聞取人不詳
『鳴代地方史研究』第十九号 追補
鳴沢地区音声資料群の整理と再聴取について
編者:鳴代地方史研究会・災害記録整理班
資料提供:北嶺日報社、水城遼氏、鳴代市
作成日:2031年9月14日
一 追補の目的
本稿は、2026年に鳴代市で発生した防災行政無線設備の無許可運用及び二件の一時所在不明事案について、新たな原因を提示するものではない。
同事案の人為的部分については、同年8月18日付『北嶺日報』、鳴代市調査報告書及び関係事業者の処分記録により、以下が確認されている。
1. 廃止済み屋外拡声子局を含む四基が、中央操作卓を経由せず局地的に再接続されたこと。
2. 保守点検票の部材数及び作業内容に、事実と異なる訂正又は記載漏れがあったこと。
3. 市共有フォルダへ保守アカウントでアクセスし、操作履歴の一部を削除したこと。
4. 子局の作動順が、1989年鳴沢避難事故における旧避難路と重なること。
5. 2026年8月11日までに、所在不明となっていた二名がいずれも生存して発見されたこと。
これらの確認事項は、本追補によって変更されない。
本稿の目的は、地方史研究会へ寄贈された水城遼氏の取材資料を整理する過程で、同一とされてきた音声ファイルに複数の保存状態が存在することが判明したため、その差異と記録上の限界を報告することである。
なお、「二件の一時所在不明事案」とは、相原紗季氏及び佐伯美緒氏に関するものである。両氏はいずれも、氏名及び当時の証言を本稿で扱うことへ個別に同意した。ただし、所在不明中の行動については、2026年当時の聴取記録を優先し、後年の回想による補完を行っていない。
両氏の発見地点は異なる。佐伯氏は旧第二集合所付近の雨水路、相原氏は旧採石場点検坑内で発見された。本追補は、両地点を音声が指示したとの見解を採用しない。子局作動順、旧避難路、当事者が所持又は閲覧した地図資料が、捜索経路の形成に関与したことのみを確認する。
二 対象資料
対象は、ファイル名 `1800_窓際.m4a` として保存された音声資料である。
同名ファイルは次の四系統に確認された。
| 記号 | 保存元 | 記録上の作成日時 | 備考 |
|---|---|---|---|
| A | 相原紗季氏の共有フォルダ | 2026年7月23日18時00分 | 市開示資料の基準ファイル |
| B | 水城遼氏の旧携帯端末バックアップ | 2026年7月23日18時00分 | メッセージ受領時の添付 |
| C | 北嶺日報編集資料 | 2026年7月28日11時32分 | 未発表稿の参考添付 |
| D | 研究会受入媒体 | 2026年7月21日18時00分 | 本稿で問題とする複製 |
Dのみ、作成日時が最初の異常聴取及び水城氏の受領より先行する。
ただし、この日時だけから、音声が事件以前に存在したと結論することはできない。
受入媒体には、過去の地方史資料を複写するため使用されたテンプレートフォルダが残っていた。端末時計が二日遅れていた記録もある。また、ファイル複製時に元の作成日時を保持した可能性、整理作業中に別ファイルが同名で差し替えられた可能性を排除できない。
Dの来歴欄には「水城氏旧端末より」とあるが、転記者名は空欄である。
研究会の受入記録によれば、寄贈媒体は2031年6月3日、水城氏本人から封緘された状態で受領した。受領時の内容一覧は研究会員二名が作成し、媒体全体の識別値を記録している。したがって、同日以降に研究会員がDを追加した可能性は低い。
一方、水城氏が媒体へ複写した時点の作業記録は残されていない。水城氏は照会に対し、寄贈対象フォルダを旧端末バックアップから一括複写したが、Dというファイルを個別に選択した記憶はないと回答した。
旧端末バックアップは2028年に一度、記憶装置の故障に伴う復旧処理を受けている。復旧事業者の報告書には、「一部ファイルの日付属性が保持されない可能性」が明記されていた。ただしDの日付が、事件当日の二日前へ正確に移動した理由を、この一般的な注意事項だけで説明することはできない。
AからDの音声内容は、可聴範囲及び通常のファイル比較では一致する。ただしファイル全体の識別値は、付加情報と圧縮処理の差により一致しない。人声様成分だけを切り出した比較も、元ファイルの同一性を証明するものではない。
三 音声比較
四ファイルのチャイム、踏切警報、国道通過車両、室内空調音は、許容誤差内で一致した。
末尾の椅子を引く音も、AからDまでに存在する。
従来の解析では、チャイム終了後の人声様成分について、聞取人ごとに異なる文字列が記録されていた。
- 相原紗季氏記録:「さき」
- 水城遼氏記録:「りょう」
- 佐伯美緒氏記録:「おかえり」
- 市職員記録:「見なせ」又は「ミナセ」
- 音響鑑定補助者記録:固有名は判定不能
本研究会では、過去の文字起こしを閲覧していない二名へ再聴取を依頼した。
聴取者には事件名、関係者名、既存の文字列を伝えていない。再生は一回、同一ヘッドホンを使用した。ただし、資料整理担当者が音源を選定した時点で、完全な二重盲検ではない。
聴取者1は、冒頭を判定不能とした。
聴取者2は、次のように記録した。
みなせ。聞こえてるね。沢道を三つ目まで。そこで返事をして。
聴取者2の氏名及び経歴は、本人の希望により非公表とする。
聴取後、二名へ相互の記録を見せず、同じ音源を再度聞く意思があるか確認した。聴取者1は辞退した。聴取者2は再聴取を希望したが、研究会は当初計画が一回聴取であったこと、反復によって既存の文字列を強化する可能性があることから実施しなかった。
聴取者2は、記録した語が自身の氏名又は近親者名と一致しないと回答している。また、鳴代市及び旧鳴沢町との居住・勤務歴は確認されていない。ただし本人の読書歴、検索履歴、第三者との会話を含むすべての事前情報を調査することは不可能である。
聴取に使用した部屋では、再生前に椅子を移動している。移動音は音源再生中には発生していないが、聴取者が「椅子の音」という既存説明を知らなくても、直前の環境音から類似音を予期した可能性は残る。この手順上の不備は、終了後に記録映像から判明した。
この「みなせ」が人名、姓、命令形「見なせ」、又は無意味音の分節であるかは確定できない。
なお、1989年事故報告には「水瀬澄一」「水無瀬澄」の異表記があり、寺院過去帳欄外には「ミナセ 読ミ違ヒカ」、2026年音響解析報告には補助解析者「水瀬*香」の表記がある。
これらを同一の対象へ結びつける資料上の根拠はない。
とりわけ、音響解析補助者の姓は2026年の依頼票に実在する人物名として記録されたものであり、1989年の異表記と一致すること自体に歴史的連続性を認めるべきではない。本人への追加照会は、事件との無関係及び当時の匿名化方針を踏まえ、実施していない。
寺院過去帳の「ミナセ 読ミ違ヒカ」は本文と異なる筆記具で、記入年代も確定していない。2026年以降の追記ではないことは紙面画像から確認されるが、1989年当時の記入とも断定できない。
同じ音列に接した人物が、既知の表記へ曖昧音を近づけた可能性がある。反対に、各資料の表記が、同一の音を異なる時代の書式へ保存した可能性も、記録だけから否定することはできない。
四 未発表原稿との差異
水城遼氏の未発表原稿には、語形が次の順で変更された履歴が残る。
1. 見なせ
2. ミナセ
3. 水無瀬
4. 見なせ
第三段階の変更者は `r.mizuki` と記録されている。
水城氏は後年の聞き取りに対し、「水無瀬へ変更した記憶はないが、事故報告を参照しながら執筆していたため、自分で変更した可能性が最も高い」と回答した。
同氏は、音声の再公開及び再聴取実験への参加を辞退した。
その理由について、次の書面回答がある。
聞くたびに新しい情報が増えたのではなく、聞くたびに、既に知っている情報を音へ戻していた可能性があります。だから私は、これ以上聞くことを検証とは呼べません。
水城氏は、未発表原稿の全変更履歴についても寄贈対象とした。そこには、編集者が「返事をした者が消える」という記述へ反証例を追加するよう求めた記録、音声比較図の目盛りを訂正した記録、証言者の実名及び完全文字起こしを削除した記録が含まれる。
掲載された2026年8月18日付記事には、「みなせ」「水無瀬」及び人声様成分の完全文字列は掲載されていない。したがって、これらの語が新聞紙面だけから一般読者へ伝播したとは考えにくい。
ただし未発表稿は、公開設定の誤りにより43分間外部から閲覧可能となり、外部接続元を含む112件のページ要求が記録されている。保存・転載された範囲は確定していない。このため、後年の聴取者が既存文字列へ接触していないことを、資料上完全に証明することはできない。
五 付随資料の照合
寄贈資料には、問題の音声以外に次の三点が含まれていた。
1. 2026年7月23日付障害受付票の開示複写。
2. 1989年鳴沢避難事故報告書の複写及び別紙三欠落箇所の写真。
3. 2026年8月8日付保守端末負荷履歴。
受付票にある三件の時刻は、放送が各地点へ到達した時刻ではなく、電話又は窓口で受付が成立した時刻である。負荷履歴は子局の起動を示すが、送出内容を記録しない。別紙三の綴じ穴は資料の欠落を示すが、欠落理由及び内容を示さない。
三資料は、一つの経路へ並べることができる。しかし、並べられることと、同じ原因によって作られたことは同義ではない。
また、2026年8月8日18時36分の未説明負荷について、関係事業者は増幅器の無入力起動、接点不良又は端末再試行の可能性を挙げた。送信ファイル一覧に該当操作はなく、人声を送出した記録もない。現在まで再現試験は成功していない。
旧採石場点検坑で発見された折り畳み椅子は、旧第二集合所の備品と同型であった。椅子が最近移動された痕跡はあったが、録音末尾の音との同一性、移動者及び移動時期は確定していない。
六 記録上の結論
本追補から確認できるのは、以下に限られる。
- 同名の音声ファイルに、異なる作成日時を持つ複製が存在する。
- 作成日時の差には、端末時計、複製、転記、差し替えによる説明が可能である。
- 同一の人声様成分について、複数の聞取人が異なる文字列を記録した。
- 「みなせ」に近い表記が異なる年代・目的の資料へ存在する。
- 表記間の因果関係及び同一性は確認できない。
したがって、音声資料Dが2026年7月21日に作成されたこと、又は同資料が後日の出来事を予告したことを、本研究会は主張しない。
同時に、受入時点でDがなぜその日時と名称を持ち、転記者欄を欠いていたかについて、確定的な説明も得られていない。
資料整理では、欠落を推測で埋めてはならない。
しかし欠落を空欄のまま保存する行為もまた、後の読み手へ、その場所に何かがあったと伝える。
記録は、存在したものだけを残すのではない。
存在しない欄、消された名、聞き取れない音も、読む者によって一つの形へ揃えられる。
その意味で、本稿の聞取人欄は空欄とする。
編集注
本追補の校了後、投稿者不明の訂正依頼が研究会の公開フォームへ送信された。
送信時刻は午前四時六分。
本文は一行のみで、添付ファイル及び送信元を特定できる情報はなかった。
聞こえているなら、まだ返事をしないで。




