第1章 第26話 残った一枚
第1章 第26話
残った一枚
翌朝、ソーマは残った小皿を机の上へ置いた。
火の通った土。つまり焼成後の土が、水を保持できるのか。確かめなければ、食器にできるかどうか判別できない。
ソーマは小匙に水を取り、小皿の内側の底へ三滴落とした。
水滴は丸いまま残らなかった。底に触れたところから灰色の表面がゆっくり暗くなる。半刻ほど待つと、水が溜まっていた場所の外側にも、淡い湿りの色が浮かんだ。
水は、皿の中に留まらない。
観察。
内側の色が暗くなるまでが早い。外側にも湿りが出る。指を近づけると、水を落としたあたりだけ冷たく感じる。
形は皿でも、水をためる器にはなれない。
ソーマは記録紙に書いた。
初焼成小皿。内側へ水三滴。すぐ吸う。外側にも湿り。食器不可。
昨夜、火を通った土は泥へ戻らないと知った。
今朝、その土が器としてはまだ足りないことも知った。
汁や油を載せれば、同じように染み込むかもしれない。洗っても、吸い込んだ汚れやにおいが残るかもしれない。客へ出す食器には使えない。
けれど、用途がないとは限らない。
濡れないものを置くならどうだろう。炭片、木札、乾いた藁、小さな石。水を使わず、落とさず、重いものを載せないなら、小皿の形は役に立つかもしれない。
ただし、今はまだ湿っている。
ソーマは小皿を日陰の棚へ戻し、二日待った。
布をかけ、風が片側だけに当たらないようにする。朝と夕に色を見る。水を落とした場所の暗さが消え、手を近づけたときの冷たさもなくなるのを確かめる。
三日目の朝、小皿は再び乾いた色へ戻っていた。
ソーマはそれを布に包み、鷹のくちばし亭へ向かった。
裏口では、リナが点検板の前にしゃがみ込んでいた。枝の柵の横に置いていた炭片を探している。
「炭、また転がったの?」
トマが少し離れたところから言った。
「昨日ここに置いたのに」
炭片は点検板へ印を書き足すためのものだ。細く折れやすく、石の隙間へすぐ転がっていく。
ソーマは包みを開いた。
「これを、乾いたものを置く皿として使えますか」
リナは小皿を見た瞬間、表情を明るくした。だが、縁の歪みとまだらな色に気づくと、すぐに顔を引き締める。
「一枚だけ残った皿?」
「はい。水を入れると吸ってしまうので、食器にはできません。でも、炭や木札なら置けるかもしれません」
「濡らさないなら?」
「はい。落とさないこと。重いものを入れないこと。ひびが増えたら、使うのを止めることです」
リナはうなずいた。
「炭置きにしよう。藁の見本と、小石も一緒に置くの」
「雨の当たらない場所なら」
「壁の棚。あそこなら大丈夫」
リナは壁際の小さな棚を拭いた。小皿を置いてから、炭片を一本、短い藁の見本を三本、小さな丸石を一つ入れる。
歪んだ小皿は、棚の上で少しだけ傾いた。
けれど炭片は転がらなかった。
「ほら、使える」
リナは満足そうに言った。
トマは小皿を横から覗き込んだ。
「雨の日板の石も入れていい?」
「濡れた石はだめ」
リナがすぐに答える。
「乾いたやつだけ」
「分かってるって」
トマは小さく口を尖らせたが、炭片を小皿へ戻した。
「前より便利」
それだけ言って、点検板の方へ戻っていった。
グレッグは厨房から出てくると、小皿とその中身を見比べた。
「これが例の皿か」
「食器にはできません」
ソーマが先に言うと、グレッグは笑った。
「客に出すつもりはないさ。炭が転がらず、使う者が気をつけられるなら、ここでは十分だ」
実用品の条件とは、万能であることではない。
使う場所に合い、限界を知ったうえで扱えることだ。
その日の夕方、オルグが宿へ立ち寄った。
棚の小皿を見るなり、鼻を鳴らした。
「水は試したか」
「三滴落として、外側まで湿るのを見ました。二日乾かしてから、乾いた小物用にしています」
オルグは小皿を持ち上げず、縁と底を目で確かめた。
「それならいい。濡れたまま使うな。落とすな。ひびが増えたら、惜しまず下げろ」
「はい」
ソーマは木札へ書き足した。
初焼成小皿。乾いた小物置き。
使用場所、鷹のくちばし亭、点検板横。
使用条件、濡らさない。落とさない。重いものを入れない。ひびが増えたら使用を止める。
「覚えておけ」
オルグは言った。
「使えるというのは、壊れないという意味じゃない。壊れやすさを知って、使い方と点検の仕方を決めることでもある」
ソーマは小皿を見た。
宿屋の裏口も、枝の柵も、浅鉢も、見て直しながら使われている。
小皿も同じなのだ。
夕方遅く、ダリオが宿へ来た。小皿が使われていると聞き、棚の前で足を止める。
「食器ではないのだな」
「はい。水を吸います」
「だが、使われている」
「はい」
ダリオは、炭片と藁の見本が入った小皿を見た。
「よい場所に置かれたな」
ソーマは胸の奥が温かくなるのを感じた。
「はい」
その夜、ソーマは記録紙を開いた。
初焼成小皿。
食器不可。水を吸う。
乾いた小物置きとして使用。
不完全だが、用途と条件を決めれば使える。
次に必要なのは、欠点を一度に無くそうとすることではない。
まず、水をどれくらい吸うのかを確かめる。同じ配合、近い厚み、同じ量の水で比べる。焼いた場所や表面の磨き方を変える試験は、そのあとに一つずつ行う。
食器に近い試験へ、白石や正体の分からない白い素材は使わない。
安全な土だけで、土の種類、厚み、乾燥、火の回り方を確かめる。
失敗した二枚も、捨てなかった。
一枚は乾燥を見るために割った。もう一枚は火の中で割れた。二つの断面は、次の失敗を減らすための記録になる。
最後に、ソーマは小さく書いた。
用途が決まれば、欠点は使い方の条件になる。
翌朝、リナから木片が届いた。
短い字で、こう書かれていた。
炭がころがらない。前より便利。
ソーマはそれを読み、思わず小さく笑った。
前より皿。
前より便利。
リナの言葉は、いつも完成ではなく、少し先を指している。
完全な成功ではない。けれど昨日よりよい。
それでいいのだと思えた。
小皿は、食器にはならなかった。
けれど次の道を開いた。
どうすれば、水を受け止める器に近づけるのか。
その問いを抱えながら、ソーマは机の上の記録紙を閉じた。
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