返答あり、失踪なし
二人目の申告者は、鳴沢字上道に住む七十代の男だった。
玄関先で話すという条件で、名前の掲載は拒否された。男はチャイムのあとに亡くなった兄の声を聞いたと言った。
「何と言われました」
「戸を閉めろ、と」
「名前を呼ばれましたか」
「呼ばれたような気もする」
「そのとき、返事は」
「したよ」
遼は聞き返した。
「返事をした?」
「誰だ、ってな。兄貴だと思ったのはそのあとだ」
男は生きて、目の前にいる。
「何か変わったことは」
「あんたが来た」
男は玄関の引き戸へ手をかけた。
「それに、話が逆だ。返事をしたから消えるんじゃない。いなくなった人間の話を集めて、返事をしたことにするんだろう」
戸が閉まる直前、家の奥から拍子木の音が二度した。
遼が顔を上げると、男は面倒そうに言った。
「孫のおもちゃだ」
合理的な説明は、いつも少し遅れて与えられた。
その遅れの間だけ、別の意味が入り込む余地があった。
遼は車へ戻り、取材ノートに書いた。
返答あり。失踪なし。
その一行を四角で囲んだ。
携帯電話には、御厨圭からのメッセージが三件届いていた。
〈鳴代の件、調べていますよね〉
〈消されたログを持っています〉
〈あなたの名前も出ています〉
三人目の申告者は、会うことを拒んだ。
鳴沢字採石場口。夜間窓口へ来庁し、旧N-03から放送が聞こえたと申告した人物。受付票では氏名と番地が黒塗りになっている。
市へ連絡先の仲介を頼んだが、本人が取材を断ったと回答された。
遼は旧N-03へ向かう途中の家を一軒ずつ訪ねようとした。
野辺に止められた。
「黒塗りを町内で逆引きするな」
「本人が何を聞いたか分かれば、三件を比較できる」
「本人は記録を拒否した」
「市役所には、です。姉が消えたことを知れば話すかもしれない」
「拒否した人間へ、別の理由を持って押しかけるのを取材熱心とは言わない」
遼は納得しなかった。
それでも訪問はやめた。
代わりに、夜間窓口の当直職員へ話を聞いた。
申告者の性別、年齢、外見は答えられない。来庁時刻は受付票どおり。酒気はなく、受け答えも明瞭だった。
「なぜ、旧N-03だと分かったんです」
「本人がそう言いました」
「スピーカーの近くにいた?」
「場所は採石場口とだけ」
「聞こえた文言は」
「書かないでくれ、と」
「言うこと自体を拒否した?」
当直職員は迷った。
「一度は言いました。私が申告概要へ入力しようとしたら、消してくれと」
「覚えていますか」
「覚えてません」
「そんなはずはないでしょう」
遼の声が強くなった。
「内容を言った直後に、記録を拒否した。珍しい申告です。忘れる方が難しい」
「覚えていても、本人が残すなと言ったことを、記者へ話すと思いますか」
当直職員は電話を切らず、静かに言った。
野辺が聞いていれば、何も付け加えなかっただろう。
遼は謝り、質問を変えた。
「受付票の鉛筆書きは、あなたが?」
「違います。翌朝、危機管理課へ回したあとのものです」
「『呼ばれた』とある」
「原複写にはなかった」
「誰が書いたか」
「分かりません」
また、内容だけが残り、書いた人間が消えていた。
「申告者は怖がっていましたか」
「怒っていました」
「何に」
「市が、あれは撤去済みだから鳴るはずがないと説明したことに」
「本人は確かに聞いたと思っている」
「聞いたことを否定されたと思ったんでしょう」
遼は電話を切ったあと、受付票を見直した。
一次対応欄には、当該子局は撤去済みとして説明、とある。
設備が鳴らないという説明は、申告者には自分の経験が存在しないという否定に聞こえた。
久世が遼へ言ったことも同じだった。
録音に入っていることと、市が送ったことは別です。
技術的には正しい。
だが聞いた側が求めているのは、責任の所在より先に、自分の経験を無かったことにしない言葉だった。
遼はノートに書いた。
〈設備の否定と、聴取の否定を分ける〉
それは記事のための注意だった。
同時に、自分が姉の録音を調べるときの注意でもあった。




