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第48話 『マリアナ』


 御崎先生の個展を早々に切り上げてしまった俺達だが、しばらく休んで顔色も戻った橘さんからの「せっかくなので常設展も見たいです」との要望もあり、美術館の常設展を見て回る事にした。

 今見ているのは50~90年代の日本人の画家達が描いた油絵中心の作品だ。

 まじまじと作品を眺めていると、ふと素朴な疑問が浮かんでくる。


「俺達って美術の授業では水彩中心だけど、なんで油絵って習わないんだろうな」


「それは恐らく、費用やカリキュラムとの兼ね合いからかと思います」


「そうなの?」


「はい。私も同様の疑問を中学生の時に抱いて、先生に聞いたことがあるんです」


 中学生にしてそんな疑問を……。

 橘さんの教養の深さと好奇心の強さが窺える。


「先生曰く、水彩の画材の費用は数千円程度で済むそうなのですが、油絵はキャンバスやペインティングオイル、クリーナー等の画材一式を揃えるとなると1万円前後の費用が掛かってしまうのだそうです」


「そんなにかかるの!?」


「ええ。それに、水彩より乾燥に時間がかかるので、作品の保管や授業の進め方にも工夫が必要なのだそうです。私の中学校では、そうした事情から水彩中心にしていたそうですよ?」


「へぇ~。ホント橘さんって博識だね」


「そ、そうですかね……? 興味本位で知った事の方が多いですけど……」


 きっと橘さんは、疑問に思った事を充分理解しないと気が済まない性格なのだろう。

 そうして疑問を解消していくうちに様々な知識を得る事で、教養を深めていっているのかもしれない。

 似たような思考を持つ人物が一瞬脳裏をよぎったが、今は目の前の作品を見る事に集中しよう。


「この絵って、なんだか不思議な感じがするなぁ」


「そちらは私たちの住んでいる地域に差し込む陽光や空気を表現したもののようですね」


「ほんとだ。ちゃんと説明にもそう書かれてるね」


 どうやら俺達の住む地域出身の作家による絵画のようだ。

 橘さんによる解説もそこに書いてある。

 俺はもう一度その作品を眺めると、言われてみればなんとなくそんな雰囲気を感じる。


「ふふっ、今霧島君は"キャプション"の面白さの一端に触れましたね」


「"キャプション"? ああ、この説明書きの事ってそう呼ぶんだ」


「そうです。このキャプションと作品を交互に見る事もまた、美術館の楽しさの一つなんですよ?」


「あぁ~、もしかして『一目見て分からなかった事を、キャプションを通して気付ける』的な?」


「そんな感じです! しかもこのキャプションはこの美術館に所属する学芸員さん達が作っているそうで、造詣の深い方々の、私達とは違った視点での説明があったりして、とても面白いんですよ?」


 楽しそうに解説してくれる橘さん。

 俺としても新しい気付きがあって、美術館を回る楽しさに触れる事ができて面白さを実感している。


「最近は絵画の美術展が多いですけど、秋頃からは彫刻の展示もあるそうなので、そちらも楽しみなんです」


「彫刻かぁ。そっちも見てみたいな」


「でしたら、また私と一緒に美術館に来ませんか?」


「いいね~。その時は、また彫刻の面白さについて教えてくれる?」


「はいっ! もちろんです!」



 ~~~~~~~~~~~~



 美術館を堪能した後、気付けば午後2時に差し掛かろうとしていた。

 時間を意識した途端にお腹が空いてきてしまったので、俺は橘さんと共に喫茶店で軽食を取ることに。

 店内はティータイムを楽しむマダム達が多いようで、可愛いものを見ているような雰囲気の視線を感じる。

 あの、俺と橘さんはそういう関係じゃないんですが……。


「霧島君は何を頼まれます?」


「そうだなぁー、お腹も空いてるしパスタのランチセットにしようかな?」


「では私はサンドイッチのセットにしますね」


「いいね。飲み物はどうする?」


「う~ん、悩みますね……」


 橘さんはメニュー表のドリンクを眺めながら悩み始める。


「ここは美味しい紅茶も置いてるんだけど、どういうのが好きとかある?」


「私、紅茶には疎くて……」


「そっか。じゃあ例えば、スッキリした味わいがいいのか、コクの深い飲み味が良いのかとか、そういう傾向とかは?」


「そうですね……霧島君はどういうのが好きなんですか?」


「俺? そうだなぁ~、今はお腹空いてるし、コクの深いアッサムが飲みたくなるかなぁ」


「なるほど、ではアッサムにしようかと!」


 ドリンクが決まった所で、俺は店員さんに注文をお願いする。

 以前お母さんに連れられて来た事のあるこの喫茶店は、店内の雰囲気も良くて、食事や飲み物も凝っているので、また来たいと思っていたお店なのだ。

 まさか美術館の帰りに立ち寄るとは思ってもみなかったが、橘さんもここでの食事を楽しめるといいけど。


「霧島君は、紅茶が好きなんですか?」


「んー、毎日飲むほどじゃないけど、一息つきたい時にティーバッグの紅茶をたまに淹れる程度には好きかな」


 まぁブラックコーヒーの美味しさがまだ分からなくて普段はラテを頼む事も多い。

 でも喫茶店に来たからにはそれっぽいものを飲まなきゃって思った結果、ストレートでも飲める紅茶に行きついただけなんだけどね。

 普段から急須で淹れた緑茶を飲む機会がある俺にとっては、紅茶の渋みもまた一つの味わいとして楽しむことができるので、特に抵抗を感じていないだけなのかもしれないが。


「なんだか、改めて霧島君ってオシャレですよね」


「え、そう?」


「はい。今日はサマージャケットとテーパードパンツを着ていらっしゃって、美術館を訪れるのに非常に合った装いですし、それに紅茶も嗜まれるなんて……」


「いやいや、だって橘さんと並んで歩くのにダサい格好はできないでしょ。それに紅茶を飲むのは俺がブラックコーヒー飲めないだけだし」


 実際今日の橘さんは清楚なマリンコーデの装いで、髪を編み込んで後ろで纏めていたり、ネイルや化粧など準備に時間が掛かっているように見える。

 それは今回の美術展が楽しみだったからなのかもしれないが、彼女の横に並ぶ俺がダサかったらなんか気まずいでしょ……。


「……やっぱり、霧島君は素敵な方ですね」


 橘さんは微笑みながら俺を褒めてくれる。


「……実は、今月の花火大会に複数の男性から誘われていまして」


「……マジ?」


 遂に橘さんもモテ始めたか。

 中尾君の一件もあったし、橘さん自身も以前好意を寄せてくる男子が増えたような事を言っていたから、こうなるのは時間の問題だと思っていた。


「あっ、でも全部断りましたのでご安心ください!」


「えぇ……」


 なんと可哀そうな男子たち……。

 ってか『ご安心ください』って、俺は不安に思ったりとかしてないんだけどなぁ。


「ちなみになんで断ったの?」


「それは……なんというか、霧島君や日向君以外と、お喋りするのはまだ慣れてなくて……」


「なるほどなぁ」


「あ、でも! 最近図書委員の女の子達と仲良くなりまして、その方達と一緒に花火大会に行く事になったんです!」


「おお、それはよかったね」


 橘さんにも、綾以外の友達が出来たのは非常に喜ばしいことだ。

 まぁ綾は少し寂しがるかもしれないが、彼女もレーナさんと親睦を深められそうだし、互いに交友関係が広がるのは良いことだと思う。


「今後も色んな人たちと一緒に遊びに行けるといいね」


「はいっ! あ、でも霧島君とも、もっと沢山遊びたいんですけど……ね?」


「そうだね~、ああでも来週は綾とも一緒に買い物に行く予定だったよね」


「そうです! 久しぶりに綾ちゃんとも遊べますし、とても楽しみにしているんです」


「綾とは最近遊んでないの?」


「実はそうなんです。部活の大会や練習で忙しいことは充分理解していますから、仕方のないことではあるんですけどね……」


 少し寂しそうな橘さんを見て、彼女もまた、仲の良い友人が遠くに行ってしまうのではないかと思っているのかもしれない。

 奇しくも橘さんと綾は、似たような状況に置かれているのか。

 俺は橘さんに微笑みかけて、彼女の不安を取り除こうとする。


「たぶん……綾も同じ気持ちだと思うよ?」


「えっ?」


「この前綾も、橘さんと遊ぶ機会が減ってきている事に悩んでいたからさ」


「綾ちゃんも……そうなんですね……」


「だからさ、もしよかったら綾の課題を見てやってくれないかな?」


 どうせ綾の事だ。未だ夏休みの課題に手を付けていないに違いない。


「ちょっと面倒かもしれないけど、たまには二人でゆっくり時間を過ごすのも大事だと思うからさ」


「……そうですね。多分綾ちゃん、夏休みの課題は未着手でしょうし」


 流石橘さんだ。綾の事をよく分かっていらっしゃる。


「分かりました。後で綾ちゃんに聞いてみます!」


 寂しそうな表情から一転して、花が咲いたような笑顔になる橘さん。

 お節介だったかもしれないが、こうして彼女の背中を押せてよかったと思う。

 そう考えていたところに、俺と橘さんが頼んだアッサムティーがテーブルに置かれる。


「わぁ~……とても良い香りがしますね」


「だよね~。なんか落ち着く感じがするよね」


 香りを楽しみながら、淹れたての紅茶を冷ましつつ口に含む。

 ふむ……相変わらず風味が豊かだな……。

 橘さんも紅茶を冷ましながら、ゆっくりと飲み始めると、可愛らしく感想を述べる。


「とってもおいしいですっ……!」



 ~~~~~~~~~~~~



 喫茶店でのんびりと時間を過ごした俺と橘さんは、美術館で見た作品についての会話を交わしながら帰路についていた。


「それにしても、御崎先生の作品はとても衝撃でしたね」


「そうだね。惹き込まれる人が多いのも、なんとなく分かった気がするよ」


「あっ……そういえば、『あの少年』の絵の題名、ちゃんと見ていませんでした……」


「そういえば俺も見てなかったな……」


 自分の記憶を頼りに思い出そうとしていると、道路側に立つ俺の真横に一台の車が停まる。

 そして、その車の持ち主に声を掛けられる。


「あれ? もしかして遼くん?」


 声のする方を見ると、運転席の窓を開けて俺の方を見る、サングラスを掛けた女性の姿があった。

 聞き覚えのある声だが、あまり思い出せずにいると、車から降りてきた女性はサングラスを取りつつ俺の前へとやってくる。


「私よ私! 都井栞奈(とい かんな)よ! 遼くんが小学生の頃、よく遊んでたでしょ?」


「あ、あぁー! 栞奈姐さんですか!?」


「そうだよ~! まさか会えるなんて思ってもみなかったよ~」


 栞奈姐さんは俺と握手をしながら、感慨深そうに遠い目をする。


「思えば最後に直接会ったのは3年くらい前かなぁ……いやぁ~懐かしいなぁ」


「あれからそんなに経ったんですね……変わらず元気そうで何よりです」


「遼くんは……私の見込み通り、ちょ~イケメンになったね」


「ははっ、ありがとうございます」


 栞奈姐さんとの再会に喜んでいると、橘さんが気まずそうにこちらの様子を窺っていることに気付く。

 それを見た栞奈姐さんは橘さんの前に歩み寄ると、挑戦的な目つきで自己紹介をする。


「どーも、遼(・)く(・)ん(・)の(・)初(・)恋(・)相(・)手(・)、都井栞奈です! よろしくねっ」


今回もお読みいただきありがとうございます。


次話も、明日11月1日20:30頃に更新できるよう頑張ります……!


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