5皿目『泥棒 と お好み焼き』
「親父さん、カレー粉なんてあったりしないかな。」
商店街の片隅にあるお好み焼き屋で、俺は店主にそう問いかけた。
「なんだい、カレー粉だって?うちお好み焼き屋だよ?ある訳ねぇべさ!」
お国訛りの抜けない、家の親父と同年代と思われる白髪交じりの店主はぶっきらぼうにそう応える。
久し振りの帰省。
故郷にある企業に就職も決まり、大学生活最後の冬休みに実家へ帰ってきた。
決して家族仲が悪い訳ではないが、都心でだらけた一人暮らしを送った若者と、田舎で古き良き時代をそのままに生きる両親の生活スタイルがかみ合わないのは仕方がない。
それでも一週間はなんとか努力したが、戻せないペースに抗うよりは、両親のストレスを増やさない方向へ舵を切った方が賢く思えた。
食事も、なんとなく空気の重い実家で食べるよりは、かつては知る事ができない世界だった商店街の飲食店を開拓しつつ摂った方が面白い。
少ない予算ながらも5回目の外食を決め込んだ今日は、佇まいの割に青々としたのれんに白字で『ヒデ』と書かれたお好み焼き屋に足を踏み入れた。
カウンターに置いてある、若干油っぽいメニューを手に取り、何を頼むか少々逡巡する。
ちょうど女将さんが後ろを通りがかったタイミングで、ビールと豚玉、そして軽くつまめるものをと『泥棒キャベツ』を注文した。
キャベツにごま油に塩と化学調味料が振りかけられた「泥棒キャベツ」をつまみつつ、目の前で店主が焼いてくれる豚玉の仕上がりを待つ。
時折派手に音を立てる鉄板をぼーっと眺めながら、少々不穏なネーミングのキャベツの名前の由来を考えた。
生のキャベツが何故泥棒なのか。
ハッキリと濃い味がするわけではないが、キャベツを食べる手が止まらない。
口の中に塩味のある食べ物が入ると、自然と飲み物が進む。
「すんません、ビールおかわりください。」
・・・なるほど、そういう事か。
確かにこれは『泥棒』の名にふさわしい。
実に安直なネーミングに気が付いた時に、ふと懐かしさがこみあげてきた。
「泥棒、か。」
程なく届いた二杯目のビールをぐいっと煽って、かつての友とその友と仲良くなった出来事に想いを馳せる。
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小学生5年生の春。
仲の良い友達はこの春のクラス替えで全員別のクラスに振り分けられてしまった。
勉強が出来る訳でもなくスポーツも苦手だった俺は、クラスの中で少々浮いていた。
このまま卒業までクラス替えはない。
暗澹たる気持ちとはまさにこの事かもしれない。
客観視すれば、どんくさい俺の周りにクラスの陽キャ達が集まってくるわけもない。
GWが明けた頃、何がきっかけだったか覚えていないが、ちょっとした嫌がらせが始まった。
机に落書きをされる、学用品を隠されるといった精神的な攻撃は結構つらい物があった。
時代は昭和の真っただ中。親や担任に打ち明けたところで「そんなことで」とあしらわれるのが関の山。
誰に打ち明ける事も出来ずに、毎日どんよりとした気持ちで登校していた。
同じクラスにはボス猿と揶揄される程の暴れん坊がいる。
小学校に入学したころから「あいつはいじめっこだ」と言うレッテルを貼られているようなやつだ。
今起きている嫌がらせが、ボス猿を刺激する引き金にならない事を祈るばかりの毎日だった。
7月も中旬に差し掛かろうとしたある日、まるで学園ドラマの定番のような事件が起こった。
給食費の他、秋の運動会用におそろいの鉢巻きを作る為に学級委員長が集めていたお金の行方が解らないというものだった。
もちろん犯人は自分ではないのだが、どういう訳だかクラス中から『泥棒』と呼ばれるに至り、とうとうボス猿を目覚めさせてしまったのだ。
「おいお前、泥棒なんだってな?」
猿の一声で昼休みに唐突に始まった糾弾会。
違う、と全力で否定したところで身の潔白を証明するものは何もない。
潔白を証明できないという事は、犯人である可能性は拭い去れないという事でもある。
しかし、それは俺だけに限った話ではない。
泥棒なんだってな、と言ってのけたボス猿からしても、そのしもべ達にしても、その立場は変わらないはずである。
どこからともなく「調べろ」と言う声が上がる。
ボス猿のしもべたちは実に慣れたチームプレイで俺を羽交い絞めにした。
クラスメイトが一斉に俺の持ち物を床に広げ始める。
正確にはぶちまけているだけだったが、無くなったお金を探すというのはただの言い訳に過ぎない。
要は、同調圧力に負けた猿たちが自分の立場を悪くしないように振舞っているだけだ。
机の中、ランドセルの中、ロッカーの中。
すべての荷物をぶちまけても、お目当ての物は出てこない。
出てくるわけもないが、この理不尽をどこで止めたら良いのか、当人たちも解っていない様子だった。
こうなると、行動はエスカレートする。
シャツを脱がされ、ズボンも脱がされる。
そこまでくれば、その先に数万円が入った封筒など隠し持っていない事は明らかであるが、そんな事もお構いなしに手をかけてくる。
女子もいる教室で素っ裸にされるなど、以ての外だ。
ここまでは大人しくしていた俺も、さすがに力任せに暴れ始めた。
思っていたよりもすんなりと羽交い絞めから逃れる事ができた。
まずはしもべたちを押し倒す。
意外にも、しもべたちからの抵抗はない。
そうと解れば次のターゲットはボス猿だ。
傍から見ればかなり滑稽だったかもしれない。
ブリーフだけを身に着けた児童がボス猿に食って掛かっている。
最初の一発、次いでの二発。
拳が見事にボス猿を捉える。
続けざまに三発目、四発目をお見舞いしたところで、ボス猿から反撃を喰らう。
「ガッッッ」
頬に強烈なビンタをお見舞いされた。
カウンターとも呼べるタイミングで繰り出された平手打ちに、体が飛ばされる。
うずくまっているとボス猿が近寄ってきてこう言い放つ。
「そろそろセンコーが来るから服着ろ。」
あまりに一方的な主張に忸怩たる思いではあったが、こちらもただやられていた訳ではない。
仕返しとまではいかないが、自分なりに抵抗する事ができて、なんだかスッキリした。
強くなろう。
そう心に決めるのに、十分な出来事だった。
夏休みまでの残りの数週間は何があっても負けないと誓う。
そう意気込んだものの、以降夏休みに入るまでしもべ達からの若干の嫌がらせこそ続いたが、ボス猿からの直接的な被害はなかった。
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夏休みの間は、柔道を習う中学生の従兄弟にくっついて週に三回程道場へ通った。
母親はどういう心境の変化なのかといぶかしんだが、自発的にスポーツを始めたいという子どもの気持ちを尊重する事にしてくれたようだ。
ここで、様々な事を学ぶ。
力任せに抵抗しても、技術の前ではほとんど意味がない事。
逆に、怒涛のように押し寄せる圧倒的な力の壁にも、冷静に立ち向かっていけば活路が見いだせる事。
そして、この技術は己の為に使うべきではない事などだ。
「君たちは人を殺したいか?」
一歩間違えば大問題になりそうな教わり方をした気もする。
実際、この一言を聞いた初参加の児童の保護者のうち、幾人かの顔はキッと厳しい物になっていた。
ところが、この強烈なフックはこの競技に携わるうえで、非常に重要なセリフでもあった。
人の体は丈夫に出来ているようで、いとも簡単に壊れてしまう。
怪我とは常に隣り合わせ。
ちょっとした怪我ならまだしも、骨折やその後の生活に支障を来すような事も遠い世界の話ではない。
何よりも、元々は殺人術である柔術をスポーツに仕上げたのが柔道である。
時代と共に安全に配慮されるようになりつつあったとは言え、一歩間違えれば「人は簡単に死ぬ」と言う事を強い口調で何度も言われる。
それが故に、技術をしっかりと学び、武道に携わる人間としての心構えをしっかり身に着ける必要があるとの事だ。
正直に言えば稽古はかなりきつい物だった。
徹底した走り込みに始まり、床を這いつくばったりしゃがんだ状態でカニ歩きをしたり。
『お前ら全員クモになれ』の合図でクモになりきって鬼ごっこをしたかと思えば『ヘビになれ』の合図で手足を使わずにレースをする。
それらが終わると受け身の練習だ。
ただひたすらに、ビタン!バタン!ドスン!と畳の上に倒れこむ。
不可抗力ではなく、自らの意思で体を畳にぶつける行為は勇気が必要だったが、人間何事にも慣れるものだ。
受け身の練習が終わってようやく相手を目の前に技の練習が始まる。
技の種類によって『1,2,3』だったり『1,2,345』だったり『12,34、5』だったりとリズムは様々であった。
そのリズムに合わせて教えてもらった通りに相手に技をかける。
これが面白い物で、教えた手順通りに出来ると相手がどんなに大きくても、例えそれが大人相手であってもすんなりと投げたり倒したりすることが出来た。
終盤に行われる、実戦形式の乱取り稽古は実にマルチタスクだ。
相手に技をかける為に相手の体勢を崩す。
うまくバランスを支配出来ればこちらの技がかけられるが、相手側でも同じ事をしているので簡単にはいかない。
なんとか上手い具合に技をかける事が出来ても、その技で安全に相手を倒せるかどうかを判断しながらの攻撃になるし、逆に攻撃された場合は自分の身を正しく守る為にどう受け身を取るかを考えなければならない。
狭い道場で20組ほどの人間が技を掛け合う練習をしているとなれば、他のペアとぶつからないように、目の前の相手だけではなく後方や左右に居る他の道場生たちの動向を目の端で追う必要もある。
初心者である自分は何度も他の道場生に迷惑をかけた。
しかしながら、練習を重ねていく中で少しずつその回数も減っていき、いつしか、下級生との乱取りでは上級生として危険の無いようにしなければならないという気遣いが出来る程度には成長していた。
『夏の大会』と言う名の、近隣の道場同士の交流会にも何度か足を運び、幾度か試合も経験した。
勝つよりも負ける事の方が圧倒的に多かったが、試合場に出てしまえば自分を守るべき他者の存在はない。
この『自分で何とかしなければならない』という孤独な経験が、自分の中に確かな芯を作っていった。
「試合と言うのは、稽古の成果を"試し合う"事だ。勝ち負けはあるが、それ以上に大切なのは自分自身を正確に評価する事である。」
強くなると言うのにも様々な形がある。自分が弱い人間だと自覚する事もまた、強くなる為には必要な事だ。
ほとんど柔道漬けだった夏休みはあっという間に終わりを迎え、新学期が始まる。
俺は意気揚々という状態を通り越して、鼻息荒く登校した。
この日は始業式と夏休みの宿題の提出だけと言う、今の子ども達が聞いたらちょっと羨ましがるような、実にあっさりとしたものだった。
昇降口で靴を上履きに履き替える。
夏休み中、自分より強い者達と体をぶつけあった経験は、教室へ向かう足取りさえも自信に満ちた物にしてくれた。
3階建ての校舎の2階、廊下の奥から数えて二番目にある、5年2組の教室。
陽キャは前の、陰キャは後ろの扉から出入りするという暗黙のルールがあり、夏休み前の俺は後ろの扉を使うのが日課だった。
しかし、今日の俺は敢えて前の扉から、クラス中に響き渡るような大きな声で「オハヨー!」と半ば叫びながら入室した。
俺の挨拶に返事を返す者はいない。
返事を返してしまえば、ボス猿のしもべによるイジリのターゲットになりかねないからだ。
その気持ちが痛いほど解っていた俺は、特に気にする事もなく自席に荷物を下ろす。
何か嫌な事をされたらその場でやり返してやろうと心に決めていたが、少々勇み足だったようだ。
それどころか、クラスの中の空気感がなんとなく違うように感じる。
ボス猿にしても、しもべ達にしても、その存在感がぐっと薄まっているようにすら思えた。
9月に入ったとは言え、まだまだ外は暑い。
どうして、始業式というイベントで校長の長い話を聞く為に全校児童が校庭に整列し、貧血の恐怖に怯えなければならないのか。
案の定、遠くからバサッと人が倒れる音が聞こえた。今日の大演説は10分か15分か。
午前中も浅い時間に帰れるとは言え、炎天下でたいして面白くもない話を聞かされるのは拷問に近いものがある。
3人目が倒れる音が聞こえた頃、校長による名演が終了する。
内心ホッとしたが、露骨にそれを顔に出すのは良くない。
いつだったか、上級生が「あ~やっと教室に戻れる!」と気を抜いて大きな声で叫んだ後、校庭にパチン!と乾いた音が響いた事がある。
余計な事は言うべきでないと言う教訓にはなったが、あのセリフは全児童の心の叫びでもあった。
教室に戻った後は、担任から夏休みの宿題を提出した者から帰って良いとお達しがあった。
算数のドリル、漢字の書き取りノート、読書感想文、絵日記、絵画、自由研究など、宿題の類は多岐にわたるが、教壇まわりや廊下には長机がセットされ、児童一人一人が各々の宿題を決められた場所へ置いていく。
炎天下の演説の余波で、クラス内の雰囲気が変わったように感じた事などすっかり忘れていた俺は、他の連中同様、少しでも早く帰路に着くべく宿題提出の列に並ぶ。
ふと、視線を感じて振り向くと、イメージとは裏腹に行儀よく列に並んでいるボス猿が居た。
目が合うと、真っ黒に日焼けした顔でニッと笑い
「おー、泥棒!学校終わったらちょっと付き合えよ。」
と、脅しとも誘いとも取れない、絶妙に断りにくいトーンで凄まれた。
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宿題の提出を終え、帰り支度を整える。
ボス猿は2分程前から後ろに張り付いたままだ。
どうやら、ごまかして先に帰るという訳にはいかないらしい。
帰り支度が出来たら、お互い無言のまま昇降口まで降りる。
正門を出たところで、ボス猿がようやく口を開いた。
「あのさ。」
正門から自宅までは徒歩20分。
15分程歩いたところの十字路でボス猿は左に、そして俺は右に向かって帰るはずだったが、今日は促されるままボス猿にくっついて歩いていく。
衝撃だった。
同時に、自分の勝手な思い込みでボコボコと殴った事を激しく悔いた。
ボス猿のセリフを丁寧に反芻していけば、確かに彼に非などない。非が無いどころか、彼は立派な犠牲者だ。
「でもさ、それならそれで、そう言ってくれればよいのに」
「いやぁ、だからさぁ。なんか、学校で俺が何言っても、みんなビビっちゃってちゃんと聞いてくれないんだよ。」
小学校に入学してまもなく、ひとつ年下の、当時年長児であった弟が公園で小学校2年生との遊具の奪い合いに負け泣いていたところに出くわした。
競り合いに負けて泣いているだけなら、そういう事もあると放っておくつもりだったようだが、その後も勝ち誇った2年生が砂をかけたり罵声を浴びせたり。
決定的だったのは『消えろ!チービ!!』と言いながらぺっぺっと唾を吐いた事だったらしい。
「あんときゃキレたね。弟守んなきゃ!ってさ」
年上である事は後々になって知ったそうだが、加減と言う物を知らない小学1年生の暴れん坊が、明確に相手を打ち倒す意思をもって力任せに暴れたらどうなるか、それは容易に想像がつく。
大きな怪我には至らなかったそうだが、全身に青あざだらけ、露出していた肌と言う肌は擦り傷で真っ赤になり、お互いのシャツは鼻血で真っ赤っかだったそうだ。
双方の様子から、決して一方的なものでなかった事はすぐに明らかになったが、原因を作った方の保護者がPTAの役員だったことが災いした。
「うち、父ちゃんいないからさ・・・」
母子家庭であるというだけで、躾がなってないというレッテルを大人たちが容赦なく貼り付ける。
寂しそうに語るボス猿の印象は、この時にはいじめっこからヒーローに変わりつつあった。
日を追うごとに、そして学年が上がるにつれて、粗野で狂暴であるという評判だけが独り歩きしていた。
上級生に目を付けられることも一度や二度ではなかった事も、その評判を広める要因の一つであろう。
「だけどさ、自分が気に入らねぇって言う理由でケンカした事なんて一回もないんだぜ?」
あの日もそうだ。
給食費と鉢巻き代が急に消えた件については、ボス猿も何か思う所があったらしい。
そこで話をしようと俺に近づいたのだが、その様子を見ていた"勝手にボス猿を神格化して、勝手に恐れているしもべ達"は、今こそ手を出すべきタイミングだという合図として認識してしまった。
どうせ、何を言っても恐れをなして誰も話を聞いてくれないという諦めもあって、その後は静観していたそうだが、勘違いしたブリーフ一丁の俺に殴られ、これ以上騒ぎを大きくしても仕方ないとボス猿なりの方法で治めただけなのだ。
勝手な勘違いで殴ってしまった俺と、勝手にしもべを気取っている奴らがやった事であると言うボス猿。
申し訳ない事をしたと本気で謝る俺に、まぁまぁこっちも叩いておあいこだから気にしてないと言うボス猿は
「そもそも、あいつらだって俺とほとんど話した事ないのにな・・・」
と、ぼやいていた。
そんなこんなで、いつもは退屈でしかない下校の時間に双方の誤解が和解に変わった頃、ボス猿の家の前に到着する。
そこには、古い町営住宅が数件立ち並んでいた。
子どもなりの配慮で口にこそ出せなかったが、はっきり言ってその佇まいはボロい。
窓から見える障子の下半分は障子紙がまともに貼られているところはなく、網戸も半分ほどは外れて垂れ下がっている。
庭・・・と呼んで良いのかかなり微妙ではあったが、そこには錆びた自転車が数台。
エアコンの室外機が一台見えたが、朽ちた縁台や樋に絡んだ蔦のせいで壊れているようにしか見えなかった。
「それでさぁ・・・相談があるんだけど・・・」
ボス猿がまるで子ザルのように縮こまった様子でこちらをうかがっている。
「え!?ななな・・・なに??」
お金なら持ってないけど・・・と言いかけたところで、再度、衝撃的な告白を受ける事となる。
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泥棒キャベツは4杯目のビールを前にようやくその姿を消す。
そしてタイミングを見計らったかのように、目の前には熱々の豚玉がおかれた。
温められた鉄板の上で鰹節が踊っている。
同時に青のりの香りとソースの香りが強烈に鼻孔をくすぐる。
なんて贅沢なんだ。
見るからにふわふわの生地に豚肉も青ネギもたっぷりと使われている。
お好み焼き本体だけでも高さは5センチほどになるのではないだろうか。
テカテカと光るソースの上には格子状にかけられたマヨネーズ。
そして、先ほどから食欲を刺激して止まない青のりの磯臭さと、まるでお祭り騒ぎのような鰹節。
アルコールとキャベツでお好み焼きを迎え入れる準備は万端だ。
まずはコテを使って大きなお好み焼きを食べやすい大きさに割っていく。
はやる気持ちを抑え、ビールをもう一口。
口も喉も再度整えたところで熱々のお好み焼きを口に放る。
「あつ・・・あっ・・・ホフホフ・・・」
遠くから、熱いんだから気を付けて!と言う女将さんの声が聞こえる。
有難い気遣いではあったが、残念ながらもう手遅れだ。
かつて食べたペラペラのお好み焼きとは違う。
プロの手による本物のお好み焼き。
程よい柔らかさの豚肉がまたジューシーに仕上がっていて、生地にその旨さがにじみ出ている。
「あのさーおやっさん」
カウンターの端で一人枝豆をつまんでいる常連客が店内のテレビを見つめたまま声をあげる
「・・・なんだい、タケちゃん」
きゅーっとジョッキに氷のたっぷり入った水を飲み干してから店主が応える。
「駅前の屋台のさ、お好み焼き食べてみた?」
「いやいやいや、テキヤのクソガキが作ったお好み焼きなんて食べる訳ねぇべさぁ!」
「そう言うけどさ、意外と美味しいんだよ。カレーの風味がしてさぁ。」
もちろん、おやっさんのが一番旨いという世辞を忘れなかったようだが、そのセリフが旧友への想いをより鮮明にした。
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翌日の放課後。
ボス猿と共に職員室のドアの前に並ぶ。
コンコンとノックし入室。
二人一緒にほとんど叫ぶようにクラスと名前を伝え
「担任の先生に用事があってきました!」
と言うセリフはソロで奏でた。
担任は何やら難しい顔をして自席に座っている。
もう、恐る恐るとしか言いようがない俺たちを見て何かを察したのか職員用の会議室に連れ出された。
「なんだ、お前ら。仲良しだったのか?」
規模の割に輪郭がはっきりとしているカーストのトップに君臨するボス猿と、底辺のしかも端の端と言う所に位置する俺の組み合わせでは、担任がそう思ったのも不思議ではないだろう。
椅子に座るように促され、まずは俺から口を開く。
「あの、先生。これから、本当の事を話すので、どうかこいつを怒らないでください。」
「なんだ、どうした。内容次第では約束はできないが、まぁ言ってみろ。」
俺は可能な限り丁寧に担任に説明する。
学校帰りに正門近くに落ちていた茶色い封筒の事。
中には数万円の現金が入っていた事。
落とし主がまだ手の届くところにいたので声をかけるも、なぜか怯えられて逃げられた事。
すぐにでも職員室に戻るべきだったが、その日は母親が不在でどうしても一番下の妹を迎えに保育園に行かねばならなかった事。
翌日に報告しようと担任に声を掛けたが『忙しいから後にしろ!』と邪険にされた事。
やがて、封筒が無くなったのではなく、誰かに盗まれたと言う風潮になってしまった事。
その後も何度も何度も封筒を届けようと思ったが、家庭環境があるので自分の言い分は信じてもらえそうにない事。
そして、盗むつもりもそれを隠し通すつもりも一切なかった事。
担任は黙ってうなずいていたが、やがて口を開く。
「なぁ。」
鉄拳制裁を覚悟していたであろうボス猿はその一言でビクン!と体を大きく震わせた。
その様子に驚いて顔を見ると、信じられない事に特徴的な細い目に大きな涙を湛えていた。
「あぁ、いや、スマン。」
担任もそれに気付き、まずはワンクッションを入れる。
「一つ聞きたいんだ。どうして、それを今になって届ける気になったんだ?」
ボス猿の声は震えていた。
しかし、そのセリフは10年を過ぎた今でもはっきりと覚えている。
「こいつが・・・いや、あの、タカギが、学校で初めて俺の言う事をちゃんと聞いてくれて、ちゃんと信じて聞いてくれたからです。」
孤独だと思っていたのは俺だけではなかった。
ボス猿自身も、大人たちが勝手に貼ったレッテルに勝手に怯えている子ども達に怯え、そして孤独だった。
しかも、俺よりもはるかに長い期間。
「先生!お願いです!ヒデは絶対に嘘ついてません!信じてください!!」
会議室はおろか、隣の職員室にまで小学5年男児二人が号泣する声が響いたらしい。
ふと気が付いて顔をあげると、校長・教頭・学年主任に保健の先生と、沢山の大人たちに囲まれていた。
その後は夕方まで、ヒデとは別々の場所で、様々な立場の大人から代わる代わる同じ事を聞かれた。
途中からどうやら疑われている事に気が付いてきて、疑いを晴らそうとだんだんとヒートアップしていく。
盗っていないという証拠は確かにない。でも、盗った証拠もないではないか。
ボス猿がボス猿たる所以はその正義感だった。おかしい事にはきちんとおかしいとはっきり言える。
大人からすれば可愛げのない子どもにしか映らないだろうが、子ども達からすれば大人の言う事の方が余程理不尽に感じられる事も多い。
昨日の今日で人と成りを理解する事は到底不可能である事はもちろん解っている。
でも、昨日下校の時に話した内容に嘘偽りがないと感じたし、信じるに値する人間だと感じたのも事実だ。
俺は何としても無実を証明したかった。
脅されているのではないか、陰でいじめられているのではないか、口裏を合わせているのではないか。
教師達から放たれる狂気とも思える発言。心配と言う優しい言葉にくるまれた疑いの念をひしひしと感じた瞬間も一度や二度ではない。
「だから!何度も言ってますけど、ヒデは盗ってないんです!」
「いや、タカギ君はそう言うけどねぇ。」
「もしですけど、盗ったんだとしたら、今になってこうして返すのはおかしいですよね!?しかも、しっかり全額あるんですよね!?」
教頭を相手に興奮気味に食って掛かったところで、その表情にピクリとした変化があった。
何事だろう。俺は何か変な事を言ったのだろうか。
「・・・あ、あれ。タカギくんは聞いてないのかい?封筒の中身、3千円程足りないようなんだ。」
それだけ言うと、教頭は職員室に戻っていった。
かれこれ30分程放置され、間もなく17時になろうかと言う頃。
唐突にドアが開いたかと思えばヒデが母親と共に現れた。
どうした事かとキョトンとしていると
「おう!帰ろうぜ!」
あっけらかんと言い放つ。
何が何だか解らないまま、ランドセルを背負って共に帰路についた。
道すがら、説明を受ける。
事の顛末はこうだ。
ヒデは「説明した通りで俺はやっていない」の一点張り。
俺からの説明と、ヒデが改めて説明した内容に食い違いが一切なく、膠着状態が続いた。
このままでは埒が明かないという事で、母親の職場へ連絡がいく。
近所の工場でパートをしている母親は、血相を変えてものの5分ですっとんできた。
教員からの説明を聞いていくうちに、ヒデ曰く『かーちゃんの顔がだんだんと鬼の形相に』変わっていったそうだ。
怒ったらとんでもなくヤバいと言う事を身をもって知る長男がびくびくしていると、母親はただ一言
「その、管理をされていたお子さんには、もちろん詳しくお話を聞かれているんですよね?」
と、迫力満点に伝えたらしい。
その様子に慌てた担任が封筒の管理をしていた委員長の自宅に電話を掛けた20分後には、委員長とその母親が共に学校に来ていた。
「なんかさ、魔が差して千円札1枚だけ抜こうと思ったんだって。」
結果的に集金済みの金額には3千円足りなかったようだが『硬貨も多く重たかったから、本人が抜いて封筒を落とした時にでも散らばったんでしょう』と言う所で話は落ち着いたようだ。
「それ聞いて、声かけたときに逃げた理由がわかったよ。あいつ、あの時ちょうど中身抜いてたんだな。」
かくして、我々二人にかけられた泥棒の疑いは晴れる事になる。
しかし、心配なのは委員長だ。
親御さんが直ちに返済したとは言え、自分で集めておいて自分がちょろまかしていたとは・・・これが知れたら、とんでもないことになるのではなかろうか。
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「ごちそうさまでした。」
お会計は3,750円だった。
酒を飲みながら食べたにしては想定よりも安い。
思い出に浸っていたからか、まだ腹には少し余裕があった。
もう一軒位一人で軽く飲んでも良いなと思いつつ店を出る。
特に当てがある訳では無いが、キンと冷えた夜風が酔い覚ましになるような気がして、ふらふらと歩く事にする。
ふらふらと駅のロータリーまで来たところで、季節外れの屋台が目に入った。
「この季節に・・・屋台?」
そういえば、さっきの店でもそんな話してたな。
明かりの少ないロータリーでちょっと目立つ屋台。
光に集まる虫になったような気分で、ふらふらとその屋台へ向かった。
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「タカギくんには、なんだかものすごくお世話になっちゃって。えぇ、えぇ。今夜はお夕飯をご一緒して頂こうと・・・」
ヒデの母親が俺の家に電話をしているが、何を話しているのか、その内容までは解らない。
何故ならば、俺は今、保育園児と小学2年生、4年生の下敷きになっているからだ。
「オイオイオイ、おめぇら、タカギは無敵じゃねぇんだぞ!」
母親の手伝いをしに台所とリビングを行ったり来たりしているヒデが笑いながら怒鳴っている。
「た・・・助けてくれよぉ・・・」
「いやいやいやいや、こっちは助かっちゃってるんだよね、相手してもらって!」
家で手伝いらしい手伝いをしない俺は、見かけによらず実に手際よく準備を進めるヒデを見て感心する。
何度払いのけても、ぎゃーとかぎょーとか、良く解らない雄たけびをあげながら、ヒデの弟一人と妹二人は何度も突進してくる。
無尽蔵に湧き出てくるこの元気の源は一体何なんだろうか・・・
「はいはいはいはい、そろそろ始めるわよ!」
ヒデの母親がそう言うと、中央のテーブルにホットプレートがセットされる。
「これね、さわったらあっちいからね、あつってなるからさわったらだめだよ!」
園児の丁寧な説明を聞きながら、俺は皿を並べるのを手伝う。
「あら、お客さんなのにごめんなさいね。」
「ホラ、おめぇらも手伝え、まったく!」
「はーい」
兄弟のいない自分からすると、ちょっぴり羨ましかった。
「やった!おこーみやきだ!」
末っ子園児が万歳をして喜んでいる。
「今日はご馳走だね!お揚げさんある?あれあると美味しいのよねぇ。」
一年生の長女がおませなセリフを言ったかと思えば
「えー!なんだよぉ今日も肉じゃねぇのかよぉ。。。」
と次男が不満を漏らしている。
「じゃ、おめぇはキャベツだけな。」
長男による正義の鉄槌が下されると、ありがたく頂きますと言う、なんとも素直な返事が返ってくる。
確かに、この家はお金持ちではないのかもしれない。
でも、家庭の暖かさと言う物は確かに存在しているように感じられた。
「はいはい、じゃヒデちゃん一つよろしくね」
ヒデが受け取ったボウルの中には具材が混ぜ合わされた乳白色の液体が、なみなみと入っている。
母と子、二人が一つのホットプレートを所狭しと使い、どんどんとお好み焼きを焼いていく。
そして、焼きあがるそばから、ほい!ほいっ!と小さい子から順番に皿にのせていった。
ソースやマヨネーズは各自が好きなようにかけていくスタイルのようだ。
次女・長女・次男、次女・長女・次男、と大きさは異なれど一人が三枚ずつ平らげたところで、次々にごちそーさま!と席を立つ。
この母子のあまりの手際の良さにあっけらかんとしてしまった。
「あらあら、お待たせしちゃって~」
「よし、俺らも焼いて食おうぜ!かーちゃん、いつものあれ!」
「はいはい、"長男様特権"ね。」
謎の会話を交わすとヒデの母親は何かを取りに台所へ向かった。
その間にヒデは生地を大きく二枚、ホットプレートに乗せる。
油が足りないのか、少々焼き難くそうに見えるが、慣れた手つきで焼き上げていく。
「俺さ、お好み焼き焼くの好きなんだよね。」
屈託なく笑うその顔を見ると、本当に好きなんだろうなと感じる。
「お好み焼きって、テキトーに焼けばテキトーな味になるけど、ちゃんと焼くとちゃんと美味しいんだぜ?」
当たり前の事を当たり前に言っている、ただそれだけのはずではあるが、なぜか説得力がある。
「はい、長男様、お持ちしましたよ。」
差し出されたものをヒデはサンキュ!と言いながら半ば奪い取るようにする。
焼きあがった薄手のお好み焼きを皿の上に乗せてくれた。
「まだだ・・・まだ食うんじゃねぇぞ?」
そういうとヒデはソースをお好み焼きに乗せ器用に伸ばし、マヨネーズもたっぷりとかけてくれた。
「これ、ちょっとマヨネーズ多いんじゃないの?」
苦笑いしながら率直な意見を述べると
「いいから任せておけって!」
と、手に持った小さい赤い缶の蓋を開ける。
ふわっと香るスパイシーな香り。
この匂いは・・・カレー粉だ!
「あーいい匂い」
そう言いながらヒデの母親も自分の分のお好み焼きを焼いている。
「!?」
手にした赤い缶をどうするのかと思った矢先、まさにドバっといった表現が似合う程、大量のカレー粉をお好み焼きの上にかける。
「え?え??そんなにかけて大丈夫なの?」
心配になって思わず口にしてしまった。
「いいから、食べてみろって。」
薄く白い丸皿に乗ったお好み焼き。
いや、自宅で食べるお好み焼きとは趣が異なり、だいぶシンプルでだいぶ薄い。
具は細かく刻んだキャベツと油揚げだけ。
その上にはヒデのプロデュースによる、ソースとマヨネーズとカレー粉の共演が色を添えている。
絶対に味が濃い・・・そう覚悟して割り箸を使って一口大に切り出したお好み焼きを食べる。
「・・・え!?うそ!?美味しい!!」
言うなればジャンクフードに近い衝撃だ。
「そうだろ?あ、でも半分まで食ったら一回やめろよ。」
このカレー粉は、お好み焼きに限らず、他の料理や家事全般を手伝わせている長男に、母親から与えられたちょっとした"特権"なんだそうだ。
ただ、特権にも制約がある。お好み焼きと焼きそばをやる時だけ、最初の一皿目には好きなだけかけて良い。そういう約束らしい。
気が付いたらヒデは食べながら2枚目を焼いている。
最初の一枚に好きなだけカレー粉をかけたお好み焼きをおかずに、今度は味を付けないお好み焼きを食べるんだという、なんだか熱のこもった説明を受ける。
なるほど、だから半分で一回やめろと言ったのか。確かに旨いがこのまま食べるには体に悪そうだと思っていたところだ。
言われるがまま、2枚目、3枚目と食べ終え、腹がくちくなる。
自宅でそうするのと同じように、手を合わせ『ごちそうさまでした』と告げると
「おう!」
と、何やら満足げな返事が返ってきた。
この日は金曜日。
明日は学校が休みとはいえ、既に夜も遅い時間に差し掛かっていた。
帰りは家族総出で途中まで、と言っても10分の距離を8分目まで一緒に歩いた。
別れ際に気にかけていた委員長の事を尋ねる。
「あれ、さ。ばれたら、委員長がいじめの標的になっちゃうんじゃないの?」
「あ、まぁまぁ、かーちゃんが『知恵授けたしもう大丈夫』って言ってたから、大丈夫なんじゃね?」
大丈夫と言うからには大丈夫なんだろうが、いまいち状況が掴めないまま帰宅した。
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明くる週、月曜日。
一時間目の国語の授業が道徳の授業に変わった。
視界の端には顔面蒼白の委員長が座っている。
開始のベルが鳴っているのに、担任は職員室に戻ったまま帰ってこない。
教室内がざわつき始めた頃、担任が校長と教頭をロープでぐるぐるに縛った状態で教室に入って来た。
「えーここで皆さんにお詫びしなければならない事があります。」
校長の胸元には【容疑者A】そして教頭の胸元には【容疑者B】と書かれた紙が貼ってある。
「私が学級委員長から預かった皆さんの大事なお金を"容疑者A"である校長先生に預け、校長室の金庫にしまいました」
担任が言うと校長が一歩前に出てセリフを続ける
「校長である私が給食費と鉢巻き代を預かるのはおかしいと思い"容疑者B"の教頭先生に預け、その話を担任の先生にきちんと伝えました。」
校長が一歩下がる。続いてドンドン!!と足を鳴らした教頭が
「給食費と鉢巻き代を分けてからもう一度私の所へ持って来てくださいと、担任の先生に封筒を返しました。」
と、私が犯人ではないという事を信じて欲しいですと言う芝居がかった演技だったが、そのセリフは棒読みだ。
その様子がコミカルで、教室の中は既にあちらこちらからクスクスと笑いが洩れている。
これはどうなっていくのかとドキドキしながらその様子を見守っていると、委員長が突然立ち上がった。
「皆さん!犯人は・・・この3人の中にいますっ!!」
いつかけたのか、テレビでよく見る探偵アニメの主人公を模したサングラスをかけていた。
「それはぁぁぁ、おまえだっ!!!」
そして、その主人公定番のセリフとポーズを真似て指を向けられたのは担任だ。
「何故だぁ!なぜバレたぁぁぁ!!!」
そう叫びながら後ろを振り返ると、背中には【真犯人】と書かれた紙が貼られている。
そこで手品のようにパッとロープを解いた校長と教頭が、今度は警官になりきって"真犯人"である担任に詰め寄る。
「んん!?みんな解ってるんだ、素直に認めたらどうだ。」
「証拠はあがってるんだぞっ!」
教頭にバンっと机をたたかれ、担任は泣きそうな顔で
「だって・・・だって・・・テストの丸付けが大変だったんですぅぅぅ!」
と言い訳を始める。
「忙しいからって、大事なお金をどこにしまったか忘れるやつがあるか!」
「よし、職員室に連行だ!」
校長と教頭の見事な演技で、担任は職員室へと連行されるため教室を出る。
出る間際『残りの時間は自習だからなぁぁぁぁぁ』と叫んでいた。
教室の中は爆笑の渦だった。
真相を知っているクラスメイトは委員長とヒデと俺だけ。
笑い声のなか、なんとなく三人で目くばせをしたが、委員長はバツが悪そうだ。
後々、担任から聞かされた事がある。
あの時、職員室にはヒデと委員長、そしてそれぞれの母親が集まっていたそうだ。
事の真相を知り『みんなにきちんと謝りなさい!』と涙ながらに我が子を叱り飛ばす委員長の母親を、遮るようにして止めたのはヒデだったそうだ。
ヒデ自身も長い間打ち明けられなかった事を深く反省し非難を受けるのも当然だと感じていたが、今さら真相をバラせば、クラス中から嘘つきだと非難されるのは委員長の方だと言う事も解り切っていた。
確かに、この件に関して糾弾されるべき人間は二人いる。
だが、担任は言った。
「あいつをいじめるやつがいると思うか?」
担任の言葉が示す通り、ここで二人の犯人が名乗り出たところで、クラスの標的は自然と気弱な委員長一人に絞られるのは誰の目からも明らかだった。
両者共に同じ熱量で非難を受ける覚悟をしていても、子供たちの世界の残酷さを止める事もコントロールする事も出来ない。
そこへ『鬼の形相のままのかーちゃん』が動き出す。
いっそのこと有耶無耶にしちゃいなさいよと、一芝居打つ事を提案されたそうだ。
『当事者だけが嘘をつく事で傷を負うのではなく、大人も優しい嘘で泥をかぶり、クラス全員を守ってあげて欲しい』とも言ったそうだ。
倫理的な問題もあり少々すったもんだあったようだが、日曜の夜には関係する3つの家庭すべての保護者とも話しが付いた。
担任が訪ねて来た時、何も知らなかった俺の母親も少々驚いた様子ではあったが、こちらは当事者ではない故に反対する理由もなかった。
思春期の入口に差し掛かっていた俺は学校での出来事を逐一報告したりはしないが、今回の嫌がらせのように、何か困った事があればすぐに言いなさいとだけ注意された。
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光に吸い寄せられるように歩きながら、お好み焼き店の店名と同じ名前の人物がそこにいないかと期待していた。
泥棒騒動が落ち着いた後、中学までは何をするにもいつも一緒だった。
ヒデはずっとずっと変わらなかった。
仲間が理不尽にいじめられていれば相手が上級生であろうが高校生であろうが、それが時に教師であろうが果敢に向かって行った。
その後も柔道を続けていた俺も、ヒデに加勢した回数は片手では足りない。
いじめっこのレッテルはその後も強固について回った。
ヒデなりの正義が通用する事もあればそうでない事もあった。
それでも、あいつの信念が揺るぐ事はなかったし、俺はそんなあいつを心の底から誇りに思っていた。
だからこそ、柔道の強豪校へ進学した自分とは別の道を歩んだヒデの悪い噂はどれもこれも信じられなかった。
高校で暴力事件を起こして退学になったとか、
隣町の暴走族に殴り込みに行ったとか、
地元のヤクザ相手に大立ち回りしたとか。
信じられなかったのは噂そのものではない。
いずれの出来事でもヒデが悪者扱いされていた事に対してだ。
噂の数が増えるに従い、少しずつ疎遠になっていき、高校を卒業するタイミングでは連絡すら取らなくなっていた。
もっとも、連絡を取らなかったのではなく、携帯電話の番号が変わったようで音信不通になってしまったのだが。
自宅を訪ねた事もあったが、いつの間に引っ越したのか、住む人が居なくなったボロ家は廃墟のようになっていた。
厚手の塩化ビニールで出来た、明るい色をしたのれんをくぐる。
ふわっと、ほのかに懐かしい香りが酔った鼻をくすぐった。
この寒い中お好み焼きを焼いているせいで鉄板の上は湯気で真っ白だ。
「ぃらっしゃぁい!今焼いてるからちょっと待ってね!」
威勢の良いこの声。間違いない、かつての友だ。
「よ、ヒデちゃん!」
声を掛けるとお好み焼きを焼く手を止めてパッと顔をあげる。
髪の毛が坊主頭になっている以外は、あの頃のヒデそのまんまだった。
「おおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」
ヒデはバカみたいに大きな声で叫んでいる。
こういう所もあの頃のままだ。
「・・・え、あれ、もしかしてタカギのお兄ちゃん?」
横から声を掛けられて顔を向けると、そこには地元で有名な進学校の制服の上にジャンパーを羽織った女子高校生がキャベツの入った段ボール箱を抱えていた。
「あ!やっぱりそうだ!うわー久しぶり!私、ほら、モモだよ!一番下の妹の!」
自分の年齢を考えれば、あの時の保育園児が花の女子高生である事は当然の事である。
「ヒデ兄がね、学費稼いでくれてるから、私もたまにお手伝いしてるの!」
ひとしきりの挨拶を交わした後、俺は飲み物を買いにコンビニに走った。
「「「かんぱーい!」」」
缶ビールに缶チューハイにホットココアで屋台の中の椅子に腰を掛けて乾杯する。
一応は営業中だろう?と問えば、そろそろ帰ろうと思ってたんだよってバレバレな優しい嘘で応えてくれる。
思い出話に花が咲く。
「そういえばヒデちゃんさ、ヤクザ相手に大立ち回りしたとか、学校で傷害事件起こしたとかさ」
「おう、なんか色々言われてんな」
「スーパーじゃ泥棒の常習犯だって聞くしさ、大丈夫なんか?」
「あっはははははは!ヤクザ相手にケンカする奴がスーパーで泥棒とか、どんなヤツだよそれ」
思った通りだ。確かに無茶な事をする時もあるけど、意味もなく悪い事はしないやつなんだ、こいつは。
「まぁまぁ、中退したのも本当だけどな、あれはテキヤの修行始めるからだったし」
缶ビールを勢いよく飲みながら続ける
「そりゃーさ、いろいろあるよ。悪い事もしたっちゃしたし。キレイには生きられないねぇ。」
まぁこれでも食えや、と差し出されたお好み焼きには見た目でそれと判るほどカレー粉がかかっている。
割り箸で一口切り出して口に運ぶ。
あの頃と比べて、お好み焼き自体も随分と豪華になっていたが、それ以上に凄いのがカレー粉の印象だ。
カレーの風味が強烈なインパクトをもたらしているだけではなく、その強烈さがお好み焼き全体を一つにまとめ上げている。
「旨いだろ?カレー粉、自分で作ってるんだぜ?そんで、そのカレー味のが堂々の一番人気よ。」
カレー粉を自分で作るとか、相変わらず見た目に反して細々した事を器用にこなすもんだ、と感心する。
お互いが3本目の缶を開けた頃、既にモモは帰路につき、田舎の駅前の人影はまばらになっていた。
ふと顔を見ると、ヒデは柄にもなく遠い目をしている。
なんだよ、久し振りの再会でそんな顔されたらちょっと寂しいじゃないか。
「そんなこんなで、こんなんになったけどよ・・・一番最初に悪事を働いたのは、あん時なんだぜ?泥棒さんよ。」
あの時、と言うのが何を指すのかは"泥棒"と呼ばれてすぐに気が付いた。
「・・・あん時、足りなかったお金ってさ、3千円って言われたよな?」
ちょっとしたタメを作ったヒデの口調がちょっと沈んだ。
「あぁ、そうだったよな、委員長は一枚だけ!って言い張ってたし、封筒落ちたときに封筒からこぼれた、みたいな説明だった気がする」
酔っていたが、ヒデの口調が変わったのが気にかかった。
ヒデは、実は・・・と口にしながら、レジ代わりのタッパーから500円玉を4枚手に取って俺に見せる。
「え・・・おい、お前・・・まさか」
「あん時さ、封筒拾ったらちょっと遠くに500円玉転がっててさ、貧乏だったから単純に"ラッキー"って」
一枚拾ったらまた一枚、そしてまた一枚と目に入り、結局2千円を拾った事を打ち明けられた。
「いや、でも、あん時ゃ、封筒の中から落ちたとか、封筒の中身が全部でいくらだったとか解んなかったしさ・・・」
「・・・で、そのままポケットへ"ナイナイ"したのか、お前。なんだよ、ちゃっかりしてんなぁ。」
「まぁ、そういう事だな。先生に打ち明けた時になんとなく気付いたんだけど、もう使っちゃってて手元にもなかったしな。」
本人は拾ったと認識している2千円も駄菓子屋で弟や妹に10円20円と使っているうちに、あっという間になくなってしまったんだそうだ。
「そういう事なら・・・まぁ、もういいんじゃないか?気にするなよ。てか、お前が【真犯人】だったのかぁぁぁ!」
あの時の委員長の口調と仕草を真似て俺は叫ぶ。
おちゃらけた俺の顔を見て、ヒデは声をあげて笑った。
そうだよ、お前にはやっぱりそういう顔が一番似合う。
そんなヒデは将来カレーショップを開きたいという。
俺はてっきりお好み焼き屋をやりたいのかと思っていたので、違うのかよ!と大げさに突っ込んでしまった。
「だってよ、お好み焼き屋はもうかーちゃんやってんだよ。再婚した人と一緒にさ。」
それを聞いて先ほどの店主と女将さんの様子を思い出す。
言われて初めて気が付いたが、確かにあの女将さんはヒデの母親だった。
この屋台の話題が出た時の、店主のぶっきらぼうな受け答えにもなんとなく合点がいった。
なるほど、だから『ヒデ』にはカレー粉は置いていないのか。
「そこの路地入ったところに店があるんだ。カレー粉は置いてくんないんだけどな。」
・・・違うよ、ヒデ。
置いてくれないんじゃない。置かないんだ。
この町で同じように商売を始めた義理の息子への、あの親父さんなりの、精いっぱいのエールじゃないか!
義理とは言え、親子ってそう言う所は不器用になってしまうものなんだろうな。
でも、なんか。
うん。でもやっぱ、家族って良いな。
そうだ。
明日は、俺が両親にキャベツと油揚げの入ったお好み焼きを作ってみるか。
あの頃みたいに、不格好でもどこかホッと出来るようなお好み焼き。
ソースとマヨネーズの上には、たっぷりのカレー粉を添えてさ。




