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第2章 第55話 ガイルの鍛冶場

第2章 第55話


ガイルの鍛冶場


 鍛冶場の音は、体の奥まで響いた。


 鉄を打つ音が石壁へ跳ね返り、炉のうなりと、ふいごの低い息づかいに重なる。火花が弧を描いて黒い床へ落ち、すぐに赤さを失った。


 フェルド老師の工房で見てきた砂粒や木札は、変化を待つためのものだった。けれど、目の前では熱せられた金属が、槌の一撃ごとに形を変えている。


 ソーマは入口で足を止めた。


 熱い。


 ミルカの炉場の熱は、炉の中でゆっくり保たれていた。ここには、炉から出た熱と、人の腕の力と、急がず続く槌音があった。


「おう、フェルドのところの小僧か!」


 炉のそばから太い声が飛んできた。


 声の主は肩幅の広い男だった。短く刈った髭に煤が付き、革前掛けには古い焦げ跡が重なっている。大きな槌を片手で持ち上げたまま、男は白い歯を見せて笑った。


「ガイルだ。鉄を打って飯を食ってる」


「ソーマ・アルディスです。よろしくお願いします」


「硬いな! 硬いのは鉄だけでいい!」


 豪快な笑い声に、ソーマは少しだけ肩の力を抜いた。


 けれど、ガイルの作業台は驚くほど整っていた。これから使う材は炉に近い側へ、冷えた道具と砥石は奥へ、折れた刃や曲がった釘は別の木箱へ入っている。雑然として見えたのは、物が使う順に置かれていたからだった。


 ガイルは、熱い鉄を置く場所へ無造作に布を近づけたりしない。火掻き棒を戻す時も、床を見ずに手を伸ばすことはなかった。大きな動きの間に、小さな決まりがいくつも隠れている。


 ソーマは、鍛冶場の整頓もまた記録と似ていると思った。必要なものを必要な場所へ戻すから、次に迷わず手が届く。


 フェルド老師は鍛冶場の端で腕を組んでいる。


「今日は、材を純度だけで決めぬことを見ろ」


 ガイルは引き出しから二本の細い鉄棒を出した。どちらにも、読みやすい木札が結ばれている。


 ガイル鍛冶場教材・精製鉄・棒材・未加熱。


 ガイル鍛冶場教材・炭素を含む鉄・棒材・未加熱。


「どちらが良い材か、なんて聞かれても答えられねえ」


 ガイルは二本を並べ、ソーマへ見せた。


「曲がって耐えてほしい道具もある。刃に欲しい硬さを出したい時もある。作る物と使う場所が違えば、選ぶ材も違うんだ」


「混ざり物が少ない方が、いつでも良いわけではないんですね」


「そういうことだ。材の中身は大事だ。だが、それだけで仕事は決まらねえ」


 ソーマは、前にボルツから聞いた言葉を思い出した。石の値は、きれいに見えるかだけでは決まらない。使い道と、扱い方と、危うさまで見なければならない。


 前世で「純度」という言葉を聞けば、混ざったものを減らし、目的のものを多くすることだと考えた。もちろん、それは大切だ。けれど目の前の二本を前にすると、きれいに分けることは、道具を選ぶための答えの一つにすぎないと分かる。


 鍛冶師は、材の名前だけでなく、その先に使う人を見ている。


 ガイルは二本の棒を炉へ入れた。


「これはただの試し打ちじゃねえ。俺が、材の様子を見てどう手を変えるかを見ろ」


 赤くなった棒を、ガイルは順に金床へ置いた。


 最初の一撃で、鍛冶場の空気が震える。


 精製鉄の棒は、低い音を返しながら少しずつ延びた。次の棒には、わずかに張りのある音が混じる。ガイルは同じ力では打たない。鉄の色と縁の様子を見て、槌を振る角度も、打つ場所も変えていた。


 大きな腕が動くたび、槌の重さが変わるように見える。


「鍛冶は、殴ればいいってもんじゃねえ」


 ガイルは言ってから、もう一度槌を振り下ろした。


「いや、殴るんだがな。殴り方がある!」


 戸口の外から、見に来ていたユーリが小さく笑った。


 ソーマも笑いかけて、すぐに目を戻す。


 同じように見える鉄でも、ガイルは同じ扱いをしない。目の前で見えた伸び方や音の違いを、そのまま材の性質だけの差だと決めることはできなかった。熱し方も、打ち方も、鍛冶師は材に合わせて変えているからだ。


 それでも、目的に合わせて手を選ぶということは伝わってくる。


 ガイルは打ち終えた鉄を、木札を外さないまま灰の上へ置いた。


「水で冷やさないんですか」


「急いで冷やす仕事もある。だが、今日はこれでいい。熱して形を作った後、どう扱うかまでが鍛冶だ」


 ソーマは赤熱した鉄へ土魔術を伸ばしかけ、やめた。


 熱と、叩かれて変わり続ける形が混じる間は、手応えを読んでも材の違いだとは言えない。前日の炉場で学んだことを、別の音がする場所でも守る。


 記録帳には、短く書いた。


 ガイル鍛冶場教材二種。鍛冶師の実演を見学。材と用途により、打ち方と冷まし方を選ぶ。


「書くのか」


 ガイルが横目で帳面を見た。


「分かったつもりにならないためです」


「いい答えだ。頭に残ることと、後で確かめられることは別だからな」


 しばらくして、ガイルは端の欠けた刃を木箱から取り出した。


 破損刃・ガイル工房保管。使用中に破断。製作条件と使用履歴は不明。今日の加工なし。再使用禁止。原因未確定。


 刃は十分に冷えていた。ガイルは柄ではなく、厚い布で包んだ背の部分を持っている。


「こいつは客へ渡さない」


 声から、さっきまでの冗談が消えていた。


「見た目は悪くない。だが、使っている最中に折れた。何が悪かったかを決められない以上、刃として戻すわけにはいかん」


「中に傷か、何かが混じっていたんでしょうか」


「あるかもしれん。だが、俺には分からん」


 ガイルは即答した。


「音、伸び、割れ方、火から出した時の表面。俺が見られるのはそこまでだ。分からんことまで言い切って、誰かに怪我をさせる方が怖い」


 ソーマは頷いた。


 答えを知らないことを認めるのは、何もしないことではない。危ないかもしれない物を、使わせないための判断でもある。


「売らないと決めるのも、鍛冶師の仕事なんですね」


「当たり前だ。刃は、格好よく光ればいい物じゃねえ。誰かが握って、力をかける。そこで折れたら、値段を返したって済まん」


 ガイルの声は低かった。


「原因を知りたい。だが、分からないうちに同じ失敗品をもう一度作らない方が先だ」


 その順番は、ソーマにもよく分かった。危ないかもしれないものを、分からないまま使い続けない。


「触ってみるか。冷えた記録用の破損材だ。無理に力をかけるなよ」


「はい」


 ソーマは両手で刃を受け取った。土魔術をそっと通す。


 魔力の返りは、大半ではなめらかだった。けれど、一か所だけ、続きにくいところがあるように感じる。


 重さを測れたわけではない。中身を見通せたわけでもない。ただ、手の中の手応えに、かすかな途切れがある。


「何かがある、とは言えません。ただ、魔力の返りが続きにくい場所があります。割れ目なのか、別の混ざり方なのかも、これだけでは分かりません」


 ガイルの目が鋭くなった。


「それでいい。分かったふりをするな」


 そう言って、少しだけ口元を緩めた。


「だが、その感覚は面白い。俺の目と耳だけでは拾えないものを、お前が拾う日が来るかもしれん」


 破断面には、銀色の地に暗い筋が走っていた。


 ガイルは、その近くを指した。


「打っていた時、ここで嫌な音がした。急ぎの仕事で、そのまま進めた」


 豪快な男が、自分の失敗を隠さず話す。


 ソーマは帳面を二段に分けた。


 観察。破断面に暗い筋あり。


 ガイル証言。製作時の叩打で異音あり。


 破断原因は未確定。再使用せず、記録用として保管。


 暗い筋と異音は、同じ原因かもしれない。違うかもしれない。今は、二つを線で結ばない方が正しい。


「折れた物も、次に折らないための先生になる」


 ガイルの言葉に、ソーマはミルカの炉場で見た、ひびの入った粘土試験片を思い出した。


 失敗を捨てず、理由を急いで決めない。


 鍛冶場でも同じだった。


 ガイルは破損刃を木箱へ戻した。箱のふたには、再使用禁止の赤い印が付いている。


「いつか銅や錫を合わせる話もするかもしれん。だが、今日はやらん。分からないまま混ぜるより、今ある鉄を使えるか考える方が先だ」


「はい。混ぜる前に、比べ方を覚えます」


「おう。その順だ」


 フェルド老師は、ずっと何も言わずに見ていた。


 ソーマは、老師が自分をこの鍛冶場へ連れて来た理由を、少しだけ分かった気がした。砂の皿の前だけでは、材が人の手へ渡った後のことまでは見えない。


 鍛冶師は、客の手の中で刃が折れないように、音と色と伸びを見ている。正確な名前を付けられない違和感にも、道具を渡さないという形で答えている。


 その仕事の重さは、帳面の一行では収まりきらない。


 だからこそ、帳面の一行が役に立つ日もあるのだろう。今日の破損刃に何が起きたかは分からない。それでも、暗い筋と異音と、再使用しない判断を残せば、次に同じ材を扱う者は立ち止まれる。


 夕方、鍛冶場を出る時、ガイルは大きな手でソーマの背を叩いた。かなり強かった。


「また来い! 今度は折れた釘でも見せてやる!」


「ありがとうございます」


「礼はいい! 面白いものを見せろ! じじいの弟子なら、退屈なことはするなよ!」


 フェルド老師が横で低く言った。


「退屈なことを積めない者は、面白いこともできん」


「ははっ、それもそうだ!」


 ガイルはまた豪快に笑った。


 工房へ戻る道で、ソーマはしばらく無言だった。耳の奥には、まだ槌音が残っている。服には煤と鉄の匂いが染みつき、冷えた刃に触れた時の手応えが、指先に残っていた。


 前を歩くフェルド老師へ、ソーマは声をかけた。


「老師」


「何だ」


「いろいろな仕事を見せてくださって、ありがとうございます」


 老師は振り返らなかった。


「礼を言うには早い。まだ入口だ」


「はい。でも、入口をたくさん見せてもらっています」


 少し歩いてから、老師は短く言った。


「砂だけ見ていると、砂の使われ方を忘れる。錬金術師は、それでよく失敗する」


 ソーマは、その言葉を心の中で繰り返した。


 材は、きれいかどうかだけで決まらない。


 誰が、何のために、どう使うのか。


 鍛冶場の槌音は、その当たり前で重いことを、ソーマに教えていた。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

面白いと思っていただけたら、ブックマークや☆☆☆☆☆評価をいただけると次回更新の励みになります。

感想も一つ一つ楽しく読ませていただいています。

また次話でお会いしましょう!

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