第50話 姉と"姐"
風呂から上がって、俺はリビングのソファでまったりと寛いでいた。
晩御飯の食卓では、姉ちゃんに橘さんとのお出かけについて根掘り葉掘り聞かれたが、栞奈姐さんについては一切触れなかった。
俺としては別に栞奈姐さんを嫌っているワケじゃないし、むしろ今となっては小学生の俺相手に遊んでくれたので、良い思い出しかないのだ。
だからこそ、何故姉ちゃんが栞奈姐さんを嫌っているのかが、俺には理解できない。
「ひょっとして、愛情表現がうっとうしい……とか?」
俺の中で一番有力な説は、栞奈姐さんからの強烈な愛情表現を受けて、姉ちゃんは面倒くさがっているのではないか、というもの。
別に姉ちゃん自身はスキンシップに対して抵抗があるわけではないと思うが、それは自分から相手への愛情を表現する時に限られる。
もしかしたら、相手からグイグイ来られるのは苦手なのではないか? と俺は思い至った。
せっかくなので、この後風呂から上がってくる姉ちゃんに対して、栞奈姐さん同様……とまではいかないが、普段俺からは絶対にしないスキンシップを、姉ちゃん相手にやってみて、実証してみようと思う。
「ふぅ~、夏の風呂上りは暑すぎるわね~」
湿った長い黒髪をハンドタオルで拭きつつ、姉ちゃんがリビングへとやってきた。
……よし、やってみるか!
「姉ちゃん、まだ髪の毛濡れてるじゃん」
「だって洗面所暑いし、ちょっと涼んだらちゃんと乾かすわよ」
俺はソファから立ち上がって姉ちゃんの元へ歩み寄ると、姉ちゃんからタオルを取って背後からその長い黒髪を丁寧に拭いていく。
「え、えっと……遼?」
「こんなに濡れたまま放っておいたら、せっかくのキレイな髪が傷んじゃうじゃん」
「うん……?」
予想外の俺の行動に戸惑う姉ちゃんは混乱しているようだ。
だが嫌がる素振りはなく、大人しく髪を拭かれている。
なるほど、髪を触られる程度は全く問題ないのか。
あらかた姉ちゃんの髪を拭きあげた俺は、続いてソファへと誘導する。
「じゃあ次はソファに座ってよ」
「え……うん」
俺に言われるがまま、姉ちゃんはソファに腰掛けたので、背後から肩のマッサージを始める。
「姉ちゃん、肩めっちゃ凝ってない?」
「そ、そうね。高校生に上がってからは特に……」
「やっぱり生徒会に入ったから?」
「それもあるけど、その……胸が重くて……」
「……なんかごめん」
そんな身体的な理由だったとは露知らず、姉弟の間に気まずい空気が流れる。
だが、上着越しとはいえ身体を触られる事自体は特に嫌がる様子はないので、やはり相手から抱き付かれる事が苦手なのかもしれない。
が、流石に正面から抱き付くのは些か気が引けるというか、血の繋がった姉に対してそこまでやる勇気はないので、背後からそっと抱きしめてみる事に。
「えっ、り、遼……!?」
「姉ちゃんは、こうやって相手から抱き付かれるのって、あんまり好きじゃなかったりする?」
「……ひ、人によるわよ……」
そりゃそうか。
よくよく考えたら、気を許せる相手じゃないと普通に嫌だよな。
……つまり、栞奈姐さんには気を許していない、という事か?
俺はそのまま、栞奈姐さんの事をどう思っているか、姉ちゃんに聞く事にした。
「あのさ、姉ちゃんは栞奈姐さんの事、なんで嫌いなの?」
「んっ……だ、だって……私だけじゃなくて、遼に対してもベタベタしてくるし……」
「……それだけ?」
「あっ……そ、それ以外は、なんか……遼に対して姉貴面するのが、癪に障るっていうか……」
「そっか……」
「んっ……! ね、ねぇ……遼? 声が……その、近すぎて……」
俺が話しかける度に身体を跳ねさせる姉ちゃんは、抗議とも取れる声を上げてくる。
あ、流石に耳元で話されるのはイヤなのか。
姉ちゃんから身体を離して、俺は申し訳ないと反省する。
「あー、ゴメン。ちょっと配慮が足りてなかったよ」
「……別にやめてほしかったわけじゃないケド」
「でもちょっと嫌そうだったじゃん」
「だって心の準備が出来てなかったし……」
何故か不服そうな姉ちゃんの横に俺は腰掛け、栞奈姐さんの事に関してもう少し深掘る。
「んで、なんで姉貴面されるのがイヤなんだ?」
「……遼の姉は誰?」
「え? そりゃ目の前にいる姉ちゃんだけど」
「そうよね? なのに遼は栞奈の事も『姐さん』って呼ぶし、私の立場が無くなる感じがして嫌なのよ」
そうか、だから栞奈姐さんの事をあんなに目の敵にしているのか。
要するに、姉である自分の立場が栞奈姐さんによって奪われる事を危惧しているのだろう。
単に俺が呼びやすいからそう呼んでいるだけで、そこに深い意味はなかったが、姉ちゃんにとっては由々しき事だったのかもしれないな。
「じゃあ俺が、単に『栞奈さん』って呼べば解決するの?」
「……まぁ、多少は気も紛れるけど、根本はそこじゃないの」
「えぇ……他にも理由があるの?」
「あるけど……遼には言えない」
そこを言ってくれないと解決のしようがないんだけどなぁ。
「まぁ……遼に彼女が出来た暁には、もしかしたら嫌いじゃなくなるかもしれないわね」
「なんでだよ」
どうしてそこで俺の恋愛事情が絡んでくるのか、一切分からないんだけど。
「とりあえず、無理にあたしを栞奈と仲良くさせようなんて考えなくてもいいわよ」
「そうは言うけどさ、もしかしたら美愛ちゃんもこっちに戻ってくるかもしれないんだし、ずっと嫌ったままって言うのはさ……」
「え? 栞奈、美愛ちゃんとこっちに移住するの?」
「確定かどうかは分からないけど、送ってもらってる最中に栞奈ね……さんが『美愛もこっちに転校できれば』って言ってたからさ」
姉ちゃんにとっては寝耳に水といった様子で、複雑な表情を浮かべる。
「……もしかして美愛ちゃんを……? だとすると本命は……」
「おーい。俺を置いて一人で考察を深めないでくれ~」
またしても一人でブツブツと念仏を唱え始める姉ちゃんは、次第に険しい表情へと変わっていく。
「あンの女ぁ……それを狙ってるのね~……」
「姉ちゃん、顔が怖いよ」
「ゴメンね遼。でも、やっぱり栞奈とは仲良くできそうにないわ」
「えぇ~」
「でも遼の顔に免じて、今後はもう少し穏やかな対応ができるように頑張るわね」
そうは言いつつも、相変わらず眉間に皺が寄っているので、きっと表面上の対応が軟化するだけなのだろう。
人が誰かを嫌う理由を取り除くのって、一筋縄ではいかないんだなぁ。
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午後9時半を回ろうかといったタイミングで、朱音からLoinが届く。
『今から電話掛けてもいーい?』
特に断る理由もないので、たまには俺の方から電話を掛けてみる。
数回呼び出し音が流れたかと思うと、ゴソゴソという音と共に朱音の声が聞こえてくる。
「もしもし? もしかして掛けなおした方がよかったか?」
『ううん、大丈夫。ちょうど布団敷き終わった所だから』
音の正体はそれだったか。
衣擦れの音に聞こえたから、もしかしたら着替え中だったのかと思い少しヒヤヒヤした。
『今日は珍しく遼の方から掛けてきたじゃん。どういう風の吹き回しよ』
「特に理由はないよ。ただたまにはこっちから掛けてみようかな~っていう試み」
『ふふっ何それ』
朱音は機嫌よく笑うと、布団に寝転んだのか衣擦れのような音がしなくなる。
「んで、今日はやたら遅い時間に寝床に入ったんだな」
『そうなの~。今日福岡の親戚たちが皆おばあちゃんち集まっててさ~』
それからは朱音の愚痴大会が始まってしまう。
どうやら宴会の席で、朱音が垢抜けただの可愛くなっただの大盛り上がりで、そのまま朱音の恋愛事情についても相当聞かれたようだ。
特に『彼氏はまだいない』と言った際には、親戚たちによる息子や同僚の子などのプレゼン大会が始まったそうで、面倒臭くなった朱音は適当な相槌でなんとか乗り切って、今に至るとの事。
『ウチを可愛がってくれるのは嬉しいし、あんまり邪険に扱いたくないんだけどさぁ』
「親戚が多いのも大変なんだなぁ」
『遼はそういう集まりとか無いんだっけ?』
「そうだな~。数年に一回くらい集まる程度で、しかもそんな大人数じゃないな」
最後に親戚一同が会したのは俺が中学2年生の頃で、父方のおじいちゃん家で夕食を皆で食べたのが最後だったな。
しかも俺と姉ちゃん以外に同年代の子はいなくて、もっと小規模な宴会だった。
「っていうかなんで朱音だけ集中砲火食らったんだ? 他のいとことかは……」
『高校生はウチだけで、他は園児とか小学生とか大学生だからねー。しかも大学生のいとこは彼女いるし……』
「それは……大変だったな」
年頃の女の子の恋愛事情をつまみに、きっと酒が進んだのだろう。
俺も将来おじさんになった時、朱音の親戚みたいにならないという確証はないので、迂闊に批判もできない。
「んで、良い男の子は紹介してもらったのか?」
『んも~遼もそっち側なのー? カンベンしてよ~』
「ははっゴメンゴメン!」
しかし、これだけ良い反応を返してくれる朱音を前に、親戚もつい揶揄いたくなってしまったのかもしれないな。
なんか朱音の親戚一同の気持ちが、少し分かる気がする。
『あ、そうだ。遼に聞いておきたい事があるのよ』
「なんだ?」
『えっと……栞奈さんと美愛ちゃんが移住してくるって、ホント?』
「うん。あ、でも美愛ちゃんはまだ確定じゃないかも」
俺の言葉を聞いて、スマホの画面に爪が当たる音が朱音の方から聞こえてくる。
何か打ち込んでいるのか……?
『……さっき咲来さんからLoinで教えてもらったんだけどさ、いつ頃戻ってくるかって聞いてる?』
「う~ん……そこまでは言ってなかったけど、口ぶり的にそう遠くないんじゃないか?」
『そっか。ふーん……』
何とも言えない反応を示す朱音。
素直に喜ばない辺り、何か事情があるのだろうか。
「もしかして、朱音も栞奈さんの事を嫌っているのか……?」
『え? 別にウチは栞奈さんの事キライじゃないよ?』
「じゃあなんでそんな微妙な反応なんだ?」
『ん~。なんていうか、ウチが中学生の頃に美愛ちゃんに距離を置かれちゃってさー』
「まじ? 全然気づかなかった……」
小学生の頃まで、朱音と美愛ちゃんはとても仲が良かったのだ。
しかも、時々俺をハブってまで遊んだりしていたんだから、そんな関係になっていたとは思いもよらなかった。
『まぁ思い当たる節はあるからね。仕方ないと言えば仕方ないんだけど』
「そっかー。じゃあ美愛ちゃんがこっちに帰ってきたら、仲直りしないとだな」
『いや? 仲直りするつもりはないけど?』
……あれ?
距離を置かれて、しかも思い当たる節まであるのに謝らない……?
朱音と美愛ちゃんって、もしかして姉ちゃんと栞奈さんみたいな関係だったりするのだろうか。
『だって、別にウチが悪い事言ったりとかイジメたりしたワケじゃないから』
「えっと……つまり美愛ちゃん側が勝手に朱音から距離を置いたって事か?」
『まーそんな感じね』
あちゃー、美愛ちゃんは姉ちゃん側だったか~……。
あの二人がこっちに来たら、間を取り持つ俺の胃に穴が空くかもしれんな。
近い将来の面倒事を予感していると、朱音は途端に声を小さくし、囁くような声で聞いてくる。
『あのさ……あんまり深く考えないでほしいんだけど、遼って……その……年上と年下、どっちが好みなの……?』
「え? なんだよ藪から棒に……」
『いーから』
今まで年齢で好き嫌いを判断したことがなかったので、つい深く考えてしまう。
だが、身近に姉ちゃんや栞奈さんのような年上に囲まれて育ったから、どちらかと言えば年下だろうか……。
「んー……年下かなぁ」
そう俺が答えた瞬間、姉ちゃんの部屋から何かが落ちた音が聞こえてくる。
怪我とかしてないかな……。
『そっ……かぁ~』
「なぁ、なんでそんな質問をしたんだ?」
『だってさ、美愛ちゃん昔から――』
朱音が核心に触れる前に、電話越しに誰かの声が聞こえてくる。
『朱音ちゃ~んもう寝るんかぁ?』
『あ、はい! もう遅い時間なんで……』
『そっかぁ~……って、なぁ~んね彼氏と電話しとったんかぁ』
『えっ、ち、違いますって!』
『そげん否定せんでもよかろ~もん。それで、どげん所が好いとーとかいな?』
『あぁ~もうっせからしか! 後でサツキおばさんに「シンスケおじさんがやらしかこつ聞いてきた」って言うちゃるけん!』
珍しく方言でキレる朱音。
よほど後が怖いのか、シンスケおじさんは『ぼ、ぼてくりこかされる……』と言いながら去って行ったようだ。
「朱音?」
『……なんね』
「なんか朱音の喋る方言って、怒ってても可愛いな」
『んなっ!?』
俺は朱音に"ぼてくりこかされ"る事がない距離に居るので、ちょっとした悪戯を仕掛けようと思い、言うだけ言って通話を切る事にした。
まぁでも、方言女子ってなんだか魅力的に感じるし、決して自分の言葉に嘘偽りはない。
朱音の方言を思い返しつつ、俺は深い眠りへと落ちていくのだった。
今回もお読みいただきありがとうございます。
そして読者の皆様には大変申し訳ないのですが、11月より投稿頻度を少し落とさせていただきます。
2日以上連日投稿する場合もありますが、"基本的に"2日に1話のペースになるかと思います。
理由としましては、毎日投稿だと内容のクオリティが落ちてしまう事が判明したためです。
なるべく面白い作品を皆様にお届けしたいので、何卒ご容赦頂けると幸いです!
ちなみに、次話は11月4日に投稿予定です!
是非感想を頂けると励みになります!!




