名簿にない名前
柏木は宗像寺の裏にいた。
祭礼道具を一人で倉へ戻している。拍子木、鉦、太鼓の撥。どれもきれいに拭かれ、箱へ収められていた。
「久世さんが話しました」
遼が言うと、柏木は手を止めなかった。
「そうか」
「あなたが頼んだ」
「そうだ」
「姉が消える前にも旧N-03を動かした?」
「確認させた。音は出していない」
「何を確認した」
「電気を入れたとき、負荷が出るか」
「なぜ、そんなことを」
柏木は拍子木を箱へ置いた。
「祖父が、事故のあとも同じことをしたからだ」
一九八九年、第二避難指示を出したのは町の対策本部だった。変更を現場へ伝え、旧第二集合所へ誘導した消防団の一人が、柏木の祖父だった。
柏木は倉から、祖父の日記のほかに一枚のカーボン複写を出した。
消防団詰所の電話受信票。十八時十六分、役場より避難先変更の連絡、とある。
事故報告の役場職員は、消防詰所から変更の電話があったと証言していた。正反対だった。
「なぜ今まで出さなかった」
「倉の箱にあった。点呼表を探していて見つけた」
「いつ」
「先月だ」
「姉が来た頃ですか」
柏木は頷いた。
「紗季さんにも見せた。町の報告と合わないと言われた」
「そのあと姉は?」
「点検坑の図面がないか訊いた。俺は知らないと答えた」
「実際は知っていた」
「入口が塞がれたと思っていた。図面が倉にあるとは知らなかった」
嘘と、調べなかったことは別だった。
結果として、どちらも紗季の行先を遅らせた。
道路閉鎖を避けるための判断だった。
その先で土砂崩れが起きた。
「祖父は、自分が名前を読み上げたと言っていた」
「避難者の?」
「点呼表を見ながら、まだ来ていない家の名を放送した。だが録音は残っていない。操作記録には避難先しかない」
「八人目も呼んだ?」
「祖父は最後まで、名簿にない名前を一つ読んだと言った」
「点呼表を見たんですか」
「祖父は見たと言った。事故後、役場へ戻したとも」
「別紙三です」
「そうかもしれん。世帯名を鉛筆で消した跡があったと言っていた」
「誰の名を」
「だから、覚えていなかった」
柏木の証言は、欠けた別紙三の内容を埋めるように出来すぎていた。
祖父の日記を読み、過去帳と事故報告を知ったあとで整理された記憶でもある。
遼は「点呼表に八人目」とは書かず、〈柏木祖父が点呼表を見たとの伝聞〉とした。
「何という名です」
「覚えていなかった。ミナセだったか、見なせと言っただけか。晩年には話が変わった」
「それを隠した」
「証言として出せると思うか」
「出せるかどうかを、あなたが決めた」
柏木は初めて遼を見た。
「町は七人で閉じたかった。寺も名簿に合わせた。うちも、祖父の話を酔った老人の繰り言にした。隠したと言うなら、そうだ」
「祭礼は何のためです」
「事故のあと、祖父たちは同じ道へ音を並べた。呼ぶ声が聞こえる前に、こっちの音で家の場所を知らせる。そう言っていた」
「効果があった?」
「事故が起きなかった年は、全部効果があったことになる。何も起きなかっただけかもしれん」
「異常申告がなかった年は」
「昔は申告窓口もなかった。祭りのあとに変な声を聞いたという話は、毎年一つ二つ出た」
「記録は」
「ない」
「なら、今年だけを比較できない」
「分かってる」
柏木が試したものは、対照も基準もない。
成功すれば祭礼のおかげ、失敗すれば順番か音が違ったことにできる。
信仰としてなら続けられる。
実験としては、何も確かめられなかった。
「今年は美緒さんが消えた」
柏木の顔が歪んだ。
「だから、間違っていた」
「何が」
「順番か。音か。やったこと全部か」
彼にも答えはなかった。
あるのは、祖父の断片を使って現在の設備を動かした責任だけだった。
「点検坑を知っていますか」
遼が訊いた。
「採石場の?」
「旧避難路の先です」
「閉鎖されている」
「保守図では旧N-03の先に管理道が続いてる」
柏木は倉の壁へ掛けられた鍵箱を見た。
一本だけ、札のない鍵があった。




