第4章 第120話 掌ほどの地図
第4章 第120話
掌ほどの地図
土箱の上に置いた紙は、掌より少し大きい。
ソーマはその四角い紙を見つめていた。
昨日までなら、土魔法で感じたものは言葉にして終わっていた。重い。軽い。硬い。分からない。
今日は、その言葉を場所と一緒に残す。
「箱の中身の地図を書きましょう」
エリシアが言った。
「ソーマが、どこで何を感じ、どこで止まったかを残す地図です」
机の上には、土箱と紙と鉛筆代わりの細い炭筆がある。セラは箱の位置を動かさないように見ており、ハンナはソーマの言葉を別の札へ写す。
フェルド老師は、少し離れた場所で腕を組んでいた。
「最初に、箱の中で分からない場所を書け」
老師が言った。
「分かった場所からではないのですか」
「分からぬところを埋めるために魔法を使う癖があるからだ」
ソーマは頷いた。
紙の中央に、小さく《未確認》と書いた。
それから掌をかざす。
土の感触が、薄く返る。
左の奥は軽い。
右の端は、少し締まっている。
中央は、やはりよく分からない。
ソーマは紙へ三つの印を置いた。左に《軽い》。右に《締まり》。中央に《未確認》。
魔力を切って、手を下ろす。
「終わりです」
「もう少し読まないのですか」
ハンナが尋ねた。
「中央を知りたいです。でも、今は中央が分からないと書きました」
ソーマは答えた。
「そのままにします」
エリシアが蓋を開けた。
左の奥には、小さな空きがあった。右の端には、水分を少し含んだ土が詰められている。
中央には、薄い焼き物の欠片が埋まっていた。
紙の中央に残した《未確認》を、ソーマは見た。
見落とした。
けれど、紙の上には、何もなかった場所として残してはいない。
「この地図は、半分しか合っていません」
ソーマが言うと、エリシアは首を振った。
「半分しか、ではありません。空きと湿りを、別の違いとして書けています。焼き物は、まだ読めないと分かりました」
その言い方は、慰めではなかった。
できたことと、できなかったことを分けているだけだ。
午前のあいだ、エリシアは同じ大きさの箱を何度も入れ替えた。
空きがある箱。
締まった土だけの箱。
石と焼き物が近くにある箱。
ソーマは、毎回、先に紙へ《未確認》と書く。
そのあと、感じた違いを少しずつ加える。
何度目かの箱で、ソーマは左側に長い線を引いた。
土を軽く感じる場所が、端から中央へ伸びているように感じた。
箱を開けると、そこには細い空洞が作られていた。
ソーマは思わず身を乗り出した。
「道みたいだ」
「空洞です」
エリシアはすぐに言い直した。
「道だと決めないでください」
ソーマは、はっとした。
自分が感じたのは、土を軽く感じたことだった。道かもしれないと考えたのは、自分の解釈だった。
紙の余白に、小さく書く。
《軽く感じる部分が連なる。空洞の可能性》
「地図には、思ったことも書くのですか」
セラが尋ねた。
「書くなら、感じたことの外に書きます」
ソーマは答えた。
「軽く感じる部分の連なりと、道かもしれないは違います」
フェルド老師が、短く頷いた。
「それらを混ぜると、地図は人を迷わせるぞ」
昼休み、ソーマは箱を並べた机の前に残った。
掌ほどの紙に、いくつもの線がある。
軽い場所。
締まった場所。
鈍く返る場所。
未確認の場所。
どの紙も、土の中をそのまま写したものではない。
ただ、自分が一度だけ読んで、止まった時に見えたものだ。
「小さいですね」
エリシアが隣へ来て言った。
「はい」
「でも、小さいから、間違いを見つけられます」
彼女は紙の中央を指した。
「この未確認の場所を、次の箱ではどうしますか」
「同じような焼き物を、別の向きで入れてもらいます。薄さや向きで、感じ方が変わるかを見たいです」
「いいですね」
エリシアは笑った。
「前なら、もっと強く読もうと言っていたでしょう」
「今も思っています」
ソーマは苦笑した。
「でも、強くする前に、何が分からないのかを把握した方がいい気がします」
その答えを、自分で言えたことが少し嬉しかった。
午後の試験では、箱を一つだけではなく、二つ並べることにした。
エリシアは二つの箱へ同じ形の札を付けた。外から見れば、どちらも同じだ。けれど片方には空きと石が離れて入っており、もう片方には湿った土と焼き物が重なるように入っているという。
「比べるのですか」
「比べます」
エリシアは言った。
「同じ言葉を使った時に、箱が違えばどこまで意味が変わるかを見るためです」
ソーマは一つ目の箱の上へ紙を置いた。
左側に、はっきり軽い場所がある。右の端には、小さく重い感触がある。中央には、土の返りが少し鈍いところがある。
彼はそれぞれを、空き、石、湿りとは書かなかった。
《軽い》
《重い》
《鈍い》
蓋を開けると、左には空きがあり、右には丸い石、中央には湿った土があった。
紙と箱を並べると、線は大きく外れていない。
それでも、エリシアはすぐに成功とは言わなかった。
「右の石は、もっと中央にあります」
「僕の紙では、端に寄せすぎました」
「そうですね。場所の違いを感じても、形まではまだ読めていない」
ソーマは紙の右端を見た。
当たったと思いたい気持ちはある。けれど、正しい場所を描けていないことを隠さず記録を行う。
ハンナは、開ける前の紙をそのまま帳面へ綴じた。
「開けたあとで線を直したら、次に読む人は、最初に何が見えていたかを分からなくなります」
その言葉に、ソーマは頷いた。
二つ目の箱では、ソーマはもっと迷った。
左の奥に鈍い感触があり、そのすぐ隣に重いものがあるように思える。二つは別なのか。ひとつのものが違って感じているだけなのか。紙の上へ二つの印を置こうとして、炭筆が止まった。
「どうしました」
セラが訊く。
「分けて書くと、別々にあるみたいです。でも、僕には重なっているようにも感じます」
「なら、重なっているかもしれないと書けばいい」
フェルド老師が言った。
「分けられぬものを、紙の上で無理に分けるな」
ソーマは二つの印を重ね、横に《境目不明》と書いた。
箱を開けると、湿った土の上に薄い焼き物が斜めに入っていた。
鈍さと重さは、別々のものだった。
だが、箱の中では重なっている。
「当たった、と言っていいのでしょうか」
ソーマが尋ねると、フェルド老師は首を振った。
「重なりを感じた。そこまでは書ける。何が重なっていたかは、開けてから分かったことだ」
答えはいつも、少し短い。
けれど短いから、次に追記するべきものが分かる。
試験の途中で、エリシアは箱を縦向きに置いた。
これまで横に置いていた箱を、立てるように傾けたのだ。
「これは、ずるいです」
ソーマは思わず言った。
エリシアは少し笑った。
「坑道の壁は、いつも机の上のように平らですか」
言われて、ソーマは黙った。
土箱の地図は、上から読んだ地図だった。壁を読むなら、紙の向きも、手をかざす場所も変わる。
彼は新しい紙を縦に置いた。
箱の中の違いは、横に寝かせた時よりも曖昧だった。軽い場所がどこまで続くのか分からない。右の下に重さがあるように感じるが、箱の木の厚みとの区別もつかない。
ソーマは、紙の半分へ大きく《未確認》と書いた。
蓋を開けた後、左側には細い空きがあり、右の下には石があった。
地図は、ほとんど役に立たないほど粗い。
それでも、ソーマは落ち込まなかった。
「横向きの箱でできたことを、壁でできるとは限らない」
帳面にそう書いた。
「それが分かれば、坑道で壁を読んだ時に、箱と同じ精度で読めると思い込まずに済みます」
エリシアは頷いた。
外で役に立つ前に、役に立たない場所を知る。
それもまた、地図の大事な部分だった。
日が傾く頃、紙は机の上へ何枚も並んでいた。
どの紙にも、違いがある。
当たった線。
外れた線。
大きすぎた未確認の印。
ソーマは、最初の紙と最後の紙を重ねて見た。
最初は、違いを感じるたびに、何かの名前を付けたくなった。
今は、名前を付けない線を残せる。
それだけでは、地中を掘れない。
けれど、掘ってはいけない場所を決める手がかりにはなる。
フェルド老師は、紙を一枚選び、坑道の簡単な見取り図の横へ置いた。
「明日、坑道でお前が書くのは、石の種類の地図ではない」
「危ないかもしれない場所の地図です」
「そうだ。地図の外へ手を出させない、掘らせないための地図だ」
ソーマは、掌ほどの紙を帳面へ挟んだ。
小さな箱の中でも、見えないものは多い。
だから、地中の大きな闇を前にしても、分かったふりだけはしない。
その夜、ソーマは箱を使った日の紙を机に広げた。
同じ箱を、朝と夕方で読んだ紙もある。朝は右へ寄りすぎた線が、夕方には中央へ近づいている。上達したと言い切るには、まだ早い。
けれど、どちらの紙にも《未確認》が残っていた。
分かった線だけを増やすのではなく、分からない線を残せること。それが、明日、坑道の前で立ち止まるための目印になる。
ソーマは紙を畳まず、そのまま帳面へ挟んだ。
午後、最後の箱には、石と湿った土と小さな空きが入れられた。
ソーマは紙へ印を置いた。
石らしい重さは感じる。
湿りらしい鈍さもある。
だが、二つが近すぎて、境目が曖昧だ。
空きは見つけられなかった。
箱を開けると、石と湿った土はほぼ紙の通りだった。空きは、石の下に小さく作られている。
「下にあるものは、まだ読めません」
ソーマは言った。
「今の僕は、上に近い違いほど読める。重なったものは、混ざってしまいます」
「なら、坑道へ行く時も、そこを忘れないでください」
フェルド老師が言った。
ソーマは顔を上げた。
「坑道へ?」
「北門の外の旧採石場で、風が通らない横穴が見つかった。倉庫の改修前に、周りの地盤を見てほしいと頼まれている」
「僕の魔法で、崩れる場所が分かるかもしれない」
期待が胸へ湧いた。
だが、老師の目は厳しい。
「分かるかもしれん。だが、土箱で読めぬ重なりを、坑道で読めると思うな」
「はい」
「お前の地図は、掘る場所を決める地図ではない。立ち入らぬ場所を増やすための地図だ」
ソーマは、最後の紙を見た。
空きを見落とした《未確認》の印がある。
それを消さずに、帳面へ挟んだ。
掌ほどの地図は、まだ不完全だった。
けれど、不完全だからこそ、坑道で線が引ける。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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感想も一つ一つ楽しく読ませていただいています。
また次話でお会いしましょう!




