揃えられた靴
美緒の不在に気づいたのは、介護用品店の同僚だった。
同僚は、最初に美緒の自宅へ行った。
玄関は施錠され、新聞は一部だけ郵便受けに残っていた。窓から呼んでも返事がない。店長から預かった緊急連絡先へ電話し、親族が遠方だと分かってから警察へ届けた。
遼へ連絡したのは、美緒が「新聞記者に相談している」と同僚へ話していたからだった。
「何の相談ですか」
同僚に訊かれ、遼はすぐ答えられなかった。
「放送についてです」
「昨日の祭りと関係があるんですか」
「分かりません」
分からないと答えることが、以前より難しくなっていた。
翌朝の出勤時刻を過ぎても連絡がなく、自宅にもいない。昨夜、祭礼へ行くと話していたため、保存会へ問い合わせた。
遼のところへ連絡が来たのは、午前九時二十分だった。
美緒の携帯電話は繋がらない。
自宅には、亡母の茶碗が流し台へ伏せられていた。旅行の支度はなく、財布も持って出ている。昨夜の服装のまま戻っていない。
台所には茶碗が二つあった。
一つは美緒のもの。もう一つは亡母が使っていたもの。
どちらも洗われ、同じ向きに伏せられている。
遼は以前の取材で、母の茶碗だけを毎晩出していると聞いた。二つとも使ったのか、洗い直しただけかは分からない。
警察官は食器を失踪の証拠として扱わなかった。
遼だけが、電話の最後に聞いた食器音を思い出した。
思い出したことを伝え、推測は加えなかった。
警察は祭礼順路を捜索した。
祭礼本部の名簿は、参加者全員を記録したものではなかった。献灯を申し込んだ百四名、保存会三十二名、消防団十八名。見物人と通行人は数えられていない。
防犯カメラは湖畔駐車場に二台、寺の参道に一台。広場から北側遊歩道へ抜ける道は映らない。
警察は、美緒の写真を係員へ見せた。
三人が似た女性を見たと答えた。
一人は白い上着、一人は紺色、一人は服装を覚えていない。美緒が着ていたのは薄い灰色だった。
時刻も、六時半、七時ごろ、送り鐘のあとと分かれた。
同じ女性を見たのか、別の参加者を美緒の写真へ寄せたのかは分からない。
ただ、送り鐘のあとに見たという係員は、女性が「三つ目はどちらですか」と訊いたと話した。
「その言葉を、昨夜のうちに記録しましたか」
遼が訊くと、係員は首を振った。
「いま写真を見て、思い出しました」
遼の記事を読んだか訊くと、読んでいないと答えた。パンフレットには三つ目という語はない。
証言は捜索の手掛かりとして警察へ渡された。
怪異の証拠としては、後から得た記憶だった。
湖畔広場から宗像寺まで。上道分岐。沢道橋南。旧第二集合所跡。
美緒の靴は、湖畔の遊歩道脇で見つかった。
片方だけではなく、揃えて置かれていた。
踵は水辺ではなく、遊歩道側を向いていた。靴下の足跡は、乾いた舗装の上には残っていない。
靴の内側に砂は少なく、湖へ入ったと断定できる状態ではなかった。
誰かが運んで置いた可能性も、美緒自身が脱いだ可能性もある。
捜索員は湖面と岸を確認したが、すぐに入水へ絞らなかった。
揃った靴は、失踪の物語として分かりやすすぎた。
遼は写真を撮らなかった。
警察の記録がある。自分の携帯電話へ、取材対象の最期のような画像を増やしたくなかった。
遼は最初に、紗季の失踪との共通点を探した。
録音を聞いた。名前を呼ばれた。祭礼に来た。返事をした。
最後の一つで止まった。
美緒は返事をしていない。
第2章で、何度も確認している。
ただし「返事をしていない」というのも、美緒の自己申告だった。
遼はその留保を思い浮かべた。
そして、だから返事をしたかもしれない、と規則を延命しようとする自分に気づいた。
反証が出るたび、見えない例外を足せば、どんな規則も壊れない。
それは検証ではなかった。
返事をした男は消えず、返事をしなかった美緒が消えた。
ネット怪談の規則は、最初から成立していなかった。
遼がその規則に合わせて人を見ていただけだった。
警察が通信会社から得た概略位置では、美緒の端末は午後七時十八分ごろ、湖畔ではなくN-04周辺の基地局範囲にあった。
基地局の範囲は、地図上では扇形に広がっていた。N-04、沢道橋、旧第二集合所の一部、湖畔北側までが入る。
端末は基地局と通信しただけで、N-04の直下にあったわけではない。
野辺は透明紙へ範囲を写し、靴の位置と重ねた。
端同士は重なっていた。
美緒が歩いたと決めるには弱い。
西側を捜索から外すには、広すぎた。
「靴の場所と違う」
野辺が地図を見た。
「範囲だ。点じゃない」
「それでも西へ移動してる」
「携帯だけがな」
祭礼の公開順路は、寺から湖へ向かう。
昨夜の子局は、上道から沢道橋、旧第二集合所、採石場口へ向けて鳴った。
逆向きだった。
美緒は湖畔から、子局の列を遡る方向へ動いたように見える。
紗季の録音にあった言葉が蘇る。
沢道を、三つ目まで。
遼は柏木へ電話をかけた。
繋がらなかった。
久世にも繋がらない。
遼は昨夜撮影した保守車の写真を、ようやく警察へ送った。
送信時刻は午前十時四十八分。
撮影から十六時間以上が過ぎている。
止めずに観察した判断が捜索へ役立つかもしれない、と遼は考えていた。
だが警察から最初に訊かれたのは、なぜ昨夜送らなかったのかだった。
遼は、音列の行先を見たかったと答えた。
姉の捜索のためだった、とは言わなかった。
それを理由にすれば、自分の選択が正しくなるように聞こえたからだ。
保守会社へ確認すると、久世は朝から現場点検へ出たという。行先は記録されていなかった。
社用車の位置管理は、午前八時十二分から通信不能になっていた。
最後の位置は、会社を出て西へ向かう県道。採石場へ行く道とも、別の保守現場へ行く道とも重なる。
会社は、久世が持ち出した点検端末の遠隔停止を試みた。
応答はなかった。
久世が逃げたようにも、圏外へ入ったようにも見えた。
遼は後者であることを望んだ。
久世が採石場方面にいるなら、美緒か紗季の場所を知っているかもしれない。
同時に、彼が二人の失踪へ関わっている可能性も高くなる。
希望と疑いが、同じ地図の同じ方向を指していた。




