三件の受付票
北嶺日報支局へ戻ると、野辺は遼の机から取材ノートを取り上げた。
「今日は書くな」
「記事じゃない。時系列を整理するだけです」
「家族の時系列と記事の時系列を、同じノートに書くな」
「何が違うんです」
「読ませる相手が違う」
野辺はノートを閉じた。
「姉さんを見つけるために必要な情報と、紙面に載せるために必要な情報は同じじゃない。今のお前は、見つけるためなら何でも載せる」
「載せれば情報が来る」
「来るよ。嘘も、思い込みも、姉さんを知ってるふりをする人間もな」
遼は答えなかった。
野辺はノートを返した。
「市へ情報公開請求を出す。障害受付票、送信履歴、旧N-03の設備台帳。社の名義を使うなら、俺が見る」
「時間がかかる」
「記者の仕事は、相手が遅いから手続きを飛ばしていい仕事じゃない」
その夜、遼は支局の会議机で姉の共有フォルダを開いた。
事故報告の複写、祭礼復元調査の画像、録音ファイル。フォルダ名は「照合前」。紗季らしい名前だった。確定前の資料と確定後の資料を同じ場所へ入れない。
録音の詳細情報を見る。
作成日時は七月二十三日十八時。
更新日時は二十時十三分。
共有日時は二十時十四分。
異常はない。
遼は音声を再生せず、波形だけを拡大した。
十一秒の区間にも、環境音らしい細かな波がある。紗季はなぜ「聞こえているなら」と書いたのか。彼女には街の音が消えて聞こえたのか。それとも、声だけを指していたのか。
メール通知が入った。
野辺が請求した受付票の一部を、市が任意提供したという。捜索に関係する可能性を考慮したらしい。
三件分の画像が添付されていた。
遼は一枚目を開いた。
湖東台二丁目。十八時一分十七秒。言葉のようだが内容不明瞭。
二枚目。
鳴沢字上道。十八時一分二十三秒。家族の声に似たもの。
三枚目。
鳴沢字採石場口。十八時二分四秒。放送が聞こえた。内容の記載を拒否。
対象設備には、旧N-03とある。
欄外に薄い鉛筆書きが残っていた。
……呼ばれた。
三人が、同じ一分間に、同じ放送を聞いている。
遼はノートへそう書いた。
書いてから、受付票を見直した。
一枚目は内容不明瞭。
二枚目は家族の声。
三枚目は内容を拒否。
同じ放送だとは、どこにも書かれていなかった。
遼が同じものとして並べただけだった。
彼はノートの一文へ線を引いた。
完全には消さなかった。
消した下に何があったか、あとで分かるように二本の細い線を引いた。
その筆跡が、受付票の訂正とよく似ていることには気づかなかった。
遼はノートを閉じられなかった。
姉の共有フォルダにあるファイルを、更新日時の順へ並べた。
祭礼パンフレット。事故報告。定時放送の録音。文字起こしらしい写真。どれもファイル名には感想がなく、日付と資料種別だけが付いている。
新人記者だった頃、遼は取材時刻を一時間間違えてノートへ書いたことがある。
訂正テープを探す遼からノートを取り上げ、紗季は誤った数字へ細い二重線を引いた。横へ正しい時刻と、訂正した時刻を書き足した。
「消したら、間違えたことまで消えるでしょう」
姉はそう言った。
行政の仕事を始める前から、紗季は記録を潔白な紙にするより、どう汚れたかを残す人だった。
遼は記者になってから、その癖を真似た。
取材ノートには、推測なら推測、未確認なら未確認と書く。そうしておけば事実を守れると考えていた。
だが今日一日で、遼は何度も未確認の事柄を一つの線へ繋いだ。
姉が失踪した。
録音に自分の名がある。
三件の申告がある。
廃止子局の番号がある。
並べたのは資料ではなく、遼だった。
彼は新しい頁に、確定と推測の二欄を作った。
確定。
紗季は七月二十三日に出勤した。
十八時の定時チャイムを録音した。
二十時十四分、遼へ録音を共有した。
現在、連絡が取れない。
中央操作卓に臨時送信履歴はない。
同じ時間帯について三件の申告がある。
推測。
紗季は録音の声を追って移動した。
三人は同じ放送を聞いた。
旧N-03が作動した。
声は聞き手の名前へ変わる。
遼は最後の一行へ二重線を引いた。
消さずに残す。
姉なら、推測したこと自体も記録へ残しただろう。
携帯電話で時刻を確認すると、直子からメッセージが届いていた。
〈警察の人が帰りました。紗季から連絡はありません〉
続けて、写真が一枚。
窓際の机を上から撮ったものだった。二つのマグカップの間に、細長い紙片がある。
〈さっきまで気づかなかった〉
紙片には、紗季の字で数字が並んでいた。
18:01:17
18:01:23
18:02:04
三件の受付時刻。
その下に、町名の頭文字らしいK、N、N。
さらに、細い線が引かれていた。
直線ではなく、曲がりくねった一本の線。
地図を写したのか、ただ時刻を結んだのか分からない。
紙片の端は破れていた。
続きがあった。
〈警察に渡して〉
遼は返信し、同じ写真を自分の端末へ保存した。
警察へ転送したあと、ファイル情報を見る。
撮影日時は数分前。直子の端末。
今度は揺れていない。
遼は曲線をノートへ写した。
その時点では、それが三十七年前の避難路と同じ形であることを知らなかった。
午前零時を過ぎたころ、知らない番号から着信があった。
「北嶺日報の、水城さんですか」
若い女の声だった。
「そうです」
「防災無線のことを調べてるって聞いて」
遼は録音ボタンへ指を置き、止めた。
「お名前を伺っても?」
女は少し黙った。
「佐伯です。湖東台の」
電話の向こうで、陶器の触れ合う音がした。
「私も、聞きました」
遼は新しいページを開いた。
「何と聞こえましたか」
佐伯美緒は、死んだ母親の声だった、と言った。
午後六時の放送後、紗季だけが「街の音が消えた」と感じた時間は、何秒間だったでしょうか。
答えは、本文と同じ「漢数字+秒」の形で照会端末へ入力してください。
ヒント:操作卓の時計が示した最後の時刻にも、その数字が残っています。
正しく照合されると、三件の障害受付票が開示されます。
https://nonamenonowork.github.io/narushiro-archive/
※外部資料の閲覧は任意です。本編だけでも物語は完結します。




