↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
121/138

第4章 第121話 風のない坑道

第4章 第121話


風のない坑道


 旧採石場は、王都の北門から半日ほど歩いた丘の裾にあった。


 切り出された石の跡が、冬の空の下に段々と残っている。人の出入りが減ってから長いのだろう。荷車の轍には枯葉が溜まり、道の脇の草は石壁へ伸びていた。


 坑道の入口には、白い布を口元へ巻いた男が立っていた。


「ベリルだ」


 フェルド老師が紹介する。


「昔、この辺りの石を扱っていた。今は、危険な採掘場へ人が入らないようにする仕事をしている」


 ベリルは、ソーマを一度見てから言った。


「土魔術師だと聞いた。だが、今日はまだ掘るなよ」


「掘りません」


 ソーマは答えた。


「土の中を読んで、危険な場所を増やさないために来ました」


 ベリルは短く頷いた。


 入口の脇には、古い横穴が口を開けている。人が一人ずつなら通れる幅だ。奥は暗く、昼の光がすぐに届かなくなっていた。


「先月、近くで地面が落ちた」


 ベリルは言った。


「穴の奥に空隙があるかもしれない。だが、確かめるために入れば、また壁が落ちる可能性がある」


 ソーマは、地図を思い出した。


 空隙は、土から感じる軽さとしては読める。


 だが石の下にあれば、見落とす。


 だから、坑道の奥まで一人で答えを出せるとは思わない。


「入口から、少しずつ見ます」


 ソーマは言った。


「分からない場所は、分からないと言います」



 坑道へ入ると、空気はすぐに冷たくなった。


 壁には、昔の鑿の跡が残っている。足元には細かな石の粉が積もり、歩くたびに靴の下で小さく鳴った。


 ベリルが持つ灯りの火は、入口から離れるほど細く揺れた。


「風は弱い」


 セラが言った。


 彼女は入口側に立ち、細い紙片を持っている。紙片はほとんど動かなかった。


「奥に行くほど、息が苦しくなる」


 ベリルが言う。


「だから、長く入らない。声が届くところまでで戻る」


 ソーマは入口から数歩進んだ場所で、帳面を開いた。


 《目的 壁の向こうに、空隙のある場所や大きな緩みがあるかを見る》


 《止まる時 違いを一度感じた時。または灯りの揺れが弱くなった時》


 《変えてはいけないもの 壁と足元》


 書いてから、壁へ掌をかざす。


 岩の感触は、土箱とは違った。


 硬く、冷たく、どこまでも続いているように思える。


 その中に、右の奥だけ、返りが薄くなる場所があった。


 空隙かもしれない。


 湿った割れ目かもしれない。


 ソーマは、そこで魔力を切った。


「右の奥に、周りと違う場所があります」


「空洞か」


 ベリルがすぐに訊く。


「分かりません。空洞のように軽いわけではないです。壁の中に、水の通った割れ目があるのかもしれない」


 ベリルは灯りを近づけようとして、止まった。


「近づかない方がいい」


 ソーマが言った。


「僕の読みが間違っているかもしれません。でも、近づいて確かめる前に外から支える方法を考えた方がいいです」


 ベリルは、しばらく壁を見た。


「昔なら、棒で叩いて音を聞いた」


「今も、外からならできるかもしれません」


 フェルド老師が言った。


「ただし、今日やる必要はない」


 その言葉で、誰も壁へ手を出さなかった。



 もう少し奥へ進むと、坑道はわずかに狭くなった。


 足元の粉も増えている。


 ソーマは喉の奥が乾くのを感じた。口元の布を通しても、石の細かな匂いが入ってくる。


 ベリルが足を止めた。


「ここまでだ」


 灯りの火が、まっすぐ上へ上がらず、時々小さく縮む。


「まだ、先があるように見えます」


 ソーマが言うと、ベリルは首を振った。


「先があるから入るんじゃない。戻れるうちに戻る」


 その言葉に、ソーマは帳面を閉じた。


 土魔法を使えば、もう一度だけ先を読めるかもしれない。


 だが、魔法を使っている間、呼吸が浅くなる。壁の感触へ気を取られれば、灯りの揺れを見落とす。


 目的は、奥に何があるかを知ることではない。


 ここへ人を入れてよいかを考えることだ。


「戻りましょう」


 ソーマは言った。


 外へ出た時、冷たい風が顔へ当たった。


 ソーマは思わず深く息を吸い、それから咳き込んだ。


 ベリルは水筒を差し出した。


「粉を吸ったな」


「少しだけです」


「少しでも、体には良くない」


 ベリルは言った。


 口元の布を外すと、内側には薄い灰色の粉がついていた。



 ベリルは、入口の外で古い見取り図を広げた。


 採石場が使われていた頃の図らしい。太い線は人が荷車を通した道で、細い線は石を切り出した横穴だという。だが、閉じられた穴や、途中で崩れた場所は、古い図には小さな印でしか残っていない。


「地図があるなら、奥へ行かなくても分かるのでは」


 ソーマが尋ねると、ベリルは首を振った。


「地図は、掘った時のものだ。地面は、その後も動く。雨が入れば土が流れるし、壁が剥がれれば穴の形も変わる」


「だから、地図には日付の記載が要るんですね」


「それと、誰が見たかもだ」


 ベリルは言った。


「俺が見て風がないと言った。お前が壁の返りが薄いと言った。灯りの火が縮んだ。それぞれを一緒に記録するから、次に来た者が入るか止まるかを考えられる」


 ソーマは見取り図の横へ、今日の紙を重ねた。


 右奥に、返りの薄い場所。


 入口から先は、風が弱い。


 そこへ《本日は立入らず》と書く。


 空洞が見つかったことを示す地図ではない。


 今は安全を確かめられなかったので人がは入れないことを示す地図である。



 午後、ソーマたちは坑道の中へ入らず、入口の外側から壁を確かめた。


 ベリルが長い棒を地面へ軽く当て、響き方を聞く。職人は石壁のひびを目で追う。セラは入口から出る冷たい空気を紙片で見る。


 ソーマは、入口の脇の土を一度だけ読む。


 土の下に、少し緩い筋がある。


 それは壁の中の違いとつながっているようにも思える。だが、確かめるために深く読めば、入口の土まで動かしてしまうかもしれない。


「ここも、未確認です」


 ソーマは言った。


 ベリルは不満そうな顔をしなかった。


「未確認なら、杭を打って近づかないようにする。それで今日の仕事は足りる」


 その言葉を聞いて、ソーマは少し驚いた。


 以前なら、未確認は役に立たない答えだと思っていた。


 だが、未確認だから杭を立てられる。誰かが確かめに入るまで、足を止められる。


 何も分からないことが、誰かを守る判断へ変わる。



 戻る途中、ベリルは古い石の上に座り、ゆっくり息を吐いた。


「若い頃は、風がなくても入った」


 彼は言った。


「今日だけだと思う。あと少しだけだと思う。石を一つ取れば終わると思う。だが、その少しを毎日積み重ねていた」


 ソーマは、口元の布を見た。


 灰色の粉は、今日一度で大きな病を作るわけではないのかもしれない。


 それでも、毎日なら残って積み重なる。


「粉も、坑道の奥も、急に危険になるわけではないんですね」


「急に危険になるものなら、逃げられるだろう」


 ベリルは答えた。


「だが、気づかないうちに残るものの方が、気づきにくい」


 その言葉は、北門東倉の事故の記録と重なった。


 小さな見落とし。


 急ぎの荷。


 誰か一人の感覚だけに頼ること。


 すぐには壊れないものほど、記録して、止める場所を作らなければならない。


 ソーマは帰りの道で、見取り図の端に一行を加えた。


 《風がない時は、奥へ入らない。今日だけ、を理由にしない》



 その夜、ベリルは坑道の入口に簡単な札を立てた。


 《風が弱い。右奥に異常の可能性。調査まで立入らず》


 文字は短い。だが、ここを通る者なら読める。


「これで、勝手に入る人はいなくなりますか」


 ソーマが訊くと、ベリルは苦笑した。


「札だけなら、入る者もいる。だから、入口に縄も張る。近くの見回りにも話す」


 記録を書くことと、記録が守られることは違う。


 ソーマはその当たり前を、改めて知った。


 翌朝、ベリルは町の石工と一緒に入口の外側へ支えの木を立てた。坑道の中へ入らず、外から壁の様子を見られるようにするためだ。


 ソーマは少し離れた土を読む。


 昨日より深く読もうとはしない。入口の周りに、昨日と違う沈みがないかだけを見る。


 返ってきた感触は、昨日とほとんど同じだった。


 それを《変化は未確認》と書く。


「変化がない、と書かないのか」


 石工が尋ねた。


「見えなかっただけかもしれません」


 ソーマは答えた。


「僕が読めない変化もあります」


 石工はしばらく考え、それから支えの木へ手を当てた。


「それなら、毎日見る者も決めよう。木にひびがないか。縄が切れていないか。風が前より弱くないか」


 魔法で読んだ紙の横に、石工の点検札が増えた。


 土魔法だけの地図ではない。


 風を見る人。


 木を見る人。


 通る人を止める人。


 それぞれの目印が重なって、初めて人を近づけない形になる。


 夕方、ソーマは入口から遠ざかる時に振り返った。


 洞窟の奥は、まだ暗い。


 何があるかは、分からない。


 けれど、分からないまま誰かを入れないための仕事は、今日だけでもいくつかできた。



 入口の外で、ソーマは今日の紙を広げた。


 右奥に、返りの薄い場所。


 その先は未確認。


 坑道の奥は、風が弱い。


 長く入らない。


 書けたことは少ない。


 けれど、ベリルは紙を見て言った。


「入らない方がいい場所が、一つ増えたな」


「僕の魔法だけで決めたわけではありません」


 ソーマは答えた。


「風と灯りと、ベリルさんの経験もあります」


「それでいい」


 ベリルは、紙片が揺れる入口を見た。


「穴の中で役に立つのは、正確に当てる奴だけじゃない。戻れと言える奴も必要だ」


 フェルド老師は、ソーマの帳面へ目を落とした。


「次は、粉を減らす方法を考えろ。土を読むだけで、人の肺は守れん」


 ソーマは、口元の布についた粉を見た。




 帰り道、ソーマは土箱の地図と坑道の見取り図を比べた。


 土箱では、空きや湿りを小さな印で書けた。坑道では、その印の向こうに人の息と、戻る道がある。


 同じ土魔法でも、場所が変われば、止まる理由も変わる。


 その違いを忘れないために、ソーマは坑道の図の余白へ《土箱の結果を、そのまま当てはめない》と書いた。


 地中を読む力は、まだ小さい。


最後まで読んでいただきありがとうございました!

面白いと思っていただけたら、ブックマークや☆☆☆☆☆評価をいただけると次回更新の励みになります。

感想も一つ一つ楽しく読ませていただいています。

また次話でお会いしましょう!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。