第25話 新たな善意と『友達』
勉強会も無事終了し、入野と別れた俺は、自宅に向けて自転車を漕ぎながら今日1日を振り返る。
朝方の図書館では、入野と橘さん。
午後のマッグでは、入野と朱音。
『二人きりで』と釘を刺されてたが、気付けば二人きりになるタイミングはあまりなかったように思える。
最終的に勉強会という目的は達成できたし、入野の機嫌も悪くなさそうだった。
「友達と恋人の境界ねぇ……」
頭の中では、この二つの関係に違いがある事は理解していたつもりだ。
しかし入野が言っていたように、どちらも『好きな人同士で一緒に居られる関係』である事に間違いはない。
大きな違いは、そこに恋愛感情があるかどうかでしかないワケで。
これまで恋愛をしてきたことのない俺にとっては、その恋愛感情というものが、どうしても分からない。
「『あの件』について、もっと理解が深まれば恋愛感情についても分かるのかなぁ」
俺は自宅アパートの駐車場に自転車を置き、いつものように郵便受けを確認した。
すると中には、メモ用紙が貼り付けられたチャック付きのビニール袋に何かが入っていた。
袋を手に取ると、そこには丁寧に折り畳まれた俺のハンカチが入っていた。
そして、そこに貼り付けられたメモ用紙には、繊細な文字でこう書かれていた。
『落とし物に気を付けて』
自分のポケットを確認すると、入れていたはずのハンカチが無い事に気付く。
もしかしたらどこかで落としてしまったのかもしれないが、いったい誰が届けてくれたのだろうか。
差出人については相変わらず情報は少ないが、わざわざ俺の家まで届けてくれているという事実を鑑みるに、相当俺の事を気にしてくれているに違いない。
願わくば双方向のやり取りをしてみたいのだが、如何せん方法が一切思いつかない。
「……俺は、君の事が知りたいんだけどなぁ」
袋に入ったハンカチを眺めながらポツリと呟いて、俺は部屋に戻る。
扉を開けると、いつもは出迎えてくれる姉ちゃんの姿は無く、ひどく静かに思えた。
「もしかして寝てるのかな……?」
もしそうだとしたら起こすのも忍びないので、静かにドアを閉めて、なるべく物音を立てないように自室の扉を開けると――。
「……おいおい、寝る部屋間違えてますがな」
俺のベッドでだらしない笑顔で眠る姉ちゃんの姿があった。
今朝、姉ちゃんから布団と毛布を洗うって言われてたけど、まさか天日干ししてふかふかになった布団が心地良過ぎて、そのまま寝てしまったのか……?
というか、よく見たら姉ちゃんの着てるTシャツは俺のヤツだし、下も俺の部屋着だし、ツッコミどころしかないので、俺は姉ちゃんのだらしなく緩んだ頬をペチペチと叩く。
「お~~い、俺の部屋で寝るなーー」
「んぅ……ふへっ……女の子の遼もかわひひ……」
「どんな夢見てんだよ」
一向に起きる気配がないので、俺は諦めて晩御飯の支度に向かおうとした。
が、いつの間にか姉ちゃんにシャツの裾を掴まれていた。
「姉ちゃん……俺、晩飯作らなきゃなんだけど」
「んー……」
俺の苦言にも一切裾を握る力を弱めない辺り、さては起きているな……?
ここは姉ちゃんを目覚めさせる言葉を掛ける他ないか。
ベッドに腰かけ、姉ちゃんの耳元で俺は囁く。
「実は俺、好きな人できたんだ」
「誰よそのおんむっ」
姉ちゃんは振り向いた勢いで、俺の頬に口が当たってしまった。
まぁ頬ならセーフか……。
「ほら、起きてたんならさっさと自分の部屋に戻ってくれ」
身体を起こした俺は、放心している姉ちゃんの頬を再びペチペチと叩く。
しかし相変わらずぽけーっとしているので、俺は姉ちゃんの細い腕を引いて身体を起こさせる。
「ほら……っ、何をボーっとしてるのさ」
「あたし、遼にちゅーしちゃった……」
「え? ああ、ほっぺで良かったね。いいから早く――」
「遼にちゅーしちゃったぁぁぁっ!!」
「あんまりおっきい声で言わないで!?」
姉ちゃんは顔を隠しながらドタドタと自分の部屋に退散していった。
俺は深い溜息を吐いて、荒れたベッドを整えながら憂う。
「最近どんどん変になっていくよ、うちの姉ちゃん……」
~~~~~~~~~~~~
燦々と俺の肌を焼くように照らす太陽を恨めしく思いつつ、俺は自転車で待ち合わせ場所の公園の近くまでやってきた。
昨晩、入野が集合場所のみを指定してきたのだが、勉強場所の詳細は現地で説明したいとメッセージを送ってきたのだ。
一応今日も勉強会のハズだけど、入野の事だからワンチャン狙って遊ぼうとするんじゃないかという不安を胸に、公園入口の日陰で佇む入野の近くで自転車を停める。
「おはよー遼ちゃん! 今日もあっついね~」
「おはよう入野。夏休みはもう少し気温が上がるらしいぞ?」
「はい遼ちゃん1ポイント減点~」
「……は?」
挨拶交わしただけで減点を食らったんだけど、なんで?
もしかして、最初の会話に天気デッキを広げたのがいけなかったのか……?
俺が何も分からずにいると、入野が拗ねた表情でこちらを見てくる。
「昨日私が言った事、もう忘れちゃったの?」
「昨日……ああ、名字じゃなくて名前で呼んでほしいって事か」
「そうでーす。私を呼ぶときに名字で呼んだら、その度に1ポイントずつ減点していくからね!」
入野……いや、『綾』がポーチからメモ帳とペンを取り出すと、なにやら書き込んでいる様子だ。
多分俺の減点ポイントをまとめるためにやっているのだろうが、そういう努力は授業に向けてほしい。
「ちなみに減点され続けるとどうなるんだ?」
「んー……夏休み中ずっと遼ちゃんの家に遊びに行く、とか?」
絶対何も考えてなかっただろ。
しかも取って付けたように俺の家に遊びに来るとか言ってるけど、部活はどうするんだよ……。
「そんな無茶な考えは一旦置いといて、今日はどこで勉強するのか教えてくれないか?」
「もー遼ちゃんはせっかちだなぁ。もうちょっと私との会話を楽しもうよ~」
「楽しんでたら日が暮れちゃうだろ?」
「それもそっか。じゃあ、私の後ろに付いてきて~」
入野……もとい綾が自転車を漕ぎ始めたので、俺は言われた通り彼女の後を付いていく。
ひょっとしてサプライズで俺の家とか言い出さないよな……?
今日は姉ちゃんの友達がウチに来てるらしいから、入野をうちに上げるどころか、俺すら家に入れてもらえない可能性がある。
そんな俺の不安は杞憂に終わる。
綾に先導されて行きついたのは、普通の一軒家だった。
「じゃ、遼ちゃんの自転車は私の隣に並べといてー」
「あ、ああ……っていうか、ここって……」
「ん? 私の家だよ?」
俺が案内された先は、まさかの入野家であった。
状況を上手く呑み込めずにいると、綾は含みのある表情をこちらに向ける。
「ちなみに、今日は誰もいないから」
何故誰もいない事を俺に伝えたのか、そもそも自宅に招いた理由は何か、どうして今日も普段着ないはずのオシャレコーデなのか等、聞きたいことが山ほどある中で、俺は――。
「えっと、とりあえずお手洗い借りてもいいか……?」
「……2ポイントげんてーん」
またしても減点を食らってしまった。
~~~~~~~~~~~~
綺麗なお手洗いで用を足した後、俺は2階にある綾の部屋に案内される。
「どうぞ、入って入って~」
「お邪魔しまーす」
思えば、中学1年生の頃に朱音の部屋に上がって以来の、久しぶりの異性の部屋だ。
友達とはいえ、可愛い女子の部屋に二人きりなのは流石の俺でも少し緊張してしまう。
俺は少しでも気を紛らわそうと、つい部屋を見渡してしまう。
すると、見覚えのあるものが目に入った。
「なぁ綾、その壁に掛けてるキーホルダーって、ひょっとして……」
「あ、気付いた? これ中学の修学旅行で買った、剣のキーホルダーだよ!」
「懐かしいなー。俺と蓮、綾の3人で同じヤツ買ったんだよな~」
「そうそう! 遼ちゃんもまだ持ってる?」
「もちろん。俺のは机の引き出しの中に眠らせてるけどな」
中学2年生の修学旅行で、最終日に何か記念に残るものを買って帰ろうと3人で悩んだなぁ。
最初はご当地マスコットのキーホルダーを買おうとしてたんだけど、俺と蓮が『やっぱ剣だろ!』って言って、綾は渋々俺らと同じ剣のキーホルダー買ったんだっけ。
「それにしても、綾はなんで俺らと同じキーホルダーを選んだんだ? あの可愛いご当地マスコットでもよかっただろ」
「だって仲間外れにされるの、嫌だったんだもん」
「そっか……そうだよな」
友達に仲間外れにされたくないという気持ちは、当然俺にもある。
だから綾も、自分が気に入ったものを選ばずに、俺たちに合わせたかったんだろうな。
懐かしい気持ちと、『自分の気持ちより友情』を取った綾に対する申し訳ない気持ちが合わさり、少し感傷的な気分になってしまう。
「あのさ、せっかく二人きりなんだし、勉強会の前に聞いておきたい事があるの」
「なんだ?」
「遼ちゃんの好きな人。前ははぐらかされちゃったけど、ちゃんと聞いておきたいなって」
いつになく真面目な表情の綾を見て、流石にちゃんと答えておこうと決心する。
「……茶化さず聞くって、約束してくれるか?」
「もちろんだよ」
俺は少し深呼吸をして、綾と向き合う。
「まず、うちの郵便受けに最近書き置きや手紙が届き始めたんだ」
「うん」
「それらはどれも、俺を気遣ってくれる優しさを感じられるものなんだ」
「例えば?」
「そうだな……例えば、スーパーで牛乳を買い忘れていることを教えてくれたり、俺が手当てせずにいた切り傷を気遣ってくれたり、悪さを企む男に気を付けるよう伝えてくれたり、そういう細かな気配りが感じられるんだよ」
過去の書き置きや手紙は、全て俺への配慮を感じられるものだった。
独善的ではなく、見返りを求めない。
その差出人は、俺にはヒーローのようにさえ思えてしまう。
だからこそ、そんな相手の事をもっと知りたいと思うようになったんだ。
「俺は多分、その差出人の事が……もしかしたら好きなのかもしれない」
「……そっか」
綾は少し複雑そうな顔で、俺の言葉を理解しようとしてくれている。
しかし、彼女から発された言葉は、俺が予想していなかったものだった。
「遼ちゃんには申し訳ないけど……私はその恋、ちょっと応援できそうにないや……」
俺と綾の間には、静かな沈黙だけが残った。
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