ。
笑顔のままヌルスを〆たアルテイシアは、そのままのにっこり笑顔で周囲の人々に対してこう宣った。
「あら、ヌルスさん、寝ちゃいましたね。おつかれのようですので、ちょっと休ませてきますね。皆さんもごゆっくりどうぞ」
勿論、その発言に異を唱える命知らずはいない。
ずるずる、触手を引きずって退室していくアルテイシア。
クリーグは天を仰ぐようにして顔を押さえ、テオスは母親に肩を抱かれつつガクブルしていた。
「だ、大丈夫なんでしょうか……?」
「さあな。とりあえず、ヌルスの奴も年貢の納め時か。まあ、なるようになるんじゃないの?」




