第3章 第82話 小さな型枠
第3章 第82話 小さな型枠
水の量をそろえようとしたところ、形の違いも目についた。
ソーマは、水量筒一号を使って新しい配合試験をするつもりはなかった。
仮目盛りが使えるかを確かめている最中である。筒の線を信じて白灰の材料を練り始めれば、昨日までの慎重さを自分で崩すことになる。
それでも、試験片の形をそろえる準備はできる。
作業台には、古い陶製の型枠が置かれていた。小さな四角の器で、これまで何度も使われてきたものだ。内側は少しざらつき、縁の高さは場所によってわずかに違う。
以前の試験片には、端が厚いものと中央が厚いものがあった。角が欠けたものもあった。
配合の違いを見るための小片なのに、形が違えば、乾き方も見え方も変わる。
水の量だけをそろえても、足りない気がする。
「次は、型枠だ」
ソーマが言うと、ナーシャは陶製の枠をのぞいた。
「水は悪くないの」
「水は悪くない。型枠にも、それぞれ癖があるんだと思う」
「型枠さんにも、得意と苦手があるの?」
「そんな感じ」
その言い方に、ソーマは少し笑った。
型枠が悪い、と決めるだけでは何も進まない。どこがそろわず、どうすれば次の人にも同じ形を作りやすいかを考えなければならない。
ソーマは紙に、今日の目的を書いた。
型枠の空確認。
厚さを決める仕組みと、ならす手順を確かめる。
配合の優劣、乾燥、強度、耐水性は扱わない。
白灰は使わない。
フェルデが、その紙を読んだ。
「材料白灰を使わないのか」
「水量筒も型枠も、まだ手順が定まっていません。先に白灰を使えば、失敗の理由が増えます」
「何を型枠に詰めて試験予定か」
「柔らかい粘土だけです。形と、取り出し方を観察します」
粘土なら危険はない。今日見つけたいのは、同じ厚さの小片を作るための型枠だった。
最初に、古い陶製の型枠で粘土を形にした。
今後、試作枠を使うときに比較するため、陶製枠を標準片として1枚作成する。
同じ粘土を枠へ入れ、今までどおり木片で表面をならす。取り出した片の縁には、わずかな丸みが残った。内側のざらつきが写ったのか、粘土の表面も少し粗く見える。
ソーマは札に記した。
旧陶製枠。確認用粘土片。手ならし。縁に丸み。表面は粗く見える。内部と厚さは未確認。
「こんなに書くの?」
ユーリが言う。
「次に試作枠を使った時、何が変わったかを忘れないために」
「見れば分かるだろ」
「明日も同じように見えるとは限らない。別の人が見れば、もっと違うものに見えるかもしれない」
セラが旧陶製枠の内側に細い光を当てた。
「角が丸く見えることと、表面が粗いことは、分けて記録しておきましょう」
ソーマはうなずいた。
ガイルが、作業台の向こうから細い金属枠を出してきた。
「昨日、話を聞いて作った試作品だ。まだ完成品じゃないぞ」
それは、陶製の枠より角がはっきりした四角い枠だった。両側の縁には、同じ高さになるよう細い止め板が付いている。上から平らな板を滑らせれば、余った粘土が止め板の高さで落ちる仕組みだった。
「金属にしたんですね」
「精密、とは言わないでくれ。組み目はまだあるし、洗ってどう変わるかも見てない」
ガイルは、先に釘を刺した。
「今日は、枠の高さが同じになるかと、板を滑らせて粘土をならせるかを見てみたい」
「はい」
材質の優劣は、分からない。
木の枠は作りやすいかもしれないが、濡れれば形が変わる可能性がある。陶器は材料に強いかもしれないが、焼くときのゆがみがありそうだ。金属は高さをそろえやすそうだが、継ぎ目や手入れの問題がある。
今日の一つの試作枠だけでは、どれが一番良いかを判断できない。
ソーマたちは、まず何も入れない枠を台の上へ置いた。
セラが、平らな基準板をその上へそっと当てる。板と止め板の間に、大きな隙間がないかを光で見るためだった。
「こちらの角に、細い光が見えます」
「高さが少し違う?」
「そう見えます。ただ、どれほど違うかは測れません」
ソーマは、そこで言葉を止めた。
「同じ高さ」と書けないなら、「同じではない」と書く。精密に測定できないのであれば、感覚で書いてはいけない。
ガイルは枠を持ち上げ、片方の止め板を締め直した。
「今の段階なら、取り付け方を変えられる。材料を詰める前でよかった」
空確認をもう一度行うと、先ほどの大きな隙間は見えなくなった。
だからといって、完全に平らになったとは言えない。
記録には、こう書いた。
試作枠。基準板との間に見える大きな隙間は調整後に減少。細かな高さ差は未確認。
「少しずつ、言い方が増えるね」
ユーリが言った。
「言い方じゃない。分からない範囲が見えてきたんだ」
「同じことじゃないか?」
ソーマは考えてから首を振った。
「前は、分からないところを『そろった』って書いていた。今は、そろったかもしれないところと、まだ分からないところを分けてる」
ユーリはしばらく枠を見ていたが、やがて「それなら違うな」と言った。
空確認のあと、ソーマは白灰を含まない柔らかい粘土を、試作枠へ入れた。
粘土の量は、枠から少しだけ盛り上がる程度にする。上から平らな板を、一方向へ一度だけ滑らせる。止め板に沿って余った粘土が押し出され、表面が平らになる。
何度も往復させない。
見た目をきれいにしようと板を何度も動かせば、詰め方が変わる。今日は、同じ動きを繰り返せるかを確かめたい。
「四隅へ先に入れる?」
セラが聞いた。
「うん。四隅、辺、中央。それから、ならす」
「回数は?」
「一度ずつ。足りなければ、足りなかったと書く」
ソーマの声に、少し緊張が混じっていた。
粘土を詰める手の力は、人によって違う。完全に同じ力にはできない。それでも、順番と道具を決めれば、ばらつきを小さくできるかもしれない。
ガイルの言葉を、ソーマは思い出した。
道具は、結果へ及ぼす影響を、小さくするものだ。
ナーシャが枠のそばで、手を止めた。
「水で表面をならしたら、もっときれいになるの」
その言葉に、リゼットが首を横に振る。
「それをしたら、水を使った片になる。今日は型の確認でしょう」
「水魔術で、きれいにするのもだめ?」
「だめではない。でも、魔術で整えた片は、魔術を使える人がいる時だけ同じものになる」
リゼットは、空の水瓶を持ち上げた。水魔術で瓶を洗うことも、流れを整えることもできる。生活には便利だ。
けれど、標準の試験片を作る場面で、水魔術が表面を整えてしまえば、型枠と手順を比べたことにはならない。
「魔術は、今日は使わない」
ソーマが言う。
「使わないことも、札に書きます」
セラは「水・土の魔術による調整なし」と追記した。
粘土を取り出すと、表面は一見、前の陶製枠で作ったものよりそろって見えた。
角も大きく欠けていない。
けれど、ソーマは「厚さがそろった」とは書かなかった。
止め板で高さを決めようとした。
一方向にならした。
角の大きな欠けは見えなかった。
それだけを書く。
小片の中までどうなっているかは、今日見ていない。切って確かめることも、土魔術で中の空きを感じることもしていない。
作成した粘土の確認片には札を付け、翌日までそのまま置く。
午後、ガイルは継ぎ目のところを指した。
「ここに粘土が少し入り込んだ。外へ漏れるかもしれない」
「次の確認は、継ぎ目ですね」
「それだけで一日使うかもしれん」
「もちろん使います」
ソーマが迷わず答えると、ガイルは少し笑った。
型枠には、まだ確かめることが多い。
洗った後に高さが変わらないか。
継ぎ目から材料が出ないか。
同じ手順で二度作ったとき、表面がどの程度同じに見えるか。
だが、今日それらを全部試す必要はない。
次は、同じ試作枠で粘土片をもう一度作り、手順が繰り返せるかを見る。その後で初めて、仮目盛りの水量筒と組み合わせて、白灰を使う比較へ戻れるか判断する。
フェルデが、作業台の端から言った。
「今日の結論は」
ソーマは、記録紙を読んだ。
「型枠を変えれば、手の差をなくせるわけではありません。でも、止め板とならす順番があれば、厚みをそろえようとする手順にはできます」
「型枠は使えるのか」
「まだ、試作です。使えるかは、同じ手順を繰り返してから決めます」
フェルデは短くうなずいた。
「よい」
ソーマは、台の上の試作枠と水量筒一号を見比べた。
どちらも、まだ答えを出すための道具とは言えなかった。
白い材料を次に使うかどうかは、二つの精度の確認が終わってから決める。
その順序を守ることが、いちばん小さく、いちばん確かな前進だった。
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