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第4章 第117話 エリシアの反論

第4章 第117話


エリシアの反論


 北門東倉から戻った翌日、エリシアは王立錬金院の小会議室へソーマを呼んだ。


 机の上には、倉庫で使う予定の記録札が三枚だけ置かれている。


 一枚目には、荷の名前と置き場。


 二枚目には、確認した人と、異常があったかどうか。


 三枚目は、まだ白紙だった。


「これが、魔法を使った時の札です」


 エリシアは白紙を指した。


「書くことが、まだ決まっていません」


 ソーマは椅子へ座り、札を見た。


 昨日、自分は床を押した。読もうとしたはずの土を、自分の魔力で変えてしまった。


 その失敗を書き残すべきだというエリシアの言葉には、納得している。


 けれど、札に何を書けばよいのかとなると、難しかった。


「使った土魔法の種類を書くのはどうでしょう」


「土魔法の種類では広すぎます」


 エリシアは言った。


「床を固めたのか、土を寄せたのか、形を読もうとしたのか。それだけでも結果は違うでしょう」


「では、読むために使った、と」


「それでも、まだ足りません」


 エリシアの声は落ち着いていた。


「昨日、あなたは読むために使った。けれど床は鳴り、砂袋は沈んだ。目的と、実際に起きたことは別です」


 言い返せなかった。


 ソーマは、白い札の上へ指を置いた。


「何をしたつもりだったか。何が変わったか。何が分からないままか」


 エリシアは三つをゆっくり繰り返した。


「私は、この三つが書かれていれば、次の人がどんな失敗をしたのかを確かめられると思います」


「そこまで書けば、魔法を使った人を責める記録になりませんか」


 ソーマは尋ねた。


 失敗を書けば、使った者の名も残る。危険な仕事であればあるほど、誰も札へ自分の失敗を書きたがらなくなるかもしれない。


「責めるための札にしてはいけません」


 エリシアはすぐに答えた。


「一方、成功した時だけ書く札にしてもいけないのです。失敗が目立ちすぎると、いずれ誰も本当のことを書かなくなります」


 窓の外では、冬の薄い光が石畳を照らしていた。


 ソーマは北門東倉の石碑を思い出した。事故の原因は分からない。別紙は見つからない。けれど、分からないことを分からないまま残さなければ、次の人は最初から同じ暗闇に立つ。


「エリシアは、僕の魔法を信用していないんですか」


 思わず、そう聞いていた。


 言ったあとで、子どもじみた問いだと思った。


 エリシアは少し驚いたように目を瞬かせた。それから、札を一枚裏返した。


「信用しています」


「でも」


「信用している人の感覚でも、規範にはできません」


 その言葉は、思ったより静かに胸へ落ちた。


「ソーマが明日いなくなっても、倉庫は残ります。別の土魔術師が来るかもしれない。土魔術を使えない人が、記録を読むかもしれない」


 エリシアは、石碑の写しを机の端へ置いた。


「四人が亡くなった理由を、誰か一人の記憶に預けたくありません。善意も、才能も、持ち主と一緒に消えることがあるからです」


 ソーマは、反論できなかった。


 前世の知識もそうだ。自分の頭の中にあるから便利で、だからこそ、自分だけが知っている形のままでは危うい。



 午後、エリシアは小さな木箱を会議室へ運び込んだ。


 両手で抱えられるほどの、浅い箱だった。中には乾いた土が詰められ、上から薄い板で蓋がされている。


「何ですか」


「最初の試験です」


 エリシアは答えた。


「この中には、石か、焼いた陶片か、何も入っていない場所があります。私が箱を閉じたので、ソーマは中身を知りません」


「土魔法で当てるんですね」


「当てることだけが目的ではありません」


 彼女は箱の横へ、三枚の小さな札を置いた。


 何をしたか。


 何が変わったか。


 何が分からないか。


「箱を壊さず、土を押さず、どこまで読めるかを確かめます。読めなければ、読めなかったと書く。それで十分です」


 ソーマは、箱の前へ座った。


 薄い板の向こうにある土を感じようとすると、昨日の床よりもずっと近い。


 近いから、すぐに答えが欲しくなる。


 彼は掌を箱の上へかざした。


 魔力を流す。


 土の感触が、薄く返ってくる。


 中央より少し右に、周りと違う硬さがある。


 そこで、止める。


 まだ分からない。もっと深く、もっと広く読めば、石なのか陶片なのかまで分かるかもしれない。


 けれど、そう思った瞬間、昨日の砂袋が頭に浮かんだ。


 ソーマは魔力を切った。


「右寄りの場所に、周りより硬いものがあります」


 言ってから、札へ書く。


 《上から読む。中央より右。硬い感触あり。箱の土の変化は見えない。材質は未確認》


 エリシアは、すぐには蓋を開けなかった。


「なぜ、開けないんですか」


「一回の結果で、あなたの感覚を決めたくないからです」


 彼女は箱を別の場所へ置き直した。


「同じ箱でも、置く向きが変われば感じ方が変わるかもしれません。土の湿り具合が違えば、結果も変わるかもしれない。まずは、何が変わっても同じことが言えるかを見たいんです」


 その言い方は、ソーマを試しているようには聞こえない。


 信頼のおける仲間としての言い方だと感じた。


 ソーマは、改めて箱を見た。


「分かりました。僕も、当たったかどうかより感覚を大事にします」



 試験は夕方まで続いた。


 箱の中身を入れ替えるのはエリシアだけだった。セラは札へ時刻と箱の向きを記す。ハンナは、ソーマが言ったことを、言い換えずに書いた。


 何度か、ソーマは硬いものの場所を当てた。


 何度か、何もない場所を硬いと読んだ。


 一度は、箱の端に入っていた小さな陶片を見落とした。


 結果だけを見れば、胸が沈む。


 けれど、箱を開けるたびに、何が違っていたのかを皆で確かめた。


 陶片は土より硬い。だが、薄ければ土の感触に紛れる。


 石は分かりやすい。だが、箱の底に近いほど、輪郭が曖昧になる。


 何もない場所でも、土が締まっていれば、硬いものがあるように感じる。


 細かな条件を全部、今すぐ決める必要はない。


 ただ、分からない時に「石だ」と判断しない理由が、少しずつ増えていく。


「ソーマ」


 六つ目の箱では、ソーマは判断できなかった。


 掌の下にある土は、どこも同じように乾いている。中央にわずかな重さの違いを感じた気がしたが、それが箱を支える板の歪みなのか、土の締まりなのか、自分には決められなかった。


「未確認です」


 ソーマは、札へ書いた。


 口に出すと、胸の奥が少し痛んだ。せっかく皆んなが手伝ってくれる試験なのに、答えを出せない。疲れて感覚が鈍ってきたのだと思った。


 だが、エリシアはすぐに蓋を開けた。


 中には、石は入っていなかった。


 土の一部が、少し固められていた。


「ソーマは正解がない、と答えたわけではありません」


 エリシアが言った。


「しかし、石があると決めなかった。それが今日の結果です」


 セラが、箱の底をそっと指で触れた。


「ここだけ、少し硬いですね。私が触っても分かります」


 魔法を使えない人にも分かる違いと、魔法でしか感じられない違い。その境目を、今のソーマはまだ上手く言えない。


 それでも、一旦立ち止まり、感じたことをすぐ答えにしなかった。


 その小さな停止が、昨日の自分とは違っていた。



 最後の箱を閉じながら、エリシアが言った。


「今日の結果を、どう書きますか」


 ソーマは考えた。


 成功した回数を書けば、良く見える。


 失敗した回数を書けば、自分の魔法が役に立たないように見える。


 けれど、どちらか一方だけでは、本当の結果にならない。


「浅い土の中にある、はっきり硬いものは、ある程度読めることが分かりました」


 ソーマは言った。


「でも、薄いものや、土の締まりとの差は、まだ見分けられません。読むために力を加えると、箱の土を動かしてしまうおそれがあります」


 エリシアは頷いた。


「それなら、次に何をすべきかも分かりますか」


「止める練習を続けることです」


 ソーマは答えた。


「それと、土を動かしていないかを、僕以外の人にも確かめてもらうこと」


 エリシアは、初めて少し笑った。


「反論は、届いたようですね」


 ソーマも、小さく笑った。


「痛いところに届きました」


 箱を片づける前に、ハンナが記録札を並べ替えた。


「同じことをしたつもりでも、言葉が少しずつ違います」


 彼女は言った。


 一枚には《右が硬い》。別の一枚には《中央より右に違いあり》。三枚目には《右側、硬さは未確定》と書かれている。


「どれも、ソーマさんの言ったことです。でも、あとで読む人にとっては、同じ意味に見えないかもしれません」


 ソーマは札を見た。


 自分では同じつもりだった。だが、最初の一枚は石があるように読める。二枚目は場所だけを述べている。三枚目は、迷った気持ちまで残している。


「言葉も、結果を変えてしまうんですね」


「言葉そのものが結果を変えるわけではありません」


 エリシアは答えた。


「でも、次の人の手を動かします。『石がある』と書かれていれば、その人は石を探すでしょう。『違いがある』と書かれていれば、別の確かめ方を考えるかもしれません」


 ソーマは、最初の札を裏返した。


 前世で使っていた記録表にも、短い言葉が並んでいた。測定値、観察、異常。けれど、短いからこそ、書いた人の思い込みが入り込む余地もあった。


「では、感じたことと、決めたことを分けます」


 ソーマは言った。


「硬い、と感じた。石だと決めた。これは同じではない」


 ハンナはすぐに、札の端へ小さな線を引いた。


 《感じたこと》


 《決めたこと》


 欄は小さい。それでも、ソーマには二つの間に大きな距離があるように思えた。


 その時、部屋の扉が開いた。北門東倉で荷を運んでいた保管係が、改修の相談で来たのだという。


「お邪魔でしたか」


「いいえ」


 エリシアが答えた。


「今、倉庫で魔法を使った時の札を考えています」


 保管係は白紙の札を一枚取り、首を傾げた。


「俺たちが読んで分かるようになるのか?」


 率直な問いだった。


 ソーマは、少し迷ってから答えた。


「最初から全部は分からないと思います」


「なら、書いても仕方がないんじゃないか」


「仕方がなくならないように、書き方を決めます」


 エリシアが言った。


「土魔法を使えない人にも、少なくとも『ここはまだ確かめられていない』と分かる札にします。分からない場所へ、荷を置かないために」


 保管係はしばらく札を眺めていた。


「それなら、俺たちにも読める文字にしてくれ。難しい術の名前だけでは、結局、使った本人しか分からない」


「約束します」


 ソーマは答えた。


 自分の魔法を、他人に説明できる形にする。


 それは、力を失うことではない。自分がいない時にも、誰かが危険を避けられるようにすることだ。


 保管係が帰ったあと、エリシアは新しい札の一番上へ、短く書いた。


 《何を確かめたか》


 難しい言葉ではない。


 けれど、その問いなら、魔術師でない人にも読める。


 ソーマは、その文字を見て、少しだけ肩の力を抜いた。




 その時、オルセインが廊下の奥から歩いてきた。手には、北門東倉の検分書を入れた布包みがある。


「箱の中身を確かめる前に、答えを決めぬ練習か」


「はい」


 ソーマが答えると、老人は小さく頷いた。


「良い。昔は、分からぬ欄を空けることを、怠けていると言う者もいた。だが、空けるべき欄を埋めてしまう方が、後で多くを壊す結果となる」


 その言葉を聞いたフェルド老師の目が、わずかに伏せられた。


 ソーマは、白紙の札を見た。


 まだ書けない欄があることは、恥ではない。


 書けないままにしておく勇気も、これから覚える技術の一つなのだ。



 会議室を出ると、廊下の向こうにフェルド老師が立っていた。


 いつから聞いていたのかは分からない。


 机の上には、北門東倉の検分書の写しがあった。


「老師」


 ソーマが呼ぶと、フェルド老師は写しから目を上げた。


「記録に残すことは、必要だと思います」


「そうだ」


 老師は言った。


「だが、書ける形にするのは、いつも時間がかかる。事故が起きた後に、ようやく欄を作る」


「なら、今から作ればいいんです」


 エリシアが言った。


 フェルド老師は、答えなかった。


 廊下の窓から差す夕日が、検分書の端を赤く染めている。


 老師の沈黙には、賛成とも反対とも違う重さがあった。


 ソーマは、その重さの理由をまだ知らない。


 けれど、次に開く箱の前では、もっと丁寧に止まろうと思った。


最後まで読んでいただきありがとうございました!

面白いと思っていただけたら、ブックマークや☆☆☆☆☆評価をいただけると次回更新の励みになります。

感想も一つ一つ楽しく読ませていただいています。

また次話でお会いしましょう!

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