同じ時刻の別の声
東嶺音響鑑定室は、鳴代市から車で二時間の県庁所在地にあった。
担当の真壁冬一は、最初に三つの録音の時計を信用しないと言った。
真壁は依頼を受ける前に、音源ごとの来歴表を作らせた。
誰が録音し、誰が保管し、どの方法で送信し、どの端末を経由したか。
紗季の録音は、紗季の携帯電話から共有サービスへ保存されたと推定。その後、遼がパソコンへ取得。
美緒の音源は、遼のイヤホンから漏れた音を美緒の携帯電話で録音し、メッセージアプリで送信。
掲示板投稿者提供とされる音源は、御厨が匿名の復元協力者から受領。元端末不明。
「三つ目は鑑定資料になりませんか」
「分析はできます。来歴不明という条件が付く」
「結果が一致すれば」
「来歴が証明されるわけではありません。最初の音源の複製を、別人の録音として受け取った可能性もある」
真壁は各ファイルの複製を作り、原ファイルのハッシュ値を記録した。
「解析で音を切ったり増幅したりすると、別ファイルになります。何をしたか戻せるようにする」
遼は自分がこれまで、再生しやすいよう音量を上げ、不要部分を切り、名前を変えた複製をいくつも作ったことを思い出した。
原本と思っていたものの隣に、どの加工をしたか分からないファイルが並んでいる。
真壁へ渡す前、遼は最初に取得した日時のファイルを探し直した。
「端末表示の十八時は、測定時刻じゃありません。まず、録音に入っている既知の音を合わせます」
姉の携帯電話、美緒の漏れ音、御厨が保存していた掲示板投稿者提供の音源。
三つを画面へ縦に並べる。
真壁は遠くの踏切、国道の大型車、定時チャイムの立ち上がりを探し、時間軸を少しずつずらした。
波形が重なった。
「同じ録音ですか」
「そうは言っていません」
真壁は三つの一致点へ印を付けた。
踏切の警報開始。
大型車が継ぎ目を通る二つの衝撃音。
チャイム末尾に重なる犬の吠え声。
真壁は拡大した。
「三点の間隔は一致しています。同じ時間帯、近い地域の環境を含む可能性は高い。ただ、一つのファイルの複製か、別端末が同じ環境を録ったかは来歴がないと分かりません」
音量の違いは距離や建物でも、圧縮や再生音量でも生じる。どちらの説明にも使えた。
「人の声は」
「人声様成分、と呼びます」
二十七秒の帯を切り出す。
見た目はよく似ていた。遼が指摘すると、真壁は三つの縦軸を揃えた。
似ていた形が崩れた。
遼が記事用に作った比較図は、各波形が枠いっぱいになるよう自動拡大されていた。
最大振幅の違う音でも、同じ高さに見える。
時間軸も、一つだけ二十七秒、ほかは三十二秒だった。
「捏造したつもりはありません」
「図は、作った人のつもりではなく、読んだ人に何を示すかです」
真壁は同一目盛りの図と、個別拡大の図を二枚作った。
後者には〈形状確認用・振幅比較不可〉と大きく入れた。
注記が増えるほど図は見づらくなった。
見づらさは、資料の限界を隠さないために必要だった。
「表示倍率が違いました」
「わざとですか」
「元の解析画面をそのまま並べただけです。比較するなら尺度を確認する。新聞の図でも同じでしょう」
補助者が別室で音源を聞き、語句を記録した。
……きこ。
まだ。
ないで。
固有名は聞き取れない。
「事件のことは伝えていません」
真壁が言った。
「補助者の名前は?」
「公表資料では伏せます」
机の依頼票に、担当者一覧があった。
補助解析、水瀬香澄。
水瀬。
遼の視線に気づき、真壁が票を裏返した。
「彼女を聴取者に選んだのは、私です」
「姓を知っていて?」
「事故報告の姓は、依頼資料にありました。選んだあとで気づいた」
「なら別の人に替えるべきだった」
「替えれば、姓が一致した人を意図的に除いたことになる。だから選定経緯を記録し、もう一人にも独立して聞かせます」
二人目の補助者は、〈きこえる〉〈そこで〉〈して〉と書いた。
〈まだ〉も〈ないで〉もなかった。
水瀬香澄の記録だけを採用すれば、遼が聞いた文章へ近い。
二人を並べれば、共通部分はさらに減った。
「関係者の姓と似ている、というだけで線を引かないでください。県内にある姓です」
「珍しい姓でしょう」
「珍しさは因果関係ではありません」
報告書の結論は短かった。
三録音は同じ時間帯の環境音を含むとみられる。
人声様成分について、共通の語句、話者、発生源は確定できない。
遼は「同じ時間帯」を「同時刻」へ直せないかと頼んだ。
「何秒まで一致しています」
「基準にした環境音の間隔は、誤差内で一致します」
「なら同時刻でいいでしょう」
「端末それぞれの録音遅延、再生経由、ファイルの切り出し位置が分かりません。同時刻と書けば、同じ瞬間に別地点で録られたと読まれる」
「それを確かめるための鑑定です」
「確かめられなかったことを、目的だったから結論にはできません」
真壁は報告書の題名も、遼が依頼票へ書いた〈未登録放送音声比較〉から〈提供三音源の音響的比較〉へ変えていた。
「未登録放送かどうかは、市の設備記録と照合する人が判断することです。私は音しか見ていない」
専門家が範囲を狭めるほど、答えを避けているように感じる。
だが範囲を越えた断定は、専門家の肩書きで推測を強く見せるだけだった。
遼は最終稿へ署名する真壁の手元を見た。
日付、使用機器、解析ソフトの版、受領ファイルの識別値。結論より長い条件一覧。
条件があるから、別の人間が同じ資料を調べ直せる。
遼が期待した答えの、手前までしか書かれていなかった。
それは慎重さであり、限界でもあった。




