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未登録放送  作者: NoNaMe
3/22

十一時間後

 鳴代市は、中心市街を抜けると急に空が広くなる。


 東側には湖があり、西側には山が迫っている。その間へ新しい住宅地と古い集落が押し込まれ、合併前の町名だけが道路標識やバス停に残っていた。


 湖東台へ向かう坂道で、野辺の車のラジオが正午前のニュースを読んでいた。県内の最高気温、河川の水位、昨夜から連絡の取れない市職員。


 名前は出なかった。


「もうニュースになってる」


「警察発表じゃない。市役所の職員が来てないって話が回っただけだ」


 野辺は前を見たまま言った。


「だから、お前は記事を書くな」


「まだ何も言ってません」


「言う前に言ってる」


 紗季の住む集合住宅は、湖東台二丁目の端にあった。白い外壁は雨筋で灰色になり、駐車場には昨夜の雨が浅く残っていた。


 玄関前に警察官が一人いた。


 直子は台所の椅子へ座り、両手で冷めた湯呑みを包んでいた。遼を見ると立ち上がりかけ、やめた。


「ごめんね。仕事だったでしょう」


「姉さんの部屋、見てもいい?」


 直子は警察官へ目を向けた。若い警察官は、荒らさないようにとだけ言った。


 部屋に争った跡はなかった。


 寝室の布団は畳まれている。財布と健康保険証は机の引き出しにあり、通勤用の鞄がない。紗季が普段履く靴も玄関から消えていた。


 計画して出たようにも、仕事へ行くつもりで出たようにも見えた。


 居間の窓際に、小さな机と椅子があった。


 机の上には市の封筒、祭礼のパンフレット、付箋を貼った事故報告の複写。端に、空のマグカップが二つ並んでいた。


「誰か来てた?」


 遼が訊くと、直子は首を振った。


「昨日は私もこっちにいなかった。あの子、同じカップを二つ使うことがあるから」


「一人で?」


「片方にコーヒー、片方にお茶」


 あり得る説明だった。


 片方のカップの底には、乾いた茶葉が一枚だけ張りついていた。


 窓を開けると、湖から湿った風が入った。遠くに防災無線のスピーカーが見える。白い柱の上で、四つのホーンが別々の方角を向いていた。


 録音はここで行われたのではない。


 ファイル名の窓際は、市役所の窓だ。


 それでも遼は携帯電話を取り出し、同じ位置へ置いた。


「何してるの」


「音がどう入るか見てるだけ」


 直子は何か言いかけた。


 そのとき、台所で陶器の触れ合う音がした。


 三人ともそちらを見た。


 流し台の水切り籠で、皿が一枚、ゆっくり傾いて止まった。


 警察官が窓から入った風だと言った。


 台所の窓は閉まっていた。


 遼は何も言わず、携帯電話の録音を止めた。


 波形には、皿の音が大きく残っていた。


 人の声はなかった。


 遼は録音を警察官にも聞かせた。


 若い警察官はイヤホンを片耳だけに入れ、チャイムのあとで眉を寄せた。


「何か喋っていますね」


「名前は?」


「名前?」


「最初に、何と聞こえました」


 警察官はもう一度再生しようとした。


「一回だけで答えてください」


 遼が止めると、相手は不審そうにイヤホンを外した。


「分かりません。女の声みたいですが」


「俺には自分の名前に聞こえた」


「水城さんの?」


「姉には、姉の名前に聞こえたらしい」


 その説明をしたあと、警察官が録音を聞けば、もう独立した聞き取りにはならない。遼は気づいたが、遅かった。


「ファイルを提供してもらえますか」


「姉の捜索に使うなら」


「用途はこちらで判断します」


 遼は転送画面を開き、指を止めた。


 録音には市職員の会話が入っている。無断で第三者へ渡してよいのか。姉は遼へ送ったのであって、警察へ提出したわけではない。


 だが、姉の意思を確認できないからこそ捜索届を出している。


「コピーを取って、原本は端末に残してください」


 野辺が横から言った。


「転送日時と渡した相手を記録する。音声を編集せず、ファイル情報も一緒に」


 警察官は頷いた。


 遼はファイルを送った。


 送信済みの表示が出る。


 同じ録音が三つになった。


 紗季の共有フォルダ。遼の携帯電話。警察の端末。


 内容が同じでも、保存場所が増えるたび、誰が何の目的で聞くかが変わる。


「紗季さんの最近の様子で、変わったことは」


 警察官が直子へ訊いた。


「仕事を持ち帰ることが増えていました」


「悩みや人間関係は」


「あの子は、悩んでいても整理してから話すから」


「交際相手は」


「いません」


 直子はすぐ答えた。


 遼には、その即答が事実を知っているからか、知られたくない話題を閉じたからか分からなかった。


「水城さんとは、よく連絡を?」


 今度は遼が訊かれた。


「月に一度くらい」


「最後に会ったのは」


「正月です」


 口にすると、半年以上前だった。


 姉が自分を頼ったことに、遼は特別な意味を感じていた。だが単に、日常を知らない相手だから送れたのかもしれない。近くの人間へ言えば心配される。遠くの弟なら、資料として扱ってくれる。


 記者として選ばれたのか。


 家族として選ばれたのか。


 あるいは、どちらでもない、聞いてくれる誰かとして選ばれただけか。


 警察官は紗季の写真を一枚借り、部屋を出た。


 直子が流し台からマグカップを二つ持ってきた。


「これ、片づけてもいいのかしら」


「警察に訊いた方がいい」


「事件じゃないかもしれないのに」


「事件じゃなかったら、戻ってきて怒るだけだよ」


 直子は少し笑った。


「そうね。紗季、勝手に机を触ると怒るものね」


 遼は、姉が戻ったときの話をする直子を見た。


 自分も同じように話すべきだと思った。


 だが頭の中では既に、失踪時刻と録音の作成日時を並べていた。


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