表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
25/79

第1章 第25話 割れた器

第1章 第25話


割れた器


 小皿を火に入れる朝、ソーマはいつもより早く目を覚ました。


 窓の外はまだ薄暗い。庭の乾燥棚には、夜露を避けるための布がかかっている。その下には三枚の小皿があった。


 一枚は、最初に形を保った本命の皿。二枚は、割って断面を見るために作った試験用の皿だ。


 十分に待ったつもりだった。布を替え、風を避け、日差しを急がせず、同じ配合の厚い試験片を割って中を確かめた。


 それでも、火の前では、その「つもり」が急に頼りなくなる。


 朝食のあと、ソーマは棚の前に木札と小秤を並べた。


 まず色を見る。三枚とも、縁も底も明るい。濃く湿った部分は見当たらない。


 次に重さを見る。小皿そのものを正確に量るには小秤が小さすぎるため、同じ配合、同じくらいの厚みで作った小片を毎日量っていた。小片の重さは、二日前からほとんど変わっていない。


 音も確かめる。試験用の皿を爪で軽く叩くと、こつ、と硬い音がした。湿った粘土を叩いたときの、鈍く重い音ではない。


 最後に、土魔術を使う。


 手をかざし、形を動かさずに反応だけを確かめる。本命の皿の底には、縁より強い抵抗が残っていた。だが、それが底の厚みなのか、わずかに残る水分なのか、ソーマにはまだ区別できない。


 ソーマは木札に書いた。


 乾燥判定。色は明るい。小片の重さは安定。音は硬い。皿底の抵抗は強い。土魔術だけでは判断できない。


 そして、試験用の一枚を割った。


 割るために作った皿だった。そう分かっていても、指に力を入れる瞬間、胸が痛んだ。


 小皿は小さな音を立てて二つに割れた。断面は外側も中心も、ほぼ同じ色をしている。濡れた筋は見当たらない。


 ソーマは長く息を吐いた。


 完全に同じ形ではない。それでも、本命と同じ配合で、近い厚みに作った皿の中心が乾いている。


 焼いてみる価値はある。


 ただし、割れないとは言えない。


 棚に残ったのは、本命の一枚と、もう一枚の試験用の皿だった。


 昼前、ソーマはその二枚を藁で囲った小箱へ入れた。箱の中で皿が触れ合わないよう、間に布を挟む。従者が持とうとしたが、ソーマは自分で抱えた。


 落とせば割れる。そう分かっていても、人へ渡す気にはなれなかった。


 窯場では、小さな火の準備が進んでいた。


 今日は白石や白い崖の砂を焼く日ではない。オルグが、古い陶片と普通の土の試験片を窯の端で焼き、火の回り方を見るための小さな火だった。


 大きな窯の中心は熱が強すぎる。小皿を置くのは、火口から離れた端の低い場所である。それでも火である以上、割れる可能性は消えない。


 オルグは小箱を開けると、二枚の小皿を見比べた。


「二枚か」


「一枚は本命です。もう一枚は、焼成の試験です」


「さっき、一枚割ったんだな」


「はい。中心に濡れた筋はありませんでした」


 オルグは二枚を持ち上げず、縁と底を目で確かめた。


「乾いてはいるように見える。だが、見えることと、無事に焼けることは別だ」


「はい」


「割れると思って置け」


 その言葉に、ソーマは小さくうなずいた。


 思っている。けれど、思いたくない。


 その両方が胸にあった。


 観察。


 窯の端でも、熱は一様ではない。窯口に近ければ風が入り、奥へ寄れば熱がこもる。下からの熱、横からの熱、薪がはぜたときの熱。


 けれど今日の二枚は、窯内の場所を比べるための試験ではない。成形も乾燥の始まりも完全には同じでない二枚から、置き場所だけの違いを結論づけることはできなかった。


 今日は、低い火で焼くと土がどう変わるかを知るための初焼成だ。


 オルグは、平たい古陶片を一枚、窯の端へ敷いた。その上に二枚を並べる。間は指二本分ほど空け、火口からの距離と高さはできるだけそろえた。


「最初からここに置く。途中で動かすな」


「はい」


「熱いものを動かせば、それだけ割れる理由を増やす」


 火が入った。


 最初のうちは、何も起きなかった。薪の煙が白く流れ、熱がゆっくりと窯の奥へ回っていく。ソーマは線の外に立ち、手を握りしめた。窯の前は熱く、頬が乾く。木の燃えるにおいと、土から抜ける湿り気のにおいが混じる。


 待つしかない。


 それが、一番難しかった。


 しばらくして、試験用の皿から小さな音がした。


 ぱき。


 大きな音ではなかった。だが、ソーマには胸の内側で何かが割れたように聞こえた。


「一枚、いったな」


 オルグが言った。


 ソーマは息を止めた。


 まだ取り出せない。熱い。見えない。割れたのが縁だけなのか、底まで裂けたのかも分からない。


 反射的に一歩前へ出かけたソーマの肩を、オルグが押さえた。


「近づくな」


「でも」


「今行っても何もできん。顔を焼くか、欠片を浴びるだけだ」


 ソーマは足を止めた。


 待って、乾かして、試験用の皿を割って、慎重に置いた。それでも割れる。


 手を出せばもっと悪くなると分かっているのに、何かしたい気持ちだけが残る。


 悔しさが、喉の奥まで上がった。


 オルグは窯を見つめたまま言った。


「待ったから割れない、とはならん」


「……はい」


「待たなければ、もっと悪いだけだ」


 その言葉は慰めではなかった。


 だから、胸に残った。


 焼成は続いた。


 本命の小皿からは、音がしなかった。少なくとも、ソーマの耳には聞こえなかった。だが、だから無事だとは限らない。窯の中で静かにひびが入っているかもしれない。底がゆがみ、縁が反っているかもしれない。


 火が落ち、灰が赤みを失うまで待つ。


 さらに、窯が冷めるまで待つ。


 熱いまま取り出せば、外の冷たい空気で割れるかもしれない。急に冷やすことも、土へ余計な負担をかける。


 夕方近く、ようやく窯の端から二枚が取り出された。


 試験用の皿は、縁から底へ斜めに裂けていた。割れ目の近くには黒っぽい部分が残っている。


 黒い部分が残水のせいなのか、火の回り方や空気の入り方のせいなのか、今のソーマには決められない。形の違いも、乾き方の違いもあったはずだ。


 分からないことは、分からないまま記録する。


 そして本命の小皿は、割れていなかった。


 ただし、皿と呼ぶには歪んでいた。


 片側の縁がわずかに下がり、底は完全には平らではない。色も均一ではなく、窯の奥を向いていた側が少し赤みを帯び、手前側には灰色が残っている。


 指で叩くと、こつ、と硬い音がした。


 前世の言葉が浮かんだ。


 素焼き。


 これは完成した食器ではない。水を長く入れれば染みるかもしれない。強くぶつければ割れるだろう。食卓へ出せるものかどうかは、まだ確かめていない。


 けれど、泥には戻らない。


 ソーマは小皿を見つめた。


 手が震えていた。


 嬉しいのか、悔しいのか、すぐには分からなかった。


 三枚のうち、一枚は乾燥を見るために割った。一枚は火の中で割れた。残った一枚も歪んでいる。


 それでも、残った。


 オルグは割れた皿の断面を見て、低く言った。


「今日は、割れた理由を一つに決めるな」


「はい」


「厚みか、乾きか、火の回りか。次に一つずつ減らして見ろ」


 ソーマは黙ってうなずいた。


 炉内の熱も、皿の厚みも、乾き方も、まだ思うようにはそろえられない。


 技術は、またひとつ複雑になった。


 帰り道、ソーマは残った小皿と割れた二枚を布で包んで持った。


 割れたものも捨てない。断面を見るためだ。乾燥を見るために割った一枚と、火の中で割れた一枚。その違いを書き残さなければならない。


 屋敷へ戻る前に、鷹のくちばし亭へ寄った。


 リナは、夕方の仕込みを手伝っていた。ソーマの顔を見るなり、手を拭いて裏口へ出てくる。


「焼いた?」


「はい」


「どうだった?」


 ソーマは布を開いた。


 まず、二つに割れた試験用の皿を見せる。次に、乾燥を見るために割ったもう一枚の断面を見せた。


 最後に、歪んだ小皿を取り出した。


 リナはしばらく黙っていた。夕方の光が、小皿の不揃いな縁に当たり、赤みと灰色がまだらに見えた。


「残った」


「はい。ただ、食器として使えるかは、まだ分かりません。水が染みるかもしれません」


「でも、残った」


 リナはもう一度言った。


 その声に、ソーマは胸が詰まった。


 ソーマは失敗の数を見ていた。割れたこと。ゆがんだこと。色がそろわないこと。火の強さを量れないこと。次も同じ結果になるとは言えないこと。


 リナは、残った一枚を見ていた。


 どちらも正しい。


「触っていい?」


「落とさなければ」


 リナは両手で受け取った。かつて欠け皿を見せたときと同じように、慎重に縁を見た。指先で軽く叩き、少し笑う。


「前より皿」


 ソーマは思わず息を漏らした。


「まだ、前より、です」


「うん。でも、前より皿」


 その言葉だけで、少し救われた。


 夜、ソーマは記録紙を広げた。


 初焼成。低い火の窯端。二枚。


 本命、残る。歪み。色むら。食器としての可否は未確認。


 試験用、火の中で割れる。黒い部分あり。原因は判断できない。


 別の試験用一枚、焼成前に割る。中心に濡れた筋なし。


 待っても割れる。待たなければ、もっと割れる。


 次は、厚み、乾燥、火の回り方を一つずつ確かめる。


 書いているうちに、悔しさがまた戻ってきた。


 待った。


 乾燥を見た。


 試験用の皿を割った。


 オルグに止められた日から、さらに待った。


 それでも一枚は、火の中で割れた。


 十分にやったと思ったあとの失敗は、堪えた。


 だが、手元には小皿がある。


 歪んだ、まだらな、弱い小皿。


 それは、失敗の中に残った最初の器だった。


 ソーマはその小皿を机の上に置いた。


 水は、明日になってから試す。今は、火を通った土がここにあることを、静かに見ていた。


 土は、火に入ってもすべてが器になるわけではない。


 けれど、火を通った土は、もう泥には戻らなかった。


 次に必要なのは、ただ焼くことではない。


 水を受け止める器にするため、何が足りないのかを知ることだった。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

面白いと思っていただけたら、ブックマークや☆☆☆☆☆評価をいただけると次回更新の励みになります。

感想も一つ一つ楽しく読ませていただいています。

また次話でお会いしましょう!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ