第33話 想いの天秤
田野君と共に談笑をしながら1時間ほど湯舟とサウナを愉しんだ俺は、流石に長風呂し過ぎたと感じながら浴場から出て着替えた。
髪を乾かす時も田野君にジッと見られて、流石に少し気まずかった。
熱くなった身体を冷ますべく、俺達2人はコーヒー牛乳を片手に脱衣所を出る。
「いや~椎葉さんってもうそこまで進んでたんすねー」
「凄いよね。あんな気難しい蓮相手に、あそこまで言わせるなんて」
「自分男ですけど、どんな手を使って日向さんを振り向かせたのか気になるところっす」
「それなー。まぁ今度会う機会あるし、その時に聞けたら聞いとくよ」
雑談を交わしながら畳が敷かれた休憩室に入ると、先に上がっていた姉ちゃんと、その姉ちゃんに膝枕をされている綾の姿があった。
「お待たせ。ひょっとして……入野はのぼせてるのか?」
「そうみたい。あたしがちょっと意地悪し過ぎちゃったかも」
「そんな事だろうと思ったよ」
赤く火照った綾の顔は、辛いはずなのにどこか幸せそうにも見える。
俺はやれやれと肩を竦めていると、田野君が気まずそうに俺へ耳打ちしてくる。
「あ、あの……もしかしてその方って、霧島君のお姉さんっすか……?」
「ああ、そうだけど?」
「とんでもなく美人っすね……」
「らしいな。ずっと一緒に暮らしてる俺からしたら全然分からんけど」
「マジすか……って、膝枕されてるのって入野さん……?」
「そうだぞ」
田野君は少し肩を落とす。
え、なんで落ち込んじゃったんだ……?
「あぁ……入野さんはもう、霧島君姉弟とここまで親しかったんすね……」
「入野とは中学からの付き合いだからなぁ。こればっかりは田野君に頑張ってもらうしか……」
「そうっすよね……」
しょげている田野君を励ましていると、呂律の回らない綾が俺のことを呼ぶ。
「りょうちゃーん」
「なんだ?」
「なぁーんで、私のこと『いりの』って呼ぶの~?」
そりゃお前……田野君が居る今、『綾』って呼んだらなんか気まずいだろ!
察しろとまでは言わないが、少しは気を遣ってくれても良いんじゃないか?
「いや、別にいいじゃん。いつも通りだろ」
「ちがうでしょ~。ちゃんと『あや』って名前で呼んでよ」
「え」
裏切られたような表情で俺を見てくる田野君。
「いやいや、違うからね? そう言うのじゃなくて、ホラ! 入野は俺や蓮の事名前で呼ぶけど、俺は入野の事名前で呼んでないから、そこが不公平だと主張するからさ!」
「遼が早口になってる。こういう時は大体何か隠していた事がバレた時ね」
余計な情報を漏らさないでくれ姉ちゃん。
今は田野君のメンケアをしないと、彼の入野への想いが……!
慌てる俺と深く落ち込む田野君を交互に見て、何か思いついた姉ちゃんは、膝枕していた綾の頭部を床に下ろす。
「……なるほど、そういう事ね?」
姉ちゃんは立ち上がると、田野君の元へ歩み寄り、彼の袖を引きながら離れた場所へ連れ去る。
「ちょっとこの子借りてくわね」
「え、あの……!」
もしかして姉ちゃんが田野君のメンケアをしてくれるのか?
だとしたら非常にありがたいが……。
取り残された俺は一口コーヒー牛乳を飲んで、綾の隣に座る。
「そろそろ身体はマシになったか?」
「う~ん、まだちょっとしんどいかも」
上気する綾の顔を見た俺は、なんとなく彼女の額にコーヒー牛乳の瓶底を当てる。
「あ゛あ゛~ちべたいぃ~……」
「なんでそんなにのぼせたんだよ」
「だって、あの咲来さんと一緒にお風呂だよ? 同じ空間に居るだけでも幸せなのに……」
そこまで姉ちゃんを崇拝していたのか。
最早推しの領域を超えていないか……?
綾は幸せそうな顔をしながら、隣に座る俺に両手を伸ばしてくる。
「ん」
「なんだよ」
「ん~」
もしかして上体を起こしてほしいのか?
俺は持っていたコーヒー牛乳にプラスチックの蓋を嵌めて、瓶が倒れないよう少し離れたところに置く。
「あのさ、ちゃんと言ってくれないと分かんないって」
「でも遼ちゃん、いつも察してくれるじゃん」
「それはそうかもしれないけど……よっ」
綾の両手を引いて上体を起こさせると、いつも通りの明るい表情を見せる。
「ふふっ。遼ちゃんのそういうとこ、私は好きだよ?」
「さいですか」
俺は綾の言葉を適当にあしらいながら、残ったコーヒー牛乳を飲もうと瓶に手を伸ばす。
しかし、俺の手が届く一歩手前で綾が取り上げてしまう。
また悪戯されたと思って、文句の一つでも言おうと綾の方を見ると、何故か据わった目をしていた。
まるであの時の朱音のように。
「遼ちゃんさ。ひょっとして、私と田野君をくっつけようとしてる?」
「え……?」
隠していた意図を読まれた俺は、思わず何も言えなくなる。
「私言ったよね? 彼氏作る気はないって」
「……言ってたな」
綾は瓶を置いたかと思えば、俺の両肩を掴み、そのまま俺の首筋へ自身の顔を寄せ、耳をくすぐられる様なウィスパーボイスで俺に語り掛けてくる。
「遼ちゃんは誰にでも優しいから、きっとそれも善意かもしれないけどさ……」
今まで一度も感じた事のない、およそ普段の綾からは想像できないような圧を醸し出したかと思うと、俺の右肩をはだけさせ、そこに歯を立ててくる。
俺は痛みに思わず顔を顰めてしまうが、俺から身体を離した綾の顔は、相変わらず据わった目をしたままだ。
綾はそのまま俺を見据えながら牛乳瓶を持って立ち上がると、蓋を開けて残りわずかとなったコーヒー牛乳を全て飲み尽くす。
そして、空となった瓶をこれ見よがしに振りながら、綾は憎々し気に告げる。
「遼ちゃんのそういうとこ、私は嫌いだよ」
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夕食を終えた俺は、自宅のベッドで横になりながら綾との一件を思い返す。
朱音が以前ああいう据わった目をした時は、確か『自己中心的』と指摘された挙句、手の甲に爪を立てられて『周りをよく見ないと、大変なことになる』的な忠告を受けたんだと記憶している。
そう考えると、今回もまた俺の独善的な言動のせいで、人を不快な気持ちにさせてしまったのかもしれない。
銭湯からの帰り際、綾はいつも通りの様子に戻っていたように見えたが、『そういうとこ、嫌いだよ』と発した言葉に嘘偽りは一切見られなかった。
それでも、俺は仲良くなった人全員と平等に接したいと未だに思ってしまう。
なぜなら、友達同士を天秤にかけるなんていう愚行をしたくないからだ。
誰かに肩入れすれば他の誰かが疎かになるだろうし、同じ友達という枠組みの中で不公平が生じてしまうのは、俺自身が許せない。
「でも、結局この考えが原因で、朱音と綾を不快な気持ちにさせてしまったんだよな……」
もしかしたら俺の理想は、ただの幻想に過ぎないのかもしれない。
だが、幻想かもしれないそれを簡単に捨て去れるほど、俺も単純な男ではないのは確かだ。
解決の糸口が一切見えない俺は、一旦思考を止めて身体を起こす。
「こういう時は、夜風に当たって気を紛らわせた方がいいな」
思い立った俺は、寝間着のまま玄関に向かい、サンダルを履く。
「どこか行くの?」
いつの間にか部屋から出てきていた姉ちゃんは、少し眠そうな表情で俺に問いかける。
「うん。なんとなく夜風に当たりたくなっちゃって」
「ん……あたしも行く」
一瞬「一人で行く」と言いかけた俺は、結局言葉として口から発する事はなかった。
姉ちゃんは欠伸を噛み殺しながら、俺の横でサボサンダルを履く。
「姉ちゃん、それ俺のなんだけど」
「別にいいじゃん。これ履き心地いいし」
確かに履き心地は良いが、姉ちゃんにとってはサイズが大きいような気もする……。
まぁ、姉ちゃんがそれでいいならいっか。
俺と姉ちゃんは扉を開けて外に出て、しっかりと家の鍵を閉めたことを確認すると、2人肩を並べて街灯の下を歩き始める。
夏特有の湿り気を帯びた空気を浴びていると、姉ちゃんは他愛もない話題を繰り出す。
「そういえばさ、昨日野良猫が日向ぼっこしてて、めっちゃ可愛かったのよね」
「もしかして茶トラだった?」
「そうそう! あまりにも無防備だったから激写してやったの。ほら」
そう言ってスマホの画面を見せてくる。
そこには、仰向けに大の字になって寝転がる猫の姿が映し出されていた。
しかもシャッタータイミングが悪かったのか、白目を剥いてだらしない表情をしているように見えてしまう。
「ぶっ! あははっ、無防備すぎるだろ……!」
「でしょ? 我ながら良い写真が撮れたと自負してるわ!」
自信満々に画面をスワイプしたかと思うと、今度は塀の上でだらしなく横たわる猫の写真に切り替わる。
「ぶはっ、今度は舌仕舞い忘れてるじゃん」
「半分だけ目が開いてるのもポイント高いわよね」
うちの姉ちゃん、猫をブサイクに撮る才能があるのかもしれない。
次々と映し出される珠玉の猫写真を見て、俺はそう確信した。
「もしかして姉ちゃん、猫以外の写真も全部こうだったりするの?」
「よく気付いたわね。ほら、これは猫を背景に自撮りしたヤツ」
背景に居る猫にピントが合ってしまったせいか、猫自体は綺麗に撮れているのだが、肝心の姉ちゃんはブレブレで、しかもちょうど目を瞑っているようだった。
あまりに躍動感のある写真に笑いをこらえていると、次の写真に切り替わる。今度は姉ちゃんにピントが合っているが、目は半開き。肝心の猫に至っては、後ろ脚としっぽしか写っていない。
「ちょっ……! ズルいってそれ!」
「あたしは真剣に撮ってるんだけどさー、絶対こんな感じの写真になっちゃうのよねー」
比較的最近の機種なのに、逆にどうやったらそこまで変な写真が撮れるのか不思議でならない。
「ちなみに遼の写真もあるわよ?」
「うーわ、絶対変な写真でしょ」
姉ちゃんはスマホを操作して、俺の写真を見せてくる。
そこには、カバンを背負う俺が映し出されるが、ちゃんと顔にピントが合っており、鮮明に自分だと判別できる。
ただし、顔以外はというと――。
「なんで身体だけ躍動感あるんだよ……!」
「でも、遼のキレイな顔はくっきりと映ってるわよ?」
背景も顔も輪郭ははっきりしているのに、何故か身体とカバンがものすごくブレている。
しかも欠伸してるので、割とマヌケ面をしているのが余計面白く感じてしまう。
「くっきりしてるけどさぁ、俺の顔ちょーマヌケじゃん」
「えぇー? あたしはちょー可愛いと思うんだけどなぁ~」
もし本気でそう思っているなら、姉ちゃんの『可愛い』を疑いたくなってくるな……。
「ちなみにその写真、他の人には見せてないよね?」
「見せるわけないじゃない! 遼の写真は門外不出で、わざわざパスワードまで掛けてるんだから!」
そこまで厳重にする必要はないと思うのだが、まぁ実姉とはいえ、感性は人それぞれか。
「逆に、遼は面白い写真とか撮ってないの?」
「えぇ~? どうだったかな……」
俺はスマホを取り出して、今まで撮った写真をスクロールして探してみる。
あ、そういえば。
「……これとか?」
「え? これあたし!?」
「そうだけど」
「えっ、めっちゃブサイクなんだけど!」
姉ちゃんに見せた写真は、俺がスマホを持ちながらソファーから腰を上げた時に、たまたまカメラが起動してしまい、たまたま半笑い状態の姉ちゃんを撮ってしまった時の物だ。
若干目が上を向いてる事もあり、少し邪な表情を浮かべているようにも見える。
「可愛く映ってるあたしの写真はないの!?」
「いや、そもそも姉ちゃんの写真撮らないし。あと、もし持ってたら相当シスコン拗らせてるヤバい弟だって思われちゃうじゃん」
「いいじゃん! シスコンになってよ!」
「やだよ」
即座に否定すると、姉ちゃんは少し怒った顔で俺のスマホを取り上げ、インカメを起動する。
「じゃああたしとのツーショを遼のスマホで撮るからいいもん」
「えぇ~」
「ほら、撮るわよ!」
姉ちゃんは俺と腕を組んで、スマホを掲げながら身を寄せてくる。
俺は渋々、画角に顔が収まるよう姉ちゃんに頭を寄せた。すると姉ちゃんは満足そうな顔で、そのままシャッターを切る。
「ふふっ、結構いい写真が撮れたんじゃないかしら……」
スマホの画像処理が終わって、そこに映し出されたのは――。
「……はぁー!? なんでこんな変な感じになっちゃうのよーっ!!」
半開きの目で半笑い状態の俺と、若干白目を剥いて笑っている姉ちゃんのツーショットだった。
今回もお読みいただきありがとうございます。
次話も、明日10月16日20:30頃に更新できるよう頑張ります……!
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