六分間隔
午後六時六分、上道のN-07が鳴った。
定時チャイムが終わってから六分後だった。
遼は携帯電話と腕時計を時報へ合わせていた。設備の時計が正しいとは限らないため、聞こえ始めと終わりを自分の時計で記録する。
御厨は湖畔、美緒は広場の外、野辺は市役所の夜間窓口にいた。それぞれ別地点で、聞こえた時刻だけを送り合う。内容は全行程が終わるまで共有しないと決めた。
独立記録のつもりだった。
だが全員が、六分間隔になる可能性を既に知っている。
宗像寺門前では、まだ献灯の列が動いていた。最初の拍子木が響くと、蝋燭へ火を移していた人が手を止めた。消防団員は誘導灯を下げ、子供は提灯を持ったまま顔を上げた。
二打。
間を置いて、鉦が一度。
機械から再生された拍子木は、現物より乾いていた。最初の打音の後ろへ、録音した部屋の反響が短く残る。それが屋外拡声器から再生され、山の反響と重なった。
音が二重の場所を持っていた。
録音した部屋と、いま鳴っている山道。
パンフレットに記された現行順とは違った。
遼は時刻を記録した。
音は寺の境内からではなく、山道に立つ拡声子局から届いている。近いのに反響がなく、どの方向から鳴ったか分かりにくい。
人々が動き始める。
午後六時十二分、沢道橋南のN-05。
拍子木二打。鉦一打。一拍の空白。太鼓三打。
空白の間、川音だけが聞こえた。
橋の上で足を止めた高齢の女性が、空白に合わせて唇を動かした。
遼があとで訊くと、亡くなった夫の名を唱えたと答えた。
「返事をしない決まりでは」
「呼ばれたら、でしょう。私から呼ぶのは違う」
パンフレットには、その違いは書かれていない。
規則は、守る人の数だけ形を変えていた。
誰も名前を呼ばない。
午後六時十八分、旧第二集合所前のN-04。
三度目の音だけ、鉦の後ろに低い擦過音が入った。
遼の近くにいた三人が同時に顔を上げた。
「いま、人の声が」
一人が言った。
別の二人は、太鼓を運ぶ台車の音だと答えた。
遼の録音には、車輪が砂利を踏む音が入っていた。その下に声があるかは判別できない。
遼はその場で文字起こしをしなかった。空欄のまま時刻だけを記した。
ここで公開順路は湖畔へ折れる。だが、三度目の音は西側、採石場へ向かう道から聞こえた。
遼は保守車を探した。
祭礼の列から外れ、旧消防倉庫の裏へ回る。白い車が停まり、後部扉から黒いケーブルが伸びていた。
車内には携帯発電機、蓄電池、点検端末、小型増幅器が固定されていた。
ケーブルは発電機から増幅器へ入り、別の線が車外へ出ている。旧N-03で見た細管と同じ太さの接続器が、予備として棚へ二つ並んでいた。
遼は扉を開ける前に、車体番号、機材配置、端末画面を連続写真で残した。
警察へ送信する画面まで開いた。
送信すれば久世は止められるかもしれない。送信しなければ違法な操作が続く。同時に、旧N-03へ至る音列が最後まで残る。
遼は写真を下書き保存し、送らなかった。
久世が車内の端末を操作している。
「何を送ってるんです」
遼が扉を開けると、久世は画面を隠さなかった。
音声ファイル名が並んでいる。
定時チャイム。拍子木。鉦。太鼓。送り鐘。
個人名を含むファイルはない。
「これだけです」
久世は一覧の各ファイルを開き、長さと波形を見せた。
チャイム四十二秒。拍子木一・八秒。鉦二・一秒。太鼓三・四秒。送り鐘八秒。
音声ファイルの総数は五つ。送信キューにも、個人名や長い人声を含むファイルはない。
「別の媒体から入力できますか」
「外部入力端子はあります」
「今、繋がってる?」
久世は配線を指で追った。端子には何も挿さっていない。
「無線で差し替えは」
「この構成ではできません」
機械が送った内容について、久世の説明は検証できた。
聞いた人間が何を聞いたかについては、証明にならなかった。
「旧N-03にも?」
「確認信号を出します」
「回線はないはずだ」
「局地接続です。ここから中継を飛ばさず、保守端末で直接起動する」
「違法でしょう」
「契約外作業です」
「言い換えても同じだ」
「同じなら、正しい言葉を使います」
久世は時刻を見た。
「次が最後です。止めますか」
決定を遼へ渡す言い方だった。
「止めたら、何が起きる」
「分かりません」
「続けたら」
「分かりません」
久世の指は送信ボタンの横にあった。
「あなたは、何を知ってるんです」
「機械のことだけです」
「機械のことだけで、こんなことをする?」
久世は画面を見た。
「機械のことだけでは説明できないとき、人は機械を使って確かめたくなる」
午後六時二十四分。
遼は止めなかった。
送信ボタンを押す久世の指と、端末の時計を動画に収めた。
操作の共犯にならないための記録だった。
だが止められる位置にいて止めなかった事実も、同じ動画に残った。
久世が送信した。
旧N-03の方向から、拍子木と鉦が聞こえた。
音量は小さくなかった。山の向こうからではなく、耳のすぐ外側で鳴ったように近い。
その一拍の空白で、車内の冷却ファンが止まった。
遼は息を止めた。
太鼓が三度鳴ると、ファンは何事もなく回っていた。
「今、止まりましたか」
「何がです」
久世は画面から目を離さずに訊いた。
端末の負荷表示は、送信開始から十一秒後に一度だけ落ち、すぐ戻った。
久世は画面を撮影した。
「電源が不安定なんですか」
「負荷が抜けたように見えます。でも音は続いていた」
「ファンも止まった」
「発電機側は別回路です」
久世は初めて、遼と同じものを見た顔をした。
それでも個人名を聞いたとは言わなかった。
序章の録音で、紗季も同じ問いを聞いたのかもしれなかった。




