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第3章 第80話 水の量を決める

第3章 第80話 水の量を決める


 同じ水差しの同じ線まで注いだ水が、同じ働きをするとは限らなかった。


 それを確かめる前に、ソーマは作業台へ札を三枚並べた。


 前日に砂を加えた片は、まだ棚で乾燥を続けている。川砂を加えたことで表面の見え方が変わったことは記録できたが、砂が役に立つと決めるには早い。


 次に水を考えるなら、砂の種類を増やしてはいけない。


 今日使うのは、記録済みの北門脇の川砂だけだった。熟成済みの白灰、焼成粘土の粉、砂の扱い、木型の形、棚の中央という置き方も、固定してある。


 変えるのは、水の量だけである。


「少なめ、基準、多め。三つでいい?」


 目盛りのある小さな水差しを抱え、ナーシャが聞いた。


「うん。三つにする」


「もっと間を作らないの?」


「作りたいけど、今日は作らないというか、作れない」


 水差しには、太い線が三つしかない。少なめの線、基準の線、多めの線。その間はまだ測れない。


 ソーマは三枚の札に書いた。


 材料札番号。使用水、朝に汲んだ同じ桶の水。作業日。作業者。棚中央。乾燥開始時刻。


 そして最後に、それぞれの水の線を記す。


 この記録だけで、すぐ同じものが作れるわけではない。それでも、何をそろえたのかは残る。


「水は、同じ桶なの」


 ナーシャが言った。


「水が違ったら、水量の差なのか水の違いなのか分からなくなるから」


「そう」


 窓のそばで聞いていたメイナが、静かにうなずいた。


「井戸の水や川の水を使うと結果が変わるかもしれない、という話は後で調べればいい。今日は、同じ水を使った、と言えるようにしたい」


 ソーマは、三つの器へ同じ準備をした材料を分けた。


 水を少なめにした器では、木匙がすぐ重くなった。粉と砂が水を抱え込み、匙の先でまとまろうとしない。押せば形になりそうだが、木型の隅へ静かに入っていく感じではなかった。


 ソーマは、何度も押し込みたくなった。


 だが、押す回数まで違えば、水の量だけを変えたとは言いにくくなる。三つとも同じ手順で混ぜ、同じ回数だけ木型へ詰めると、あらかじめ決めてある。


 隅まで届かないように見えることを、記録に残す。


「少なめのは、固いね」


 ユーリが言った。


「固い、というより」


 ソーマは言葉を探した。


「混ざりきらないように見える。水が足りないかもしれない」


「中まで、そうなってる?」


「中は分からない。今日は試験片を切らないし、土魔術で確認もしない」


 セラが記録紙に書き直した。


 少なめ。木匙が重い。木型の隅まで入りにくいように見える。内部は未確認。


 ナーシャが、その文を見て小さく笑った。


「寝てる粉、って書かないの?」


「ナーシャの感じたこととしてなら、別の欄に書く」


「じゃあ、寝てる粉がいる感じ」


 作業中の感覚の欄に、ナーシャの名と一緒に記される。


 基準の線まで水を入れた器は、匙の動きが少し軽くなった。


 材料はまだ粒の気配を残しているが、少なめの器ほどは抵抗しない。木型へ入れたとき、端まで形が届くように見えた。木片で表面をならすと、白い面が静かに整う。


「これは、まともに見える」


 ユーリが言った。


「『まとも』も、記録には困る言葉です」


「じゃあ、どう書くんだよ」


「少なめと比べて、ならしやすい。表面が連続して見える」


「細かいなあ」


「細かいけど、後で読む人には必要だ」


 セラは迷わず、そのまま書いた。


 基準。少なめと比べ、木型へ詰めやすい。ならした表面が連続して見える。


 多めの線まで水を入れた器は、最初は一番扱いやすそうだった。


 木匙が抵抗なく動く。材料は木型へすべるように入る。表面も、すぐ平らになった。


 けれど、ソーマが木片を置いて少し待つと、白い面の一部に薄いつやが現れた。


 水が上に集まっているように見える。


「水を、多く入れすぎていないか」


 工房の入り口から声がした。


 青い作業着の女性が、井戸水の桶を持って立っていた。ナーシャが顔を明るくする。


「リゼットさん」


「ナーシャ。今日は水を見てるんだって?」


「ちゃんと見てるの。甘やかしてないの」


 リゼットは笑い、試験片へ近づきすぎない位置で足を止めた。


「フェルデさんから聞いたよ。私はリゼット。洗い場と井戸の管理をしてる」


「ソーマ・アルディスです。水の量を比べています」


「同じ水?」


「今朝、同じ桶に汲んだ水です」


「それなら、今日は水量の違いを見られる。井戸が違う、水が冷たい、汲んでから時間がたった、なんて話はまた別にしな」


 ソーマは、少し息を吐いた。


 水に関わる条件は、思っていたより多い。水温、汲んだ場所、置いていた時間。材料が前から含んでいた湿り気。器の乾き方。


 全部を今日調べることはできない。


 だが、今後も同じものを作りたいなら、今日使った水について最低限記録に残しておく必要がある。


 リゼットは、多めの試験片の表面を見た。


「見た目はきれいだね。でも、そのつやは後でどうなるか、まだ分からない」


「水が上に出たように見えます」


「そう見えたなら、そう書いておくといい」


 ソーマはうなずいた。


 少なめの片は、形を作るまでに手がかかる。

 基準の片は、今のところ表面が整って見える。

 多めの片は、扱いやすいが、薄いつやが出た。


 その三つが、昼までに見えたことだった。


 そこで、フェルデが棚を指した。


「置くなら同じ段だ。今日も動かすな」


「はい」


 三つの試験片は、同じ棚の中央に並べられた。受け皿をそれぞれの下へ置く。多めの片から水が落ちるかもしれないからだ。


 水を使った試験だからといって、その水やこぼれた材料を床へ流してよいわけではない。受け皿に残ったものは札を付け、後で決めた場所へ回収する。


 午後、ソーマたちは決めた時刻に棚を見た。


 少なめの片は、表面に木片の筋が残っていた。基準の片は、朝より白く、つやが少し引いている。多めの片には、受け皿へ落ちるほどの水はなかったが、表面の端に薄い色のむらが見えた。


 見える違いはある。


 けれど、どれが強いかは分からない。


 指で押して、今の柔らかさを比べたくなる。針で引っかき、木片を落とし、水へ沈めれば、早く差が見えるような気もする。


 ソーマは手を握った。


 乾き切らない片へ、別の試験を重ねれば、初めに変えた水量の差を追えなくなる。耐水性や強さを確かめるなら、乾燥をどこまで待つかを先に決めなければならない。


「今日は、もう見ないの?」


 ナーシャが聞いた。


「見る。でも、触らない」


「明日は?」


「明日も、決めた時刻に外から見る」


「水に入れるのは?」


「今日はしない。しっかり乾いてからかな」


 ナーシャは水差しを胸に抱いたまま、少し考えた。


「水を入れるのは簡単なの。戻すのは難しいの」


「うん」


 たくさん入れた水を、材料の中から同じように抜くことはできない。水量を迷ったからといって、途中で水を足してしまえば、その片は水量比較から外れる。


 ソーマは、三枚の札を読み返した。


 少なめ、基準、多め。


 今の水差しでは、それ以上のことは言えない。基準と多めの間に、どのくらいの違いがあるのか。少なめと基準の間には、もっと扱いやすいところがあるのか。


 今日の三枚は、その問いを残した。


 夕方、リゼットが水差しを手に取った。


「線が太いね」


「次は、もっと細かく量りたいです」


「量る器がないなら、先に器を作るか借りるかだね。水を決める前に、水をどう測るかを決める」


 その言葉は、ソーマの胸へまっすぐ入った。


 水量の答えを急いで探すより、答えを比べられる器具を整える。


 同じ水をどこまで同じ量として扱えるのか。それが曖昧なら、少なめ、基準、多めという言葉も、次の人には伝わらない。


 セラが新しい欄を作った。


 使用水の札。

 水差しの線。

 粉を入れた順番。

 混ぜ始めた時刻。

 木型へ入れた時刻。

 乾燥棚の位置。


「増えましたね」


 ソーマが言う。


「次に同じ試験をするためです」


 その通りだった。


 記録が多くなりすぎれば、読む者は迷う。けれど、今日の比較で何を変えず、何を変えたかが分からなければ、試験片を三枚作った意味がない。


 ソーマは記録帳の最後に書いた。


 水量の三段階で、練るときと表面の見え方に違いが出た。

 少なめは詰めにくく、基準は表面が整って見え、多めはつやと色むらが見えた。

 内部の状態、最終的な強さ、耐水性は未確認。

 次に水量を細かく比べるには、同じ材料と砂を固定し、より細かく水を量る器具が必要。


 窓の外で、夕方の光が井戸水の桶に反射していた。


 水は透明で、どこまで入れたかが分かりにくい。


 だからこそ、量るための線がいる。


 昨日の自分と明日の自分が、同じ量の水を入れることができるようにする。ナーシャが入れた水と、セラが記録した水と、次に別の誰かが使う水を、比べられるようにする。


 そのための器具なら、作る意味がある。


 ソーマは三つの試験片を棚に残し、水差しの太い目盛りを見つめた。


 答えは、まだその線と線の間にあった。


最後まで読んでいただきありがとうございました!

面白いと思っていただけたら、ブックマークや☆☆☆☆☆評価をいただけると次回更新の励みになります。

感想も一つ一つ楽しく読ませていただいています。

また次話でお会いしましょう!

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