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第2章 第32話 大都市ラウゼン

第2章 第32話


大都市ラウゼン


 旅の四日目の昼、ラウゼンは遠くからでも土の色が違った。


 街道は都市へ近づくほど黒ずみ、馬車の轍には灰色の粉が溜まっていた。風が吹くたび、粉は舞い上がり、荷馬車の車輪や旅人の裾にまとわりつく。


 ソーマが小窓から身を乗り出しかけると、セドがすぐに窓を狭くした。


「口元を覆ってください。何が混じっているか分かりません」


「はい」


 渡された布を口元へ当てる。


 故郷の土は、雨の匂いがした。庭の粘土、宿屋の裏口の泥、白い崖下の崩土から集めた粘り土。


 けれど、ラウゼンの入口に積もる粉は違う。鉱石、炭、火、馬車、人。多くのものが混じった、乾いた石と煤の匂いがした。


 土というより、都市が削れて粉になったもののようだった。


 城壁は高く、門は広い。


 馬車が列に並ぶ。鉱石を積んだ荷車、木炭を積んだ荷車、染料の樽、革袋、鉄の棒を束ねた荷。門番は手早く荷を確かめ、横では土魔術師らしい男が、車輪でえぐれた道を直していた。


 男は両手をかざし、轍の両脇の土を寄せる。石を据え、上から押し固める。荷車が通れる幅を取り戻すと、すぐ次の崩れへ向かった。


 粒の違いを確かめるためではない。


 門前の流れを止めないための土魔術だ。


 故郷で聞いていた「地味な補助」という言葉は、間違いではなかった。けれど、ここではその補助が途切れなく働いている。止まれば、荷も人も街の外まで詰まってしまうのだろう。


 門をくぐると、音が増えた。


 金属を叩く音。荷車の軋み。水路を流れる水。誰かの怒鳴り声。火床へ風を送るふいごの低い唸り。


 故郷の市場の喧騒とは違う。


 ここでは音の多くが、何かを作るために鳴っていた。


「まずは、ダリオ様の知己が営む宿へ向かいます」


 セドが小声で言った。


「フェルド老師を訪ねるのは、明日の朝です。今日は荷を置き、この街の規則を覚えてください」


「分かりました」


 返事をしながら、ソーマの目は街から離れなかった。


 鍛冶場の軒先に、火魔術師がいた。


 女が炉の前で手をかざすと、炭の奥が赤く深く光る。炎をただ大きくするのではない。熱を鉄片へ寄せ、鍛冶師が見たい色を保っているようだった。


 ここで火魔術は、炉の温度を整える技術だった。


 さらに進むと、水魔術師が鉱石を洗っている。


 大きな桶の中で濁った水を回し、軽い泥を流し、底に残る粒を分けていた。


 沈降。


 分離。


 故郷の川砂で見たものが、都市の仕事になっている。


 だが、桶から流れた水は細い排水路へ落ちていた。水路の底は黒く、縁には青灰色の澱がこびりついている。


 宿屋の裏口の浅鉢と油膜を思い出し、ソーマの胸は少し重くなった。


 ラウゼンでは、便利さも汚れも大きい。


 高い窓辺では、風魔術師が炉から出る煙を屋根の排気口へ流していた。別の工房では、石粉の舞う作業場から粉を通りと反対側へ逃がしている。


 それでも、粉がすべて消えるわけではない。


 風に運ばれた粉は通りの端へ積もり、馬車が通ればまた舞い上がる。


 職人街の入口には、薄く光る札が吊られていた。今日の炉の貸し出し状況や、危険な作業をしている工房が文字で示されている。


 道端の小さな診療所では、光魔術師が作業員の手を取り、淡い光で傷の深さを確かめていた。治すための魔術ではなく、傷の状態を読むための魔術らしい。


 ソーマは圧倒されていた。


 火が炉を支える。


 水が鉱石を洗う。


 風が煙と粉を流す。


 土が道と石を整える。


 光が情報と身体を読む。


 五つの属性が、この都市では仕事として絡み合っている。


 観察。


 ラウゼンの地面は、自然の土だけでできてはいない。鉱石粉、炭の灰、砕かれた石、馬糞、染料、金属の細かな欠片。通りごとに、違うものが違う濃さで混じっている。


 土魔術を細く通すと、硬く重い反応がいくつも重なって感じられた。


 それが金属なのか、鉱石なのか、黒砂なのかは分からない。


 故郷の崖下で感じた粘り土のように、なめらかに続く層ではなかった。ここでは、人が運んだ物質が地面全体に散っている。


 仮説を立てよう。


 都市では、土魔術で感じる重さだけを頼りにしても、すぐには役に立たない。まず、自然の地層と人の活動で積もった粉を分けて考える必要がある。


 ソーマは採取したい気持ちを抑えた。


 触りたい。分けたい。記録したい。


 だが、通りの粉には金属粉、灰、薬品など、何が混じっているか分からない。白石の粉で学んだように、知らない粉を素手で触ってはいけない。


 馬車は、職人街を抜けた先の大きな宿の前で止まった。


 ダリオの知己である宿の主人は、父の紹介状を読んでから、ソーマへ穏やかに頭を下げた。


「アルディス様から話はうかがっています。フェルド老師を訪ねるまで、こちらでお休みください」


「よろしくお願いします」


 ラウゼンの宿は、鷹のくちばし亭より大きかった。三階建てで、入口には火魔術で温められた湯の釜があり、奥の洗い場では水魔術師が大量の布を洗っている。


 床は石敷きで、排水溝も故郷のものより深い。


 それでも、溝の縁には黒い澱があった。


 ソーマはしゃがみ込みかけた。


「坊ちゃん」


 セドの声で、動きを止める。


「ここでは勝手に触らないでください」


「はい」


 宿の主人も、うなずいた。


「工房から流れた水が、どこで混じるかは私にも分かりません。染料、灰汁、鉱石を洗った水。場所によっては、手荒れを起こすものもあります」


 ソーマは立ち上がった。


 ラウゼンでの最初の規則を決める。


 知らない土と水には、許可なく触れない。


 部屋に荷を置いたあと、ソーマは窓辺で試料箱を開けた。


 庭の粘土。川砂。白い崖下の崩土から分けた粘り土。比較用の乾燥片。焼成片。


 どれも見慣れた色だった。


 窓の外には、黒ずんだ屋根と煙突が続いている。


 故郷の土は、急に小さく見えた。


 けれど、無価値には見えなかった。基準があるから違いが分かる。戻る場所があるから、新しい土に圧倒されても比べられる。


 ソーマは記録紙を出した。


 旅の四日目。大都市ラウゼン。

 門前と職人街には、黒灰色の粉が多い。

 火魔術、炉の熱を整える。

 水魔術、鉱石洗いと沈降。排水の成分は不明。

 風魔術、煙と粉の流れを変える。

 土魔術、道と石材の補修。

 光魔術、情報札と傷の確認。

 土魔術で感じる反応は複雑で、種類を決められない。

 採取は、許可と安全確認をしてから行う。


 書き終えると、少しだけ呼吸が落ち着いた。


 知らない世界は、大きい。


 だが、大きいからこそ、分けて見るしかない。


 夕方、宿の主人はセドに、職人街で粉を扱う際の決まりを教えた。


「通りの粉を勝手に持ち帰ると、清掃係や工房に叱られます。調べたいなら、入口の清掃係に尋ねてください。採ってよい場所を示してくれるでしょう」


 セドは、ソーマを連れて職人街の入口へ向かった。


 詰所にいた清掃係へ事情を話すと、男は怪訝そうな顔をした。


「調べるために、道の粉を?」


「はい。少量だけです。採った場所と状態も記録します」


 男はソーマと試料箱を見比べ、通りの端を指した。


「そこは今日、掃き寄せたばかりだ。袋に入れるなら、ひとつまみだけにしろ。風の強い日は開けるな」


「ありがとうございます」


 ソーマは紙片と木匙を使い、黒灰色の粉を少量だけ小袋へ移した。直接は触らない。土魔術も使わない。


 木札に書く。


 ラウゼン職人街入口。清掃係の許可あり。掃き寄せられた通りの粉。金属粉を含む可能性。素手と土魔術での直接操作は避ける。


 そのとき、近くで誰かが笑った。


「そんな汚い粉を拾うのか?」


 振り向くと、荷運びの少年が立っていた。年はソーマと同じくらいか、少し上。肩に空の麻袋をかけ、靴も袖も黒く汚れている。


「調べます」


「何を?」


「何が混じっているかを」


 少年は目を丸くし、それから面白そうに笑った。


「変なやつだな。ラウゼンじゃ、道の粉なんて見向きもしないぞ」


「観察すれば、分かることがあるかもしれません」


 そう言うと、少年は少し黙った。


「……あんた、錬金術師の子か?」


「いえ。これから会いに行くところです」


「誰に?」


 ソーマは少し迷った。


「フェルド老師という方に」


 少年の顔が変わった。


「やめとけ。あの爺さん、怒鳴るぞ」


 それが、ソーマがラウゼンで初めて聞いたフェルド老師の評判だった。


 期待と不安が、また胸の中で並ぶ。


 都市の土は、知らないものばかりだった。


 そして人もまた、故郷とは違うことを知っているらしい。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

面白いと思っていただけたら、ブックマークや☆☆☆☆☆評価をいただけると次回更新の励みになります。

感想も一つ一つ楽しく読ませていただいています。

また次話でお会いしましょう!

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