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第3章 第79話 砂の役割

第3章 第79話 砂の役割


 壊れた試験片のそばに、砂は残っていた。


 作業台の端に置かれた回収箱の中で、以前に崩れた小片から、細かな粒がのぞいている。白灰の色が薄く残り、焼成粘土の粉が付いた粒もある。いつ、どのように混ぜられたものかが分からない小片だった。


 捨てなかったのは、失敗を後から見返すためだ。


「砂は残っていますね」


 ナーシャが回収箱を見て言った。


「残っていても、使えるとは限らない」


「どうして?」


「どこから来た砂か、どの配合に入ったのか、札だけでは足りないから」


 ソーマは箱の札を読み上げた。


 古い試験片の回収物。配合の一部不明。比較対象外。


 それだけでは、次の試験に使う理由にはならない。


 壁の材料を探していると、変化する粉へ目が向きやすい。白灰が水を受けたときの熱。焼いた粘土を混ぜたときの色。乾く途中で走るひび。


 けれど、変化しないように見える粒も、壁の中では役に立つかもしれない。


 前日の比較片は、まだ棚に残してある。


 熟成済み白灰だけの基準片と、焼成粘土の粉を少量加えた比較片。後者には細いひびが出た。表面が早く締まったように見えたが、それが良い変化か悪い変化かは、まだ分からない。


 だから、次に砂を試すとしても、思いつく砂を全部試すわけにはいかなかった。


 ソーマは記録棚から、一つの布袋を選んだ。


 袋には、セラの整った字で札が付いている。


 北門脇の川原。五月中旬採取。水洗い済み。日陰で乾燥。異物を目で除いたもの。未使用。


 粒は丸く、色は灰色に近い。特別な石ではない。だが、採った場所と前の処理が記録されている。


「今日は、この砂を使います」


 ソーマはフェルデとロッカの前で、札を見せた。


「前回と同じ、熟成済みの白灰と焼成粘土粉の組み合わせを基にします。砂を入れない基準片と、この川砂を加える比較片を一枚ずつ作ります」


「砂の量は?」


「前もって決めた量だけです。途中で変えません」


「水は?」


「同じ量から始めます。扱いにくくても、今日は水を足しません」


 ロッカは袋の口をのぞいた。


「丸い砂だね。練りやすいかもしれない」


「ただ、壁にしたときに、いいとは限りません」


 ソーマが答えると、ロッカは目元を少しゆるめた。


「その言い方は、骨のことを覚えていたんだね」


「前に、そう教わりましたから」


 ロッカが言った「骨」という言葉を、ソーマは忘れていなかった。


 粘る土に砂を入れると、乾くときの縮み方が変わることがある。職人はそう言う。けれど、砂を入れたから必ず壁を支える骨になるとは限らない。


 ソーマには、砂が「壁を支える役割をするかもしれない粒」であることを期待していた。それは、まだ自分の理解であって、確かめた事実ではない。


 粉を扱う囲いの中で、二つの小さな器を並べる。


 器には、今日の日付と札番号がある。基準片には砂なし。比較片には北門脇の川砂あり。どちらも同じ形の木型へ詰め、同じ棚の中央に置く。


 試験片は、大人の手のひらサイズの長方形である。


 壁と比べると小さすぎる。ここで見たいのは、砂を入れたことで、練るときと乾燥中の見え方に差が出るかどうかだった。


 ソーマは二つの器へ、材料を分けた。


 基準片には、そのまま水を混ぜる。


 比較片には、砂を加えてから、同じだけの水を混ぜる。


 川砂を入れた方は、木匙の先が少し重く感じられた。粒があるぶん、なめらかには動かない。けれど、無理に押し込めば形になるだろうと思えた。


 その「思えた」という感覚を、ソーマはまだ紙へ書かなかった。


 手触りは観察であり、同時に自分の手の感覚にも左右される。記録に残すなら、誰が混ぜたかと、どのように感じたかを分けなければならない。


「基準片は、匙が軽い」


 ナーシャが言った。


「比較片は、粒が引っかかる感じ」


「そう見える、ではなく、そう感じる、ですね」


 セラが確かめる。


「うん。ナーシャが混ぜたときの感覚、として書いて」


 セラは記録紙の観察欄とは別に、小さな欄を作った。


 作業中の感覚。ナーシャ。比較片は粒の抵抗を感じた。


 ソーマはそれを見て、少し安心した。数字や形だけでは残らないものもある。だからといって、感覚を事実のように扱わず、誰の感覚だったかを残せばよい。


 木型へ詰めるときも、二枚は同じ厚みにした。


 川砂入りの表面には、小さな粒の跡が見える。砂なしの基準片は、木片でならすと白っぽく平らになった。


 どちらが良いかは、まだ言えない。


 きれいな表面が丈夫とは限らない。粒の跡が残ることが、悪いとも限らない。


 前日にひびの走った比較片を思い出し、ソーマは木型を置いた。


「棚は、ここです」


 中央の同じ段を指す。


 上段と下段では、乾き方が違うらしい。メイナが以前、窓からの風や暖かさの差を記録していた。砂の違いを見たい今日の試験で、棚の位置まで変えるわけにはいかない。


「棚の影響は、また別に調べます」


「その時も二枚だけ?」


 ユーリがたずねた。


「たぶん、基準片と比較片から始める」


「面倒だな」


「面倒なのは、間違えた答えをたくさん作ることだと思う」


 ユーリは少し黙ってから、棚の前に立つ場所を空けた。


「じゃあ、今日は風も動かさない」


 朝の記録には、二枚とも大きな変化なしと書いた。


 昼の記録では、砂なしの基準片の端が、ほんの少し内側へ引かれたように見えた。比較片にも同じ変化があるか、離れたところから確かめる。砂粒の跡があるぶん、表面は初めから粗く、端の変化を比べるのは簡単ではなかった。


 目に見えるひびは、まだどちらにもなかった。乾き方が違ったのか、始めの詰め方がわずかに違ったのかも分からない。


 夕方、基準片の端近くに、細い白い線が見えた。


 前日の比較片に出たものより短い。ひびと呼べるのか、表面の模様なのか、一度見ただけでは迷うほどだった。


 セラが、観察欄の前で筆を止める。


「ひび、と書きますか」


「線がみえた、としておこう。明日の同じ時刻にも残っていたら、ひびの候補にする」


 比較片には、はっきりした線は見つからなかった。


 それでも、砂が縮みを抑えたとは言えない。砂を加えた方の見え方が違った、というだけだ。乾く速さが同じだったかも、内部の状態がどうなっているかも、今は確かめていない。


 土魔術を使って、もう少し知りたくなる。


 だが、ソーマは土魔術を使わなかった。表面に近いところで感じる抵抗を、内部の粒の並びや隙間の証拠にしてしまいそうだったからだ。


 今日の試験は、外から見えるものを観察する試験である。


 その決め事を破ってしまえば、試験を二枚へ絞った意味がなくなる。


 ソーマは、記録紙の余白へ矢印を引いた。


 砂を入れたこと。

 表面の見え方が違ったこと。

 その二つの間に理由があるかは、まだ分からないこと。


 砂が影響したのかもしれないし、成形したときのわずかな違いかもしれない。だから次にも同じ形を作り、同じ札の砂を使い、今日の変化がまた見えるかを確かめる。


 同じ結果が出なければ、今日の二枚だけでは何も言えない。それでも、何をそろえればよいかは、今日の二枚が教えてくれる。


 ロッカが、少し離れたところから言った。


「砂を入れた方は、静か落ち着いているね」


「落ち着いている、ですか」


「見た目の話だよ。いい壁かどうかは分からないけど」


「はい」


 その言葉で、ソーマには十分だった。


 落ち着いている片が、後で急に崩れるかもしれない。粗い見た目の片が、案外持つかもしれない。今、言えるのは、同じ時間に並べた二枚の表面が、同じには見えなかったということだけである。


 今の段階では水に入れる試験は実施する意味がない。


 まだ乾燥の途中にあるものへ水を加えれば、今日見た違いに、別の変化が重なってしまう。そのため耐水性を確かめる前に、まず何を「十分に乾いた」とするかを決める必要がある。


 試験片は棚に残し、記録紙だけを作業台へ戻す。


 ソーマは保管札に、二枚の名前と置き方、見えた線、次の観察時刻を書いた。


 砂なし基準片。表面端に細い線の候補。

 川砂比較片。大きな線は見えず。表面は粗い。

 どちらも乾燥中。耐水性、内部状態は未確認。


 以前なら、これだけしか書けなかったことが心もとなかったかもしれない。


 けれど、書けないことを空白のまま残すのは、何も見ていないのとは違う。


 分からないと書いてあれば、次に確かめる者は、そこを確かめられる。


 ナーシャが水差しを抱えたまま、記録紙を読んでいた。


「次は、水のこと?」


「候補の一つ」


「砂を入れた方、混ぜるときの感じが違ったから?」


「うん。ただ、水をどれだけ入れるかを変えるなら、砂も形も棚も固定する」


「今日の砂の子で?」


「今日の砂を、次も使うかどうかから確認する。乾いた後も同じように見えるなら、その候補にする」


 砂は、目立たない。


 白く熱を出す粉のように、見ている者を驚かせることもない。焼いた粘土のように、色の変化も少ない。


 それでも、壁になる材料の中に、砂が混じっている。


 縮み方を変えるのか。

 形を保つ助けになるのか。

 あるいは、ただ扱いにくくするだけなのか。


 答えはまだ、棚の上にある。


 ロッカは帰り際、布袋の口を結び直した。


「どこにでもある砂だから、雑に使われやすい」


「はい」


「でも、たくさん使うものほど、違いは大きくなる。札をなくすなよ」


「なくしません」


 ソーマは、棚の二枚を見た。


 砂なしの基準片。

 記録済みの川砂を加えた比較片。


 どちらも、まだ壁ではない。


 けれど、同じ形にして同じ場所へ置いたからこそ、二枚の間に見えた違いには意味がある。


 砂が役に立つと決めるには早い。


 それでも、砂の役割を検証するための、最初の試験を開始できた。


 ソーマは記録帳を閉じた。


 次に水を考えるとしても、急いで答えを求めることはしない。


 砂を変えず、形を変えず、置き方を変えずに。


 水だけが何を変えるのかを、確かめられるようにするために。


最後まで読んでいただきありがとうございました!

面白いと思っていただけたら、ブックマークや☆☆☆☆☆評価をいただけると次回更新の励みになります。

感想も一つ一つ楽しく読ませていただいています。

また次話でお会いしましょう!

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