第2章 第62話 土魔術と砂金
第2章 第62話 土魔術と砂金
砂の中には、金色に見える粒がいくつもあった。
けれど、そのどれもが金とは限らない。
フェルドの工房では、朝の光が窓から斜めに入っていた。作業台の上には、浅い白磁の皿が二枚並んでいる。一方には川で採れた砂のうち、粒の大きさの近いものが少量入っていた。もう一方には、比較のための黒い粒、黄味の強い粒、それから以前に見つけた、重い粒が置かれている。
ソーマは記録帳を開き、試料札を確かめた。
ラウゼン近郊の川筋。ボルツ提供。
水洗い済み。磁石に反応する黒粒は取り分け済み。未加熱。
粒径の近いものから、同量ずつ二つに分けた。
最後の一行に目を留めてから、ソーマはペンを置いた。
午前用の皿と、午後に使う予定の皿。同じ紙袋から分けた砂なら、少なくとも採取場所や洗い方の違いで迷わずに済む。
皿の脇には、今日使う比較用の粒が小さな札と一緒に置かれている。磁石に反応する黒粒。黄火石と呼ばれる、金色に光る粒。以前の試行で、重そうに感じたため保留にした灰色の粒。見比べるための目印となる比較用の粒だった。
窓は閉めてある。砂が風で散らないように、作業台の上には皿と竹串と記録帳を置いた。昨日の夕食に使った卓上とは別の、いつもの作業机である。
「今日は、土魔術を練習するが、金と分かるわけじゃない」
壁際に立つフェルドが言った。
「重そうに感じる粒を、候補として分けるだけだ。結果を急ぐな」
「はい」
ソーマは頷いた。
金だと思った、では書かない。
土魔術を使った時に、どんな感触が返ったのか。目で見た色や形はどうだったか。確かめるために、次に何をするのか。その順に書く。
指先を皿の縁へ近づけた。
土魔術を伸ばす。ただし、砂を動かさない。皿の中にある粒の一つへ、そっと意識を向ける。
灰色の小粒からは、浅い抵抗のような感覚が返った。隣の黒い粒は、それよりも指先の奥へ沈むように感じる。
同じくらいの大きさの比較粒へ意識を移す。
黒い比較粒。
灰色の対象粒。
黄味の強い比較粒。
灰色の対象粒。
感じ方は似ていても、ぴたりとは重ならない。土魔術が粒の重さを測っているのか、形や表面の違いを拾っているのか、ソーマにはまだ分からない。
それでも、対象粒は黄味の強い粒より、深く沈むように返ってきた。
ソーマは記録帳へ書いた。
灰色小粒。比較粒より沈み感が強い。
目視では鈍い灰色。候補。別試験で確認。
初めて竹串を動かし、その粒を札付きの小袋へ移した。
次の粒は、赤みを帯びた黒だった。感触は重く、見た目も他の砂とは少し違う。だが粒の端が角張っていることに気づき、ソーマは首を傾げた。
「これは、形のせいかもしれません」
「そう思った理由は」
フェルドが尋ねる。
「丸い粒より、引っかかるような感じがします。重いというより、抵抗が強いのかもしれない」
「なら、そのまま書け」
ソーマは候補にせず、保留の皿へ移した。
赤黒い粒。沈み感あり。ただし角が多く、抵抗感との区別がつかない。
比較対象外。別に保管。
以前なら、重く感じたというだけで、嬉しくなって小袋へ入れていただろう。けれど今日は、保留と書くことが、失敗を書いているようには思えなかった。
分からないものを、分からないまま置いておける。
それも、作業を続けるためには必要らしい。
フェルドは、保留の皿に視線を落とした。
「候補にしなかった粒も、捨てるな。理由を書いて残せば、あとで比較できる」
「全部を持ち続けるんですか」
「全部ではない。今回のように、判断が揺れたものだけだ。残す量も、残す理由も決める」
ソーマは赤黒い粒の札へ、「形の影響を疑う」と書き足した。小さな一粒にまで札を付けるのは大げさに見える。だが、別の日にその粒を見た時、なぜ避けたのかを思い出せなければ、今日の迷いは何にもつながらない。
数粒を見たところで、ソーマは一度、最初の灰色粒を読み直した。
さっきは深く感じた。今は、その感覚がはっきりしない。
指先が熱を持ち始めている。砂の一粒ずつを追っているうちに、皿の中の黒や灰の境目がぼやけて見えた。
「先生」
ソーマは手を引いた。
「最初と同じようには読めません。僕の感覚が揺れていると思います」
「続けるか」
「いえ。一度止めます」
そう答えてから、胸の奥に小さな悔しさが浮かんだ。もっとできる、と言いたくなる。けれど昨夜、自分は止まる理由を言葉にすると決めたばかりだった。
フェルドは何も褒めなかった。ただ、記録帳の端を指した。
「感覚が揺れたと書け。選んだ粒の扱いも書く」
「はい」
ソーマは欄を一つ増やした。
再読の一致。
比較粒との照合。
術者の感覚。
再読と最初の感触がそろい、比較粒とも見比べたものを「候補」。どちらかが揺れたものは「保留」。これは物の性質を決める欄ではなく、自分がどこまで確かに読めたと思うかを残す欄だ。
午前に小袋へ移した粒は、候補から保留へ戻した。
「候補が減りました」
ソーマが言うと、フェルドは皿を見た。
「減ったのではない。決めなかっただけだ」
「でも、金らしい粒が」
「金らしい、という言葉も使うでない。今日は、今後のために土魔術を理解しておけ」
その言い方に、ソーマは少しだけ笑った。
昼になり、ソーマは皿へ布をかぶせ、試料札を確認して棚へ置いた。手を洗ってから、工房の裏庭でパンと温かいスープを口にした。空腹のまま感触の違いを考え続けないように、とフェルドが言ったからだ。
食べ終える頃、ユーリが買い物帰りの袋を抱えて入ってきた。
「朝から砂とにらめっこしてたな」
「重く感じる粒を選ぼうとして、途中で感覚が分からなくなった」
「疲れた?」
「たぶん。最初に読んだ粒を読み直したら、違って感じた」
ユーリは頷いた。
「風も、長く使うとそうなる。力を入れすぎてるのに、自分じゃ気づかない」
「どうしてるの」
尋ねると、ユーリは少し考えた。
「一度、息を整える。あと、見張るものを一つにする。俺なら水面の揺れとか、粉がどこまで動いたかとか。全部を見ようとすると、余計に乱れるから」
それは、風の扱い方の話だった。土魔術にそのまま使えるかは分からない。
だが、試してみる意味はあるかもしれない。
「午後の分で、呼吸を整えてから読む試行をしてみる」
「俺のやり方が正しいって意味じゃないぞ」
「分かってる。集中の仕方を変えた時に、感覚がどうなるかを見るだけ」
ユーリは安心したように頷いた。
「それならいい」
ソーマは、自分の記録帳を閉じかけて、もう一度開いた。
「午後にうまく読めても、呼吸のおかげだとは書かないよ。昼を食べて休んだし、午前より砂の量も少ない」
ユーリは目を瞬いたあと、笑った。
「そこまで分けて考えられるなら、俺が口を出した意味もあったかもな」
「助言は、試すきっかけになるよ。でも、答えそのものじゃない」
昨夜、フェルドから聞いた言葉が、ソーマの中で少し違う形になって残っていた。誰かの言葉を借りて、自分で確かめる。その途中で、使えないと思えばやめればいい。
午後、ソーマは棚から二つ目の皿を取り出した。午前と同じ紙袋から分けた、未加熱の砂だ。新しい小袋と、比較粒の皿も用意する。
記録帳の新しい頁に、こう書いた。
午後試行。同一試料の別分取。
休息後。呼吸を整えてから、一粒ずつ比較粒と交互に読む。
目的は、感覚の揺れ方を午前と比べること。選別法の有効性は結論づけない。
書いてから、ソーマはゆっくり息を吐いた。
息を数えることが土魔術を強くするわけではない。ただ、指先へ意識を急がせないための間を作る。それなら、少し分かる気がした。
白っぽい比較粒。
対象粒。
黒い比較粒。
対象粒。
皿全体を見ない。いま読んでいる一粒だけに意識を向ける。
最初の対象粒は、黒い比較粒よりも沈み感が浅かった。候補にはしない。
二つ目は、黄味のある粒だった。目に入った色へ引かれそうになったが、ソーマは先に比較粒を読んだ。感触は軽い。見た目だけで選ぶことをやめ、保留の皿にも移さず、元の砂へ戻した。
三つ目は、鈍い灰色をしていた。
最初に読んだ時、沈み感があった。
比較粒を挟んで、もう一度読む。
同じような沈み感が返った。三度目も、大きくは変わらない。
ソーマはすぐには喜ばなかった。竹串で粒を小袋へ移し、札に「午後試行・再読一致・候補」と記す。その札は、金だと決めたわけではない。候補として次回再確認するための印だ。
何粒か読んだあとも、午前ほど指先が熱くならなかった。けれど、それが休息のおかげなのか、呼吸を整えたためなのか、対象を一粒に絞ったためなのかは分からない。
だから、まとめの欄には一行だけ書いた。
午後は再読時の感触の揺れが小さかった。理由は未確定。別日に同じ手順で再試行する。
フェルドは、その一行を読んだ。
「それでいい」
「候補は一粒だけです」
「午前より少ないな」
「はい。でも、残した理由は前より書けました」
フェルドが、小袋の札を指で軽く叩いた。
「次は、別の方法で確かめる。潰した時の形や色だけで、決めるな。必要なら鍛冶場や鑑定所にも持っていく」
「土魔術は、入り口なんですね」
「そうだ。候補を絞る入り口だ。答えを一人で出すのではない」
ソーマは、午前の保留皿と午後の候補袋を並べた。二つの中身を比べても、見た目だけでは大きな差は分からない。午後に残った灰色粒が本当に特別なのか、それともたまたま自分の感覚に引っかかっただけなのかも、まだ決められない。
「次はどうしますか」
「別の日に、同じ大きさの粒をもう一度読む。その後で、土魔術を使わずに見た目と簡単な試験を行う。記録は分ける」
フェルドの言葉に、ソーマは頷いた。今日の一粒を証明するために、今日の自分の感覚だけへ頼る必要はない。
ソーマは小袋を棚の箱へ入れた。箱の外側にも、川砂の別分取、未加熱、午後試行、と札を貼る。次に取り出す時、どの粒だったか迷わないように。
夕方、工房の床を掃き終えたあと、ソーマは記録帳を開いた。
川砂の中には、似た色の粒がいくつもある。
土魔術で感じる沈み感や抵抗感は、候補を絞る手掛かりになるかもしれない。
ただし、粒の形、読み直した時の一致、術者の疲れで判断は揺れる。
標準粒と比べ、休み、保留を残して、別の方法で確かめる。
最後の行は、少し考えてから書いた。
今日の候補は一粒。正体は未確認。
その一粒は小さい。砂の山から見れば、ほとんど見失いそうなほど小さい。
けれど、分からないものをすぐ金だと呼ばず、確かめるべきものとして残せた。それは、昨日までの自分には難しかったことだ。
窓の外では、夕方の風が石畳を撫でていた。戸の隙間が鳴る前に、ユーリが通りがかりに留め具を直していく。
ソーマはそれを見て、少し笑った。
砂を読む指先だけでは、判断は安定しない。比較する粒があり、止まる時間があり、迷った時に声をかける相手がいる。
そのすべてを、次の頁にも忘れずに書こうと思った。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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感想も一つ一つ楽しく読ませていただいています。
また次話でお会いしましょう!




