第47話 『御崎』作品群
8月も1週目が終わろうとしている今日は、いつもなら容赦なく照り付ける太陽も鳴りを潜め、曇天の空が広がっていた。
約束の時間より20分ほど早く美術館に着いた俺は、館内で待ち合わせ予定の橘さんにLoinでメッセージを送ろうとしていると、左側から声を掛けられる。
「こんにちは、霧島君っ。お早い到着ですね?」
「こんにちは。橘さんも随分と早く来たんだね」
「それはそうですよ! 今日は何と言っても『御崎』先生の作品を生で見られるんですから……!」
興奮を隠し切れない橘さんは、『ふんすっ』と鼻息を荒くし、目を爛々と輝かせていた。
今日の為に、俺は御崎先生の事について少しだけ調べたのだが、どうやら現代の少年や少女達の人物画や、複雑な思春期を抽象的な絵画として描く作品を多く手掛けているらしい。
画を見てしまうとネタバレになるかと思い、作品のリンクや画像は極力見ないようにしたのだが、どうやらその作品群に共感する中学生や高校生を中心に絶大な人気を誇っているようだ。
TwiX公式アカウントのフォロワー数も1万を超え、美大生ながら個展が何度も開かれることからも人気の高さが窺える。
「っていうか、橘さんって芸術にも精通してるんだね」
「う~ん……正確には御崎先生の作品くらいしか現代画は分からないんです。その他はアレクサンドル・カバネルやウジェーヌ・ドラクロワといった画家の作品を、教養として知っている程度ですね……」
申し訳なさそうに苦笑する橘さん。
え……どちらも初めて聞く名前なんだけど……。
つまり俺って芸術の教養がないって事……?
「えっと……その二人の有名画家すら俺は知らないんだけど……」
「あっ、多分実際の絵を見たら分かると思いますよ? 例えば、カバネルは『ヴィーナスの誕生』、ドラクロワは『民衆を導く自由の女神』を手掛けていて、どちらも教科書に載っているほど有名なので」
「そっか……俺って名前と作品を結び付けて覚えるの、苦手なんだよねー」
「ふふっ、実は覚え方にはコツがあるんですよ? 今度勉強会をする機会がありましたら、是非伝授させてください」
「まじ? 助かる~」
美術のテストもそうだけど、日本史や世界史を習うとなると、絵画と画家をリンクさせて覚えないといけないから、夏休み以降の授業が憂鬱だったんだよな。
でも橘さんという心強い講師が居てくれるおかげで、2学期も3学期もテストでいい点が狙えそうだ。
「そろそろ開場になりそうなので、列に並びましょうか」
「分かった……って、チケットは買わなくてもいいの?」
「ご安心ください。私の方で前売り券を既に購入していますので!」
「ホントに? じゃあ後でチケット代渡すよ」
「いえっ! 今回は私の我儘で霧島君の時間を頂いているので、お金はいただかなくても大丈夫ですっ」
「そっか。じゃあお言葉に甘えて、今日は色々教えてください先生」
「はいっ、任せておいてください!」
満面の笑みを浮かべる橘さん。
それほど楽しみにしていたんだなぁ。
俺と橘さんは入場の列に並び、雑談をしながら待ち時間を潰す。
「それで、橘さんは御崎先生の作品の、どんなところに惹かれたの?」
「そうですね……一言で表すなら、『共感』ですかね」
「『共感』……?」
「はい。例えば『高嶺の花』という学生の女の子が描かれた作品があるのですが、私はこの作品を見た時、まるで自分の事が描かれているように感じたんです」
「なるほど……?」
「まぁ、見てみないと分からないですよね……。この作品の面白い所を一つ挙げますと、『見る人によって様々な解釈が出来て、どの解釈も決して間違いだと言い切れない』面白さがあるんです」
「ほぉ。確かにそれは面白そうだね」
一枚の絵画から十人十色の感想が生まれて、そのどれも否定しきれないというのは実に興味深いな。
多分、そういう作風が俺達高校生や中学生に刺さるのだろう。
「他に橘さんのおススメ作品とかあったら教えてほしいな」
「もちろんです! そうですね……『晴天』という名前からは想像もできない程ダークな雰囲気のある作品がありまして――」
俺は橘さんから御崎先生の作品についていくつか教わっていると、気付けば俺達も入場する直前までやってきた。
それぞれチケットを係員の方に見せてスタンプを押してもらうと、遂に俺達は御崎先生の作品群と対面する。
会場の外では多くの話し声が聞こえてきたが、中に入ると声を出して喋る人が殆ど居ないせいか、足音が一番大きい音と感じる程の静寂に包まれていた。
最初のエリアは全体的に藍色が用いられていた。
奥の絵画は敢えて天幕で囲われ、玉座に据えられたかの如く奥の中央に置かれており、そこへ続く道中は、まるで画廊のように左右に幾つかの作品が並んでいる。
まず手始めに、俺と橘さんは手前の作品から見ていく事にする。
「ほぉ~……これは、もしかして新作……?」
小さく感嘆の声を漏らす橘さんと共に、幾つかの作品をじっくりと鑑賞する。
事前に仕入れた情報通り、やはり人物画が中心のようだ。
どれも凄く個性的で、リアルな人物画もあれば、敢えて崩して描かれた抽象的な作品もあって、見ていて全く飽きないが、どこか『静』の印象を受ける。
それは恐らく、感情を前面に押し出すような作品が少ないからだろう。
更に歩みを進めて天幕の下を潜り、ついに玉座に据えられた作品と対面する。
「これが、かの有名な『高嶺の花』で……霧島君?」
俺はその作品を見て、絶句した。
なぜならその作品に描かれていたのは――
"一輪の"白いスターチスに口づけをする、中学時代の『霧島咲来』にそっくりな少女だったからだ。
白いスターチス……この前、郵便受けに入っていた"一束の"花と同じだ。
それに、姉ちゃんにそっくりな顔……いや、でも、そんなはずはない。
きっと何かの見間違いだろうと一度目を閉じて深呼吸をして、もう一度その作品に目を向ける。
やはり、またしても2~3年ほど前の姉ちゃんにしか見えない。
動揺した俺は、思わず一歩後ずさってしまう。
「だ、大丈夫ですか……?」
心配するような橘さんの声を聴いて、ようやく我に返る。
「あ、ああ……凄く衝撃的だったから、つい動揺しちゃって……」
「そう……ですか。では次のエリアに行きましょう……?」
「うん……ありがとう」
俺に気を遣ってくれる橘さんに感謝しつつも、本当はもっと見たかっただろうという申し訳なさが俺を襲う。
思えば、画廊のように飾られたさっきの作品群も、どこか知っている雰囲気だったような気がする。
考えれば考える程、思考の渦に飲み込まれて行く気分だ。
次のエリアも先ほどと似たような雰囲気だが、色遣いがワインレッドを基調にしており、並ぶ作品もどこか情熱的に思える。
橘さんは俺の事を気に掛けつつも、周囲の作品を鑑賞する。
先ほどの動揺が収まっていないが、せっかく橘さんがチケットを用意してくれたのを無下にするわけにもいかないと思い、俺も橘さんと並んで一枚一枚作品を見ていく。
「なんだか、さっきのエリアとは作品の雰囲気が全然違うね……」
「そうですね……なんというか、感情的な……それでいてどこか切なさを感じるような作品が多いように感じます」
橘さんの指摘通り、涙を流して激昂する少女や、絶望を浮かべる青年など、今度は『動』の印象を受ける。
恐らく意図してエリアを分けたのだと思われるが、玉座に据えられた作品がどんなものか気になる好奇心と、先ほどの衝撃を忘れられない恐怖心という、相反する思いが同時に俺を支配する。
心配そうに俺を見つめる橘さんに対して、俺は心を決めて頷くと、その天幕を潜る。
すると、そこには『黒百合に口づけをする少年』の絵画が据えられていた。
再び姉ちゃんのような少女が描かれているのでは? と身構えていたが、想像とは違った作品だったので俺は胸を撫でおろす。
……やはり『高嶺の花』が姉ちゃんだと思ってしまったのは、俺の勘違いかもな。
心に余裕が生まれた俺は、橘さんに作品の概要を聞こうと彼女の方を見ると――
まるで信じられない物を見てしまったかのように目を見開き、驚愕に満ちた表情をしていた。
「えっと……橘さん……?」
「そ、そんな……こ、これが……新作……?」
先ほどとは立場が入れ替わったかのようだ。
最初はこの作品が期待外れだったのかと考えたが、どうやら違うようだ。
端的に言うなれば絶望……いや、『恐怖』とも言うべきか。
徐々に呼吸が乱れていく橘さんを見て、俺は腕を引いて彼女を天幕の外へと連れ出すと、そのまま出口へと向かい会場を後にする。
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「橘さん、体調はどう?」
ロビーのベンチに座る顔色の悪い橘さんの横に腰を下ろし、ペットボトルの水を手渡すと、彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「はい……すみません、気を遣わせてしまって……」
「気にしないで。『高嶺の花』を見て固まってしまった俺に気を遣ってくれたし、お互い様だよ」
橘さんの体調と心を案じた俺は、動揺を悟られないように明るく振る舞う。
すると彼女も、やや元気がない微笑みで返してくれる。
今回の個展が、俺と橘さんに大きな衝撃を与えたのは間違いない。
たった一枚の絵でこれだけ感情を大きく揺さぶられたのは初めてだ。
互いに作品の感想を言い合おうかと思っていたが、どうもそんな気分にはなれないので、橘さんの気分が優れるまで別の話題を切り出す。
「そういえば、今日ここに来るときにコンビニのおにぎりを買ったんだけどさ、フィルムを剥がすの大失敗しちゃって……」
俺は朝ごはんに食べた明太子おにぎりの写真を橘さんに見せる。
「ほら……こんな事ある?」
「わぁ……凄く……前衛的ですね」
橘さんは真っ二つになったおにぎりを見て、前衛的と表現するらしい。
「今っておにぎりメッチャ高いじゃん? だから、包装に残った分も全部食べようと思ったんだけど……」
そう言って今度は取り出すことに失敗してぼろぼろになった挙句、指に大量の米粒がくっついた写真を見せる。
「……ぷっ、す、すみません……! 決して霧島君を馬鹿にしているわけではないのですが……ふふっ、なんだかお米粒を口元に沢山付けた子供を思い出しまして……!」
「コンビニのお米って、包装とかにくっつかないように炊かれてるハズなのに、なんでこんなにくっついちゃったんだろ……」
「ふふっ、きっとお米は霧島君の事が大好きだったのかもしれませんね?」
笑顔を取り戻した橘さんを見て、俺は胸を撫でおろす。
よかった……これで少しは元気になったかな。
「はぁー……やっぱり霧島君って優しいですよね」
「そうかな」
「そうですよ。その優しさに、私は何度も救われてきましたから」
穏やかな笑みを浮かべる橘さんは、意を決したように語り始める。
「先ほどの作品を見て、私は初めて絵画に畏怖を覚えたんです」
俺は一瞬、「無理に話さなくていい」と止めようかと思ったが、彼女の勇気を無駄にしてはいけないと思い、耳を傾ける。
「まるで私の心を見透かしているような……そして私の知らない感情を引き出されるような感覚があったんです」
黒百合に口づけをする少年の絵画を見て、橘さんはそんな感覚に陥っていたのか。
「目を逸らそうと思っても、何故か視線を釘付けにされてしまって、正体が分からない黒い感情の渦に飲み込まれかけてしまいました」
目を見開いて極度の緊張状態になってしまった理由、か……あの作品にそんな魔力にも似たものが秘められていたとは思いもしなかったが、かく言う俺も『高嶺の花』を見た時に、似たような錯覚に陥っていた事を思い出す。
だが、橘さんのようにその場から動けなくなってしまう程ではなかった。
もしかしたら、これが橘さんの言っていた『見る人によって様々な解釈が出来る』部分に該当するのかもしれない。
「呼吸の仕方も忘れる程に心をかき乱された私を、霧島君は救ってくれました……」
「そりゃ、あんな過呼吸の状態の橘さんを放ってはおけなかったし」
「たとえ義務感で助けていただいたとしても、私の腕を引いてくださったあの瞬間は、何物にも代えがたい多幸感が私を包んでくれたようでした」
「そっか……あ、そういえばあの時ガッツリ橘さんの腕を掴んじゃったけど、怪我とかしてない?」
「はいっ! 怪我どころか、むしろ霧島君の力強さに感銘を覚えたほどです!」
「ま、まぁ怪我をしていないならよかったけど……」
何故か目を輝かせる橘さん。
……もしかして、マz……いや、友達相手にこういう邪な考えは良くないな。
さっき俺が掴んだ腕を『何かに目覚めた』ように、愛おしそうに撫でる橘さんを見て、俺はあまり深く考えない事にした。
今回もお読みいただきありがとうございます。
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