第4章 第113話 炭の粒
第4章 第113話
炭の粒
炭の粒の色は、色んな黒に見えた。
大きな欠片は、朝の光を受けると、割れた面だけが鈍く光る。指でつまめるほどの細かな粒は、乾いた石のように転がった。そのさらに下にある黒い微粉は、布の繊維へ入り込み、指先に薄い黒い汚れを残した。
北門の炭問屋には、黒いものが何種類もあった。
けれど古い記録では、それらがまとめて《黒粉》と書かれている。
ソーマは帳面と炭の山を見比べ、また同じことを思った。
名前だけでは、何も分からない。
炭問屋は、北門の倉庫街でも人の出入りが多い場所にあった。
入口の前には荷車が並び、荷役を終えた男たちが、黒くなった手を布で拭っている。建物の中には乾いた木の匂いと、わずかな焦げ臭さが満ちていた。
店主のグラン・ホルドは、積み上げられた炭袋の前で腕を組んでいた。
四十代ほどの大柄な男で、髭にも炭の粉が残っている。けれど、目は鋭く、袋の縫い目や荷車の車輪へ順番に視線を走らせていた。
「黒いからって、全部が同じではないからな」
ソーマたちが挨拶を済ませると、グランは最初にそう言った。
「炭は大きい粒は袋の中に残る。細かい粒は、勝手に隙間から逃げる」
ぶっきらぼうな口調だった。
けれど、言葉の一つ一つに、長く炭を扱ってきた人の思いがある。
「古い記録では、炭の粒も黒い微粉も、同じ《黒粉》と書かれています」
ソーマは帳面を見せた。
「運ばれ方や、保管場所で何が違うのかを調べたいんです」
「調べるのは構わん」
グランは記録の表紙を見たあと、倉の奥を顎で指した。
「ただし、売り物を無駄にはできん」
「はい」
ソーマは頷いた。
研究のために材料を使う時、材料には誰かの仕事と生活がある。
それを忘れてはいけない。
炭問屋の奥には、粒の大きさごとに分けられた箱が並んでいた。
大きな炭は、かまどや炉で使うためのもの。
中くらいの粒は、火を保つ時に使いやすいもの。
細かな粒や粉は、炭袋の底へ溜まりやすく、用途によっては別に集められる。
「最初から分けているんですね」
ソーマが言うと、グランは鼻を鳴らした。
「分けなきゃ、客が困る。大きい炭を欲しい者へ、粉ばかり渡したら怒られるだろう」
「粉は、使えないんですか」
「使えんわけじゃない。だが、運ぶ時も置く時も、手間が違う」
グランは細かい粉の入った木箱の蓋を少しだけ開けた。
黒い粉は、箱の底に静かに溜まっている。
「袋へ入れるなら、内側がしっかりしたものを使う。口の縛りが緩ければ、荷車の揺れで粉が上へ舞う。縫い目が弱ければ、道へ落ちる」
「細かい粒ほど、逃げやすい」
「そうだ。見えないところからな」
ソーマは、箱の中を覗き込んだ。
土魔法を使うと、大きな炭の欠片は軽く、ところどころに空いた部分があるように感じられる。細かな粒は互いの間を埋め、粉になるほど、その境目は曖昧になる。
密度だけでは分からない。
同じ炭でも、粒の形、表面の粗さ、袋の織り目、運ぶ時の揺れで動き方が変わる。
「仮説を立てよう」
ソーマは、小さく呟いた。
「大きな炭と細かな粒、細かい粉では、同じ袋に入れても動き方が違う。特に細かい粉は、運ぶ途中で袋の縫い目や織り目から外へ出やすいかもしれません」
「いいでしょう」
エリシアが答えた。
「ただし、外へ出やすいと決める前に、袋の種類も確認します。炭の粒だけを変えて、袋まで変えれば、何が原因か分からなくなります」
「はい」
ソーマは記録帳へ書き込んだ。
昨日まで、壁、床、風を別々に見てきた。
今日もまた、黒い粒、袋、荷車、保管場所を混ぜないようにしなければならない。
試験に使う炭は、売り物にならない端のものを、グランが少量だけ分けてくれた。
大きな欠片。
細かな粒。
そして、箱の底に残っていた細かい粉。
ソーマは三つを同じ重さに分け、小さな布袋へ入れた。
袋は同じ布を使い、口の結び方も揃える。表面にはセラが記号札を縫い付けた。
大きな欠片には横線が二本。
細かな粒には丸印。
細かい粉には短い縦線。
文字を読まなくても、触れば区別できる。
「荷車の揺れを見たいなら、外へ運ぶんですか」
ソーマが尋ねると、グランは首を振った。
「最初から外へ出すな。今日は倉の中で足りる」
彼は低い木箱を一つ持ってきた。
中には、荷台に似た板張りがあり、両側には浅い縁が付いている。
「石畳を進む荷車の揺れ方を、ここで大まかに再現する。完全に同じにはならんが、袋の中で何が動くかは見える」
ソーマは木箱へ三つの袋を並べた。
グランが板の端を持ち上げ、ゆっくり下ろす。
袋が小さく跳ねる。
何度か繰り返すと、大きな炭の袋はほとんど形を変えなかった。細かな粒の袋は、底の方へ中身が寄ったように見える。
細かい粉の袋では、口元の布が内側から押されるようにわずかに膨らんだ。
「揺れで、粉が寄ったのかもしれません」
ソーマは言った。
「袋の中ではな」
グランは答えた。
「だが、袋の外へ出るかどうかは別の話だ」
ソーマは、一度手を止めた。
確かにそうだった。
袋の中で粉が動くことと、縫い目から漏れることは同じではない。
自分はまた、途中まで見たものを答えにしようとしていた。
「次は、袋の外を見ます」
ソーマは言った。
「袋の下に白い布を敷いて、同じように揺らします。外へ出たものがあれば、見えるはずです」
「それなら分かる」
グランは短く言った。
白い布を敷き、三つの袋をもう一度並べた。
今度は、最初より少し長く揺らす。
試験が終わったあと、ソーマたちは袋を持ち上げた。
大きな炭の袋の下には、何も落ちていない。
細かな粒の袋の下には、黒い細かな粒が数粒残っていた。
細かい粉の袋の下には、布の繊維へ入り込むように、薄い黒い跡が広がっている。
「出た」
ソーマは、思わず息を吐いた。
だが、グランはすぐに頷かなかった。
「その袋は、普段使う袋じゃない」
ソーマは顔を上げる。
「これは、店で使う細かい粉用の袋ではありません。試験用に出した古い布です」
「……違う袋なら、売り物を運ぶ時の話にはならない」
「比べること自体はできる。だが、実際の荷車での運搬を、そのまま示す試験にはならん」
グランは、倉の奥から別の袋を持ってきた。
内側に薄い布が重ねられ、縫い目も細かい。触ると、先ほどの袋より固く、重みがあった。
「細かい粉を運ぶなら、こっちを使う。高い。だから、何にでも使えるわけじゃない」
ソーマは、その袋を両手で受け取った。
炭の粒が細かいから漏れる。
その一文だけでは足りない。
どんな袋で運ぶか。
どれだけ手間をかけられるか。
売値と袋の値段が釣り合うか。
材料の性質だけでなく、人の仕事も条件に入る。
「試験をやり直します」
ソーマは言った。
「同じ細かい粉を、二種類の袋へ入れます。袋の違いだけを比べたいです」
「それならいい」
グランは答えた。
「炭は、袋の種類で減り方が変わる。そこまで見ておけ」
二度目の試験では、細かい粉だけを使った。
古い布袋と、内側に布を重ねた袋。
中身の量を揃え、口の結び方も同じにする。袋の下には、同じ大きさの白い布を敷いた。
木箱を揺らしたあと、古い布袋の下には薄い黒い跡が残った。
けれど、内側に布を重ねた袋の下には、目で見えるほどの跡がない。
完全に何も出ていないのかは分からない。
だが、袋の外へ出た細かい粉の量は、古い布袋より少ないように見えた。
「袋の違いで、外へ出る量が変わる」
ソーマは記録帳へ書いた。
《今回の袋と揺らし方では、細かい粉は大きな炭より外へ出やすい傾向が見られた。ただし、袋の布と縫い目により差が出る》
エリシアが、その文章を読んだ。
「よいと思います。ただ、《外へ出やすい》は、この揺らし方と、この袋に限った結果です。運搬全体へ広げるなら、まだ記録が足りません」
「はい」
ソーマは、末尾へ書き足す。
《実際の荷車での運搬量、長時間の変化は未確認》
数字にできない。
道の揺れも、荷車の速さも、袋を積む高さも違う。
だから、今分かるのは、倉の中で比べた小さな違いだけだった。
それでも、黒い粉が勝手に現れるわけではないことは分かる。
袋の隙間。
荷車の揺れ。
袋が置かれる床の状態。
人が持ち上げる時の傾き。
細かな粒は、いくつもの小さな動きの中で、少しずつ外へ出ていく。
試験を終えたあと、グランは倉の入口へソーマを連れていった。
石畳の端には、黒い細かな粒が溜まっている。荷車の車輪が通る中央ではなく、壁際の溝へ寄っていた。
「これは、袋から落ちたものですか」
「袋から落ちたものもある」
グランは答えた。
「荷を積み替える時に落ちるものもある。靴の底に付いて運ばれるものもある。雨が降れば、溝へ流れる」
ソーマは黒い粒を見た。
炭の細かい粉。
土。
荷車の車輪から落ちた泥。
ほかの荷から出たもの。
見た目は同じように黒くても、混ざっているものは一つではない。
土魔法を使うと、黒い中に重さの違う粒が混じっていることが分かる。炭だけではない。細かな砂や、石畳から削れた粉もある。
「これを見て、炭が漏れたと決めるのは早いですね」
ソーマが言うと、グランは頷いた。
「炭問屋の前にある黒い粒が、すべて炭問屋から出たものとは限らん」
店の前に黒い粉がある。
それだけで、炭問屋の仕事が雑だと思われることがあるのだろう。
ソーマは、道の端に残る黒い粒を見ながら思った。
記録も同じだ。
黒い粉と書かれている。
だから炭だと思う。
炭だと思うから、次の記録も炭の話として読む。
けれど、確かめなければ、ただの思い込みになる。
「この場所も、記録します」
ソーマは言った。
「炭の粒がある、ではなくて、黒い細かな粒が溝に溜まっている。炭以外のものが混じっている可能性がある、と」
「面倒な書き方だな」
グランは言った。
「でも、それなら炭屋だけを疑わずに済む」
ソーマは、少しだけ笑った。
「はい」
夕方、炭問屋の帳面を整理していたセラが、一枚の古い運送札を見つけた。
札には、三つの保管番号が並んでいる。
一つは、粗硝石の蔵。
一つは、黄色い鉱石を扱っていたとされる鉱石置き場。
そしてもう一つは、炭問屋の前身となった古い炭蔵だった。
同じ運送組合の印が、その下に押されている。
「三つの保管場所で、同じ運送組合を使っていたようです」
セラが言った。
フェルド老師は札を受け取り、長く見つめた。
「三つの種類の保管を分けた理由を調べる理由になる」
フェルド老師の声は低かった。
ソーマは、三つの番号を見た。
白い鉱物塩。
黄色い鉱石。
黒い炭の粒。
どれも、それぞれに用途がある。
どれも、名前や色だけでは危険を決められない。
だからこそ、同じものとして扱わないための記録が必要になる。
ソーマは、帳面の新しい頁を開いた。
次に調べるべきことを書き込む。
《保管番号の分離理由》
《運送中の荷の取り扱い》
《同じ荷車を使う際の記録》
まだ答えはない。
けれど、《黒火粉》という呼び名がついた理由となる物質が、ようやく見つかった気がした。




