表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
45/81

第2章 第45話 水は器で変わる

第2章 第45話


水は器で変わる


 水は、器が変われば流れ方も変える。


 ナーシャが工房の机に並べたのは、昨日の透明な水瓶と三種類の器だった。


 一つは浅い皿。底が広く、片側にだけ低い流し口がある。


 一つは、細い溝を何本も刻んだ陶板。溝の先には受け皿が置かれていた。


 最後は、底の深い小鉢である。これは水平に置かれ、流すためではなく、沈む様子を見るための器だった。


 水瓶、砂時計、陶管、木匙、木札、受け皿。


 何をどこへ置くかまで決まっている。


「今日は、器と流れの道を見ます」


 ナーシャは楽しそうに言った。


「同じ砂と同じ水量でも、広がる場所と流れる道が違えば、残るものも運ばれるものも変わります」


 ソーマは三つの紙束を開いた。観察、条件、解釈。


 ナーシャは、川上の砂を木匙ですり切り一杯ずつ、三つの器へ分けた。


 ソーマは試験前に条件を書く。


 川上試料。水洗い後、乾燥。同量を浅皿、溝板、深鉢へ入れる。同じ水瓶の水を使用。水温は未測定。水量は青線一目盛り分。陶管の先は各器の内壁へ近づける。浅皿と溝板は、流出口側が机面より指一本分低くなるように木の楔で傾ける。深鉢は水平に置く。


「まずは浅い皿です」


 水が底へ薄く広がる。白い細かな粉は、水の流れに乗ってゆっくり流し口へ向かった。黒い粒や粗い粒の多くは、すぐには流れず、残っている。


 受け皿に移った水は白く濁っていた。浅皿側には、黒い粒がまだ多く残っている。


「浅い皿は、横に広げて流れを見るのに向いています。底の砂を急に舞わせにくいです」


 次に、溝のある陶板へ水を流す。


 流出口側の高さは浅皿とそろえてある。けれど水は広がらず、細い溝へ集まった。


 流れは浅皿より速い。


 白い粉はよく流れた。だが、黒い粒のいくつかも水に押され、受け皿へ滑っていく。


「細い溝は、水の道を決めやすいです。でも、水が集まるぶん、流れは強くなります」


「速い水は、砂をよく動かします。でも、動かしすぎる」


「そうです」


 最後に、深い小鉢を見る。


 ナーシャは同じ量の水を、小鉢の壁へ沿わせて入れた。小鉢は深いため、水はすぐには外へ流れない。


 砂は一度舞い上がり、鉢の中が白く濁った。


 ナーシャは砂時計を返し、そのまま待つ。


 しばらくすると、一部の粒が先に底へ落ち、白い濁りが上に残った。


「深い鉢は、待つのに向いています。沈み方の違いを見るための器です」


「でも、急いで上澄みを流すと、まだ沈みきっていない粒も一緒に動きます」


「はい。深ければ何でも分けられる、ということではありません」


 ソーマは観察の紙束に書いた。


 浅皿。固定した傾きで横流れ。底の乱れ少。粗い粒と黒粒の多くが残る。


 溝板。流出口側の高さは浅皿と同じ。流速高い。白い粉の流出多い。黒粒の一部も流出。


 深鉢。水深あり。濁り大。底へ落ちる粒と上に残る濁りを観察しやすい。


 同じ砂。同じ水量。


 けれど、器と流れの道が違えば、残るものも流れるものも変わる。


 水は量だけではない。流れる面の広さも、道の細さも、深さも条件だった。


「では、ソーマくんもやってみましょう」


「はい」


 ソーマは浅い皿を選んだ。


 川上の砂を木匙すり切り一杯。水は青線一目盛り分。皿はナーシャが使った時と同じ木の楔に載せる。流し口の先には、空の受け皿を置いた。


 陶管の先を皿の縁へ近づけ、水を細く落とす。


 最初はうまくいった。


 水は静かに広がり、白い粉が流し口の方へ寄っていく。黒い粒は低い側に残り始めた。


 だが、ソーマはもう少しはっきり分けたいと思ってしまった。


 皿を支える木の楔を、ほんの少しだけ高いものに替える。


 水の流れが強くなった。


 白い粉だけでなく、黒い粒の列まで崩れる。いくつかの黒粒が受け皿へ流れた。


 低い側にあった、沈み感の強い粒らしい手応えも受け皿の側へ移る。


 ソーマは土魔術を伸ばしかけて止めた。


「失敗しました。流れを強くしすぎました」


「はい。水を急かしましたね」


 ナーシャは困ったように微笑んだ。


「水は優しいですけど、急かすと荷物を投げちゃいます」


「荷物」


「運んでいた粒です」


 可愛らしい言い方なのに、内容は正確だった。


 ソーマは条件の紙束に記録する。


 浅皿再現。黒粒が低い側へ集まり始めた後、皿の傾きを増やした。水流増加。白い粉と黒粒の一部が受け皿へ流出。土魔術で戻そうとしたが中止。以後、この皿は傾き変更後試料として扱う。


「戻さなかったのは、えらいです」


「戻したら、最初の条件で何が流れたか分からなくなります」


「はい。受け皿の中では、白い粉と黒粒が混ざりました」


「……はい」


 受け皿の水面と、底に沈んだ粒を見ているナーシャの目は真剣だった。


「次は、溶けるものです」


 ナーシャは三つの小皿を出した。


 一つには白い粘土の細粒。


 もう一つには、細かく砕いた塩。


 最後には、炉から出た灰をふるい分けて得た、薄い灰色の粉が入っている。


「見た目だけだと、どれも白っぽい粉です。でも、水に入れた後は違います」


 ソーマの好奇心が前へ出る。けれど、手はまだ動かない。


 ナーシャは、条件を書くように目で促した。


 白粘土細粒、塩、炉灰由来の灰色粉を各小皿へ小匙一杯ずつ入れる。同じ水瓶の水を青線一目盛り分加える。水温は未測定。陶管は皿壁へ近づける。試料を口へ入れない。観察後、三試料は混ぜない。


 白い粘土の細粒を水に入れると、ふわりと濁り、やがてゆっくり沈み始めた。細かい粒は、水中に長く漂い続ける。


 塩は違った。


 水に入れると、粒の輪郭がほどけるように消えていく。皿の底に白い粉は残らず、水はほとんど透明なままだった。


 見た目には、消えたように見える。


 見えなくなることと、なくなることは違う。


 ソーマは観察の紙束に書いた。


 塩。水中で粒の形が見えなくなる。底に残るものはほぼない。水は透明に近い。水に溶けた可能性。


「味見はしないんですね」


「しません。水に入れた後の試料は、何が混じったか分かりませんから」


「はい。水に入れたものを何でも舐める人は、すぐ怒られますよ」


 ナーシャの声は可愛らしかったが、目は笑っていなかった。


 最後の灰色の粉は、さらに厄介だった。


 水に入れると、一部は濁り、一部は底に沈んだ。陶片で一度だけ静かに混ぜると、水にはわずかなぬめりもある。


「灰は、燃やしたものによって違います。水に溶けるものも、溶けないものも、細かく漂うものも混じります」


「混合物」


「はい。水は、それぞれの違いを表に出します。でも、その後に何をするか決めていないと、ただ汚い水が増えるだけです」


 ソーマは宿屋の裏口、工房排水、市場排水口を順に思い出した。


 水を使えば、問題は見えなくなることがある。


 でも、見えなくなっただけで、なくなってはいない。


 ソーマは塩の皿を見た。


 透明に近い水。底には何もないように見える。


 けれど、水を乾かせば、また塩が残るはずだ。


「乾かして確かめたいです」


「はい。いいです。でも時間がかかります」


「待ちます」


「待てる人は、水と少し仲良くなれます」


 ナーシャは嬉しそうに言った。


 塩水の皿を窓際へ置く前に、ソーマは条件を書く。


 塩水試料。小匙一杯の塩。水瓶の青線一目盛り分の水。水温未測定。窓際、窓から指三本分の位置へ置く。皿に蓋はしない。風の強さは未測定。午前の砂時計二回分が落ちた頃から乾燥開始。乾燥中は試料を動かさない。


 木札には、塩、水に溶けた可能性、乾燥待ち、と書く。


 粘土の皿には、沈降中。


 灰色粉の皿は、砂時計が一回落ちるまで待ってから、上澄みを別の受け皿へ移した。二つの皿に、灰色粉・底層保存、灰色粉・上澄み保存、とそれぞれ木札を置く。


 午後は、操作の違いと沈み方の比較だった。


 白い粘土の細粒を同じ量ずつ、三つの深鉢へ分ける。同じ水瓶の水を同じ量だけ加え、三つとも同じ場所に置く。水温は未測定。器、試料量、水量、置き場所は同じにする。


 違えるのは、水へ加える操作だけだった。


 第一の鉢は、何もしない。


 第二の鉢は、ソーマが木の匙で同じ向きに三回だけ混ぜる。


 第三の鉢は、ナーシャが水魔術を弱く使い、砂時計の砂が短く落ちる間、水流を整える。木の匙は使わない。この鉢は、ナーシャの水魔術後試料として扱う。


 砂時計を返し、四分の一、半分、一回分、二回分の時点で、それぞれの濁りと底層を観察する。


 何もしない鉢では、表面近くの濁りがゆっくり薄くなった。


 ソーマが匙で混ぜた鉢は、濁りが広く残った。


 ナーシャが水流を整えた鉢は、細かな濁りの集まり方が他の二つと違って見え、底へ落ちる層の境目を追いやすかった。


 ソーマは観察の紙束に書く。


 操作なし。濁りはゆっくり薄くなる。


 木匙三回。濁りが広く残る。


 ナーシャの水魔術。濁りの集まり方が異なる。底層との境目を見つけやすい。水魔術の強さと操作時間はナーシャの感覚によるため、ソーマ単独での再現は未確認。


「操作が違えば、沈み方も変わるんですね」


「はい。けれど、今は三つの操作を比べただけです。どれがいつでも一番よいかは、言えません」


 ナーシャはそう言って、水面を撫でるように指先を動かした。


 水魔術は粒を直接つかんでいるわけではない。流れを小さく整え、粒が落ち着く場所を作っているように見えた。


 ソーマは、水中で底へ近づく粒の気配を確かめたくなった。


 使う前に、条件を書く。


 第三の鉢。ナーシャの水魔術後試料。ソーマが土魔術を弱く使用。手は鉢から指二本分の距離。粒に触れず、引き寄せず、砂時計の砂が短く落ちる間だけ沈み感を確かめる。


 最初は、底へ近づく粒の気配を遠くから受け取るだけにしていた。


 けれど、もっとはっきり知りたくなった。


 意識を強めた瞬間、土魔術が水中の細粒をわずかに寄せてしまった。


 せっかくナーシャが整えた層が乱れ、底へ落ちかけていた濁りが小さく舞い上がる。


「あっ」


 ナーシャが目を丸くした。


 ソーマはすぐに土魔術を止めた。


「すみません。感じるだけのつもりが、細かい粒を動かしました」


「はい。今のはだめです。かわいくない失敗ですね」


「……記録します」


 条件の紙束へ書き足す。


 土魔術の強さを保てず、細粒を寄せた。沈降層が乱れた。この回は比較不可。


 胸が痛かった。


 自分の土魔術が上達しているからこそ、干渉してしまう。できることが増えた結果、邪魔も増えた。


 ナーシャは少し考えてから言った。


「ソーマくん。水の中を見る時は、手を入れる気持ちじゃなくて、窓から見る気持ちがいいです」


「窓から見る」


「はい。水の向こうにいる粒を、窓越しに眺める感じです。呼んじゃだめです。追いかけてもだめです。見えるところに来るまで待ちます」


 ソーマにはよく分かった。


 土魔術で読む時、彼は無意識に粒へ手を伸ばしていた。


 そうではなく、水を一枚挟んで見る。


 粒を自分の方へ引かない。沈むまで待つ。


 新しく、第三の鉢と同じ条件で深鉢を用意した。


 ナーシャが水魔術を弱く使い、同じように水流を整える。ソーマは手を鉢から指二本分の距離に保ち、砂時計の砂が短く落ちる間だけ、意識を弱く向けた。


 水の中の粒をつかまない。底へ近づく気配だけを、遠くで受け取る。


 すると、さっきより層が乱れなかった。


 完全ではない。


 でも、前よりましだった。


 その小さな成果が、今日の一番大きな収穫かもしれなかった。


 夕方、窓際の塩水皿には、まだ目に見える変化はほとんどなかった。


 水は残っている。乾くには時間がかかる。


 ソーマは木札に、乾燥継続、と書き足した。


 ナーシャは水瓶を抱えながら、にこりと笑った。


「明日、白いものが戻っていたら、水に消えたわけじゃなかったって分かりますね」


「はい」


「戻っていなかったら?」


「水が本当に乾いたかを確かめます。最初に入れた塩の量、水量、皿、こぼれ、風、結晶の見落としも疑います」


「いいです。とてもいいです」


 そう言われて、ソーマは少し照れた。


 工房を出る頃、ラウゼンの水路には夕暮れの色が映っていた。


 水は赤く見える。だが、赤い水ではない。空を映しているだけだ。


 その下では、粉が沈み、油が浮き、溶けたものは見えないまま流れている。


 水は、器と流れ方で結果を変える。


 広がる場所では広がり、細い道では速くなり、深いところでは待つ。


 器の形、流れの形、待つ時間、溶けるものと溶けないもの。


 そのどれか一つを見落とせば、結果は変わる。


 ソーマは三つの紙束を抱え直した。


 土で読むために、水を知らなければならない。


 そのことが、今日は昨日よりはっきり分かった。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

面白いと思っていただけたら、ブックマークや☆☆☆☆☆評価をいただけると次回更新の励みになります。

感想も一つ一つ楽しく読ませていただいています。

また次話でお会いしましょう!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ