3話 呪い
アルフレッドから目線を外したマナンは、
家の中を見回し、穏やかに笑った。
「……懐かしいですね。先生の家、昔と変わっていません」
「変える必要がないからな」
「えぇ、先生は昔から“必要なものだけあればいい”と言っていましたよね」
マナンは懐かしむように目を細めた。
その表情は柔らかいのに、どこか“温度”がなかった。
なんとなく……違和感を感じる。
だが、警報魔法は鳴っていない。
結界も破られていない。
つまり、マナンは敵意を持っていない。
なのに――
私の本能が“危険だ”と告げていた。
「先生?」
気づくと、マナンがすぐ目の前に立っていた。
距離が近い……いつの間に。
私は思わず一歩下がったが、腕を掴まれた。
「先生。先ほどの続きですが……お願いがあって」
「……なんだ」
マナンはにっこりと笑った。
「先生。僕と一緒に“魔人族狩り”をしてくれませんか?」
「……は?」
頭から冷水を浴びせられたような感覚に襲われた。
「な…何を言ってるんだ?」
慌てて聞き返すと、マナンは不気味なほど冷たい笑顔を見せた。
「先生も忘れていないでしょう?
奴らが…先生たち“エルフ族”に何をしたか…」
ドキリと心臓が跳ねた。
「……何の話だよ…それ」
後ろから、アルフレッドの震える声が聞こえた。
「おや?君は先生から聞かされていないのかい?
君たち“魔人族”が、昔先生たちに何をしたのか――」
「やめろ!」
私が叫ぶと、アルフレッドはびくりと肩を震わせた。
それでも、ゴクリと喉を鳴らし、マナンの話の続きを待っているようだった。
クスクスとアルフレッドを見ながら笑うマナンに、
私は鋭く睨みつけた。
「マナン…貴様いい加減にしろ…」
「フフッ…駄目ですよ先生。歴史はちゃんと教えてあげないと」
マナンはアルフレッドに向き直ると、
にやりと笑った。
「アルフレッド君。先生に代わって僕が歴史の授業をしてあげますよ」
「やめろ!アルフレッド!聞くな、聞かなくていい!!」
私の制止を無視し、マナンは静かに語り始めた。
「“魔人族”は、昔先生たちが暮らしていた“エルフ族”の村を襲って…
皆殺しにしたんですよ」
「………え?」
アルフレッドの顔が青ざめる。
マナンは続けた。
声は穏やかなのに、それが余計に恐怖心を煽った。
「ひどいですよね。そのせいで先生は目の前で親も、兄弟も、友人も…
すべて失ったんですから」
「“魔人族”が…先生の村を…?そんな…本当なの…先生?」
アルフレッドが震える声で私を見る。
私は言葉を失った。
その沈黙を、マナンは“肯定”と受け取ったらしい。
満足げにフッと息をつくように笑うと、さらに続けた。
「それだけじゃない。“魔人族”は今までも多くの村を、街を襲った」
目を見開き、固まっているアルフレッドに、
マナンは目線を合わせるように体を屈ませ、囁くように言った。
「君は何で“魔人族”だけが嫌われてるか、疑問に思ったことはなかったんですか?」
ねっとりと、アルフレッドを追い詰めるように。
「それは君たち“魔人族”が今まで人を欺き、奪ってきたからですよ」
「“魔人族”が…?奪った……」
「違う!!」
私はマナンの腕を振り払い、アルフレッドの肩を掴んだ。
「確かに…昔そういう事もあった。
だがそれは一部の者がやっただけだ!魔人族全員が悪いわけじゃない!」
そう言い聞かせるも、アルフレッドは唇を震わせ、完全に怯えていた。
私は歯を噛み締め、マナンを睨んだ。
「マナン!私は教えたはずだ!
“魔人族だから”と…種族だけで人を判断するなと!!」
マナンは静かに瞬きをした。
その目は、底が見えないほど冷たかった。
「えぇ…覚えていますよ。
でもね先生。結局“魔人族”は本能には逆らえないんですよ」
「……何を言っている」
「先生。あれを見ていればわかるでしょう?」
マナンはアルフレッドを指した。
「…あいつらは人じゃない。見た目通りの悪魔なんです」
マナンの目は憎悪の色で深く染まっていた。
「人を騙し、奪い、嘲笑い…己の本能のままに行動する。そんな奴らばかりだ」
言い終わると、フゥと息を吐き、
憎しみで濁ったままの目でにっこりと笑いながら言った。
「“魔人族”さえいなければ…この世は平和になる…そう思いませんか?」
なぜだ……マナンは……こんなことを言うような子ではなかった。
誰よりも優しく、種族など関係なしに誰とでも仲良くするような子だった。
なのに――
今目の前にいるこの“魔人族”に対して異常なまでの憎悪を見せている
この青年は……本当にあのマナンなのか……?
私が黙っていたからか、
マナンは小さくため息をつく。
「それに…」
マナンはアルフレッドに再び冷たい視線を送りながらも、
ゆっくりと口を開いた。
「先生…うすうす感じているんじゃないんですか。
あれが、どんどん自分の本能のままに行動するようになってること…」
アルフレッドが息を呑む。
私は慌てて否定した。
「……ちがう。違う!アルフレッドは!!そんなこと――」
「違わないですよ。
……見てたんです。
今朝からずっと……
先生が何かを作るために材料を集めてるところから、
先生が嬉しそうに鍋をかき混ぜるところから、
先生が窓を開ける前から、
先生が子どもたちに微笑む前から。
全部、全部見ていました」
見ていた……?
私は先ほど感じた嫌な気配を思い出した。
あれは……マナンだったのか……
「今は生意気なガキ程度で済んでますが…
こいつはそのうち本能のまま…
自分の欲望のまま…何も考えずに人を傷付けるようになる」
マナンは淡々と続けた。
「だから、その前に“駆除”するんです」
カチャリ。
マナンが胸元から銃を取り出し、アルフレッドに向けた。
ひっ、という子どもたちの小さな悲鳴が上がる。
「何をしている!やめろ!!」
私は子どもたちを庇うように前に出た。
マナンは私を見ず、銃口だけをアルフレッドに向け続けた。
「この世界には“必要なものだけあればいい”。
……いらないんですよ“魔人族”なんて…」
引き金に指がかかる。
私は反射的に魔法を放った。
閃光が走り、マナンが吹き飛ぶ。
それと同時に、ディープミストの魔法を発動させた。
部屋の中に白い霧が充満する。
「先生!!」
後ろから、子どもたちの怯えた声が聞こえ、
慌てて駆け寄ると3人を抱きかかえて
そのまま近くの部屋に逃げ込んだ。
鍵をかけたところで子どもたちを下ろしてやる。
恐ろしかったのだろう。3人はガタガタと体を震わせていた。
だが落ち着かせている時間はない。
私は暖炉の火を消し、奥に手を伸ばし、
自身でかけていた目隠しの魔法を解除する。
すると、隠していた部屋の扉が出てきた。
扉を開けると、急いで3人を押し込んだ。
「いいか、何があってもここから絶対に出るな」
「せ、先生はどうするんだよ!」
「私は大丈夫だ。マナンは…
アイツは“私には”敵意を向けてない。
とにかく絶対に出てくるな。いいな!」
そういうと扉を閉め、再び魔法で扉を隠す。
隠し扉の中は防護の魔法をかけている。
これで子どもたちは安全だ……
次に窓に駆け寄り、思い切り開け放つ。
次の瞬間、
轟音と共に部屋の扉が吹き飛んだ。
「…ッ、もう来たか」
静まり返った部屋に、
マナンがゆっくり姿を現した。
ギシッ、という足音がやけに大きく聞こえた。
「先生……、どうして邪魔をするんですか?」
その声は穏やかで、怒りも焦りもなかった。
ただ、静かに、淡々と。
その“静けさ”が、何より恐ろしい。
「お前こそ……なぜ私の生活を邪魔する」
「邪魔?先生は僕が邪魔だと…”必要ない”と言ってるんですか?」
「違う! そうでは――」
「そうですよね?先生!僕が邪魔なわけないですよね?」
マナンは一瞬だけ、十年前の無邪気な笑顔を浮かべた。
だが、窓が開いているのに気づくと、その笑みはすっと消えた。
マナンは私の横を通り過ぎ、窓の外を覗いた。
「あぁ…やっぱり。
先生、窓から逃がしてしまったんですね」
その声は、氷のように冷たかった。
「まぁいいです。
外には僕の仲間が待機してますから。
すぐに見つけて殺してやりますよ。あんなガキ」
「どうして…なんでそこまで…」
マナンはゆっくり振り返り、私を見つめた。
その目は――まっすぐで、揺らぎがなく、そしてどこか狂気じみていた。
「先生。僕は……ずっと考えていました。
先生の教えを、この世界に広める方法を」
「……私はそんなことを望んでいない」
「いいえ。先生は望んでいます。
“差別のない世界を”
“争いのない世界を”
“愚かさに支配されない世界を”
先生は、いつもそう言っていました」
「それは……理想論だ」
「理想を現実にするのが、愛弟子の役目です」
マナンは微笑んだ。
その笑みは、もう十年前の優しい少年の面影は一切なかった。
「先生。僕は気づいたんです。
世界を変えるには……“力”が必要だと」
胸が冷たくなる。
「……お前、まさか」
「はい。だから僕は兵士になりました。
先生の教えを“正しく広めるため”に」
マナンは胸元から、黒い金属の札を取り出した。
そこには――
“特級殲滅部隊”
の文字。
「お前……兵士になっていたのか……」
震える声でそう尋ねたが、
マナンは答えず、ただ目を細め、笑顔を見せた。
「先生。僕は今日、任務で来ました」
「任務……?」
「“魔人族の掃討”です」
空気が凍りついた。
「……ふざけるな。あれほど愚かな政策はないと――」
「だからこそ、先生に来ていただきたいんです」
マナンは一歩近づいた。
「先生がいれば……亜人種も、獣人族も、竜種も……
みんな従います。
先生の言葉なら、誰も逆らわない」
「……ッお前は、私をなんだと思っている」
「“世界を正す者”です」
マナンの声は震えていた。
興奮か、狂気か、信仰か――判別できない。
「先生。どうか……僕と一緒に来てください。
先生の教えを、この世界に広めるために」
「断る。
私はそんなもの手伝わん。
くだらないことはやめろ!」
マナンの表情が、ゆっくりと崩れた。
「……どうしてですか」
ゆらりと立ち尽くすマナンに、私は言い聞かせるように言った。
「私は、誰かを従わせるために教えたわけではない。
ましてや、種族を排除するためでもない」
「先生は……わかっていない」
マナンの声が低く沈む。
「先生の教えは……“正しい”んです。
だから、広めなければならない。
先生が拒むなら――」
その瞬間、警報魔法が頭に鳴り響いた。
まずい―
咄嗟に手を伸ばした。
「マナン――」
私が声をかけるより早く、
パァン。
乾いた音が響き、腹部に衝撃が走った。
キーンとひどい耳鳴りがして
ぐらりと視界が揺れた。
床が迫る。
……撃たれた?
不思議と痛みはなかった。
ただ、自分の身体から何かが溶け出していくような。
喪失感があった。
「―――。」
耳鳴りの中、マナンが何かを言っている。
聞こえない。
ふと、マナンの視線が暖炉の方へ向いた。
その先に――
ティア。
ジェローム。
アルフレッド。
三人が、泣きじゃくりながら立っていた。
……馬鹿者。
出るなと言っただろう。
動こうとするが、身体が動かない。
マナンが銃口を子どもたちに向けた。
アルフレッドが震える手で魔法を構える。
やめろ。
やめるんだ。
声が出ない。
このままでは――
私の生徒が死ぬ。
私は最後の力を振り絞り、古代魔術を発動させた。
魔法陣が床に広がり、光が走る。
マナンが目を見開き、何か叫んでいる。
だがその声は聞こえない。
私は構わず魔法陣を展開し続けた。
口の中に血の味が広がる。
意識が遠のく。
……あぁ。私はここまでか。
ならば――置き土産だ。
私のすべてをもって、この世界に呪いをかけてやる。
マナンに。
こちらに向かおうとしている兵士たちに。
そして――
私の生徒たちに悪意を向けるすべての者に。
――呪いを刻む。
“豹王の逆咬呪”
魔法陣が眩い光を放ち、
次の瞬間――
マナンに。
兵士たちに。
この世界の全員に。
同じ“呪詛”が刻まれた。
その一瞬。誰かの苦しむ声が聞こえた気がした―
耳鳴りが止み、静寂が訪れる。
視界の端に、小さな影が飛び込んでくる。
ティア。
ジェローム。
アルフレッド。
三人が泣きながら私に駆け寄る。
その時になって、私は気づいた。
……あぁ。
私はまだ――死ねない。
……死にたくない。
視界が歪み、
意識が闇に沈んでいった。




