第4章 第126話 軍務局の依頼
第4章 第126話
軍務局の依頼
軍務局から届いた封書は、畑の札よりも厚かった。
朝の光の中で、ソーマは何度も封の印を見つめた。
白い結晶について話を聞きたい。
書かれているのは、それだけだった。
けれど、北門東倉の事故記録を読み、危険なものを持ち込まない安全な倉庫について考えてきた今なら、その言葉が何を求めているのか分かった。
黒火粉のことだ。
作り方そのものは、前世の知識からおおよそ理解している。
しかし、細かな条件までは知らない。今の設備で確かめようとすれば、危険な試験が必要になる。だから、実際に作って試すことは避けるべきだと考えていた。
白い結晶が畑で作物の成長に役立つかもしれない。
その記録を見れば、別の用途へ思いを巡らせる者がいてもおかしくない。
ソーマは畑の帳面を閉じた。
「行くんですね」
セラが言った。
「行きます」
ソーマは答えた。
「軍務局からの要請ですから、行かないわけにはいきません」
エリシアは、畑の区画図と北門東倉の保管札の写しを机の上へ置いた。
「持って行くなら、この二つも持って行きましょう」
「畑の記録と、倉庫の記録を?」
「はい。白い結晶について、今の私たちが確認できているのはそれだけです。役に立つかもしれないという期待だけではなく、どう扱えば安全なのかも説明するべきです」
ソーマは頷いた。
分からないことも、そのまま持って行って伝えよう。
分かったことだけを話せば、分からない部分を誰かが勝手に埋めてしまうかもしれない。
軍務局は、王城の外壁に近い石造りの建物にあった。
入口には槍を持った衛兵が立ち、廊下では地図や命令書を抱えた人々が行き交っている。
王立錬金院の静かな書庫とは、空気の重さが違った。
案内された部屋には、大きな地図が一枚、机いっぱいに広げられていた。
北の山道。
王都へ続く街道。
採石場や鉱山の印。
そして、国境に近い砦の印。
机の向こうにいたのは、バシュ・レイガン少佐だった。
北門東倉を試験に使う許可を出した人物である。
鎧ではなく濃い色の上着を着ていたが、机の上に置かれた手は硬そうに見えた。
「来てくれて助かる」
少佐は言った。
「畑の記録まで持ってきたのか」
「今のところ、白い結晶について確かめられたことは多くありません」
ソーマは答えた。
「だから、都合のいい部分だけを話したくありません」
少佐は、わずかに眉を動かした。
「正直だな」
「正直でないと、あとで困りますから」
隣でエリシアが言った。
少佐は笑わなかった。
代わりに、地図の北側を指した。
「昨冬、北の街道で荷車が止まった。雪のせいではない。岩が落ちて道を塞いだ。兵も住民も、山道を大きく迂回するしかなかった」
ソーマは地図を見た。
「採石場のような場所ですか」
「昔は石を採っていた。今はもう採石はしていない。だが、岩を割ることができれば街道を元に戻せる。砦への補給も止めずに済む」
少佐は一度、言葉を切った。
「私は、民を守るための手段を増やしたい。お前が危険だと言うものを、面白半分で欲しがっているわけではない」
その声を聞いて、ソーマはすぐには反対できなかった。
岩が落ち、道が塞がる。
人の行き来が滞る。
荷が届かなくなる。
待っている間に病気になる人もいるかもしれない。
危険なものを作らない。
そう言ったところで、それらの困りごとが消えるわけではない。
「ですが」
ソーマは畑の帳面を開いた。
「今の僕たちには、白い結晶が何に使えるのかを断定できるだけの記録がありません。畑でも、まだ少しずつ試している段階です。黒火粉のような危険な用途については、なおさら分かっていません」
「分からないから、試せないと?」
「危険である以上、今は試すべきではありません」
少佐は机に指を置いた。
「では、岩をどうする」
その問いに、部屋が静かになった。
ソーマは、すぐには答えられなかった。
代わりに、北門東倉の図を広げた。
「僕たちは今、火に強い倉庫を作っています。粉が舞いにくい床や、坑道で粉塵を吸い込むのを防ぐ布についても考えています」
「倉庫や布が岩を割るのか」
「別の方法を試したいです」
ソーマは答えた。
「危険な火薬を使わなくても、道を通せる可能性はあります。崩れそうな場所を先に見つけて避けること。土魔法で地面や岩の違いを読み、人を入れてはいけない場所を決めること。それから、水を吸って膨らむ木の楔を使って、少しずつ岩を割る方法も考えられます」
そう言いながら、時間が足りないとも思った。
それだけで、すぐに山道が開くとは限らない。
少佐も、そのことは分かっているようだった。
「時間がかかる」
「かかります」
「兵の命にも、時間はない」
「分かっています」
ソーマの声は硬くなった。
「だからこそ、確かめる必要があります。北門東倉の石碑には、危険なものへ十分な確認もせずに手を出してしまった人たちの名前が残っていました」
少佐は、しばらく何も言わなかった。
やがて地図を畳み、椅子の背へ深くもたれた。
「俺は、あの倉を見た。お前たちが、危険なものを使わずに安全を作ろうとしていることも知っている」
少佐は言った。
「だから、いきなり命令はしない」
ソーマは顔を上げた。
「代わりに、十日後までに答えをくれ。黒火粉の話に協力するのか。協力しないなら、その代わりに何ができるのか」
「十日……」
「短いか」
短い。
畑の芽を見て結論を出すには、短すぎる。
土魔法を深く使う練習を積むにも、短すぎる。
けれど、軍務局の人々には、それよりも短い時間で道を通さなければならない事情があるのだろう。
「分かりました」
ソーマは言った。
「作ることには協力しません。でも、危険を減らしながら道を通す方法は考えます」
少佐は頷いた。
「その答えを待つ」
軍務局を出ると、王都の石畳が午後の光を返していた。
エリシアは、しばらく黙って歩いていた。
「怒っていませんか」
ソーマが尋ねると、彼女は首を振った。
「少佐は、あなたを急かしました。でも、嘘は言っていません」
「だから、難しいです」
「ええ」
エリシアは言った。
「正しい理由のある依頼ほど、断る側にも正しい理由が必要です」
ソーマは、手にした帳面を見た。
畑の芽。
坑道の立入禁止の札。
倉庫の浅い床の溝。
どれも、誰かの困りごとを減らすためのものだ。
ならば同じように、山道を塞ぐ岩を前にした人たちを助ける方法もあるのだろうか。
「カイン殿下に相談します」
ソーマは言った。
「王都で、危険な知識をどう扱うかを考える立場の人でもあります」
「そうしましょう」
エリシアは答えた。
「ただし、殿下がいても、あなた自身が何をするのか、何をしないのかは、自分で決めなければいけません」
王城の塔が、遠くに見えた。
王立錬金院へ戻ると、フェルド老師は工房の机で古い採石場の見取り図を読んでいた。
ソーマが軍務局での話を伝えている間、老師は一度も口を挟まなかった。
少佐が北の街道について話したこと。
危険なもの、つまり黒火粉を作れば早いと考える者がいること。
十日後までに、作らないのであれば代わりに何をするのか答えなければならないこと。
すべてを聞き終えてから、フェルド老師は図を畳んだ。
「お前は、少佐の依頼を断ったのか」
「作ることには協力しないと伝えました」
「では、何に協力すると伝えた」
その問いに、ソーマはすぐ答えられなかった。
地面や岩の様子を読むこと。
木の楔を使うこと。
危ない場所へ人を入れないこと。
言葉にすれば、いくつか案はある。
けれど、どれも北の山道で本当に役に立つかは分からない。
「まだ、考えるとしか……」
「なら、十日で考えろ」
フェルド老師は言った。
「ただし、相手が欲しがっているものだけを考えるな。山道で困っている者が、本当に何を必要としているのかを考えろ」
ソーマは地図を見た。
岩を割ることだけが、道を通す方法ではない。
崩れる前に人を止め、安全を確保すること。
荷を届けること。
足止めされた人に食べ物や寝る場所を用意すること。
道が塞がれたときに人が困る理由は、岩そのものだけではないのだ。
「僕は、岩を割る方法ばかり考えていました」
ソーマは言った。
「軍務局も、たぶんそうです」
「それでよい。最初に見える困りごとは、たいてい一番大きく見えるものだ」
フェルド老師は、北門東倉の記録箱を指した。
「だが、火を遠ざけ、火に強い倉庫を作ったときも、火だけを見ていたわけではない。荷を置く場所、札を読む場所、粉を吸った者が外へ出るための場所まで考えた」
ソーマは頷いた。
代替案とは、別の大きな力を探すことではない。
困りごとを分け、それぞれを一つずつ解決していくことなのかもしれない。
その夜、ソーマ、エリシア、セラ、ハンナは工房の机を囲んだ。
黒火粉を作るか、作らないか。
その問いだけを考えている間は、答えが出なかった。
そこで、エリシアが紙の中央に線を引いた。
《今、困っていること》
《今、できること》
《確かめること》
北の街道の図の横へ、ソーマは書いた。
岩が道を塞いでいる。
崩れそうな場所がある。
人が待っている。
荷が届かない。
次の欄には、皆が少しずつ案を書き足していった。
危ない地面を読み、人を入れない場所を決める。
木や水を使い、少しずつ岩の隙間を広げる。
荷を保管する場所を作る。
坑道や道で粉塵を吸わないようにする。
どれも、すぐに道を通せる答えではない。
それでも紙の上には初めて、黒火粉を作らなくてもできることが並んだ。
「これを軍務局へ持って行っても、笑われるかもしれません」
ハンナが言った。
「すぐにできる答えではありませんから」
「笑われても、今はこれしかありません」
ソーマは答えた。
「でも、できることはできると言って、できないことはできないと言う方がいい」
セラが、畑の記録を横へ置いた。
「芽の色が濃いからといって、すぐに結晶のおかげだと決めなかったときと同じですね」
ソーマは少し笑った。
確かに、同じだった。
期待が大きいときほど、早い回答は魅力的に見える。
だからこそ、比べる場所と、待つ時間を残しておく。
深夜、ソーマは一人で帳面に三つの欄を書き写した。
何を作らないか。
何なら作れるか。
何を確かめなければならないか。
最後の欄は考えなければならないことが残っている。
けれど、それをただの空白にはしたくない。
分からない場所には、次に確かめるべきことがある。
軍務局へ返す答えも、土箱の中身を急いで言い当てようとすることからは生まれない。
見えた違いを記し、まだ見えないものを残し、誰かと照らし合わせる。
そこから始めるしかない。
翌朝、ソーマは畑へ立ち寄った。
軍務局への答えを考えている間にも、芽は少しずつ伸びている。
白い結晶を使った区画だけが良いわけではない。
雨の当たり方。
土の低さ。
草を抜いた回数。
そうしたものすべてが、芽の色に影響している。
だから、帳面には《濃く見える》としか書けない。
以前は、それを弱い答えだと思っていた。
けれど今は、《濃く見える》と書いたからこそ、次に水の残り方を比べられるのだと分かる。
北の山道も同じだ。
岩がある。
それは確かだ。
だが、何が一番の問題なのか。
どこが最も危ないのか。
どこまでなら人が入れるのか。
それは、まだ分からない。
分からないものをすべて強い力で押しのけようとすれば、畑の土を押し固めすぎたときと同じことになる。
ソーマは畑の札をまっすぐに直した。
《結論は、まだ出さない》
その下に、別の紙を挟む。
《次に確かめること 水の残り方と、芽の色》
作らないための答えも、同じように書き始めればよい。
何を急いで決めないのか。
次に何を確かめるのか。
その順番を守り、十日後の返事を決める必要がある。
ソーマは、そう信じた。
工房へ戻ると、エリシアは新しい紙を一枚、ソーマの前へ置いた。
《急ぐ理由》
その見出しだけが書かれていた。
「軍務局が急ぐ理由を、私たちの紙にも書きましょう」
彼女は言った。
「急ぐ人の事情を考えなければ、代わりの案も現場で使える形にはなりません」
ソーマは、北の街道、砦への補給、待っている人々のことを書き加えた。
作らないと決めることは、相手の困りごとを軽く見ることではない。
困りごとを本当に減らす方法を、別に探すことだ。
その一文を、答えの紙の一番上に残した。
ソーマは、紙の余白へ小さく書いた。
《急ぐ理由を聞く。急いで答えを決めない》
その二つを並べて考えなければ、代替案は誰かのためのものにはならない。
ソーマはもう一枚の紙に、できることと、まだ確かめられていないことを分けて書いた。
土を遠くから読むことはできる。
しかし、読んだ場所を危険なままにしないためには、見張る人の目と、決められた手順が必要になる。
十日後。
その日までに、ソーマは「作らない」という答えを、ただの拒絶では終わらせない方法を探さなければならない。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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