第2話 図書委員
優しい声でテキストを読み上げる事で有名な先生による、寝かしつけASMRとも取れる古文の授業を耐え、まどろみの余韻に浸っていたのも束の間。
いつの間にかHRも終了し、教室は帰宅する人、部活の準備をする人、会話に花を咲かせている人達の喧騒で溢れていた。
そういえば今日こそ昨日買いそびれた牛乳を買いに行かないとな。
スクールバッグを肩に掛け帰ろうとした矢先、入野が申し訳なさそうに声を掛けてきた。
「あのさ~遼ちゃん……。もうちょっとだけ学校に残れたりしないかなぁ?」
出た。
このパターンは、頼み事を代わりにやって欲しい時のヤツだ。
「実は現国の大島センセに放課後の手伝いを頼まれてたんだけどさー、今日レギュラーメンバーの選考会があるんだよね……」
「お前……先週からコーチに言われてたろ」
ラケットバッグを背負った蓮が呆れながら会話に加わる。
「でもさー、大島センセの申し訳なさそうに聞いてくるあの感じ、断れなくない?」
「いや、そこは真っ当な理由があるんだから普通に断れよ」
まさに正論。文字通りぐうの音も出なくなってしまった入野の姿に、流石の俺もいたたまれなくなってきた。
「分かった分かった。入野の代わりに俺がやっとくよ」
「マジ? 流石遼ちゃーん!」
一瞬で明るくなる入野。せめてもう少し悪びれてくれ。
「遼もさぁ、毎回入野のお願いなんて聞かなくていいんだぞ?」
「まぁそうなんだけどさ。入野の評価を俺が貰うってのも悪くないかなって」
「内申点狙いか……。入野の下がる評価も一緒に貰えるわけだしな」
「そういう事」
再び青くなる入野は、これ以上マイナスな言葉を聞かないようそそくさと教室から出て行った。
「入野……ホントはいいヤツなんだけどな。たまに危なっかしいんだよな」
「確かに。この前も他校生に一目惚れされてて、勢いで押し切られそうになってたし」
俺と蓮は入野あるあるを中心に、しばらく雑談に花を咲かせた。
そこでラブレターが話題に上がり、ふと書き置きの件を思い出した。
「あ、そうだ。蓮ってもうちょっとだけ時間貰えたりする?」
「ああ。アップ始まるまで15分くらいあるし、長くならなきゃ全然いける」
連のスケジュール的にも、ここは端的に質問していくか。
「オッケー。じゃあ何個か聞きたいんだけどさ、昨日俺がスーパーに行ってた事って知ってるか?」
「いや? 週に何回か行ってること自体は知ってるが、昨日行ってたのは初耳だな」
「ふむ……俺が買う予定だった物の内訳とかは?」
「生憎だが、他所様の台所事情には疎くてね」
「だよなー」
この時点で俺の事をよく知る蓮が書き置きに関与している可能性は大きく減った。
後は実物を見せて反応を見るか。
「じゃあさ、この書き置きに見覚えは?」
胸ポケットから例の書き置きを取り出し、蓮に手渡す。
「なんだこれ……『牛乳を買って』……?」
まるで何も分からないような反応。これはもうシロ確定だろう。
「昨日家に帰ったらそれがウチの郵便受けに入ってたんだよ」
「マジか。咲来さんとか隣人の可能性は?」
「姉さんは全く知らない様子だったし、隣と真上は空き部屋だから入れ間違いって線も低そうだ」
「てか、牛乳買い忘れでもしたのか?」
「ああ。蓮の言う通り、昨日俺はその書き置きを見るまで、特売の牛乳を買いそびれていた事に気付かなかったんだよ」
俺の話を聞きながら蓮は考えを巡らせているようだ。
すると深刻な表情で、俺にだけ聞こえるよう耳打ちしてくる。
「それって所謂『ストーカー』ってヤツじゃね?」
「つまり……俺の事が好きな子が居るっていう事か?」
もし本当にそうだとしたら、是非ともお近づきになりたいものだ。
「お前……結構前向きなんだな……」
呆れた声でやれやれと肩を竦める蓮。
そんなにダメな事か?
「あのな、ストーカーってのはお前に執着してるヤツの事なんだぞ?怖くないのかよ」
「んーまぁ、今は怖いってよりは興味の方が勝ってるからなぁ」
ダメな生徒を見るような表情で、蓮は言い聞かせるように説明し始める。
「いいか?今は書き置きを残すだけに留まっているが、今後は遼の意思に関わらずどんどん行動がエスカレートしていく可能性が高いんだぞ?」
「そうなのか? ……例えば?」
「そうだな……。例えば、遼の私物が無くなったりとか、果ては勝手に遼の家に――」
「あ、あのっ!綾ちゃんは、どこに行ったかご存じ……でしょうか?」
突然声をかけられたので、二人して一瞬体が飛び上がってしまった。
「っくりしたー! って、橘じゃん」
「あ、すすみませんっ、お話の邪魔をしてしまって……!」
そこにいたのは、校則通りに制服を着こなす橘詩織さん。
艶やかな黒髪ロングボブの耳元を手櫛で整えながらおずおずと話し始めた。
「ぇと……今日現国の大島先生が、綾ちゃんに図書委員のて、手伝いを頼んだ、みたいなんですが……」
「あー、それなんだけどさ。入野のヤツ今日大事な予定あんのに大島センセの頼み聞き入れちゃったみたいでな」
「ぁ……じゃあ今日は綾ちゃんは来れない、って事なんです……ね?」
かなり困った様子の橘さん。さて、ここで救世主のお出ましです。
「入野は来れないけど、その代わりに俺が手伝うことになったんだ」
「えっ!? き、霧島君が、ですか……!?」
突然のピンチヒッターに驚きを隠せない様子。
入野と橘さんは幼馴染で、俺たちと居る時以外は橘さんと一緒に居ることが多い。だからそこまで互いの事を知らない俺がいきなり来ることになって焦っているんだろう。
「すまんな橘。入野にはもうキツーく言っといたから」
「じゃあこれ以上大島を先生待たせるのも申し訳ないし、行こっか。図書室だっけ?」
「わ、分かりましたっ。と、図書室で合ってます」
「あ、遼ー。もしまた何かあったら俺にも相談しろよなー」
「はいよー」
蓮と別れ、俺と橘さんは図書室へ向かい始めた。
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久峰高校の図書室は向かいの校舎にあって、少し歩かなければならない。
橘さんと二人きりで話す機会は殆どなかったので、気まずくならないよう当たり障りのない話題から始めることにした。
「えっと……そういえば橘さんって図書委員だったっけ」
「はいっ。よ、よく覚えていますね……」
「そりゃ入野の友達だしな。たまーに橘さんの話もしてたし」
「えっ!? 例えばどんなこと、ですか?」
何気ない発言だったが、橘さんは意外にも食いついてきた。
入野は橘さんの事が大好きらしく、事ある毎に橘さんを話題に挙げていた。
色々エピソードはあるが、パッと思いつくのは――。
「そうだな……裁縫とか革細工とか手芸が得意って自分の事のように自慢してたな」
「そそ、そんな……自分なんてまだまだで……!」
「いやいや、入野が自慢げに見せてくれたあの革製のキーホルダーとか、メチャメチャ綺麗だったぞ?」
「きっきき、綺麗だなんてそんな、勿体なきお言葉……」
入野が当時見せてくれたのは、丸いブラウンの革にテニスラケットとボールの形をプレスしたキーホルダーだった。
俺と蓮は入野の自慢そっちのけで見入ってたっけ。
「あれを見て俺と蓮も羨ましくなっちゃってさ、近所のアクセサリーショップ回ったんだよな」
結局、思っていたような革製のキーホルダーは見つからず、二人してシルバーアクセを買ったんだっけな。懐かしい……。
「そ、そうだったんですね。もし言ってくだされば、その……いつでも作ります……よ?」
「えっ、いいの!?」
「んも、もちろんです! ぁ、でも、ちょっと時間掛かっちゃうかも、ですけど……」
思わぬ申し出に一瞬舞い上がってしまったが、あまり話した事のない相手にここまで言わせちゃうのは少し申し訳なく思う。
「えーっと、一応確認なんだけどさ。別に無理して作ってもらう必要はないからね?ほら橘さんが、俺や蓮を苦手に思ってるかもしれないし――」
「にっ苦手なんかじゃありませんっ!」
初めて聞く橘さんの大声に驚いてしまった。
呆気にとられていると、俯きながらも柔らかい表情で橘さんがぽつりぽつりと話し始める。
「むしろ、感謝してるんです……。クラスに馴染めなくても、綾ちゃんと一緒にお話ししてくれたり、今日だって、ほ、ホントは早く帰りたいハズなのに、図書委員の仕事、手伝ってくれたり……」
「そっか……。てっきり俺と蓮が騒がしいから苦手なのかなって勝手に思ってた」
「わ、私と話す時の綾ちゃんと違って、色んな表情を見られるから、楽しいんです。特に霧島君は――」
橘さんと俺の視線が交わろうとした瞬間、前方から大島先生がやってきた。
「あ、橘さん! いい所に……あら?先生お邪魔だったかしら?」
「ぜぜっ、全然っ! そ、そういうのじゃないですからっ」
ニヤつく大島先生の言葉を赤面しながら慌てて否定する橘さん。
話の流れ的にてっきり俺を褒めてくれるフェーズだったと思うんだが、そういうのじゃなかったようだ。
何故かちょっと悲しい。
今回もお読みいただきありがとうございます。
次話は、9月10日20時頃に更新予定です!
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