第3章 第76話 粉塵の白い朝
第3章 第76話 粉塵の白い朝
朝の工房は、白く霞んでいた。
窓から入る光の筋の中に、細かな粉が漂っている。雪ではない。煙でもない。前日に、型枠の縁へ残った白灰と、焼成粘土の細かな欠片が、作業台の上で乾いていた。
ソーマが気づいた時には、喉の奥がひりついていた。
粉が空気中へ出ている。
「止めて」
ナーシャの声が、いつもより鋭く響いた。
ソーマはすぐに作業台から離れた。ユーリも、窓を開けようとした手を止める。セラは記録板を閉じ、粉のない廊下へ運んだ。
フェルドが短く言った。
「全員、外へ出ろ。粉作業は今日中止だ」
工房の外で、ソーマは水を飲み、しばらく呼吸を整えた。咳はすぐに止まったが、目の端と喉には乾いた痛みが残る。
ナーシャは、顔を近づけずに様子を見た。
「ひどくならないなら、今日は休んで。続くなら薬師に相談するの」
「分かった」
ソーマは頷いた。
少量の試験だからといって、粉の危険まで小さいわけではない。
前日、試験片を型に詰めた時には、粉は受け皿の中に収まっていた。だが、乾いた残りをそのまま机に置き、片づける順を決めていなかった。
粉が舞った理由は、材料だけではない。
保管の仕方。
作業を終えた後の清掃。
粉のそばに試験片や記録を置いたこと。
準備の足りなさが、朝の空気に出たのだ。
フェルドは、乾燥場の管理をしているメイナへ使いを出した。
昼前、灰色の上着を着た背の高い女性が、工房の外へやって来た。腰には布袋と、札をまとめた紐が下がっている。
「メイナです。フェルドから、粉が舞ったと聞きました」
彼女は、まず工房へ入らなかった。
「誰が吸った」
「僕が少し。すぐに外へ出ました」
「症状は」
「咳と喉の痛み。今は落ち着いています」
「それは個人の記録へ。安全記録には、粉が出た場所と、止めた時刻だけを書く」
セラが頷く。
個人の体調を皆が読む記録に残す必要はない。だが、粉の発生を止めた理由は、次の人にも分かるようにしなければならない。
メイナは、扉の隙間から工房の中を見た。
粉の残った作業台。
開いたままの粉の容器。
近くにある試験片。
窓と炉。
「まず、発生源を閉じる。次に、人を入れない。最後に、粉を広げず回収する」
彼女は指を三本立てた。
「窓を急に開けない。風で外へ出そうとすると、先に部屋の中を飛ぶ。箒で掃かない。水で流さない。粉の行き先を、別の問題に変えるだけになる」
「どうやって片づけますか」
ソーマが聞くと、メイナは答えた。
「今日は、扱える人だけが、少量ずつ拭き取る。粉の正体が分かっている範囲だから、湿らせた拭き取り布で押さえる。使った布は密閉袋へ。袋には、何を拭き取ったかを書く」
「水に流さない」
「流さない。回収物として保管する」
午後、ソーマたちは作業を再開しなかった。
メイナとフェルドが、作業台の粉を回収する。ソーマは外から、必要な札を読み上げるだけにした。喉が痛むまま、粉の近くへ戻らない。
白灰の残り。
焼成粘土の残り。
作業台の拭き取り物。
袋は三つに分けられた。
粉の落ちた試験片には、赤い札が付いた。
粉塵付着の可能性あり。
今回の比較対象から除外。
再加工、再加水をしない。
ソーマは、その札を見て胸が重くなった。
昨日、やっと作れた試験片だ。
けれど粉が落ちたかもしれないものを、元の条件と同じだと言うことはできない。今日、水に入れて崩れ方を比べても、材料の差なのか、朝の粉なのか分からなくなる。
「作り直さないの?」
ユーリが尋ねた。
「今日は作らない。粉を扱う場所が決まってからにする」
「試験が遅れるな」
「遅らせた方がいいと思う」
そう言うと、ユーリは少し笑った。
「弟子になって、止まるのがうまくなったな」
「褒め言葉として受け取るよ」
メイナは、工房の見取り図を机の外側で広げた。
「粉を扱う場所と、練る場所と、試験片を置く場所は分ける。部屋を増やせないなら、時間を分ける」
粉を出さない。
出た粉を広げない。
回収して、どこへ置いたか分かるようにする。
設備が整うまで、量を増やさない。
必要なのは、その四つだと言った。
ユーリは、窓と扉の位置を見た。
「風はどうする」
「ゆっくり空気を替える。風は強さより通り道を考えて」
メイナの言葉に、ユーリは頷いた。
昨日までの彼なら、風を強くして何とかしようとしたかもしれない。
けれど今は、粉を動かす前に、どこへ風を送るかを考える。
「次に粉を扱うなら、囲いが必要ですか」
「最終的には必要。けれど、今すぐ作って囲いの中に粉を入れる必要はない」
メイナは言った。
「まずは囲いそのものが粉を漏らさないことを、空の状態で確かめる。作業台と試験片の棚を離す。目と口を守るもの、手洗いの場所、回収物の置き場も決める。全部そろうまで、粉砕も篩いもやらない」
ソーマは、その言葉を一つずつ記録した。
粉を細かくすれば、材料を比べやすくなるかもしれない。
だが、細かくするほど、舞いやすくなる。
今の設備では、量を増やしてはいけない。
その結論を、今日の安全記録へ書いた。
夕方、工房の作業台は、元通りのきれいな状態に戻っていた。
粉の容器は蓋を閉め、棚へ戻した。拭き取り物は密閉袋に入り、回収先を確認するまで別の容器に置かれる。試験片は、比較対象外の札を付けたまま、触らずに保管した。
ソーマは、昨日白い粉の舞った作業台を見た。
粉は見えにくい。
けれど、見えないからといって、なくなったわけではない。
新しい配合を決める前にすべきことがあった。
粉を安全に扱うことのできる場所と手順を整えることだった。
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