第一話 墓参り
運命はあると信じている────
───でなければあり得ないのだ。この世のあらゆる事象に説明がつかなくなる。
あの子と出会った。
人生で一番幸せだった。
アイツと出会った。
世界が輝き出した。
3人で過ごした。
幸せの絶頂にいた。
アイツが死んだ。
あの子と俺が泣いた。
俺は死んだ。
あの子は泣いたらしい。
あの子は自分を呪った。
あの子は死んだ。
この出来事は、すべて運命のせいだ。
───でなければ俺は……。
───────────狂ってしまう。
だから今日も、俺は運命に指を立てる。
自分に何ができるかなんて、
考えるだけ無駄なことだと分かっている。
俺はカーテンを閉め切った自室で、布団に丸まりながら己の考えを口に出した。
やはり、口に出すと少しだけ楽になる。
「行かないと。」
俺はのっそりと気怠そうに腰を上げ、のびをした。
背中はバキバキと鳴り、大きなあくびをした。
深呼吸をすると、部屋の湿った空気が鼻につく。
空気を入れ替えるために窓を開け、外を見る。
そこには、大きなお屋敷があった。
左右対称に造られた立派な和風屋敷。
庭木が何本も植えてあり、池の中には錦鯉が泳いでいた。
しかし、その鯉たちはどこか息苦しく生きているように見えた。
まるで檻の中に繋がれている動物のようだ。
そう。そこが、俺の幼なじみ。紫木姫乃の家だ。
そして、その豪邸の真ん前に佇む、場違いな民家。
それが俺達、夏目家。
その家の両親の長男もとい、一人っ子の俺が夏目順。
俺は目を擦りながら下の階へ降り、急ぎ足で朝の身支度を終わらせる。
パンを三口だけ頬張り、軽く朝ごはんを済まして外へ出る。
春の少し湿った風が頬を撫で、沈んだ気分を更に重くする。
道端には桜の花びらが静かに舞い落ち、風に乗って足元を転がっていく。
本来なら綺麗だと思える景色も、今日だけは色を失って見えた。
今日は何もかもする気が起きなかった。
しかし、学校へは行かないと姫乃を1人にしてしまう。
その思いで、必死にやる気を出した。
俺はいつもより30分早く起き、家を出た。
あの場所へ訪れ、手を合わせるためである。
約束した時刻よりも10分早く家を出たのに、それよりも早く姫乃は仏頂面で待っていた。
「早いですね。まだ、約束の時刻の10分前ですよ?さすがですね。」
「姫乃の方が早いじゃないか。」
俺の事を低く見ているのか、甘やかしているのか、俺はよく姫乃に褒められる。しかし、赤ん坊に褒めているかのような褒め方をするので、俺は好ましくない。
流石に普段の30分前に起きた姫乃はいつもより眠たそうだ。
「ふ、ふぁー。っ!失礼しました……。
おはようございます順。」
姫乃は相変わらず、丁寧な言葉遣いで小学校からの仲の俺に敬語を使う。
普段からタメ口でいいと言っているのに、癖ですからとさらりと受け流されてしまう。
俺たちはいつもの通学路とは別の道を辿り、昔よく使っていた通学路を歩いた。
その足取りは重く、まるで鎖が繋がれているかのようにずっしりとした鈍い足になった。
姫乃とは言葉を交わさない。
話したいことは沢山ある。
それでも、何を口にしても軽く聞こえてしまいそうで、結局何も言えなかった。
聞こえるのは、靴がアスファルトを叩く音だけだった。
そして、数十分もしないうちにあの場所へ来た。
俺と姫乃は2人の小学校からの親友、アイツの命を落とした場所へ。
去年とは違い新しく鼻が添えられ、新しいオレンジジュースが置かれていた。
アイツはオレンジは嫌いなのにな。
あの日から一年。
景色は何も変わっていない。
車は走り、人は笑い、風は吹いている。
世界だけは、何事もなかったかのように今日を迎えていた。
俺たちの時間は止まったままだと言うのに。
皮肉なものだ。
俺はアイツが目の前で死んだあの日を思い出し、下唇を強く噛む。
いつの間にか血が吹き出ていた俺の唇を、自分への怒りで震える手で血を拭い、
その場所に手を合わせ涙を堪えながら目をつぶった。
目を閉じると、聞こえてくるのは鳥のさえずり、子供たちの笑い声、静かな春の風の音。
しかし、俺の心は酷く騒がしい。
暖かい春の風に心を奪われる人が多いこの時期。
俺はこの風が吹くたびに思い出す。
まだ、ここに居るかのように感じるアイツの姿が。
まだ、生きているのではないかとそう、錯覚してしまう。
春を感じる度にあの瞬間が蘇る。
腸が煮えくり返るような後悔が昨日のように鮮明だ。
通る場所が違っていれば、
俺がアイツを咄嗟に突き飛ばしていれば。
植木鉢が降ってくることは無かった。
……いや。
そもそも、俺がアイツと会っていなければ。
アイツは死ぬことは無かった。
この一年幾度となく考えてきた。
しかし、何度考えても答えは出ない。
考え込んでいたら、俺の背中に感触があった。
「お話は出来ましたか?
あの人も順と話せて嬉しかったはずです。
さぁ、学校に遅れてしまいますよ。行きましょう。」
俺の目を真っ直ぐ見るその姫乃の目は少し涙目で、下の方には涙の跡があった。
立ち上がると、強く風が吹いた。
その風に乗って散ったはずの桜が舞った。
桜の花びらは天高く舞い上がり、やがて見えなくなった。
俺たちは今日の授業について話しながら登校していた。
課題もどうでもいいものばかりだが、
数学の課題は終わらせたとか、あの先生は教え方が悪いとか。
まるで、アイツの事を忘れてしまったかのように。
……違う。 振り切ったかのように────
こうやって段々とアイツがいない生活が慣れていってしまうんだろうと考え、恐怖した。
しかしその恐怖はこの日、消え去ることになる。
俺は横断歩道の信号を待ち、姫乃の左側に立っていた。
姫乃は真顔でこちらを見つめる。
「どうしたんだ?」
「……いえ。」
俺の顔になにか着いていたのか?
それなら取って欲しいんだけど。
「……ただ…今日の順はなんだか…普段より格好よく見えます……。
っっ!な、なんでもありません!
忘れてくださいっ!」
なんだなんだ!急に姫乃がデレ始めたぞ!
どおしたんだ!
「どおしたんだ!」
思った言葉が口から出てしまった。
「別になんでもないですよ……」
信号が変わり、姫乃は逃げるように早足で横断歩道を渡った。
姫乃を追いかけようとした時。
ふと、視界の端にトラックが映った。
あきらかに速度制限をオーバーしているそのスピードでこちらに向かってくる。
その瞬間、時間がゆっくりになったような錯覚を覚えた。
タイヤが路面を擦る甲高い音。
誰かの悲鳴。
赤信号を無視して突っ込んでくる巨大な鉄の塊。
「姫乃っ!」
考えるより先に体が動いていた。
姫乃の肩を思い切り突き飛ばす。
小さな体が歩道へ倒れるのが見えた。
それだけで十分だった。
次の瞬間。
全身に凄まじい衝撃が走る。
空が見えた。
地面が見えた。
また空が見えた。
何が起きたのか分からないまま、体だけが宙を舞っていた。
──ドサリ。
地面へ叩きつけられる。
冷たいアスファルトが頬に触れた。
世界がぐらりと傾く。
遠くで誰かが叫んでいる。
「順っ!」
姫乃の声だった。
ぼやける視界の中、泣きそうな顔が近づいてくる。
「順! 順! 聞こえていますか!?
今、救急車が来ますから! 大丈夫です、大丈夫ですから!」
大丈夫なわけないだろ。
そう返したかった。
でも、声にならなかった。
体が動かない。
指先の感覚が、少しずつ消えていく。
冷たい。
いや、もう冷たいという感覚さえ薄れていく。
代わりに耳だけが妙にはっきりしていた。
サイレン。
誰かの泣き声。
人々のざわめき。
その全部をかき消すように、姫乃の声だけが耳の奥へ届く。
「お願いです……目を開けてください……!」
泣くなよ。
そう言いたいのに、唇は一ミリも動かない。
視界の端から、少しずつ黒く染まっていく。
色が消えていく。
音も遠ざかっていく。
それでも。
姫乃の声だけは、不思議なくらい鮮明だった。
まだ死ねない。
姫乃を一人にはできない。
まだ伝えていないことがある。
まだ、一緒に見たい景色がある。
だから──
死にたくない。
意識は、抗う俺の願いを置き去りにするように、ゆっくりと闇へ沈んでいった。
姫乃の家で事件があった。
姫乃の両親が何者かによって殺害された。
警察は行方不明の紫木姫乃(18)を捜索している。




