第3章 第78話 硬すぎる壁
第3章 第78話 硬すぎる壁
固まっても、強いとは限らない。
ソーマは前日に並べた標準条件の候補を見返していた。胸のどこかがずっと落ち着かない感じがしていた。
粉を扱う囲いを、粉を使わずに何度も確かめた。風向きを見て、道具を置く場所を決め、作業が終わったら衣服と机を払う。水を使う場所も、乾いた粉を置く棚から離した。
手順を紙にしてから、フェルデが最後に囲いを見回した。
「今日は、何を試す」
「壁を作るための試験片です。ただし、二つだけにします」
ソーマは作業台の上を指した。
そこには、札を付けた小さな器が二つ置かれていた。一つには、以前から使っている熟成済みの白灰。もう一つには、同じ白灰と、記録の残っている焼成粘土の粉を少量だけ合わせる予定だった。
新しく拾った白い石も、由来のわかる灰を使う。
「基準片と比較片か」
「はい。水の量、形、置く棚などはそろえます。焼成粘土の粉を入れるかどうかだけ変える予定です」
フェルデはうなずいた。
「それなら、ひびが出たとしても、何を比べたかったかは分かる」
その言葉を聞いてから、ソーマは札の裏にもう一行を書き足した。
観察だけで判断できないことは、判断保留。
土魔術で触れれば、表面の乾き具合や、粒が寄り集まっているような手応えは分かる。だが、それで内部のすべてが読めるわけではない。土魔術を観察の手段として使うが、正確に判断できないなら、観察にとどめることにする。
囲いの中で、ソーマは基準片用の器に水を加えた。白灰を練り、固まりをほぐし、同じ量に分ける。
片方だけに、焼成粘土の粉を加えた。
粉が舞わないよう混ぜた。色が全体的に均一になったところで手を止める。
焼成粘土の有無の違いの試験片を作るため木型に流し込み表面をならした。木型に詰めた試験片は、どちらも壁と呼ぶには小さかった。掌ほどの薄い板で、実際の壁と同じ形でもなかった。
だから札にも、「壁の耐久試験」とは書かず、乾燥中の小片・比較用と記した。
棚の中央に、二つを並べる。
そして、ソーマは二枚の札を読み上げた。
「熟成済み白灰。基準片。今日の朝に成形。棚中央」
「熟成済み白灰に焼成粘土粉を少量。比較片。同じ朝に成形。棚中央」
隣で見ていたナーシャが、少し首をかしげた。
「二つだけって少ないね」
「少ない方が答えに近づける気がするから」
「答えが出なかったら?」
「出なかったことも、答えの一つにする」
ナーシャは二枚の札の字を確かめるように見た。
「前だったら、乾かしてから水に沈めていた?」
「していたと思う」
「今日はしないの?」
「しない。乾く途中のものに余計なことをすると、何が起きたのか分からなくなるから」
まだ乾いていない材料へ水を足し、反応を確かめるつもりもなかった。
朝、昼、夕方と、決めた時刻に離れた位置から外観を記録する。色、表面のつや、端の反り、見えるひび。気になるところがあっても、指で押したり、土魔術で中まで探ったりはしない。
待つ時間は、手持ち無沙汰に感じた。
以前のソーマなら、その手で別の試験片を作っていたかもしれない。白灰をもう少し濃くする。砂を混ぜる。棚の上段へ移す。水を一滴だけ足してみる。
どれも、試してみたいと思うだけの理由はあった。
けれど、そうして増やした違いは、後で訳がわからなくなる。ひびが入ったとき、砂のせいなのか、水のせいなのか、置き場所のせいなのか、判断がつかなくなる。
ソーマは空いた紙に、今日しないことを書いた。
新しい材料を足さない。
棚を動かさない。
水をかけない。
割れても、割って中を見ない。
フェルデはその紙をのぞき込み、口元だけで笑った。
「やらないことまで書くのか」
「やったことだけだと、後で忘れそうです」
「忘れるよりはいい。ただし、紙に書いたから守れるわけじゃない」
その通りだった。昼の記録を取る前、ソーマは無意識に棚へ手を伸ばしかけた。指先が、比較片の端に触れる寸前で止まる。
観察したいという気持ちと、確かめたという事実は違う。
もし触れたなら、札に触れたと書かなければならない。だが、今は触れずに見える変化だけを残すと決めている。
ソーマは一歩下がった。
ナーシャはその様子を見て、小声で言った。
「我慢するのも、作業なんだね」
「たぶん。いちばん簡単で、いちばん難しい作業かもしれない」
彼女は記録紙の時刻の欄に印を付けた。見た者の名前も、短く添える。
あとで別の人が紙を読んだとき、同じものを見て同じ判断をするとは限らない。だから「ひびあり」だけでなく、どこからどこへ線が伸びたように見えたかを、言いすぎない範囲で書く。
その小さな記録が、ソーマには不思議に重く感じられた。壁を立てるには、手の力や火の扱いだけでは足りない。見たことを、次の人にも渡せる形にする力がいる。
昼を過ぎたころ、比較片の表面に細い線が現れた。
端から中央へ伸びる、髪の毛ほどのひびだった。
基準片には、同じ線はまだ見えない。
「こっちだけだ」
ソーマが言うと、フェルデは棚に寄りかからず、少し離れた場所から片目を細めた。
「見える変化は、ひびだけか」
「色は少し濃いです。表面も、基準片より早く締まって見えます」
「なら、『そう見えた』と書け。中が硬くなったとは書くな」
ソーマは紙に記した。
比較片、昼の確認。表面に細いひび。基準片より早く乾いたように見える。原因は不明。
記してから、彼は試験片を見つめた。
表面は、基準片より整って見えた。白灰のやわらかな色に、焼成粘土の粉の色が混じり、少し締まったような印象がある。
見た目だけなら、こちらの方が丈夫そうだった。
だが、丈夫そうな面にひびが走っている。
外側だけが先に乾き、内側との違いでひびが出たのかもしれない。混ぜた粉が水の回り方を変えたのかもしれない。成形のときに、たまたま力が偏ったのかもしれない。
今の観察から選べるのは、どれも仮説でしかなかった。
「硬そうなのに、ひびがある」
ソーマがこぼすと、フェルデは短く答えた。
「硬そうに見えることと、壁として持つことは別だ」
言われてみれば、当たり前だった。
壁は、乾いた日に立っていればよいわけではない。重さを受け、季節が変わり、風にさらされ、人が触れる。それでも形を保てなければならない。
表面だけが早く固まっても、内側とのつながりが悪ければ、使う前に傷むかもしれない。
ソーマはその考えを、結論ではなく次の問いとして書いた。
表面が早く締まって見えることは、壁としての良さを示すとは限らない。
夕方になると、比較片のひびはわずかに長くなった。基準片は大きく変わらなかったが、これだけで基準片が優れているとは言えない。まだ乾燥の途中で、二枚とも水に耐えるかも、重さに耐えるかも分からない。
ソーマは二枚をそのまま棚に残した。
比較片には、赤い印を加えた。
ひびあり。後日の比較には使えるが、実用の判断には使わない。
壊れたものを捨てる代わりに、何が起きたかを残す。次の試験で同じ変化が出たとき、初めて比べられるようにするためだった。
ナーシャが、記録紙の端を指で押さえた。
「次は砂を入れるの?」
「今日は入れない。今日の二枚が落ち着いてから、形と置き方を同じにして、砂だけを変える」
「砂は、ひびを止めるかもしれない?」
「そうかもしれない。でも、まだ分からない」
ナーシャは少し考え込んでから、比較片を見た。
「ひびがある方は、もう使えないの?」
「壁用の材料にはできないです。でも、今日の試験から外さないし記録も残します」
ソーマは赤い印の意味を説明した。
これは、今回の二枚を比べるための印ではなく、ひびが出たという事実を見落とさないための印だ。
フェルデが、棚の札を見ながら言った。
「失敗という箱の中に入れた時点で考えるのをやめる者がいる」
「だから、保管札にします」
「何と書く」
「配合、作業日、置き方、見えた変化。それから、比較対象として残すこと」
フェルデはうなずいた。
「よし。壊れたものも、次の手を決める材料にはなる」
砂は、材料の間に入って縮み方を変えるかもしれない。もし今日と同じようにひびが発生しても、
今日の焼成粘土との比較で考察可能である。
だから次の紙には、先に計画を書いた。
材料は熟成済みのものに限る。
形と乾かす場所は、今回とそろえる。
基準片と、砂を加えた比較片を一組にする。
見た変化と、分からないことを分けて書く。
安全な囲いと手順を崩さない。
書き終えてから、ソーマは棚の二枚をもう一度見た。
比較片の表面は、いかにも硬そうだった。
しかし、その硬さはまだ、壁を支える強さではない。
ひびのない基準片もまた、強いとは限らない。
壁を作るには、早く固める方法ではなく、変化の理由を一つずつ確かめる方法がいる。
硬すぎる壁は、完成へ近づいた形ではなかった。
ソーマにとってそれは、次の一枚を作るための、慎重な合図だった。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
面白いと思っていただけたら、ブックマークや☆☆☆☆☆評価をいただけると次回更新の励みになります。
感想も一つ一つ楽しく読ませていただいています。
また次話でお会いしましょう!




