消された監査履歴
共有フォルダの監査履歴は、紗季の失踪後に一度削除されていた。
通常の画面からは見えなかった。
情報管理担当が、削除済みログを含む管理者向けの監査書き出しを捜査照会に応じて作成し、その一部が市の事故調査資料として開示された。
遼が以前受け取った利用者向け履歴には、更新時刻とアカウント名しかない。
同じサービスでも、誰がどの権限で書き出すかによって、残る事実が違っていた。
削除したのは紗季のアカウントではない。
市の設備保守用アカウント、`nrs-maint`。
七月二十四日午前三時五十八分。録音フォルダを開く。四時一分、音声ファイルの複製を作成。四時七分、操作履歴を削除。四時十二分、ゴミ箱から一部を復元。
四時一分に作成された複製は、四時七分の削除対象に含まれていなかった。
保存先は保守用端末の一時領域。端末が会社へ戻ったあと、通常の保守処理で上書きされたと報告されている。
故意に消したのか、自動削除だったのかは、現在の端末からは判別できない。
ただし共有サービス側の履歴を消す操作は、自動ではなかった。
復元したのは紗季ではなかった。
自動バックアップだった。
「このアカウントを使えるのは」
遼が情報管理担当へ訊くと、担当者は一覧を読み上げた。
危機管理課設備係三名。保守受託会社二名。管理者一名。
久世岳を含む。
端末識別番号は、市役所の保守用ノートパソコンだった。だが、その端末は七月二十三日夜、久世が社外持出手続きをしている。
持出時刻は二十二時十一分。返却は翌朝六時三十二分。
用途欄には〈旧系統障害確認〉とある。
対象設備欄は空白。
上司の承認印は、返却後に押されていた。上司は「久世から口頭で現場確認と聞いた」と説明したが、どの現場かは覚えていなかった。
久世一人の行為を、会社の曖昧な手続きがあとから正規作業に見せていた。
保守点検票の記録と繋がった。
午前三時四十一分、採石場方面へ向かう保守車。
三時五十八分、共有フォルダへアクセス。
旧N-03の新しい防水接続材。
さらに、保守会社の編集履歴には点検票を訂正した端末が残っていた。
八月七日二十一時十四分、使用部材四を三へ。返却三を二へ。
編集者欄は久世。
二つを同時に一つずつ減らしたため、使用数の差は変わらない。
訂正前でも、訂正後でも、未返却は一つに見える。
だが倉庫の払出記録と照合すると、訂正前は二個、訂正後は一個が説明できない。
「なぜ、こんな直し方をした」
野辺は表を見た。
「旧N-03に使った一個を、払出総数からも返却数からも消した。帳面の中だけなら差が合う」
「倉庫記録を見なければ」
「一個使って一個減った、普通の点検に見える」
記録を消すには、数字を全部消す必要はない。
計算が自然に見えるよう、両端を同じだけ動かせばよかった。
久世は後に、この訂正も自分がしたと認めた。
会社へ無断作業を知られないためだった。
「久世が姉さんの録音を見た」
遼は言った。
「見た可能性が高い」
野辺が訂正した。
「端末を別の人間が使った可能性は残る」
「ここまで揃っても?」
「揃ったから、本人に訊ける」
野辺は、三つの資料を時間順ではなく、証明する範囲ごとに並べた。
車両写真は、似た車が採石場方向へ走ったこと。
端末持出簿は、久世が端末を持ち出したこと。
監査履歴は、その端末から保守アカウントが使われたこと。
防水接続材は、誰かが旧N-03へ作業したこと。
四つを合わせれば久世の関与は強くなる。
だが、どの一枚にも「久世が旧N-03を動かした」とは書かれていない。
本人の説明が加わって、初めて一つの経路になった。
警察は既に久世を任意で聴取していた。
遼たちが会えたのは、その日の午後だった。
久世は保守会社の会議室で、一人で待っていた。灰色の鞄は机の横に置かれている。
「美緒さんが見つかっていません」
遼が言うと、久世は頷いた。
「知っています」
「姉もです」
「はい」
「旧N-03を再接続しましたね」
「しました」
あまり簡単に認めたので、遼は次の質問を失った。
「七月二十四日と、祭礼前。二度です」
「なぜ」
「柏木さんに頼まれた」
「頼まれたら、廃止設備を動かすんですか」
「最初は確認だけのつもりでした」
「最初というのは、いつです」
「七月二十四日の未明です」
「祭礼の夜ではなく」
「はい。柏木さんから、旧N-03に電気が通るか見てほしいと言われた」
「姉の録音を聞く前ですか」
久世は首を振った。
「聞いたあとです。正確には、録音フォルダを見つけて、柏木さんへ連絡した」
「あなたから?」
「申告の一件が旧N-03だった。柏木さんが保存会の設備相談窓口になっていたから、過去の配線を知らないか訊きました」
「録音の内容も伝えた」
「人の声らしいということと、十一秒の空白だけです。個人名は聞き取れなかった」
柏木が先に久世を動かしたのではなかった。
久世が規則外の資料へ入り、柏木が古い断片を持ち出し、二人の疑いが互いを強めた。
久世は両手を机へ置いた。
「二十三日の録音を聞きました。相原さんの共有フォルダで。人の声には聞こえなかった。チャイムのあと、圧縮ノイズと室内音が重なっているだけだと思った」
「履歴を消した」
「個人録音へ保守アカウントでアクセスした記録を残したくなかった」
「四時十二分に復元したのは」
「していません」
「履歴には復元とある」
「バックアップでしょう。削除したあと、画面を閉じました」
「共有フォルダの文字起こし画像を更新した?」
「していません」
久世のアクセスは三時五十八分以降。
紗季のアカウントによる文字起こし更新は三時五十二分。
六分だけ早い。
端末時計の誤差と同期遅延を考えれば、前後が逆転する可能性はある。それでも現在の記録上、久世は最後の更新者ではなかった。
人間側の不正が見つかっても、すべての不明な更新を一人へ集めることはできなかった。
「保身のため?」
「そうです」
久世は怪異のせいにしなかった。
「録音を複製したのは」
「現場で波形を確認するためです」
「なぜ現場で」
「旧N-03へ電気を入れた時刻と、音の位置を比べたかった」
「録音は前日のものです」
「分かっています。同じ無音時間が出るかを見ようとした」
「結果は」
「接続しただけでは、スピーカーは鳴りませんでした。増幅器の待機電流が十一秒ほどで一度落ちた。それだけです」
十一秒。
遼はその数字へ反応した。
「計っていたんですか」
「あとから端末履歴で見ました。現場ではもっと短く感じた」
久世も、記録を見てから体験へ時間を与えていた。
「柏木さんは、昔の順番で音を鳴らせと言った。上道、沢道橋、旧集合所、採石場口。音が途切れなければ、呼ぶ声が重ならないと」
「信じたんですか」
「信じていませんでした。確かめたかった」
「結果は」
「機械は動いた」
「人の声は送った?」
「送っていません」
「個人名は」
「一つも」
「柏木さんから、名前を読み上げるよう頼まれなかった?」
「頼まれていません。むしろ人の声は使うなと言われた」
「なぜ」
「分かりません。鳴り物で隙間を埋めろと」
久世は祭礼前に作った作業メモを出した。
四子局の仮称、起動予定時刻、音源番号。各行の余白に、〈人声不可〉と同じ筆跡で書かれている。
紙だけなら、あとから作れる。
だが端末の音源登録履歴にも、八月六日に五つのファイルを読み込んだ記録がある。識別値は祭礼当日の送出一覧と一致した。
久世が機械へ入れたのは、チャイムと鳴り物だけだった。
少なくとも、その点は複数の記録で確かめられた。
久世は端末の送信ファイル一覧を差し出した。
チャイムと鳴り物だけだった。
「十八時三十六分の負荷は」
「送信ではありません。旧N-03の増幅器が、入力なしで一度起動した」
「なぜ」
「分かりません。接点不良、残留電圧、端末側の再試行。調べる前に電源を外しました」
「そのとき、何か聞こえた?」
久世は答えるまで時間を置いた。
「椅子を引くような音がした」
遼は野辺を見た。
「スピーカーから?」
「制御箱の中です」
「録音は」
「していません」
「その音を、誰かに話しましたか」
「柏木さんに。祭礼前の打合せで」
「御厨さんには」
「知りません」
「姉には」
「会っていません」
投稿三十一番の椅子音が、久世から柏木を経て漏れた可能性が生まれた。
だが投稿画像の表示時刻が正しければ、久世が最初に旧N-03へ行くより前に投稿されている。
画像が後から作られたなら、人間の漏洩で説明できる。本物なら、説明は戻ってこない。
遼は久世の供述で謎が解けたのではなく、画像の来歴が分岐点になったことを記した。
設備の作動は記録されていた。
聞こえた内容は、久世の証言にしかなかった。
「今朝、どこへ行っていたんです」
「旧N-03です。仮設接続を外しに」
「美緒さんが消えたあとに、証拠を消した?」
「危険な設備を止めた」
「会社へ行先を告げず、位置管理も切って」
「処分されると思いました。端末を取り上げられる前に外したかった」
「保身でしょう」
「それもあります」
久世は否定しなかった。
「外した接続材は警察へ渡しました。現場写真もあります」
止める行為と、痕跡を消す行為は同じ手順だった。
久世の目的だけでは、どちらか一方に決められない。




