2話 愛弟子
再び煙草を吸おうとした瞬間、ぞわりと悪寒が走る。
咄嗟に外に目をやる。
いつも通り変わらない風景だ。
振り返っても、部屋には自分一人しかいない。
目を閉じ意識を集中させると、
かすかに外から憎悪や怒りといった負の感情のような……
……いや違う……これは……羨望……?
いずれにしても、ぞわぞわと背筋が落ち着かない。
不快な感情がこちらに向けられていると感じた。
ここには私が作った結界魔法で、
私に敵意を持つようなものや、
魔物のような危険なものは近づくことができない。
だとしたら……これは何だ……。
まるでこちらを獲物として見られているような、
今までに感じたことのない感覚に、額に汗が滲む。
「先生?」
ふいに後ろから声をかけられ、肩が跳ねた。
振り返ると、アルフレッドが不思議そうな顔をして立っていた。
「先生、どうかしたのか?
さっきよりも顔色が悪い……本当にゾンビみたいだぞ……?」
アルフレッドは私を揶揄うのではなく、
本気でこちらを心配している様子だった。
……確信もないのに、
“何かに見られているような気がする”などと言って
不安な思いをさせるのは望ましくない。
何か誤魔化さなければ……
思考を巡らせていると、
ふいにさっき作ったシチューが入った鍋が視界に映った。
気づけば考えなしに言葉を口にしていた。
「いや…………なんてことはない。
この鍋の利用方法について考えていたのだ」
本当はこんなもの利用するつもりもないが……
ちらりとアルフレッドに目をやると、
哀れみが込められているような……
なんとも腹が立つ顔をしていた。
「先生……あんな失敗作、
何かに使うつもりなのか?
俺はやめた方がいいと思う……
先生まじで捕まるよ……」
「失敗作ではないと言っているだろう!」
アルフレッドには「はいはい」と適当に流される。
「ほら……もう教材も運んだし、教室の掃除も終わったぞ。
後は何かある?先生?」
咄嗟についた言い訳だったが、
こんなガキにすげなくあしらわれるとは……
非常に腹立たしい。
だが、我慢だ。
自分を落ち着かせるために、
短くなった煙草を口に当てると、深く吸い込んだ。
ふぅーと怒りの感情も追い出すように煙を吐いた。
落ち着いてから改めて意識を集中させると、
先ほどの気配は消えていた。
……だが簡単に警戒は崩す私ではない。
この世界では、そういったものから死んでいく。
かつての同胞のように……
私は念のため、侵入者を知らせる警報魔法の発動に合わせ、
家の内外に二重の結界を張った。
「アルフレッド」
名前を呼ぶと、首を傾げ「なんだよ」と警戒したような声を出した。
私は近くに置いていた灰皿に煙草を押し付けながら言った。
「こんな時間に来たんだ。
どうせ朝食は取ってないのだろう。
朝食の準備を手伝え」
そう伝え足早にキッチンへ向かうと、
アルフレッドは短くため息をつきながらついてきた。
キッチンで今朝取った卵を手に取り、
何を作ろうか思案していると、
横からアルフレッドの手が出てきて
私の手から卵を奪った。
「おい――」
なぜ邪魔をする。そう文句を言おうと隣に顔を向けると、
妙に真剣な顔をしたアルフレッドが立っていた。
「俺が作るから先生は何もしなくていいよ」
そう言うと、アルフレッドに背中を押され
部屋から追い出されてしまった。
バタンと扉を閉められた。
一人廊下で立ち尽くした。
「…………パンぐらいなら私にも温められるのだが」
その呟きは誰にも届かなかった。
――
―
しばらくして、
テーブルの上には、
程よく焼けたパンに、チーズとハム。
そして甘い香りがするスクランブルエッグに
ブドウやリンゴといったフルーツが並んでいた。
「頂きます」
「いただきまーす」
「いただきます」
私と兄妹が席につき手を合わせ、食前のあいさつをする。
「どうぞ、召し上がれ」
アルフレッドは自分の席につきながら、
そう言うと嬉しそうな表情をしていた。
食事を始めるとティアとジェローム兄妹は
次から次へと口いっぱいに頬張っていた。
机にボロボロとパンくずが落ちる。
「おい……もう少し行儀よく食べれんのか。
全く……道徳の授業の次はマナーについての授業をすべきだな……」
ブドウを一粒口に入れむぐむぐと食べていると、
横から冷たい視線を感じ、ちらりとアルフレッドを見る。
なぜか黙ったまま、じーっと生暖かい目で見つめてきた。
「なんだ…何か言いたいことでもあるのか」
そう言うと、アルフレッドは視線を戻し
パンを一口サイズにちぎって口に入れた。
「いや…………あんな得体のしれないものを
生徒に食べさせようとしていた人に
これから道徳の授業されるのか……と思って」
慌てて言い返そうとすると、ヒュッと喉が鳴ってしまい
ブドウの果汁が器官に入ってしまった。
ゴホゴホとむせ返っていると、
目の前に座るティアが心配そうに首を傾げた。
「せんせーだいじょうぶ?」
「ゴホッ……ゴホッ…うぐっ……だ、だいじょうぶだ……」
生理現象で出た涙をぬぐいながら
アルフレッドを睨む。
「ごめん先生。図星ついちゃって」
悪びれる様子もなく、アルフレッドは
しれっとした顔で食事を続けていた。
こいつは本当に、日に日に生意気になっていくな……
その時
コンコン、と玄関の扉が静かに叩かれた。
「……誰だ」
さっきの妙な気配がまだ尾を引いていたせいか、
思わず警戒した声が出てしまった。
しまった、と思った時にはもう遅い。
見渡すと、子どもたちが不安そうにこちらを見ていた。
今朝からどうも失敗続きだ……
「いや、誰か尋ねてきただけだ。お前たちはここにいなさい」
安心させるためにそう伝えると、アルフレッドが小さく頷き
「わかった……」と返事をした。
私はそのまま席を立ち、玄関へ向かった。
玄関ドアの前に着くと
扉の先を睨み、警戒しつつ声をかけた。
「誰だ」
するとすぐに返事が返ってきた。
「先生、おはようございます。僕です。マナンです」
「…マナン?」
思ったより情けない声が出てしまった。
咳払いをして扉を開けると、そこには懐かしい顔があった。
「先生!お久しぶりです」
綻んだような笑顔。
十年前と同じようで、しかしどこか違う。
マナン。
人間だが、私の教え子の中でも最も優秀で、
最も私の教えを理解していた
――愛弟子。
久々の再会に、思わず表情が緩む。
「……久しぶりだな。十年ぶりか?」
「はい!本当はもっと早く来たかったんですけど、色々ありまして……」
歯切れの悪さが気になったが、それ以上に懐かしさが勝った。
そうか、ついこの間まで少年だったが……
10年でこんなにも成長するのか……
本来、成長は喜ばしいことのはずなのだが、
なぜか大人の顔になったマナンを見ると、心がざわついた。
「……先生?」
マナンに名を呼ばれ、顔を上げると
不安そうに眉を下げながら、
私の顔を心配そうに覗いていた。
少し戸惑ったが、改めて再会を喜んだ。
「なんでもない。マナン。よく来てくれたな」
そう言って肩に手を置くと、マナンは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「しかし、なんでまたこんな朝早くに…?」
そう尋ねると、マナンは一歩近づき、真剣な目で私を見つめた。
「先生。実は今日はお願いしたいことがあって」
「ん?お願い…?」
マナンが口を開きかけた。
その瞬間――
背後から、子どもたちの気配がした。
「……先生?」
アルフレッドの声だ。
振り返ると、三人が不安そうにこちらを見ていた。
マナンもそちらに目を向け、優しげに微笑んだ。
「あれ?あの子達は、先生の今の生徒?」
その笑顔にティアとジェロームは少し怯え、
アルフレッドは警戒するように睨んだ。
マナンは穏やかに笑ったまま、私に視線を戻す。
「あ…あぁ、紹介しよう。
3人とも私の生徒で…ティアとジェローム。
それからアルフレッドだ」
アルフレッドを見ると、
ピクリとマナンの表情が一瞬固まったように見えたが、
すぐに笑顔に戻った。
「…そう。初めまして。僕も先生の生徒の一人…君たちの先輩だね。
マナンだ。よろしく」
マナンが挨拶をしても、3人は変わらぬ態度をとっていた。
……もしかして、緊張してるのか?
「おい、お前達も挨拶をしないか」
そう声をかけると、兄妹はぽつりぽつりと挨拶を始めた。
「………ティア…です…」
「ジェロームです…はじめまして…」
二人の挨拶にマナンは目線を合わせるように身を屈み、ニコリと笑いかけた。
「初めまして。豹型の半獣人なんだね。
珍しい…立派なお耳だね」
耳を褒められたのが嬉しかったのか、
二人とも顔を赤らめながらはにかんだ。
一方――
アルフレッドは、いまだにマナンのことを警戒しているようで、
睨んだまま黙っていた。
「……アルフレッド」
私は諌めるように声をかけると、
ようやくアルフレッドは「……どうも」とぶっきらぼうに一言だけ返した。
また、こいつは生意気な態度ばかり取って……
気分を害していないかと、ちらりとマナンの様子を見ると。
マナンは目を細め、品定めするようにアルフレッドを見つめていた。
「へぇ…話には聞いていたけど…本当に魔人族を生徒にしてたんですね…」
その言葉は、どこか歪んで聞こえた。
胸の奥に、嫌な予感が広がる。
私は気づいていた。
マナンの目に宿る光が、十年前とは違うことに。
だが――
この時の私はまだ、その意味を理解していなかった。




