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未登録放送  作者: NoNaMe
18/25

旧N-03

 旧N-03へ続く道は、地図より先に草で消えていた。


 沢道橋を渡り、旧第二集合所跡の標柱を過ぎ、採石場方面立入禁止の看板で県道を外れる。そこから先は、舗装の割れ目から伸びた草が車体の底を擦った。


 遼は途中で車を置き、徒歩で進んだ。


 警察へ位置を共有し、十八時半までに戻らなければ連絡するよう野辺へメッセージを送った。


 野辺からはすぐ電話が来た。


「一人で行くな」


「道の確認だけです」


「確認する人間が行方不明になったら、確認にならない」


「警察は写真だけでは動けないと言った」


「だからお前が動くのか」


 遼は返事をせず、現在地の共有だけを続けた。


 姉も同じように、誰かへ位置を送っただろうか。


 共有フォルダには、現地調査予定とだけあった。日時も同行者もない。記録を残す姉が、そこだけ残していない。


 残せなかったのか、意図して残さなかったのか。


 道の左手には、古い距離標が草に埋もれていた。二、と読める。さらに進むと、頭の欠けた石仏。三つ目の曲がりを数えようとしている自分に気づき、遼は数えるのをやめた。


 午後六時が近かった。


 山の陰は既に暗く、雨を含んだ土の匂いがした。採石場の岩壁が木々の向こうに白く見える。


 子局は道の脇に立っていた。


 灰色の鋼管柱。上部に四つのホーン。根元の制御箱は錆び、扉の下に茶色い筋が伸びている。


 撤去済みという言葉から、遼は柱だけを想像していた。


 形が残っていれば、鳴りそうに見えた。


 制御箱へ近づく。


 南京錠は古い。だが、箱の下から出る管へ巻かれた防水テープだけが黒く、艶を残していた。


 周囲の草も一箇所だけ倒れている。


 遼は箱へ触れず、四方向から撮影した。テープの幅、巻き数、管との境目。足跡のそばへ自分の靴を置かず、携帯電話の定規表示を写し込む。


 踏み跡は一人分には見えなかった。


 大きな長靴の跡。その上へ、細い靴底の斜線が重なっている。いつ付いたものかは分からない。雨の前後すら、遼には判定できなかった。


 制御箱の背面では、地面から上がった管が途中で切断されていた。切断面は赤錆に覆われている。電源撤去済みという市の説明とは矛盾しない。


 新しいテープは、切断された電源管ではなく、もう一本の細い管に巻かれていた。


 遼は久世へ写真を送った。


〈これは何の管ですか〉


 返信はなかった。


 電話は呼び出し音のあと、留守番電話へ切り替わった。


 知らないから答えないのか、知っているから答えないのかは分からない。


 遼は写真を撮った。


 久世へ送ろうとして、やめた。先に記録を保全したかった。誰かが来てテープを剥がせば、写真だけが残る。


 十八時になった。


 遠くで定時チャイムが始まった。


 山に遮られ、旋律は途切れ途切れに届いた。最後の一音が聞こえない。


 旧N-03のホーンは沈黙していた。


 チャイムが終わる。


 虫が鳴いている。


 葉から水滴が落ちる。


 遼は携帯電話で録音を始めた。


 十一秒を数えた。


 何も消えなかった。


 十二秒目、制御箱の中で何かが動いた。


 金属片が一度だけ震える、短い音だった。


 遼は箱へ耳を近づけた。


「姉さん」


 自分から呼んでいた。


 返事はない。


 代わりに、山の上から遅れて同じ声が戻った。


 姉さん。


 普通の山彦だった。


 遼は録音を止め、再生した。


 虫。水滴。自分の声。山彦。


 制御箱の音だけが入っていなかった。


 何度聞いても、その位置には水滴の音が一つあるだけだった。


 遼はもう一度、制御箱から三メートル離れて録音した。


 今度は何も鳴らなかった。


 箱へ耳を近づける。内部から、雨水が落ちるような微かな音がする。最初の一音も水滴だったのかもしれない。


 そう考えた直後、ホーンの一つが夕方の冷えで縮むように、低く軋んだ。


 携帯電話の波形は動いた。


 再生すると、軋みは入っていた。


 最初の音だけがない。


 遼は二つの記録を分けた。


〈一回目・本人聴取、録音上確認不能〉


〈二回目・本人聴取、録音上確認〉


 同じ場所で聞いた機械音でも、証拠としての強さは同じではなかった。


 帰路につく前、遼は箱の前へ細い枝を一本置いた。誰かが扉へ近づけば折れる位置だった。


 置いてから、それが調査ではなく罠に近いと気づいた。


 写真を撮り、野辺へ位置と一緒に送った。


 翌日、枝は折れていた。


 警察官が現地確認のために踏んだものだった。


 遼が作った痕跡は、自分で意味を与える前に、別の人間の行動を巻き込んでいた。


 現地確認をした生活安全課の警察官は、写真を二十七枚撮った。


 扉は施錠されたまま。南京錠に破壊痕なし。制御箱の外側から、事件に結びつく指紋は採れない。防水テープの新旧についても、製造年や施工日までは判断できない。


「新しく見える、では足りませんか」


「あなたの写真からも、新しく見えます」


「なら」


「新しく見えることは記録できます。誰が、いつ、何のために巻いたかは別です」


 警察官は、箱の背後に残った細い管も撮った。


「これは電源ではないそうです」


「誰に確認したんです」


「市の設備担当です。旧式の有線系統か、点検用の予備配管だろうと」


「久世さんですか」


 警察官は担当者名を答えなかった。


 その日の夜、久世からようやく返信が来た。


〈写真の細管は旧信号線用です。現行設備との接続はありません〉


〈テープは?〉


〈保守上、露出部を処理することはあります〉


〈最近、処理しましたか〉


 既読は付かなかった。


 翌朝、市の広報を通じて正式回答が届いた。


〈旧N-03は電源・信号線とも撤去済みであり、現行の親局設備から起動することはできない〉


 遼が訊いたのは、久世が最近テープを巻いたかどうかだった。


 回答は、中央設備から起動できないという説明へ戻っている。


 嘘ではないかもしれない。


 質問への答えでもなかった。


 野辺は正式回答を記事用フォルダへ保存し、久世の私信とは分けた。


「なぜ分けるんです」


「責任を負う主体が違う。市の回答と、担当者個人の説明を混ぜるな」


「内容はほとんど同じです」


「同じに見える時ほど分けろ。あとで片方だけ訂正される」


 遼は二つの文書へ別々の番号を振った。


 旧N-03が鳴らないという説明は増えた。


 鳴らないはずの設備へ、誰かが近づいた痕跡も消えなかった。


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