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第2章 第43話 反応しない重い粒

第2章 第43話


動かない黒粒


 磁鉄鉱を近づけても、動かなかった黒粒がある。


 フェルド老師の机には、前日からの紙札が並んでいた。


 川上・水洗い後乾燥・磁鉄鉱接近で動きあり。


 橋下・粗粒分画・磁鉄鉱接近で動きあり。


 橋下・粗粒分画・目視できる動きなし・土魔術による沈み感あり。


 市場排水口の試料には、別の札が付いている。油膜が残り、前日の予備試験にも使ったものだ。動きが見えた粉は「動きあり候補」、動きが見えなかった粉は「判定保留」として、別の皿に置かれていた。


 フェルド老師は、橋下の小皿をソーマの前へ寄せた。


「今日はこれを見る」


「磁鉄鉱に動かなかった黒粒ですね」


「その書き方を忘れるな。動かなかったからといって、何であるかは決まらん」


「はい」


 ソーマは三つの紙束を開いた。観察、条件、解釈。


 条件の紙束に、まず試料の履歴を書く。


 橋下試料。水洗い後、乾燥。粗粒分画。前日の磁鉄鉱試験で、紙の下から指一本分の距離に磁鉄鉱を一往復させた時、目視できる動きなし。市場排水口試料とは混ぜない。


 観察の紙束には、色と形を書く。


 黒色から赤黒色。丸みのある粒と、少し角のある粒がある。光沢の強い粒と鈍い粒が混じる。粒の大きさは完全にはそろわない。


 前日に土魔術で感じた沈み感を、もう一度確かめることにした。


 条件を続ける。


 橋下・動きなしの粒から、丸みと大きさが近い粒を四つ選ぶ。比較用として、橋下・動きありの粒を二つ選ぶ。紙の端を折り、粒が落ちないようにする。ソーマが土魔術を弱く使用。手は紙から指二本分の距離。粒に触れず、動かさない。砂時計の砂が四分の一落ちる間、各粒を一回ずつ感じる。順番を替えて二回行う。


 最初の一回では、動きなしの黒粒の一つに、鋭く沈み込むような手応えがあった。別の粒は、同じ黒でも手応えが弱い。赤黒い粒には、沈むというより、少し崩れやすい塊に触れた時のような感覚が残った。


 順番を替えた二回目でも、最初の黒粒には似た手応えがあった。


 ただし、粒は小さく、形も表面も違う。土魔術による感覚だけで、実際の重さや中身は決められない。


 ソーマは観察の紙束に書く。


 橋下・動きなしの粒には、沈み感の違いがあるように感じる。黒粒Aは鋭く沈むような手応え。赤黒粒Bは、やや崩れやすいような手応え。二回の試行で同様の傾向あり。再現性は未確認。


「二種類、あるかもしれません」


 フェルド老師が顔を上げた。


「それは観察か」


「違います。観察は、手応えが違ったことです。二種類あるかもしれない、は解釈です」


「よい」


 ソーマは解釈の紙束へ書き足した。


 橋下・動きなしの黒粒は、単一ではない可能性がある。別の観察で確かめる。


 次にフェルド老師が、白い素焼き片を出した。


「こすった跡を見ろ」


 粒を素焼き片へこすれば、削れた粉の色が残る。だが、こすった粒は状態が変わる。


 ソーマは、試料の横へ新しい札を置いた。


 条痕試験用。試験後は、硬さと加熱の試料に使わない。


 条件を書く。


 橋下・動きなし・黒粒A、赤黒粒Bを各一粒使用。比較用に、橋下・動きありの黒粒Cを一粒使用。いずれも前日の磁鉄鉱試験後。新しい素焼き片の別々の場所へ置く。粒を指で強く押さえず、竹串で支えながら、指一本分の長さを一度だけこする。跡の色を窓光とフェルド老師の弱い光魔術の下で見る。


 動きありの黒粒Cは、黒い跡を残した。


 動きなしの黒粒Aは、黒の中に赤みのある跡を残す。赤黒粒Bは、さらに茶色に近い跡になった。


 ソーマは身を乗り出しかけ、すぐに記録へ戻った。


 観察。橋下・動きあり黒粒C、黒色の条痕。橋下・動きなし黒粒A、赤みを帯びた黒色の条痕。橋下・動きなし赤黒粒B、茶色に近い黒色の条痕。


 昔読んだ知識から、赤鉄鉱という名が浮かんだ。黒く見えても、粉にすると赤みを見せる鉱物がある。


 だが、この世界で目の前の粒をそう呼べる根拠はない。別の鉱物かもしれない。炉から流れた滓が混じっている可能性もある。


 ソーマは、その名を書かなかった。


 解釈の紙束には、こう記す。


 表面色が似ていても、条痕色は異なる。橋下・動きなしの粒には、異なる性質を持つ複数の粒が混じる可能性がある。名称は未確定。


「次は、傷の付き方を見る」


 フェルド老師は新しい銅片と、細い鉄釘を出した。


「硬さそのものを測るわけではない。同じ条件で、傷が付くか、粒が砕けるかを見るだけだ」


 ソーマは、まず失敗しないよう条件を決めた。


 硬さ試験用には、条痕試験に使っていない別の粒を用いる。橋下・動きなし黒粒D、赤黒粒E、比較用の橋下・動きあり黒粒Fを各一粒。粒は溝を作った木片に置き、竹串で横から支える。新しい銅片の未使用部分へ、木片を軽くしならせるまで押し当て、一度だけ引く。次に、新しい鉄釘の側面へ同じ粒を一度だけ当てる。試験ごとに粒と金属面の状態を書く。


 最初に黒粒Dを試すと、粒が木片の溝から外れた。銅片には斜めの傷が残ったが、押す角度がそろっていない。


 ソーマは、その銅片に札を付けた。


 硬さ試験一回目。粒の固定に失敗。銅片に傷あり。比較には使わない。


 新しい銅片を出し、木片の溝を少し深くした。


 二回目では、黒粒Dは銅片へ細い傷を残した。鉄釘へ当てても、見える欠けは少ない。赤黒粒Eは、銅片に明瞭な傷を残す前に、角の一部が砕けた。比較用の黒粒Fは、銅片に細い傷を残したが、鉄釘へ当てると粉が少し出た。


 結果は、きれいに一列には並ばない。


 ソーマは観察の紙束に書く。


 橋下・動きなし黒粒D。銅片に細い傷。鉄釘で目視できる欠けは少ない。橋下・動きなし赤黒粒E。銅片試験中に角が破砕。橋下・動きあり黒粒F。銅片に細い傷。鉄釘で粉が少量出た。力は木片のたわみを目安としたため、厳密な比較ではない。


 フェルド老師は、記録を読んで言った。


「傷が付いた。砕けた。そこまでだ。硬い、柔らかいと急ぐな」


「はい」


 加熱には、さらに別の粒を使うことにした。


 条件の紙束へ書く。


 橋下・動きなし黒粒G、赤黒粒H、比較用の橋下・動きあり黒粒Iを各一粒使用。いずれも条痕・硬さ試験には未使用。素焼き片の別々のくぼみに置く。素焼き片は火箸で炭火から指二本分の位置に置く。直接炎には入れず、砂時計の砂が四分の一落ちる間だけ加熱する。窓は少し開ける。ユーリは戸口の外に立つ。加熱後は同じ場所で冷まし、窓光と弱い光魔術の下で色を見る。


 動きありの黒粒Iは、見た目に大きな変化を示さなかった。


 動きなしの黒粒Gも、大きくは変わらない。だが、赤黒粒Hは、冷めた後に赤みが少し強く見えた。


 ソーマはすぐに、断定を止める。


 赤くなった、と言えるほど強い変化ではない。光の加減かもしれない。粒の表面に最初からあった色が、熱で見えやすくなっただけかもしれない。


 観察の紙束には、こう書いた。


 橋下・動きあり黒粒I、加熱後の目視できる大きな変化なし。橋下・動きなし黒粒G、目視できる大きな変化なし。橋下・動きなし赤黒粒H、加熱後に赤みがやや強く見える。再試験が必要。


 市場排水口の試料は、机の端に残ったままだった。


 油膜が付いたまま火へ近づければ、先に油が焦げる。粒そのものの変化なのか、油の変化なのかを分けられない。


「あちらは、まだ使いません」


 ソーマが言うと、フェルド老師は頷いた。


「どうすれば使える」


「油を落とす必要があります。ただ、布で拭けば細かい粒を失います。水で洗うなら、水量や流し方、残った粒を受ける方法を決めなければなりません」


「土だけでは足りんか」


「足りません」


 即答すると、フェルド老師の口元がわずかに緩んだ。


「ナーシャに見せろ。水属性の助手だ」


 初めて聞く名だった。


「僕の洗い方を見てもらうんですか」


「見れば、おそらく何か言う」


「怒られるでしょうか」


「理由はある」


 ソーマは少し肩を落とした。それでも、不思議と嫌ではなかった。


 怒られるなら、何が足りなかったのかを知りたい。


 日が傾く頃、机には新しい紙札が並んでいた。


 橋下・粗粒分画・目視できる動きなし・黒粒A・赤みを帯びた黒色の条痕。


 橋下・粗粒分画・目視できる動きなし・赤黒粒B・茶色に近い黒色の条痕。


 橋下・粗粒分画・目視できる動きなし・黒粒D・銅片に細い傷。


 橋下・粗粒分画・目視できる動きなし・赤黒粒E・銅片試験中に角が破砕。


 橋下・粗粒分画・目視できる動きなし・赤黒粒H・加熱後に赤みがやや強く見える。


 どの札にも、何であるかという名前はない。


 それでも、昨日までの「動きなしの黒粒」よりは、少し多くを語っていた。


 帰り際、ユーリが紙札を眺めた。


「黒い砂が、ますます長い名前になってるな」


「短くすると、何をした粒か分からなくなるから」


「分かったことは?」


 ソーマは少し考えた。


「磁鉄鉱に動かされない黒粒にも、違うものが混じっているかもしれない。こすると赤みが出る粒もあって、火に近づけると少し見え方が変わる粒もある」


「結局、何の粒なんだ?」


「まだ分からない」


 ユーリは笑った。


「やっぱり面倒だな」


「うん。でも、前よりは分けられた」


 工房を出ると、ラウゼンの石畳は夕方の湿り気を残していた。水路の端には、黒い粉と薄い油膜が光っている。


 土魔術では沈み感を確かめられる。磁鉄鉱を近づければ、動きの違いを見られる。こすれば粉の色が残り、火に近づければ見え方が変わる粒もある。


 けれど、油と細かな粒の前では、土だけでは進めない。


 次は水だ。


 分からないものは増えた。けれど、分け方も増えた。


 それはたぶん、前に進んでいるということだと思う。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

面白いと思っていただけたら、ブックマークや☆☆☆☆☆評価をいただけると次回更新の励みになります。

感想も一つ一つ楽しく読ませていただいています。

また次話でお会いしましょう!

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