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第4章 第124話 畑へ向かう白い結晶

第4章 第124話


畑へ向かう白い結晶


 白い結晶の箱には、大きな札が下がっていた。


 置き場。


 扱う人。


 確認した日。


 そして、畑へ送る前に必ず記録を取ること。


 北門東倉の改修が進む一方で、粗硝石から分けられた白い結晶をどう扱うかが、錬金院で話題になっていた。


「危ないかもしれないから、ずっと箱に閉じ込めておくのですか」


 セラが尋ねた。


「分からないまま使うよりはいい」


 エリシアが答えた。


「でも、使わないと決める前に、何に使えるかを確かめることはできます」


 ソーマは、箱の札を見た。


 前世の記憶では、似た結晶が土を豊かにすることがあると知っている。


 けれど、この世界の白い結晶が同じものとは限らない。土の性質も、育つ作物も違う。


「畑で試すなら、畑を選ばないといけません」


 ソーマは言った。


「人が食べる作物の畑に、いきなり使うのは駄目です」



 午後、ナーシャが王都の錬金院へ訪ねてきた。


 ラウゼンから来た薬師たちの手伝いで、しばらく滞在しているのだという。久しぶりに会った彼女は、ソーマが持つ結晶の箱を見るなり、眉を寄せた。


「触ったの」


「素手では触ってません」


「触ってないなら、いいけど」


 ナーシャは札を読み、箱の蓋を開けずに言った。


「畑へ使うなら、土に入れる前の結晶を、誰がどれだけ触ったかも残して。薬でも肥やしでも、役に立つものほど、扱いが雑になるから」


 ソーマは頷いた。


 ナーシャの言葉は、フェルドやエリシアの記録と同じ方向を向いている。


 ただし、彼女はもっと生活に近い場所から言ってくれる。


 手についたまま食べ物を触らない。


 子どもの届くところへ置かない。


 使った布や器を、ほかの作業では使わない。


 難しい言葉はない。けれど、そのどれもが、畑で働く人を守るためのものだった。


「畑にまく前に、水へ溶かしてみるのは」


 ソーマが言いかけると、ナーシャは首を振った。


「今日は、まだしない。先に畑の土を見てから、比較する場所を作りましょう」


 ソーマは少し恥ずかしくなった。


 使えるかもしれないと思うと、すぐに試したくなる。前世から変わっていない。



 翌日、ナーシャは畑へ持っていく前の結晶を、別の小瓶へ少しだけ移した。


「これは、少量サンプルよ」


 彼女は言った。


「水に溶かして、どう変わるかを見ましょう。畑で確かめる必要はないわ」


 ソーマは小瓶を見た。


 すぐに混ぜて、色や発熱の有無を確かめたい気持ちがないわけではない。


 けれど、ナーシャは器の外側へ注意札を置き、誰が扱うかを決めていた。ちょっとした試験でも、手順を残さなければ、畑で同じことを繰り返せなくなる。


「この結晶が役に立つかどうかより、先に、扱った後に何が残るかを見るんですね」


「そう」


 ナーシャは頷いた。


「畑の土は、捨てられないから。変なものが残ると手遅れになる」


 その言葉に、ソーマは工房排水の時のことを思い出した。


 便利なものを使った後、どこへ流れるか。


 前から学んできたことなのに、畑ではつい、芽が育つ助けのことしか見ていなかった。



 畑の準備には、近くの宿屋で働く二人の女性も加わった。


 錬金院の世話役だけでは手が足りず、土を耕す日は手伝ってくれるのだという。


「何を植えるんですか」


 若い方の女性が尋ねた。


「青菜です」


 セラが答える。


「この白い結晶を土に混ぜたら、青菜は大きくなるんですか」


 ソーマは、すぐに頷かなかった。


「大きくなるかもしれません。でも、まだ分かりません」


「分からないのに、混ぜるの?」


 率直な問いだった。


 ソーマは畑の札を見た。


「だから、小さな区画だけです。入れない区画も比較のために残します。もし作物の成長が悪くなったら、止められるようにします」


 女性は、土の上に立てられた札を読んだ。


「全部の畑へ入れないなら、手伝うわ」


 彼女は言った。


「大きな畑より、こっちの方が安心だわ」


 その言葉に、ソーマは少し救われた。


 いきなり大きな面積で試さずに、畑を守れる大きさで、研究をする。


 そのことを、手伝う人にも分かってもらえなければ意味がない。



 土を耕す途中、ソーマは一度だけ魔法を使った。


 畑の端に、雨の後だけ水が残る低い場所がある。そこへ結晶を使った区画を置けば、結晶が比較の区画まで流れないので、育ち方の違いを結晶のせいにできない、と考えた。


 目的と止まる場所を記録してから、掌をかざす。


 低い筋を感じる。


 その先まで読もうとして、手を止めた。


「こちらの区画は、試験の区画にしないことにしました」


 ソーマは言った。


「雨が溜まりやすいので、異なる条件が増えすぎます」


 ナーシャはその判断を聞いて、笑った。


「土の声を聞いだんだね」


 ソーマも笑った。


 魔法で答えを得るのではない。


 誤った判断をしないために、条件を減らす。


 その感覚が、少しずつ自分のものになっていた。



 夕方、畑の端には水をためる桶と、使った道具を置く台が作られた。


 結晶を扱う器。


 土を耕す道具。


 水をやる桶。


 それぞれを同じ道具を使わない。


 白い結晶を危険なものとして遠ざけるだけなら、もっと簡単だった。


 けれど、作物を育てるために使えるかもしれないのであれば、安全に取り扱える形を作らなければならない。


 ソーマは、箱の札をもう一度読んだ。


 《使用前。土の状態を記録中》


 まだ、結論は出ていない。


 けれど、結論は急がず、畑で使用できる道を皆で作り始めていた。



 錬金院の裏には、使われていない小さな畑があった。


 昔は薬草を育てていたらしい。今は冬の土がむき出しで、端に枯れた茎が残っている。


 ナーシャは土を指でつまみ、匂いを確かめた。


「乾きすぎてはいない。でも、前に何を育てていたかは分からないわ」


 エリシアは、畑をいくつかの小さな区画へ分けて紙に描いた。


「比較の対象として何もしない場所を残しましょう」


「結晶を土に混ぜない場所ですね」


「はい。結晶の有無で結果が変わった時に、結晶のおかげであることを確認するためです」


 ソーマは、土魔法で畑を読もうとした。


 目的を書いてから、掌をかざす。


 《確かめること 区画ごとの湿りと締まりの違い》


 《止まる時 一度、違いを感じた時》


 《変えてはいけないもの 畑の土》


 右の区画は少し乾いている。


 左の端は、土が締まりやすい。


 中央は、よく分からない。


 ソーマはそれだけを紙へ写した。


「肥やしを入れる前の地図ですね」


 セラが言った。


「そうですね。水の量と締まり具合を感じることができています」


 ソーマは答えた。


「なので、水が溜まりやすい場所と、乾きやすい場所を予想できる地図です」


 ナーシャはその紙を見て、頷いた。



 畑の準備が進むうちに、ソーマは世話役の女性から一枚の古い紙を見せてもらった。


 そこには、昔この畑で育てていた薬草の名と、水をやった日が粗い字で残っている。


「全部は読めませんけど役に立ちますか」


 女性は言った。


「でも、春の雨が多かった年には根が腐った、と書いてあります」


 ソーマは紙の年号と、畑の低い場所を見比べた。


 今の土だけを読んでも、昔の水の流れまでは分からない。


 だから、古い記録も畑の条件になる。


「試験の紙に、前の畑のことも書いておきます」


 ソーマは言った。


「条件が増えますよ」


「増えます。でも、なかったことにはできません」


 エリシアは頷き、区画図の端に《以前の作物、詳細不明》と書いた。


 過去を全部知ることができなくても、知らないまま使っていることが記録に残せる。


 北門東倉の事故の記録と、どこか似ていた。



 種を植える前の夕方、ナーシャはソーマへ小さな布袋を渡した。


「種を入れる袋よ」


 中には、同じ大きさの種がいくつか入っている。


「一つの区画だけ芽が多く出ていても、最初に蒔いた数が違えば比較できないから、同じ数の種をまく必要があるわ」


 ソーマは布袋を受け取った。


 結晶のことばかり考えていたが、種にも違いがある。水にも、土にも、育てる人の手にも違いがある。


「条件を統一して比べるのは、難しいですね」


「全ての条件を揃えるのは難しいからね。少しずつ試すのがいいわ」


 ナーシャは言った。


「大きな畑で一度に答えを出そうとしない方がいいわ」


 ソーマは、土箱の前で止まる練習を思い出した。


 一回で知ろうとすると、間違いが起こりやすかった。


 畑は、魔法の訓練とは別の場所に見える。


 けれど、急がないこと、比較する場所を残して試すことは、同じだった。



 その夜、ソーマは母へ手紙を書いた。


 王都の小さな畑で、白い結晶を試す準備をしていること。


 まだ、役に立つとは言えないこと。


 土の違いを紙へ記録していること。


 故郷の庭で水たまりを見ていた頃より、ずいぶん遠くへ来た気がする。


 それでも、土について分からないことが多いのは変わらない。


 書き終えた手紙を封じる前に、ソーマは一文を足した。


 《急いで育てようとしない方が、育つものもあることを学んでいます》


 翌朝、畑へ立てる札の数が、また一つ増えた。



 まず、畑の一部を耕し、何もしない区画を残す。土を耕す人、記録をする人、結晶を扱う人を分ける。


 ソーマは、白硬材の床を思い出した。


 粉が溜まる場所と、人が歩く場所を分けた。


 畑でも同じだ。


 結晶を置く台と、土を扱う道具を分ける。使った布を別の場所に置く。終わったら手を洗う。


「こんな小さな畑でも、やることが多いですね」


 セラが言った。


「小さいから、間違えたとしても元に戻せます」


 エリシアが答えた。


 その言葉に、ソーマは救われた。


 大きな畑で失敗すれば、作物の収穫量が減って、誰かが困るかもしれない。


 夕方、ソーマは白い結晶の箱へ新しい札を付けた。


 《王立錬金院裏畑試験用。使用前。土の状態を記録中》


 白い結晶の入った箱は、まだ重い。


 危険で近づけなかったものが、違う用途で使えるかもしれない。


 その答えもまた、地道に試験を行って確かめるしかなかった。



 手紙を出した後、ソーマは試験用の畑を遠くから見た。


 土の中に入れる前の結晶も、種も、まだ答えが出ていない。


 だから、明日の畑の様子が楽しみである。


 待てるようになったこと、待つことが楽しみになったこと。ソーマは小さな成長だと思った。


最後まで読んでいただきありがとうございました!

面白いと思っていただけたら、ブックマークや☆☆☆☆☆評価をいただけると次回更新の励みになります。

感想も一つ一つ楽しく読ませていただいています。

また次話でお会いしましょう!

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