第2章 第56話 脆い金属
第2章 第56話
脆い金属
金属が壊れた理由は、まだ分からない。
分からないからこそ、使ってはいけない。
翌日、ソーマはガイルの鍛冶場をもう一度訪れた。作業台の端には、昨日見た破損刃が厚い布に包まれて置かれている。
破損刃・ガイル工房保管。使用中に破断。製作条件と使用履歴は不明。今日の加工なし。再使用禁止。原因未確定。
鈍い銀色の表面は、変わらず光っていた。
けれど、見た目がきれいでも、安全に使える証拠にはならない。ソーマは昨日、ガイルがその刃を客へ渡さないと決めた声を思い出していた。
「今日は、こいつの原因を決める日じゃねえ」
ガイルは札を指で叩いた。
「割れた材を使わない判断が正しかったか、見える範囲で確かめる日だ。直せるかどうかも、今日は決めん」
「試験をしても、刃に戻すわけではないんですね」
「戻さない。次に、同じような危ない材を手にした時、立ち止まるためだ」
ソーマは頷いた。
昨日、土魔術で感じた、魔力の返りが途切れるような手応えが頭に残っている。だが、あれが割れ目なのか、材の混ざり方なのか、それとも自分の感じ方の揺れなのかは分からない。
分からないものへ急いで理由を付ければ、記録は答えではなく思い込みになる。
ガイルは、母材の端から小さな記録用分取を二つだけ切り出した。破断面に近い方を分取一、離れた方を分取二とする。
札には、母材の来歴をそのまま引き継いだ上で、採取した場所と未加熱であることを書き足した。
破損刃・記録用分取一。破断面近く。未加熱。
破損刃・記録用分取二。破断面から離れた箇所。未加熱。
「同じ刃から取っても、同じ試料とは言えませんね」
「そうだ。取った場所が違う。今日の二つで、壊れた理由が分かるわけじゃねえ」
ガイルは小さな分取を掌に載せた。
「ただ、場所の違う欠片を同じように扱って、差が見えるかは確かめられる。見えたとしても、それは次に考えるための印だ」
ミルカは炉のそばで、炭と炉口を一度だけ見回した。
「少量だけ熱するよ。煙や刺激のある匂いが出たら、すぐ下げる」
ユーリは戸口の外へ回り、煙の流れる先に人がいないことを確かめた。
「風は大丈夫。変わったら言う」
今回の目的は、炉の細かな差を調べることではない。二つの分取を同じように熱し、軽く力をかけた時に、何が見えるかを記録することだった。
ソーマは帳面に一行だけ書く。
破損刃由来の二分取を少量加熱し、軽打後の見た目を観察する。原因は断定しない。
分取は並べて炉へ入れられた。
火の前で待つ間、ソーマは何度か土魔術を使いたい衝動を覚えた。けれど、赤くなった金属へ魔力を伸ばしても、熱と形の変化が混じるだけだ。
昨日、ガイルの仕事を見た時と同じだ。
見えるものが多い時ほど、今は使えない感覚もある。
高温中の土魔術は、判定に用いない。その一文を、ソーマは帳面の端へ小さく足した。
ミルカが頷くと、ガイルは二つの分取を順に取り出した。熱い金属を扱うのは、ガイルだけだ。
「一度ずつで止める」
小さな槌が、分取一へ落ちた。
金属はわずかに延びた。二度目の軽い打撃の後、端に細い割れが見えた。
「止める」
ガイルはすぐに槌を置いた。
分取二も、同じように一度、二度と打った。こちらには、すぐには目立つ割れが出なかった。
それだけだった。
折れたわけでも、丈夫だと分かったわけでもない。ただ、二つの欠片に違う見え方が残った。
槌音が止まると、さっきまで狭かった鍛冶場が急に静かになった。ガイルは割れの入った分取一を見つめたまま、次の一打を急がない。
「ここで止めるんですね」
「ああ。割れたから、もっと叩いて答えを出すんじゃない。今見えたことを残す」
二つは木札を付けたまま、同じ灰の上で冷ました。加熱後の分取は、未加熱の母材や別分取とは混ぜない。
手で安全に持てる温度になってから、ソーマは土魔術を使った。
分取一の割れた端の近くには、魔力の返りが続きにくいような感覚がある。けれど、それは加熱と打撃を受けた後の感覚だ。加熱前に同じものがあったのか、割れができたためにそう感じるのかは決められない。
分取二にも、なめらかではないところがあるように思えた。だが、分取一との違いを数字のように比べられるわけではない。
ソーマは、帳面を二つの欄へ分ける。
観察。分取一は軽打後、端に細い割れあり。分取二は同様の扱いで、目立つ割れなし。
所見。分取一では、冷却後に土魔術の返りが続きにくく感じた。採取位置、加熱、打撃の影響を分けられていないため、割れとの関係は未確定。
書き終えると、ソーマは息を吐いた。
「当たった、とは書かないんだな」
ガイルが言う。
「分取一は破断面に近い場所から取っています。最初から傷んでいたのかもしれません。分取二に割れが出なかったことも、証拠にはなりません」
ガイルは満足そうに鼻を鳴らした。
「そうだ。読めることと、直せることも別だ」
ガイルは分取一の割れを、指先ではなく火掻き棒の先で示した。
「仮に弱い場所の手がかりが見つかっても、刃にしていい理由にはならん。危ない材を早く見つける手がかりになる。それだけでも、客の怪我は減らせる」
弱い場所が分かったとしても、材が安全になるわけではない。
ソーマは、その当たり前を帳面の余白へ書き足した。
「もう打たないんですか」
「打たん。原因の分からん破損材を、形だけ変えて使えることにしない。今は記録用の欠片でいい」
木箱には三つの札が並ぶ。
破損刃・母材。使用中に破断。原因未確定。再使用禁止。
分取一。破断面近く。加熱後、軽打で端に細い割れ。記録用保存。
分取二。破断面から離れた箇所。加熱後、目立つ割れなし。実用品判定なし。記録用保存。
「飾りならいい、という話でもないんですね」
「飾りだって、誰かの服や手のそばに行く。原因の分からん材は売らない。溶かし直す話をするなら、何を混ぜるか決めてからだ」
作業台の上に残った二つの分取は、小さい。けれど札がなければ、どちらがどちらかも、何をした後なのかも、すぐに分からなくなる。
ソーマは、赤い紐の付いた箱を見た。
そこには、加熱していない小さな別分取が一つだけ残してある。
破損刃・未加熱記録用分取。母材由来。原因未確定。基準試料ではない。
ガイルはそれを布に包み、ソーマへ差し出した。
「持ってけ。ただし、これは答えじゃねえ」
「はい」
「破損例の記録用分取だ。土で何か感じても、何かを決めるためじゃなく、次に何と比べるかを考えるために使え」
ソーマは両手で受け取った。
試料箱がまた一つ増える。けれど今回は、増えることが嫌ではなかった。
これは、実用品にならなかった理由を知るための答えではない。使ってはいけないものを、使ってはいけないまま残すための記録だった。
鍛冶場を出ると、外の空気が冷たく感じた。服には鉄と煤の匂いが染みつき、耳にはまだ槌音が残っている。
フェルド老師が歩き出す。
ソーマはその後を追いながら、記録帳と小さな包みを抱え直した。
壊れた材料を、良い材料に言い換えない。
分からないまま使わない。
それもまた、錬金術が人の手へ渡る前に守るべきことなのだ。
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