第4章 第114話 三つを混ぜるな
第4章 第114話
三つを混ぜるな
机の上には、三つの記録が並んでいた。
粗硝石の蔵の保管帳。
黄色い鉱石を扱った置き場の荷札。
炭問屋の古い運送札。
白、黄、黒。
色だけを見れば、まったく別のものに思える。
けれど、同じ運送組合の印が、三枚の紙に残っていた。
ソーマは、それを見た瞬間に、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
前世で知っていた。
粗硝石に含まれる硝酸塩は、自ら燃える物質ではない。だが、ほかの物質の燃焼を強める性質を持つことがある。
黄色い鉱石に含まれる硫黄。
炭に含まれる黒い炭素。
それぞれを別に扱うなら、ただの鉱物塩と鉱石と燃料だ。
しかし前世では、その三つが一緒に扱われると、岩を砕き、人を傷つける危険なものへつながることがあった。
だからこそ、ソーマは三枚の紙から目を離せなかった。
「顔色が悪いな」
フェルド老師の声で、ソーマは顔を上げた。
王立錬金院の記録室には、午後の淡い光が入っていた。窓の外では、冬の風が枯れ枝を揺らしている。
机の向かいには、フェルド老師、エリシア、セラ、ハンナ、オルセインがいた。
「大丈夫です」
答えながら、ソーマは自分の声が少し硬いことに気づいた。
大丈夫ではない。
だが、前世の知識を口にできない以上、何を怖がっているのかを、そのまま説明することもできなかった。
「この三つは、別々に保管すべきです」
ソーマは言った。
「同じ蔵に置くのも、同じ荷車で運ぶのも、できれば避けた方がいいと思います」
「理由は」
フェルド老師が問う。
ソーマは、三つの記録を見た。
粗硝石。
黄色い鉱石。
炭の細粉。
この世界の粗硝石が、前世で知る硝酸塩を含むとは限らない。黄色い鉱石が、硫黄を多く含むとも限らない。
そして炭も、木の種類や焼き方によって性質が違う。
だから、前世の記憶だけで断定してはいけない。
「一つ一つの性質が、まだ確定していないからです」
ソーマは言葉を選んだ。
「粗硝石には、ほかの物質の燃焼を強める性質を持つ塩が含まれているかもしれません。黄色い鉱石にも、燃えやすい成分が含まれている可能性があります。炭は、粒が細かくなるほど、袋や道具の隙間へ入り込みやすくなります」
「つまり」
エリシアが続けた。
「三つを近い場所で扱うと、何が起きるか分からないし、確かめること自体が危険であるということ?」
「はい」
ソーマは頷いた。
「分からないからといっても、作って確かめるべきではないと思います」
記録室が静かになった。
セラは光札の上で手を止め、ハンナは書類を押さえたままソーマを見ている。
フェルド老師だけが、すぐには何も言わなかった。
「お前は、何を知っている」
やがて、老師が低く問う。
ソーマの喉が詰まった。
正直には答えられない。
だが、知らないふりをして危険を見過ごすこともできない。
「前に読んだ記録から、です」
ソーマは答えた。
「名前は違っても、似た性質のものを一緒に扱って事故になった話がありました。詳しい方法は知りません。でも、近づけない方がいいと思いました」
嘘ではない。
前世で知ったことも、フェルド老師の書庫で読んだことも、ソーマの中では同じように重く残っている。
フェルド老師は、しばらくソーマの目を見た。
それから、短く頷いた。
「それで足りる」
老師は三枚の記録を、少しずつ離して置いた。
「危険なものは、分かってから避けるのでは遅い。分からんから離す。その判断ができるなら良い」
ソーマは、胸の奥にあった息をゆっくり吐いた。
「ですが」
ハンナが口を開いた。
「同じ運送組合を使っていたことだけでは、三つが一緒に運ばれたとは限りません」
「そうです」
エリシアも頷く。
「同じ日に、同じ荷車へ積まれた記録は見つかっていない。保管場所も別です」
「それでも、同じ荷車や道具が使い回されていた可能性はあります」
ソーマは言った。
「袋を持ち上げる鉤。荷を置く板。荷車の床。そういうところに、前の荷の細かな粒が残るかもしれません」
「残るかもしれない、ですね」
エリシアが確認する。
「はい。実際に残っていたとは、言えません」
ソーマは答えた。
炭の細粉を扱った時、袋の隙間から出た粒は、床や布へ静かに残った。
粗硝石の蔵では、壁際の湿気が袋の下へ伝わった。
材料そのものだけでなく、袋、床、壁、道具も条件になる。
それぞれの経験が、今になって一つの不安へ集まっていた。
「保管場所を分けるだけでは足りないのか」
ハンナが尋ねる。
ソーマは、少し考えた。
「足りない場合があります」
その言葉には、自分でも慎重になった。
「同じ蔵の中を板で仕切っても、同じ人が同じ道具で扱えば、別の場所へ細かな粒が移るかもしれません」
「では、何を分けるべきですか」
エリシアの問いに、ソーマは帳面を開いた。
白い頁へ、三つの見出しを書く。
《保管場所》
《扱う道具と荷車》
《記録》
「この三つです」
ソーマは言った。
「物を置く場所を分ける。扱う道具や荷車を分け、その使用記録も分ける。そして、記録の中でも、それらを同じものとしてまとめない」
オルセインが、細い指で帳面を指した。
「三つ目が、案外いちばん難しい」
「記録ですか」
「そうだ。書庫での分類が雑なら、倉での扱いも雑になる。帳面で《黒粉類》と一つにまとめれば、後の者はまた同じ箱へ入れようとする」
セラが、光札へ新しい分類を写し始める。
粗硝石には、白い結晶を模した記号。
黄色い鉱石には、斜めの線。
炭には、黒い丸。
ただし、色だけで分類するわけではない。それぞれの札には、保管番号、扱う時の注意、確認した日を記す。
「色だけでは駄目です」
セラが言った。
「薄暗い場所では、見分けにくくなります。触っても分かるように、札の形も変えます」
粗硝石用の札は、縁をまっすぐにする。
黄色い鉱石用の札には、片側に小さな段差を付ける。
炭用の札には、中央に丸い凹みを付ける。
ソーマは、その札を見た。
目で見れば似たものでも、触れば違う。
見分けるための工夫は、危険を遠ざけるための最初の道具になる。
午後、ソーマたちは北門の倉庫街へ戻った。
グランの炭問屋、粗硝石の蔵、かつて黄色い鉱石が保管されていた置き場を、同じ地図の上で確かめるためだった。
古い鉱石置き場は、今では木箱を修繕する工房になっている。
高い石壁は残っているが、かつて置かれていた荷はもうない。壁際には古い木の棚が残され、床には何度も張り替えられた板が重なっていた。
「三種類の荷が、同じ荷替え場を使ったのかもしれないんですね」
セラが言った。
「可能性としては」
ソーマは答えた。
「でも、記録がない以上、断定はできません」
その時、フェルド老師が、古い棚の下にある小さな木箱を見つけた。
蓋には、薄れかけた印が残っている。
運送組合の印。
そして、その下に、短い文字があった。
《荷替え用》
「荷替え」
ハンナが呟く。
木箱の中には何も残っていなかった。
けれど、荷車から荷を移す時に使われていた札や布、道具が入っていたのかもしれない。
ソーマは、空の箱を見た。
物が残っていないからといって、何もなかったとは言えない。
だが、空の箱だけで、危険なものが混ざったとも言えない。
「この箱が使われていた時期を調べましょう」
ソーマは言った。
「保管番号と、運送札の年を比べます。荷替え用の箱が、何に使われていたのかも」
「よい」
フェルド老師が答える。
「急いで結論へ行くな。危険を見つけたからといって、見えない事故まで作る必要はない」
ソーマは頷いた。
確かめるために、近づけない。
分からないから、分ける。
それが、今日の答えだった。
王立錬金院へ戻ると、エリシアは新しい保管記録の見本を作った。
保管物の名前。
保管場所。
扱う道具。
運んだ荷車。
点検した日。
そして、その道具や荷車が、別の保管物を扱った後にも使われるものかどうか。
欄は多い。
ハンナは、記録札を眺めて少し困ったように笑った。
「現場の人には、細かすぎると言われるかもしれません」
「全部を一度に書かなくてもいいんです」
ソーマは言った。
「最初は、置き場と荷車だけでも記録すればいい。あとから必要になった項目を増やせばいいんです」
「記録も、試験と同じですね」
エリシアが言う。
「いきなり完璧にはできない。けれど、何を見落としたかは残せる」
ソーマは、少しだけ嬉しくなった。
エリシアは、以前よりも言葉を急がなくなった気がする。
自分もまた、分からないことを前にして、前ほど慌てなくなっているのかもしれない。
その時、フェルド老師が窓の外を見ながら言った。
「次は、蔵で火を遠ざけることを考える」
「火を遠ざける」
「灯りを持ち込まない、というだけでは足りん。人が持ち込む火、熱を出す道具、乾いた布、作業の順番。蔵そのものが、危険な保管物へ火を近づけにくい形でなければならん」
三つを混ぜない。
火を近づけない。
危険なものを作らないために、作るべきものはまだある。




