復元された掲示板
御厨圭は、自分をオカルト研究家と名乗った。
支局へ現れた男は三十代半ばに見え、黒いシャツの胸ポケットへ二本の録音機を差していた。動画配信で使う名刺には、怪異資料収集・検証と印刷されている。
「配信はしません」
応接机へ座る前に御厨は言った。
「少なくとも、今は」
「その但し書きが信用をなくしてるんですよ」
野辺が向かいから言った。
御厨は気にせず、薄いノートパソコンを開いた。
「七月二十三日の夕方、『鳴代の防災無線』という掲示板が立ちました。今は削除済み。検索キャッシュと転載画像を合わせると六割くらい戻せます」
画面には、時刻順に短い投稿が並んでいた。
チャイムのあと何か言っていなかったか。
女の声だった。
録音を上げろ。
最初の数件は、それだけだった。
「名前を呼ばれた、という話は?」
「十九番からです。『鳴沢の昔のやつ。名前を呼ばれて返事したら消える』。でも、これより前にそんな伝承がネットへ出た記録は見つからない」
「口伝ならネットにないのは普通でしょう」
「もちろん。ただ、面白いのは三十一番です」
御厨がスクロールした。
〈創作でよければ。三つ目の曲がりを越えると古いスピーカーがある。そこで椅子を引く音がして「水城遼」って呼ばれる。返事した人は採石場の下に連れていかれる〉
遼は文を二度読んだ。
「投稿時刻は」
「二十三日の二十時十二分」
紗季のメッセージが届く二分前だった。
「俺の名前をどこで」
「あなたは記者です。署名記事もある。お姉さんとの関係も、昔の記事で一度書いている」
「椅子の音は」
「そこです」
御厨は楽しそうに言いかけ、野辺の顔を見て表情を戻した。
「公開情報では確認できません。だから、私は元の録音が既にどこかへ出ていた可能性を考えています」
「姉が誰かに送った?」
「あるいは、投稿者が現場にいた」
「あるいは創作が偶然当たった」
野辺が言った。
「その三つを同じ大きさで書けるなら、話を聞く」
御厨は頷いた。
「私も以前、それを間違えました。似た失踪事件を全部同じ型に入れて、証人を一人、追い詰めた。だから今度は元の順番を残しています」
彼は復元ログを遼へ渡した。
「代わりに、録音を聞かせてください」
「駄目です」
「理由は?」
「姉の私物だからです」
遼は即答した。
野辺がこちらを見た。
御厨は食い下がらなかった。
「では、あなたに聞こえた文を教えてください」
それにも答えるべきではなかった。
だが遼は、投稿者を探すには照合する文字列が必要だと考えた。
「『沢道を、三つ目まで』」
野辺が机を指で一度叩いた。
遼は続けなかった。
御厨は既に、その一行をノートへ書いていた。
「以前、証人を追い詰めたと言いましたね」
野辺が訊いた。
御厨の手が止まった。
「五年前です。県北の廃校で、校内放送に死んだ生徒の声が入るという話があった。私は動画で、声の主を特定したと発表した」
「実際は」
「聞き取りに協力した卒業生の名前でした。本人が音源を作ったと思った」
「違った?」
「元のテープには名前がなかった。私が字幕へ名前を入れたあと、視聴者の大半がそう聞こえると言い始めた」
「卒業生は」
「勤務先まで特定された。釈明しても、釈明動画がさらに名前を広げた」
御厨は二本の録音機を胸ポケットから出し、机へ置いた。
「それから、元音源、編集後、文字起こし、公開時刻を分けて保存しています。信じなくなったわけじゃない。自分が怪異を作る側に回れると知った」
「それでも配信を続ける」
遼が言った。
「保存する人間が必要だからです」
「あなたである必要は?」
「ない。でも、今やっている人間が私です」
その答えは、遼が記者を続ける理由と似ていた。
正しさではなく、役割を引き受けているという自負。
「鳴代の件を、どういう話だと思っています」
「三つあります」
御厨は指を一本立てた。
「土地にある呼び声が、防災無線や録音を借りている」
二本目。
「事故を知る人間が設備や祭りを使い、昔の現象を再現している」
三本目。
「音には何もなく、記録を読んだ人間が、自分へ向けられた文を作っている」
「どれを信じてる」
「日によって違います」
「研究家の答えとしては無責任ですね」
「一つに決めた瞬間、合わない証拠を捨て始める。私はそれで失敗した」
御厨は壁の投稿031を指した。
「これは創作かもしれない。でも、創作であることは、椅子の音が偶然だという証明にはならない。逆に椅子の音を知っているからといって、残り全部が事実にもならない」
野辺が遼を見た。
「聞いてるか」
「聞いてます」
「録音じゃなく、お前に訊いてる」
遼は答えなかった。
御厨は復元ログの複製をUSBメモリではなく、印刷物で渡した。
「データはあとで送ります。紙は順番を変えにくいから」
「並べ替えれば変わる」
「そうです。だから頁番号と取得元を入れてある」
印刷物の末尾には、欠番一覧があった。
三、六、九、十、十四から十八。
欠けた番号が多すぎて、残った投稿だけで会話を復元することはできない。
人々が何を聞いたか以上に、何が保存されやすかったかがログの形を決めていた。
怖い話として分かりやすい投稿。
死者の声。
名前。
失踪。
注意喚起。
「何も聞こえなかった」という投稿は、引用も転載もされずに消えているかもしれなかった。
遼は欠番の一つへ、鉛筆で丸を付けた。
空欄へ何かを置こうとしている、と気づき、丸を消した。




