2話 赤髪の剣士
意識が覚醒し、重い瞼をゆっくりと開ける。
「──悠君! 大丈夫⋯⋯?」
少し先に目を覚ましたのか、叶多は心配そうな表情で俺を見つめている。
俺は軽く両目を擦り、何度か瞬きをしてから言った。
「ありがとう、俺は大丈夫だよ。叶多は、怪我とか大丈夫か?」
「うん、さっきは庇ってくれてありがとね」
「叶多が無事ならそれでいいよ」
ひとまずお互いの無事を確認でき一安心。しかし直後、とある違和感が俺の頭をよぎった。
「ここ、どこだ⋯⋯?」
理解が追いつかず隣の親友に助けを求めるが、首を全力で横に振られ、そこでようやく事態の深刻さに気がついた。
「僕も目が覚めたらここにいて、訳がわからないんだ。多分、洞窟⋯⋯なんだろうけど、薄暗いし、変な祠⋯⋯? みたいなのも置いてあるし⋯⋯」
「こんな場所、家の近くになかったと思うんだけどなぁ。それにしても、不気味すぎるなここ」
部屋の広さは十畳ほどで、太陽の光が全く届かない閉鎖的な空間。それでも視界が明瞭なのは、四方の壁に何本か設置された松明のおかげだ。
部屋の中央には高さ二メートルほどの石製の祠がぽつんと立っており、祠のあちこちが苔で覆われている。この洞窟で唯一の建造物だが、ただの年代物の祠にしか見えず、何が祀られているのかすらも分からない。
祠の向かい側の壁には、外に繋がっているであろう道が大きく口を開けており、人口で掘られた道なのだろう、壁や天井から時々落ちる微量の土や石の音が、敏感になった鼓膜を微かに刺激する。
「こういうのって、案外夢だったりするよな──って痛!」
試しに頬をぶっ叩いてみたが、少なくとも夢オチではなかったらしい。
「痛いに決まってるでしょ、大丈夫?」
「お、おう。ありがと」
かえって心配されてしまったが、気を取り直して話を続ける。
こういう時に携帯があればと思ったが、鞄ごとどこかに置いてきてしまったようだった。
「となると、だ。夢じゃないってことは、誘拐か? それとも異世界に飛ばされたとか! もしかしたらさっきので俺たち既に死んでて、ここは死後の世界とか!」
「縁起でもないこと言わないでよ! 誘拐なら犯人がいないし、異世界に飛ばされたっていうのはちょっとよく分からないけど、死後の世界は⋯⋯あり得そうで⋯⋯ちょっと怖いけど⋯⋯」
不安がる叶多を落ち着かせる為の冗談のつもりだったが、この状況では、最早なにを言っても否定する材料がないため、かえって不安にさせてしまうかもしれない。
余計なことを言ってしまったと焦りに焦った俺は、超早口に訂正の言葉を言い連ねた。
「ご、ごめん冗談だよ。いまどき誘拐とかすぐ足がつくだろうし異世界だってそんなのアニメじゃあるまいし死後の世界だってそもそも俺達まだ死んでないしなははは」
「冗談なら最初から言わないでよ! もしこれが本当になっちゃったら、悠君のせいだからね!」
そう言うと、叶多は両手で顔を押さえ、下を向いてうずくまってしまった。
言霊とはよく言うが、それはあくまで現実で起きる範疇での話だ。
ファンタジーなど存在しない。頭では分かっているが、どうしてか胸のざわつきが止まらない。
早く叶多を安心させたい。なにか言ってあげなければ。そう思えば思うほど、得体の知れない不安が押し寄せてきて、もう少しのところで唇が硬直する。
数秒後、俺の異変に気がついたのか、ゆっくりと顔を上げた叶多は、目尻に少しだけ浮かんだ涙を拭き、言った。
「大丈──」
その瞬間。鼓膜を突き破るほどの衝撃音によって、叶多のか弱い声はあっさりと掻き消された。
同時に洞窟中が振動し、壁や天井からは、振動に耐え切れなかった土や小石が大量に地面に降り注ぐ。
何度か同じ音が繰り返され、やがて止んだ。二人は顔を合わせ、恐る恐る押さえていた耳を開放した。
「あの先⋯⋯だよな、絶対」
そう言い、祠の先にある唯一の抜け道に視線を向ける。
「そう、みたいだね⋯⋯。それにしても、あんな大きい音、初めて聞いたよ。何かに何かをぶつけてるような、鈍くて大きい音⋯⋯。って、まさか見に行くとか言わないよね、僕は絶対反対だよ! ここで誰か来るまで待つべきだと思う!」
途中で俺の考えを察した叶多は、身振り手振りを使い全力で反対してきた。
叶多の言うこともごもっともなのだが、このままここに居続けても、不安だけが募っていくのではないか。待つことが、本当に正解なのだろうか。待っていて、誰か助けが来るのだろうか。
先刻の衝撃音で何かが壊れたのだとしたら、通路が塞がれて外に出られなくなっているかもしれない。そうなった場合、食料は確保できず、助けはおろか自分達で外に出ることさえ叶わないかもしれない。
それだけは駄目だ。叶多だけは、なんとしてでも外に出してやらねばならない。俺の命に変えてでも、絶対に。
「でも、俺は行くよ。叶多は、もし入れ違いで人が来たら先に外に出ててほしい。あとで合流するからさ」
「そんなのダメだよ! 一緒にいなきゃ嫌だ!」
決断したことをあっさりと否定されてしまったが、それもそうかと頷く。
そこである案を閃いた俺は、人差し指と中指を立てて見せ、ピースの形を作る。
「じゃあ叶多、ここで餓死するか、外に出て誕生日パーティーするかだったら、どっちがいい?」
ニヤッと笑みを浮かべ、指を一本ずつ曲げて説明する。
「一緒に残るなら、もし助けが来なかった場合、俺達は共倒れで死ぬ。一緒に外に出るなら、何が起きるかは分からないけど、誕生日パーティーはやれる。ていうか意地でもやる。俺は誕生日パーティーやりたいから、外に出るしかないと思うんだけどなぁ」
「その二択、絶対ずるいよ」
冷たい声でツッコミを入れた叶多は、目を細めながらそう言った。
我ながら意地悪なやり口だと自覚しているが、こうでもしないと叶多はテコでも動かない。これは長年の親友である俺だからこそ出来る必殺技だ。
俺は叶多から返答をもらう前に、一足先に目的地へと歩き始めた。
数秒後、参ったと言わんばかりに後ろから情けない声が聞こえた。
「──待ってよー! 僕も行くよー!」
×××××××
歩き続けることおよそ十分。
ようやく視界が開け、そこにはいつも通りの風景が広がっていた──とはならなかった。
まず俺達を出迎えたのは、黒板に爪を突き立てたかのような甲高い鳴き声だった。
人間の何倍も大きい身体に、細かい羽がびっしりと生えた両翼。尻尾も何本も生えていて、ただの鳥ではないことは一目瞭然だ。
なにより特徴的なのは、全身に纏う灼熱の炎。翼を動かすたびに飛び散る火の粉が、その鳥の恐ろしさを物語っている。
鳴き声の主は、俺達の存在に気がつくとその全身に纏った真紅の炎をより一層燃え上がらせ、明らかに場違いな俺達を睨み殺すように一瞥する。
俺はあまりの恐怖に近くの壁まで後退りし、その場に倒れ込んでしまった。
すぐに叶多を呼ぶが、恐怖で声が出ないのかその場で立つすくんでいる。
そんな中、炎の鳥とは別の、もう一人の先約である赤髪の少女が疲弊し切った声で叫んだ。
「次で決める⋯⋯! かかってきなさい、朱雀!」
恐らく同い年くらいの全身傷だらけの少女は、背丈に見合わない剣を構え、端で恐怖する俺達に気づく様子もなく、炎の鳥──名を改め朱雀を真っ直ぐ捉えている。
数秒の沈黙の後。先に動き出した朱雀は、翼に生えた羽の一本一本を細かく揺らし始め、どういう原理か数百本ある羽を全て宙に浮かせると、少女に向けて一斉に放った。
少女はすかさず地面を強く蹴ると、追尾してくる無数の羽を切り払っては避けて、切り払っては避けてを繰り返す。失速し地面に落ちた羽が小爆発を起こし、軽い土煙を発生させる。
しかし処理しきれなかった数本が、装備している革製の防具を貫通し、腹部と太ももをかすめる。
見るに耐えない光景に叶多は、ひたすらに俺の肩を揺すり、どうにかしないとと目で訴えかけてくる。
しかしただの人間であり武器も持たない俺達に、できることなどあるはずがない。事実、武器を持って応戦している女の子でさえ防戦一方なのだ。
見ているしかない無力感と、この状況を受け止めきれない自分の不甲斐なさが相まって、俺は叶多の必死の叫びに応えてやることはできなかった。
少女は体勢を立て直し、「次はこっちの番!」と叫ぶと、剣を構え、硬い地面を再び蹴る。そのスピードは凄まじく、数十メートル離れた朱雀との距離はみるみる縮んでいく。
そして朱雀は、足音がすると同時に飛ばし切った羽をあっという間に再生し、両翼を前方に丸め前傾姿勢になると、黄色いクチバシを大きく開けた。次の瞬間、クチバシの先端から小さな炎の塊のようなものを出現させた。
少女との距離が近くなるにつれてそれは膨れ上がっていき、剣の間合いに入る頃には五倍以上にまで成長していた。
気合いの声と共に大きく腕を上げ、炎の塊の中心を捉えた少女は精一杯の力を込めて剣を振り下ろす。
──少女の剣が、先に炎に触れた。刹那、溜め込んでいた巨大な炎の塊が、凄まじい勢いで放出された。
すぐに大きな衝撃波が発生し、近くの壁や地面は抉られ、周囲の小石や砂は爆風と共にこの部屋中に飛散する。
そして同時に、少女は悲痛の叫びを上げながら長い距離吹き飛ばされ、俺達の側の壁に激突し、仰向けに崩れ落ちた。
腹部からの出血が激しく、ものの数秒で少女の辺りは血の海に染まった。
スーッと、血の気が引いていくのを感じた。
いままでで、人間の血を見たことがないわけではない。仕事に失敗してアルコール中毒になった父親が、それでも優しく接していた母親に暴力を振るうようになってから、家の中で血を見ることはさほど珍しいことではなかった。
その影響で血や暴力への耐性は俺自身あると思っていた。しかし今目の前で起こっていることは、一人の人間の死だ。たかが一高校生が、そんな耐性など持ち合わせているはずがない。
怖い。逃げたい。足が震えて、動かない。
「──悠君! あの子、死んじゃう……助けないと……!」
叶多の震えた声に思考を呼び戻され、隣を見る。
すると俺よりも遥かにビビリな叶多が、俺よりも激しく身体を震わせながら、それでも足を踏み出そうとしていた。
「でもどうやって!? 無策で助けても俺達もろとも死ぬぞ!」
「そんなの分かってるよ! でも……それでも、助けなきゃ……見殺しになんてできないよ!」
こうなったら止められないのが叶多だ。
分かってる。分かってるが、このまま一緒に助けたとして、三人まとめて喰い殺されるのがオチだ。
それだけは、絶対に阻止しなければならない。
「悠君も……手伝って、ほしい……。一人で運ぶには……ちょっと……大変だよ」
少女の側まで移動していた叶多は、小さな悲鳴を上げながら俺に助けを求めてきた。
助けたいのは山々だが、敵はもう既に俺達を標的として認識してしまっている。証拠として、俺の顔を見るや否や猛スピードで走ってきている。
「もう駄目だ! アイツ、こっちに向かって来てる! 俺達でさっきの部屋まで戻るぞ!」
「嫌だ! この子も助けないと意味がないんだ!」
「そんなこと言ったって、叶多が死んだら意味がないだろ! こっちに戻ってこい!」
「嫌だ!」
分かってはいたことだが、叶多が一度決めたことを曲げさせるのは骨が折れる。普段なら強引にやることもできただろうが、こんな状況では俺の思考も十分には回らない。
そうこう言い合っているうちに、朱雀は、一定の間隔を保ちつつ目前で止まった。
目が合うだけで切り殺されてしまいそうな鋭い目つきに、全身に纏う燃え上がるような炎。近くに来るまで気づかなかったが、全身に刺すような熱気が伝わってくる。
少女は、この重圧を真っ向から受けながらあそこまでの死闘を繰り広げていたのだ。同い年くらいの見た目なのに、どれほどの覚悟と実力がいるだろう。今の俺には、それを想像することすらできない。
未だ意識の戻らない少女を嘲笑うかのように上を向き雄叫びを上げた朱雀は、再びクチバシの先から炎を溜め始めた。
その炎は、先程のものとは比べ物にならないほどの速度で膨らんでいき、瞬く間に洞窟の天井にまで到達する。
次の瞬間。空中から解き放たれた巨大爆弾が、俺達の頭上に向けて落下を始めた。
あまりの熱気に、視界が歪む。
急激に熱せられた空気はパチパチと音を出し始め、じわじわとこちらへ近づいてくる。
もう無理だ。死ぬ。
頭上から落ちる太陽の如き爆弾を見て、俺はそう悟った。
走馬灯だろうか、ふと目を瞑ると、小さい頃の二人の思い出が脳裏に思い浮かぶ。
公園の砂場でトンネルを作って水道を開通させたり、鬼ごっこで同時に転んでゲラゲラ笑ったり。そんな何気ない思い出の数々だった。
正直、後悔しかない。叶多を救えなかったこと、身体が動かなかったこと。どれも俺の招いたことであり、俺の弱さだ。その事実だけが、動かなくなった身体に重くのしかかる。
俺が、叶多を守ってやらなきゃいけないのに。
約束、守ってあげられなかった。
ごめんな、叶多。最後の最後まで人助けをした叶多は、俺の誇りだ。
──ありがとう。ごめんな。
瞬間。洞窟中に爆音が響き渡った。
風圧により周囲の砂や石と一緒に吹き飛ばされ、身体は骨の髄まで粉々になり、得体も知れない化け物の発する燃え盛る炎で灰すら残らず消し炭に──とはならなかった。
なんの変化も無く違和感を感じた俺は、恐る恐る重い瞼を開けた。
そこには、意識が戻って目を見開いている少女と、身を挺して覆い被さっている叶多。そしてその奥で、地面に倒れ込み痙攣する朱雀の姿があった。
「──叶多!!」
いつの間にか足の呪いが解けてた俺は、急いで叶多の元へ駆け寄り、思い切り抱きしめる。
「大丈夫か叶多! 何が、あった……?」
「……う、うん。僕は大丈夫だよ、ありがとう。悠君も、無事で、良かったぁぁ」
少しだけ緊張の糸がほつれたのか、言葉の語尾が若干緩くなる。
しかしすぐに表情を曇らせた叶多は、朱雀の亡骸を警戒しつつ話した。
「それがね、僕にも全く分からないんだ。ただこの子を助けなきゃと思って……。そしたら、僕たちの周りに薄い壁みたいな、バリア? みたいなのが出てきて、あの鳥の攻撃を防いでくれたんだ。だから、よく分からなくて」
「なるほどなぁ──って、もしかしてその子が助けてくれたんじゃないか? 血も止まってるみたいだし、ずっと叶多のこと見てるぞ」
言い終えると同時に、すぐさま少女の方を向いた叶多。
「えっ!? ほんとだ!! 大丈夫ですか!? さっきの怪我は!?」
自分も死にかけの状況だったのにも関わらず、少女を見るや否や自分のことは棚に上げてこの有様だ。
「あ、あの……」
叶多が話しかけるが、反応がない。
「おい、叶多が話しかけてるのに無視するとはどういうことだ、女子だからってやっていいことと悪いことがあるぞ」
「やめてよ悠君。……ごめんね、驚かせちゃって。僕は叶多。こっちは悠。あなたの名前は?」
右手で俺を静止させた叶多は、自分たちを指さしながら軽い自己紹介をした。
考え事をしていたのか、はたまた意識がなかったのか、一瞬身体がピクッと動いた少女は、何度か頭を横に振り、深呼吸をした。それから少しして、俺達に向けて声を発した。
「私はルメリアよ。あなたは……一体何者なの? あの四大獣の一つを、ああも一撃で倒しちゃうなんて」
戦闘時の叫び声を聞いていたため地声は低いと想像していたが、実際は数トーン高くとても可愛らしい声だった。
見た目も、改めて見ると青色の大きな瞳がくりっとしていて、中世的な顔立ち。
学校に一人はいる美少女的な立ち位置の、そのまたワンランク上、とでも言えようか。要するに、めちゃくちゃ可愛い。
「い、いやいや。あれを倒したのはルメリアさんじゃないの? 僕はなにもしてないよ」
「そんなわけない! だって、じゃなきゃ、あんな力……。って、まあ、いいわ」
そう言って、叶多の言葉を一蹴した少女──ルメリアは、素早く立ち上がると、数メートル先に刺さった剣を掴むと、力一杯引き抜き、左腰にある鞘へ閉まった。そして奥にある通路へとスタスタと進んでいく。
無言で立ち去ろうとするルメリアだったが、通路の目の前で止まると、突然、くるっと振り返り、長い赤髪を耳にかけ、ハリのあるハッキリした声で言い放った。
「突然だけど、手伝って欲しいことがあるの」




