↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
127/129

第4章 第127話 カインの天秤

第4章 第127話


カインの天秤


 軍務局から十日の期限を告げられた翌日、ソーマはカイン第二王子を訪ねた。


 机の上には、北の街道図と北門東倉の記録、そして小さな畑の帳面が並んでいた。



 王城の小さな執務室には、多くの人が出入りしていた。


 ソーマは、急ぐ理由があることは分かっている。


 けれど、理由があるからといって、分からないことまで分かったふりをすれば、あとで困るのは現場にいる人たちだ。


 帳面を開き、まず確かめられたことと、まだ確かめられていないことを分ける。


 以前なら、そんな書き方は遠回りに思えただろう。


 今は、その遠回りに見えることこそが、誰かを危ない場所へ近づけない理由であると知っている。


 カインは、国を守るために一刻も早い手段を求める者と、危険な知識が広がることを恐れる者、その両方の話を聞いていた。


「どちらか一方を黙らせれば済む話ではない」


 カインはそう言って、ソーマの帳面へ目を落とした。


 すぐに答えを出そうとはしなかった。


 どこまでが事実で、どこからが期待なのか。


 どこまでが確かな危険で、どこからが恐れなのか。


 一つずつ確かめるように、頁をめくっていく。


 ソーマはその沈黙に、北門東倉の石碑の前で感じたものと同じ重さを覚えた。



 ソーマは、黒火粉を作らないと決めた理由を、石碑と倉庫の記録をもとに説明した。


 すべてを聞き終えたあと、カインは静かに問い返した。


「では、岩で道を塞がれた者たちには、何を渡す?」


 ソーマは、すぐには答えなかった。


 机の上へ、用意してきた紙を広げる。


 坑道や地面の状態を読むこと。


 木の楔を使って、少しずつ岩を割ること。


 外から岩を支える方法を考えること。


 危険な場所を見つけ、人を立ち入らせないための手順を作ること。


 それらを、一つずつ並べていった。


「黒火粉の代わりになる、一つの大きな力はありません」


 ソーマは言った。


「でも、困っていることを分ければ、できることはいくつかあります」


 カインは紙を見た。


「その中で、お前の土魔法は何ができる?」


 ソーマは少し考えてから、小さな札を取り出した。


 そこには三つのことが書かれていた。


 《何を確かめるか》


 《どこで止まるか》


 《変えてはいけないものは何か》


「まず、これを決めてから使います」


「なぜだ?」


「魔法を使うこと自体が、調べたいものを変えてしまうかもしれないからです」


 ソーマは答えた。


「何を知りたいのかを決めずに手を伸ばすと、見えた違いを全部、自分の都合のいい答えにしてしまうかもしれません」


 言葉にしてみると、以前よりもはっきり分かった。


 魔力を薄く流すと、土や石、その奥にあるものから、わずかな違いが返ってくることがある。


 重いように感じる場所。


 軽いように感じる場所。


 返りが鈍い場所。


 だが、その違いをすぐに言葉にすれば、見えていないものまで見えたことにしてしまう。


 だから、一度読んだら止める。


 そのあとで、外から見ている人が土や板、荷物に変化がなかったかを確かめる。


 必要なら開けて調べる。


 そして帳面には、


 《魔法で感じたこと》


 《実際に確かめて分かったこと》


 を別々に残す。


 魔法を使えない人にも、何を確かめ、何がまだ分かっていないのかを分かるようにするためだった。


「遅いな」


 カインが言った。


「はい」


 ソーマは答えた。


「でも、次の人へ記録を渡せます」


 カインはしばらく黙り、それから小さく頷いた。



 カインは、黒火粉の研究を命じる代わりに、火薬を使わない採石方法と安全管理を、公開の場で確かめる機会を設けると約束した。


「ただし」


 カインは言った。


「公開するなら、お前にしか分からない、では困る」


「分かっています」


「誰が見ても同じように確かめられるものを残せ」


 ソーマは頷いた。


 その言葉を聞きながら、一瞬だけ思った。


 もっと強く魔法を使えば、早く分かるのではないか。


 もっと深く読めれば。


 もっと広く見られれば。


 そうすれば、誰かを待たせずに済むかもしれない。


 けれど、強く触れたことで対象そのものを変えてしまえば、その結果は、初めからそこにあったものではなくなる。


 自分が作った変化を、自分で発見したことにしてしまう。


 ソーマは、その考えから手を引いた。


「今は、ここまでしか分かりません」


 口にするのは、まだ簡単ではなかった。


 だが、カインは不満そうな顔をしなかった。


「それでよい」


「いいんですか?」


「分からないものを、分かったと言われる方が困る」


 カインは帳面を指した。


「ただし、『分からない』で終わるな。次に何を確かめれば分かるのかまで残せ」


「はい」


「それが、お前の代わりに現場へ行く者の役に立つ」


 ソーマは、その言葉を帳面の端へ書き留めた。


 魔法を一人の感覚だけで終わらせない。


 それは、自分の力を小さくすることではない。


 誰かの仕事へ渡せる形にすることなのだ。



 王城を出る前に、ソーマはその日の記録の最後へ、新しい欄を作った。


 《怖かったこと》


 《迷ったこと》


 《急ぎたかったこと》


 それらは、事実を決めるための材料ではない。


 怖かったから危険だと決めてはいけない。


 急ぎたかったから正しいと決めてもいけない。


 けれど、次に同じ場へ立つ人が、何を見落としやすいのかを知るためなら、残しておいてもよい。


 公開試験では、土魔法が何を読めて、何を読めないのかを示す。


 その約束が、次の仕事になった。


 ソーマは帳面を閉じた。


 土魔法は、まだ深い地中をすべて見通せるわけではない。


 けれど、読むこと。


 止めること。


 印を残すこと。


 そして、誰かと一緒に確かめること。


 その一つ一つは、昨日より少しだけ確かなものになっていた。


 工房へ戻る途中、ソーマは今日書いた札を読み返した。


 短い一文でも、書く前と書いたあとでは重さが違う。


 書いて残せば、次に来た人は、ソーマがそこにいなくても立ち止まることができる。


 だからこそ、札を便利な言葉だけで埋めてはいけない。


 何をしてよいか。


 何をしてはいけないか。


 そして、何がまだ分かっていないのか。


 どれも必要だった。


 その夜、工房の灯りの下で、セラとハンナが記録を清書した。


 エリシアは、予想から外れた線も消さずに残した。


 フェルド老師は、余計な断定が書き加えられていないかを確かめた。


 皆の手を通して残った紙は、一人で覚えておくよりもずっと手間がかかる。


 だが、一人の記憶よりも、ずっと遠くまで届く。


 翌朝、作業に来た者は、まず昨日の札を読んだ。


 そこには、何をしてよいかだけではなく、何をまだしてはいけないのかも書かれていた。


 その違いがあるだけで、急いでいた男の足が一度止まった。


「ここは、まだ触らないのか」


「はい」


 ソーマは答えた。


「先に、外から確かめます」


 男は少しだけ不満そうな顔をした。


 それでも、手を伸ばさなかった。


 その様子を見て、ソーマは思った。


 分からないことを残すのは、何もしないことではない。


 分からないから、次に見る場所を決められる。


 分からないから、誰かを一人で危ない場所へ送らずに済む。


 そして、分からないと書いてあるからこそ、別の誰かが続きを確かめられる。


 カインの机の上には、急ぐ理由と、立ち止まる理由が並んでいた。


 どちらか一方を捨てるための天秤ではない。


 両方を載せたまま、何をするべきかを決めるための天秤だった。


 ソーマは、自分の帳面にも同じものが必要なのだと思った。


 急ぐ理由を書く。


 止まる理由も書く。


 そして、その間にある「まだ分からない」を消さずに残す。


 十日後、軍務局へ持って行く答えにも、それが必要になる。


 ソーマは新しい頁を開き、一番上に書いた。


 《急ぐ理由と、止まる理由を、どちらも見る》


 その下には、まだ大きな空白が残っていた。


 けれど今度は、その空白を怖いとは思わなかった。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

面白いと思っていただけたら、ブックマークや☆☆☆☆☆評価をいただけると次回更新の励みになります。

感想も一つ一つ楽しく読ませていただいています。

また次話でお会いしましょう!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。